「十二人の怒れる男 12 Angry Men 」 1957年

- シドニー・ルメット Sidney Lumet -

<陪審員ドラマの原点>
 社会派の監督として1950年代から21世紀まで活躍を続けた巨匠シドニー・ルメットのデビュー作が、この「十二人の怒れる男」です。早くからテレビ界で活躍していただけに、この作品はデビュー作でありながらすでに高い完成度に達していました。2006年にこの作品をテレビでみたうちの長男(当時中一)は、すっかりこの映画が気に入りやっとアクションもの一辺倒から脱却してくれそうです。この作品は、陪審員を主役とする法廷ドラマの教科書であり、限られた時間、限られた空間を舞台とした究極の密室劇であり、少ない証拠から犯罪者の心理を分析する犯罪推理劇の原点であり、十二人の主人公の人間性を見事に描き分けた集団人間ドラマの先駆けでもあります。

<シドニー・ルメット>
 シドニー・ルメット Sidney Lumet は1926年ペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれた根っからの東部アメリカンです。4歳の時にニューヨークに引っ越すと、その後ずっとニューヨークを拠点に活動を続け、「ニューヨーク派」と呼ばれる映画人の先駆け的存在となりました。元々彼の父親がラジオ局で働くマルチ・タレントだったこともあり、彼もまた芸能界に関心をもつようになり、小さな頃から子役として舞台劇に出演するようになっていたといいます。その後、俳優から演出家に転進した彼は、1950年26歳の時にCBSテレビのアシスタント・ディレクターとなります。彼はディレクターとして500本もの番組を手がけましたが、その数は3日に一本という異常な本数です。彼のワーカホリックぶりはこの後映画界入りして以後も変わらず、43年と言う長い監督生活の中でなんと43本の作品を撮っています。(なんと年に一本というハイペースです!)しかし、彼の場合、ただ単に作品の数が多いだけではなく、数多くのジャンルに渡り、なおかつ質の面でも十分に高いものが多いことも驚きです。

<テレビ・シリーズ「ユー・アー・ゼア」>
 彼のテレビ時代を代表する作品として、「ユー・アー・ゼア」というテレビ・シリーズがあります。これは、毎回ひとつの歴史的事件を取り上げ、それを再現しドラマ化するという画期的な企画でした。(こうしたスタイルの番組は「ドキュメンタリー・ドラマ」略してドキュラマと呼ばれていました)放映されていた番組のタイトルは、「パリ解放」、「マルコ・ポーロの大冒険」、「ジェシー・ジェイムスの死」、「ヒンデンブルグ号の着陸」、「クレオパトラの死」、「ガリレオの危機」など多種多彩です。ところが、この番組は時代が1953年だったということもあり、なんと生放送で放映されていました。
 彼が演出を担当したこの番組には、ポール・ニューマン、ロッド・スタイガーなど、将来の大物俳優たちも出演、さらに番組司会として、ニュースキャスターのウォルター・クロンカイトらも登場するというものでした。実はこの番組は、テレビの世界で行われたマッカーシズムに対する抵抗の場でもあったことが後に明らかになります。それはなぜかというと、この番組の脚本を担当したジェレミー・ダニエルという人物は実際には脚本を書いておらず、ウォルター・バーンスタイン、アーノルド・マノフ、エイブラハム・ポロンスキーという3人のライター共同の作品だったことがわかったからです。そしてこの3人とは、当時映画界を襲っていた「赤狩り」よってハリウッドを追われた脚本家たちで、表に顔を出すことができない存在だったのです。ハリウッドを追われた優れた男たちの脚本によって、この番組は傑作となったのでしょう。そして、こうした映画界からの移住組みによって、シドニー・ルメットらニューヨーク・テレビ界の若手は大きな影響を受け、監督としての実力を身につけることができたのです。
<追記>2016年
 シドニー・ルメットはあきらかに、エド・ベグリイとリー・J・コッブを、十年前、ハリウッドの進歩派をスケープゴートにしたアメリカ大衆の典型と見ている。彼らは栄光あるアメリカ人という意識だけが支えで、現実の激動する時代に対しては不安とおびえしか持たない。彼らが不安を解消できるのは、スケープゴートをさがしあてた時である。
 シドニー・ルメットは赤狩りから十年後、進歩派の力を回復した時点で、赤狩りへの痛烈なしっぺ返しをしたのである。
・・・
川本三郎「映画の戦後」より

 ちなみに、リー・J・コッブは「赤狩り」の際、政府の追及により転向を余儀なくされ、赤狩りによる映画界追放を逃れた俳優のひとりとです。彼もまた「赤狩り」の犠牲者の一人でした。
当時、私はまったく金がなかった。子どもを育てる金もなかった。私の周囲の人間は誰も私を助けてくれようとはしなかった。弁護士は私と会うのさえ避けようとした。私は、モラルの問題を話しているのではない、朝食のことを話しているんだ。もしあの時私が死んだらひとは私に同情してくれたかもしれない。私は現在ではもう政治からまったく手をひいている。もうなんの関心もない。私はもう闘いたいとは思わない」
リー・J・コッブ

<偉大なる多作家ルメットの作品群>
 「法廷もの」の傑作としては、「十二人の怒れる男」以外にも、ポール・ニューマン主演の「評決」(1982年)があります。「実録犯罪もの」の傑作としては、彼の代表作ともいえるアル・パチーノの出世作「狼たちの午後」(1975年)この作品はフランク・ピアソンがアカデミー脚本賞を受賞しています。彼にとっての異色作としては、近未来SFであり、核兵器の危険性を描いた隠れた傑作ヘンリー・フォンダ主演の「未知への飛行」(1964年)があります。
 数が多いのは「警察もの」でアル・パチーノの名演が光る「セルピコ」(1973年)、トリート・ウィリアムズ主演の地味な名作「プリンス・オブ・シティ」(1981年)、ニック・ノルティ、ティモシー・ハットンの「殺人調書Q&A」(1990年)。
 それ以外の「犯罪もの」では、ショーン・コネリーにとって脱007作品となった「「盗聴作戦」(1972年)、マイケル・ケイン主演の異色の犯罪もの「デストラップ 死の罠」(1982年)、ジナ・ローランズの代表作をリメイクしたシャロン・ストーン主演の「グロリア」(1999年)。
 そして「推理もの」の名作としてはアガサ・クリスティーの代表作を映画化したアルバート・フィニー、ジャクリーン・ビセット、マイケル・ヨーク、ローレン・バコール、アンソニー・パーキンス、ヴァネッサ・レッドグレープ、レイチェル・ロバーツ、ジャン=ピエール・カッセル、ジョン・ギールガット、ショーン・コネリー、イングリッド・バーグマンなど今では考えられないオール・スター共演によるゴージャスな作品「オリエント急行殺人事件」は本当に素晴らしい作品です。
 意外なことに、彼は女性を主人公とした作品も得意としていて、スーザン・ストラスバーグの「女優志願」(1958年)に後にユーミンが同タイトルの曲を作ることになるキャンディス・バーゲンの代表作「グループ」(1966年)。
 それと渋いところでは、舞台劇をもとにしたリチャード・バートン、ピーター・ファースの「エクウス」(1977年)、社会派の傑作としてはテレビ界の内幕を暴露した「ネットワーク」(1976年)ではピーター・フィンチ、フェイ・ダナウェイ、ビアトリス・ストレイトがアカデミー主演男優賞、女優賞、助演女優賞、それと脚本賞も獲っった傑作です。ロッド・スタイガーの「質屋」(1965年)も地味ながら評価の高い作品ですし、伝説の青春スター、リバー・フェニックス主演の「旅立ちの時」(1988年)は、個人的に僕は大好きな作品です。(ジェームス・テイラーの名曲「ファイヤー・アンド・レイン」が泣かせます!)異色作としては、「オズの魔法使い」のリメイク作品でもあるダイアナ・ロス主演のブラック・ミュージカル「ウィズ」(1978年)。
 これだけ多くのジャンルに渡る作品を撮り、それらの多くが傑作なのですから、本当に凄い監督です。
 ただし、彼はアカデミー賞には縁がなく「十二人の怒れる男」、狼たちの午後、「ネットワーク」、「評決」と4度も監督賞にノミネートされながら一度も受賞していません。アカデミーの委員会ももうしわけなく思ったのでしょう。その罪滅ぼしとして2004年にアカデミー名誉賞を彼に授与しています。

<テレビの黄金時代を象徴する作品>
 「十二人の怒れる男」は、もともとはレジナルド・ローズという脚本家の作品をもとにシドニー・ルメットが演出したテレビ・ドラマでした。どうやらこの番組はシリーズ化されたものだったようです。すでにテレビ界では有名な演出家だった彼の番組はハリウッドでも注目されていて、この番組をテレビではなく試写室で見たヘンリー・フォンダがすぐに映画化を企画。彼自身初めて製作を担当すると同時にテレビ版の演出していたシドニー・ルメットを初監督に抜擢、その判断は見事に成功。この作品は、1957年度のアカデミー賞でいきなり作品、監督、脚本賞にノミネートされるという快挙を成し遂げました。これがデビュー作でなければ、映画だけのオリジナル企画であれば、アカデミー賞を獲っていたかもしれません。
 その意味では、この映画はテレビ番組の映画化、テレビ畑出身の演出家の起用というテレビの黄金時代ならではの作品としても、時代を象徴しているといえるのです。

<テレビ時代の監督たち>
 シドニー・ルメットはニューヨーク派の監督と呼ばれますが、ニューヨーク派と呼ばれる監督たちに共通のテーマや目的があったというわけではありません。たまたま同じ時期にニューヨークから新人監督が数多くの登場し、活躍を開始し始めたことから、そういわれるようになったのです。もちろん、彼らが同時期に登場したのには理由がありました。
 最大の理由は、中規模の娯楽映画を撮っていたそこそこの実力をもつ監督がテレビ畑出身の低予算で映画を撮れる若手に切り替えられたことでした。その方が感覚も新しく安く上がるのですから、当然の判断でした。1955年を境に急激にその変化が起きています。当時デビューしたテレビ界出身の監督をざっとあげてみましょう。
 テレビ版「マーティ」の映画版を撮り、いきなりアカデミー賞をとったデルバート・マン。テレビの「ピーターガン」で有名になり「微笑みをもってきて」でデビューしたブレーク・エドワーズ。1956年になると、舞台の演出家からテレビに進出し、その後「暴力波止場」でデビューしたマーティン・リット。さらにこの年1957年では、「若い他人たち」でデビューしたジョン・フランケンハイマー、「気ままな年」でデビューしたアーサー・ヒラー、アンソニー・パーキンス主演の野球映画「栄光への旅路」でデビューしたロニー・マリガン。そして、後に「俺たちに明日はない」を撮り、ニューシネマ・ブームのきっかけをつくることになるアーサー・ペンもまたこの年、ポール・ニューマン主演の「左ききの拳銃」でデビューを飾っています。

<個性的な役者たち>
 この映画は主役のヘンリー・フォンダ以外の陪審員にも実に渋くて個性豊な俳優が使われているのも、この映画のポイントでしょう。配役については、監督のルメットと製作のヘンリー・フォンダがじっくりと一人ずつ選んでいったということで、それぞれの適役が配され、それがこの作品に優れた舞台劇のような人間性のぶつかり合いを生むことになったのです。その中には、リー・J・コッブ Lee J. Cobb(「波止場」、「エクソシスト」、「西部開拓史」、「マンハッタン無宿」など)、E・G・マーシャル E.G.Marshall(「逃亡地帯」、「インテリア」、「レマゲン鉄橋」など)、マーティン・バルサム Martin Balsam(「裏街道・太陽の天使」でアカデミー助演男優賞、その他「大統領の陰謀」、「小さな巨人」、「波止場」、「サイコ」、「ティファニーで朝食を」など)、ジャック・ウォーデン Jack Warden(「天国から来たチャンピオン」、「シャンプー」、「評決」、「ジャスティス」、「ブロードウェイと銃弾」など)、ジャック・クラグマン Jack Klugman(「酒とばらの日々」、「さよならコロンバス」など)、ロバート・ウェッバー Robert Webber(「ガルシアの首」、「テン」、「ボクサー」など)、エド・ビンス Ed Binns(「パットン大戦車軍団」、「未知への飛行」、「ニュールンベルグ裁判」など)
 この後も多くの作品に出演し映画を盛り上げてゆくことになる素晴らしい脇役たちがいたわけで、この後、次第に増えてくれる集団人間ドラマの原点だったともいえそうです。

<追記>
 ロシアの巨匠ニキータ・ミハルコフ監督によるリメイク作品「12人の怒れる男」(2007年)も素晴らしい作品です。ロシアならではの政治、民族問題、官僚の腐敗などを盛り込みながら、しっかり娯楽作品となり、なおかつラストには原作と異なる驚きが待っています!
 「桜の園」でブレイクした中原俊監督の1991年の懐かしい作品「12人の優しい日本人」も良かったですね。三谷幸喜の脚本の楽しさを知り、豊川悦司のカッコよさを知ったのはこの作品でした。

「十二人の怒れる男たち 12 Angry Men」 1957年公開
(監)シドニー・ルメット
(製)レジナルド・ローズ、ヘンリー・フォンダ
(脚)レジナルド・ローズ
(撮)ボリス・カウフマン(伝説的映画監督ジャン・ヴィゴの作品で撮影を担当していたカメラマン)
(音)ケイヨン・ホプキンス
(出)ヘンリー・フォンダ、リー・J・コッブ、E・G・マーシャル、マーティン・バルサム、ジャック・ウォーデン、ロバート・ウェッバー、ジャック・クラグマン、エド・ビンスなど

<あらすじ>
 父親をナイフで刺殺したとされる少年の判決を下すため、12人の陪審員が陪審員室のテーブルにつきました。裁判で明らかにされた証拠から少年の有罪は間違いないと思われていましたが、評決を行ったところ一人だけ無罪を主張。アメリカの陪審員制度では、全員一致が評決における原則のため、審議が再び続けられることになります。多くの陪審員がすぐに帰れると思っていたため、いらいらする人が多い中、唯一審議続行を主張した人物はこういいます。
「簡単に決めてしまっていいんでしょうか。一つ一つ考え直しましょうよ」
 こうして、十二人の長い一日が始ることになりました。審議の中で、少年が使ったとされていた凶器であるナイフについて、入手先、殺害時の持ち方などについてチェックしてゆくうちに、少しずつ少年が無実であることを証明する事実が明らかになってゆきます。こうして、一人また一人と無罪を主張する陪審員が増えてゆきます。しかし、少年の無実は明らかに思えたにも関わらず、ひとりの男性が頑として有罪を主張します。なぜ彼はそこまで有罪にこだわるのか?判決の行方はどうなるのか?


英国のハマー・プロによる怪奇映画がブームとなる
アンジェイ・ワイダ、カワレロビッチらポーランドの監督が世界進出

「愛情の花咲く樹 Raintree Country」(監)エドワード・ドミトリク(出)エリザベス・テーラー
「OK牧場の決斗Gufight at the O.K.Corral」(監)ジョン・スタージェス(脚)レオン・ウーリス(出)バート・ランカスター、カーク・ダグラス
「カビリアの夜 Le Notti Di Cabiria」(監)フェデリコ・フェリーニ(出)ジュリエッタ・マッシーナ(カンヌ映画祭主演女優賞)、フランソワ・ペリエ
「悲しみよこんにちは」(監)(製)オットー・プレミンジャー(原)フランソワーズ・サガン(出)ジーン・セバーグ、デヴィッド・ニーブン、デボラ・カー
「監獄ロック」(監)リチャード・ソープ(脚)ガイ・トロスパー(音)ジェフ・アレクサンダー(出)エルヴィス・プレスリー
「さすらい」(監)(脚)ミケランジェロ・アントニオーニ(脚)ユンニオ・デ・コンチーニ他(出)スティーブ・コクラン、ベッツィ・ブレア
「サヨナラ Sayonara」(監)ジョシュア・ローガン(レッド・バトンズ、ナンシー梅木がアカデミー助演男優、女優賞
「死刑台のエレベーター」(監)(脚)ルイ・マル(脚)ロジェ・ニミエ(原)ノエル・カレフ(出)モーリス・ロネ、ジャンヌ・モロー(音)マイルス・デイヴィス
「宿命」(監)(脚)ジュールス・ダッシン(脚)ベン・バルマン(出)フェルナン・ルドー、ピエール・ヴァネク
「十二人の怒れる男12 Angry Men」(監)シドニー・ルメット(原)(脚)レジナルド・ローズ(出)ヘンリー・フォンダ、リー・J・コッブ
「戦場にかける橋 The Bridge on the River Kwai」(監)デビッド・リーンアカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞(アレック・ギネス))
「大河のうた The Apu Trilogy」(監)サタジット・レイ(出)ビナキ・セン・ブクタ(ヴェネチア映画祭金獅子賞
第七の封印(監)(脚)イングマール・ベルイマン(出)マックス・フォン・シドー(カンヌ映画祭審査員特別賞)(1956年公開)
「地下水道」(監)アンジェ・ワイダ(脚)イエジー・ステファン・スタヴィンスキー(出)タデウシュ・ヤンツァー(カンヌ映画祭審査員特別賞)(1956年公開)
「翼よ!あれが巴里の灯だ」(監)ビリー・ワイルダー(原)チャールズ・A・リンドバーグ(出)ジェームズ・スチュワート、マーレイ・ハミルトン
「突撃」(監)(脚)スタンリー・キューブリック(脚)カルダー・ウィリンガム、ジム・トンプソン(出)カーク・ダグラス、ラルフ・ミーカー
「野いちご」(監)(脚)イングマール・ベルイマン(監)ヴィクトル・シェストレム(出)ヴィクトル・シェストレム、ビビ・アンデルセン
「灰とダイヤモンド Ashes and Diamond」(監)アンジェ・ワイダ((原)(脚)イエジイ・アンジェイエフスキー(出)スビグニェフ・チブルスキー
「白夜」(監)ルキノ・ヴィスコンティ(出)マルチェロ・マストロヤンニ、マリア・シェル(ヴェネチア映画祭銀獅子賞
「昼下りの情事 Love In The Afternoon」 (監)(製)ビリー・ワイルダー(出)オードリー・ヘップバーン、ゲイリー・クーパー、モーリス・シュバリエ
「平和の谷」(監)フランツェ・シュティグリッツ(ジョン・キッツミラーがカンヌ映画祭主演男優賞
" Mr. Rock'n Roll " (アラン・フリード製作・主演)
「眼には眼を」(監)(脚)アンドレ・カイヤット(原)ヴァエ・カチャ(出)クルト・ユルゲンス、フォルコ・ルリ
「友情ある説得」(監)ウイリアム・ワイラー(カンヌ映画祭パルムドール)(1956年公開)
「リラの門」(監)(脚)ルネ・クレール(脚)ジャン・オーレル(原)ルネ・ファレ(出)ピエール・ブラッスール、ジョルジュ・ブラッサンス
「わらの男」(監)(脚)(出)ピエトロ・ジェルミ(脚)アルフレード・ジャンネッティ、L・ベンベヌーティ(出)ルイザ・デラ・ノーチェ

「お姉さんといっしょ」(監)青山通春(撮)木塚誠一(ヴェネチア記録児童映画祭グランプリ)
「蜘蛛巣城」(監)(製)(脚)黒澤明(製)本木荘二郎(脚)三船敏郎、山田五十鈴、千秋実
「米」(監)今井正(原)(脚)八木保太郎(撮)中尾駿一郎(出)江原真二郎、中村雅子、望月優子、木村功
「純愛」(監)今井正(原)(脚)水木洋子(製)大川博(出)江原真二郎、中原ひとみ、楠田薫、岡田英次
「どん底」(監)(脚)黒澤明(脚)小国英雄(出)三船敏郎、山田五十鈴、香川京子
幕末太陽伝(監)川島雄三(脚)田中啓一、川島雄三、今村昌平(出)フランキー堺、左幸子、石原裕次郎、南田洋子
「マナスルに立つ」(監)依田孝喜(撮)渡辺浦人(イタリア・ダヴェンツォ国際スポーツ映画祭最高賞モスクワ映画祭特別賞
「明治天皇と日露大戦争」(監)渡辺邦男(出)嵐寛寿郎(新東宝のワイドスクリーン作品第一号)
「喜びも悲しみも幾歳月」(監)(原)(脚)木下恵介〔撮)楠田浩之(音)木下忠司(出)佐田啓二、高峰秀子、桂木洋子


国際原子力機関IAEA発足
アイ=ドクトリン(中東教書)発表
ネヴァダ州で核実験実施
キング牧師らによりSCLC(南部キリスト教指導者会議)結成される
リトルロック暴動(アーカンソー州リトルロック・セントラル高校に9人の黒人学生が入学。連邦軍の護衛で登校)
公民権法成立(黒人の投票権を保証する法律)
第一回パグウォッシュ核物理科学者会議開催
欧州経済共同体EEC発足
ICBM大陸間弾道弾実験成功
ソ連、人工衛星スプートニク1号打ち上げに成功
第一回アジア・アフリカ諸国民会議、カイロにて開催される
ガーナがイギリスより独立
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<日本>
岸信介内閣発足
東海村原子炉点火

<芸術、文化、商品関連>
ジャック・ケルアックの「路上 On The Road」発売される(書かれたのは1951年)
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ディック・クラーク司会によるテレビ番組「アメリカン・バンド・スタンド」が始まり、全米ナンバー1の人気番組となる。
リトル・リチャードが牧師になるため引退
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<音楽関連(国内)>
ジャズ歌手フランク永井が歌謡曲に転身
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