あなたが死の瞬間に思うことは?


「レイラの最後の10分38秒」
10 Minutes 38 Seconds in This Strange Wprld

- エリフ・シャファク Elif Shafak -

<死からの10分38秒>
 「人は死んでも10分以上意識がある!」
 2017年3月、医療情報サイトのMedica Xpressにこんな記事が掲載されました。
 それはカナダの集中治療室勤務の医師らによる報告によるもので、臨死状態にあった患者が、生命維持装置を切った後10分38秒の間、脳波が熟睡中の生者と同じ状態を保っていたことを記録したというものでした。人はもしかすると死んでもしばらくは意識を保ち続けるということです。
 この記事を読んだ著者は、その10分38秒の間に死者はどんなことを思ったのだろうか?もしくはどんな夢を見たのだろうか?そう考えました。それがこの小説の基本となるアイデアです。

 歴史上のある時点で、ヨーロッパ人は死者を町はずれに追いやるという名案を思いついた。”見えないものは忘れ去られる”からというより”見えないものは都会の生活を邪魔しない”からといったほうが正確だ。・・・
 もはや墓石を - 人生の儚さと神の厳格さを思い出させるいやなものを - 見なくてすむようになると、ヨーロッパの市民はにわかに行動的になった。日々の生活から死の影を追い出したので、ほかのことに集中できるようになった。


 「死がそばにあることを意識すれば人は必死に生きる」という考え方があります。しかし、それは毎日毎日、目の前の目標にひたすら向かう生き方であり、人類のために遠い目標を設定することにはつながらないかもしれません。極端に言えば、トランプ大統領のように「America Fast and Me Fast」で生きるか、グレタ・トゥーンベリのように「未来の子供たちのために」生きるかの違いです。個人にとっても、未来をどう生きるのかを考えて、そのための投資(教育や体験)を選ぶのは身近な「死」を前提にしてはできないことかもしれません。
 ただし、この小説の基本は人類に対し、かなり悲観的な見方をしています。
 ・・・おそらく、厭世家が真っ先にこの地から逃げ出し、楽天家はしばらく待って事がどう転じるか見守ることを選んだだろう。人類の歴史において連綿と続く悲劇のひとつは、厭世家のほうが楽天家よりも生き残りに長けていたことだとナランは思っている。それはつまり、理論上、人類は人間らしさを信じない人々の遺伝子を持っているということだから。

<あらすじ>
 物語は1990年のトルコ最大の都市イスタンブールから始まります。下町の路地裏に置かれたごみ容器に一人の娼婦の遺体がありました。しかし、その遺体はまだ意識を失っておらず、1947年に自分が生まれた日へと記憶をさかのぼろうとしていました。
 イスタンブールから遠く離れた東部の街ヴァンの厳格な父親のもとに彼女は生まれました。しかし、母親は父の正妻ではなく、2番目の妻だったため、彼女は複雑な思いを抱きながら育つことになります。表向きは正妻の子として育てられますが、彼女は自分の母がどっちなのかわからないままでした。
 物語はそこから始まり、彼女の人生と共に、彼女の大切な5人の友人たちの生い立ちも交えながら、1990年の終わりに向かってスタートを切ります。
 その後、発見された彼女の遺体は、引き取り手のない遺体のための郊外の寂しい墓地に埋葬されます。しかし、5人の友人たちはその遺体を掘り出し、1977年に起きた虐殺事件で命を落とした彼女の夫の隣に移そうと計画します。その作戦は上手くのか?

 物語の中で起きる事件の多くは実際にあった事で、1977年のメーデーにイスタンブールで起きた左派市民の虐殺事件も実際にあった事件で、ホテルからの狙撃も実際に行われています。かつて韓国の光州事件や中国の天安門事件と同じような事件がトルコでも起きていたわけです。
 それに引き取り手のない遺体が埋葬される墓地もまた実際に存在します。
 小説の最後、海に落ちて行く主人公の遺体は広大な海の一部となり、意識もついに失われて行きます。そして、最後に一言。
「ついに自由になった Free At Last」
 かつて自由を求めて行われた公民権運動の歴史的集会におけるマーティン・ルーサー・キング牧師の演説の最後にあった名文句です。

<イスラム圏の女性たち>
 MeeToo運動が大きく盛り上がる中、西欧社会の観点からするとはるかに男尊女卑の状態に見えるトルコ。イスラム圏の国々の中では、最も女性が自由に生きられる国だとは思いますが、それでも最近は保守派エルドアン政権が続く中、どんどんイスラム原理主義的政策は拡大し、女性たちの権利は過去に引き戻されてしまうかもしれません。
 トルコで最も人気がある女性作家エリフ・シャファクのこの作品は、そんなトルコにおける弱者である女性やLGBTの人々への熱いエールとも言える小説です。ところが、残念なことにそんな人気作家の彼女でさえ、過去の作品で彼女が1915年のトルコによるアルメニア人虐殺事件を「ジェノサイド」として描いたことから、国家侮辱罪で起訴されて経験があります。
 ちなみに彼女の人気の原因には、彼女がまるで女優さんのような美人だということも影響しているかもしれません。(これこそ、差別になりそうですが事実です)
 元々彼女はトルコの作家と言っても、トルコ系移民の子供としてフランス、ストラスブールに生まれ、現在も夫と子供たちとロンドンに暮らす人物です。逆に言うと、だからこそ、彼女はトルコというイスラム圏でも半分ヨーロッパに位置する特異な国を客観的、主体的に見ることができる立場にあると言えます。

 この小説は、女性やLGBTなど弱き者たちへの愛に満ちていますが、もう一つトルコの顔とも言える存在である古都イスタンブールへの愛に満ちていることもこの小説の多きな魅力です。僕自身もイスタンブールには一人旅と新婚旅行、二回行っていますし、主人公の故郷ヴァンの街にも行っているので、この小説には親近感を覚えずにはいられません。著者がロンドンで故郷のトルコへの思いをはせるように、僕も懐かしい国トルコへの思いをはせてしまいました。

 イスタンブルは幻だ。失敗に終わった奇術師のトリックだ。イスタンブルは、大麻愛好者の心のなかにだけ存在する夢だ。実際、イスタンブルは単独では存在しない。いくつものイスタンブルが、最後に生き残れるのはひとつだけだと承知の上で、取っ組み合い、競い合い、ぶつかり合っている。
 たとえば、徒歩か小舟で行き来するようにつくられた古風なイスタンブルがある - 旅まわり修道者や、占い師、仲介人、船乗り、綿打ち職人・・・柳の籠を背負った荷担ぎたちの街だ。
 近代的なイスタンブルがある。 - ぶんぶん行き交う車やオートバイ、さらなるショッピングセンターや高層ビルや工業団地向けの建築資材を積んだ工事トラックが走りまわる、スプロール化した都市だ。皇帝のイスタンブル対平民のイスタンブル、世界的なイスタンブル対偏狭なイスタンブル、洗練されたイスタンブル対無教養なイスタンブル、異端のイスタンブル対敬虐なイスタンブル、男らしいイスタンブル対女らしいイスタンブル。
 そして、とうの昔に遠くの港へ向けて船出した者たちのイスタンブルでもある。彼らにとってこの街は、記憶と神話と熱烈な願いからなる、霧のなかに消えていく恋人の顔のように永遠にとらえがたい大都市であり続けるだろう。・・・



「レイラの最後の10分38秒」 2019年
10 Minutes 38 Seconds in This Strange Wprld
(著)エリフ・シャファク Elif Shafak
(訳)北田絵里子
早川書房

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