音楽とは何か?138億年の歴史を振り返る旅


「138億年の音楽史」

- 浦久俊彦 Toshihiko Urahisa -
<気になるタイトル>
 「138億年の音楽史」というタイトルにひかれて読んでみました。「音楽史」とはいっても、音楽の「歴史」の本ではなく「音楽」についての「哲学書」というべき本かもしれません。とはいえ、新書で300ページ弱。書かれている文章もけっして難解ではないので、音楽の知識がなくても読みやすいと思います。書かれている内容もなかなかに興味深いです。
「音楽とは何なのだろうか?」
「ポピュラー文化とポップ文化は明確に異なる」
「ベートーベンの第九を我々が聴けるのは、修道士グイードのおかげである」
「クラシック音楽にとって最大の功労者は、マルティン・ルターである」
「人間の遺伝子が奏でる音楽とは?」
 などなど興味深いテーマが並んでいます。ここでは、その中から僕が特に気になったものを一部ご紹介します。さらに詳細については、是非、浦久俊彦さんの「138億年の音楽史」(講談社現代新書)を読み下さい!

・・・この本で、僕はその世界を描くアプローチの主流であるような、音楽から見た世界ではなく、世界から見た音楽、世界にとっての音楽を書いてみたいと思う。さらにいえば、世界としての音楽である。

<かつて音楽とは世界そのものだった> 
 古代の音楽は、世界・宇宙を写しとりその「調和」を表現したものでした。そのため、それは耳で聴く音楽とは限りませんでした。

 古代中国では、老子が、人間の音楽を「人籟(ジンライ)」、自然の無数の音響が奏でる音楽を「地籟」、天球の音楽を「天籟」と称し、なかでも「天籟」を最高の地位においたことや、紀元前4世紀の思想書「荘子」には、音楽は世界の調和を語るものであるという記述がある。「『詩』は人の心を語るもの、『書』は昔の事績を語るもの、『礼』は人の実践を語るもの、『楽』は世界の調和を語るもの」というくだりだ。このなかの「楽」が、音楽である。

 現代の音楽に慣れた耳には、メロディーもリズムも判然としない雅楽は、とても音楽に聴こえないが、雅楽の音世界とは、そもそも古代人のコスモロジーを具現化したものだ。あの独特の音世界に聴くべきは、音楽というよりも宇宙そのものの響きなのである。

 古代ギリシャの音楽(5~6世紀)を哲学者ボエティウスは、「音楽論」の中で3つに分類しています。「宇宙の音楽」、「人体の音楽」、「道具の音楽」
 その中で現代の音楽と共通するのは、「道具の音楽」です。ほかの二つは、メロディーもないし、演奏もできない耳で聴く音楽ではありません。それでも古代ギリシャ人にとっては、どちらも音楽であることに変わりはなかったのです。
 それどころか、聴こえる音楽よりも聴こえない音楽が、より高度な音楽と考えられていたようです。肉体をコントロールするのは精神なので、精神は肉体よりも上位にある。したがって、耳で聴く音楽よりも精神で聴く音楽の方が高位にある、ということです。
 音楽を治療に用いるという考えは、最近はごく当たり前になりつつありますが、古代の方がそれは一般的な考え方だったのも当然でしょう。

 ピュタゴラスの現存する最初期の伝記のなかに、彼が音楽を身体と魂の浄化として用いたという記述がある。ピュタゴラスは、さまざまな旋律の組み合わせを、いわば薬のように調合して、苦しみ、怒り、不当な競争心、欲望、思い上がり、気落ちなど、あらゆる気分に効果があるものを聴かせることで、それらを鎮め、治療したという。彼は、音楽療法の実践者でもあったのだ。
<かつて音楽は神が作るものだった>
 音楽はかつて神と人間を結ぶコミュニケーション手段でした。それどころか、時には音楽は神そのものでした。

 神の起源を探ると見えてくるのは、神話であれ伝説であれ、神が登場するシーンには、いつも傍らに音楽があるということだ。音楽は、ときには神の言葉を伝えるメッセンジャーとして、ときには神自身のことばとして、そしてときには神そのものとなって、つねに人間と神とを結び付けてきたのだ。

 音楽はいつはじまったのかと問うまえに、そもそも音楽はどこかの時点で「はじまった」といえるのか。生物にとっての言語がそうであるように、何億年という長い歳月を経るなかで、さまざまな「かたち」が変容しながら発展してきたのかもしれない。それに、もし人類が誕生したとき、すごい音楽を持っていたとしたら?ぼくは必ずしもありえないことではないと思っているが、であれば、音楽の起源の探求は、神の起源の探求にもつながってくるだろう。
 古代の音楽も、その原初をたどれば、人間が創った「作品」というよりも、儀式としての音楽の方がはるかに長い歴史をもっている。


 なぜ、神々との対話に音楽が用いられたのか。古来、神道では、神は「音霊」に乗って現れるとされたように、音は、神とのコミュニケーションだった。姿の見えない神は、見えない音と根性がいい。いまでも、神社に詣でるときに拍手を打つのも、本坪鈴を鳴らすのも、神を呼び起こすために、「音の力」を借りているのだ。
(個人の集まりである集団を結びつけるためにも、音をシンクロさせることは有効な共同作業でした)

 音楽と神が結びついていた時代、音楽とは神が作り出すものであり、人間が作り出すものではありませんでした。すべての曲の作者は「神」だったと考えられていました。しかし、ある時期に人類は「自己」を発見し、神を客観的にとらえるようになります。

・・・人類は、わずか数千年前までは意識を持たず、二分心という精神構造のなかで神々の声に黙従して生きていた。神々は生活の至る所でごく身近な存在だった。ところが、文字言語の発達とともにその構造は衰え、亀裂のような裂け目が生まれ、神々の声も姿も失われてしまう。そして、その裂け目からまるでこちらを見つめるような鋭い眼差しが出現する。それが、意識の誕生である。・・・(右脳=神、左脳=人間でもあります)
・・・二分心が衰えはじめた最初の段階は、紀元前1000年頃。一神教の誕生と重なっている。まるで神々の声が聞こえなくなり、人々が唯一神を求めたかのようでもある。そして、決定的な要因は、アルファベットの開発と普及だと彼はいう。(これは文字による客観化の始まりといえます)
ジュリアン・ジェインズ(アメリカの心理学者)

 作曲するという行為も、詩を書くという行為も、まるで空気をつかむような創作の秘密は、科学万能の時代といわれる現代ですら「霊感」というどこかつかみどころのないことばで表現されるが、もしかすると、その秘密を解く鍵は、かつて古代人たちが聴いていたという神々の声のすぐ隣にあるかもしれないのだ。
<クラシック音楽はルターが生み出した?>
 クラシック音楽を生み出したヨーロッパ文化にとって、キリスト教の存在は不可欠でした。キリスト教の広がりとその分裂こそが、「神の音楽」から「人間の音楽」を生み出す原因となりました。そして、その最重要人物が宗教改革で有名なマルチン・ルターのようです。

 イエスは、愛を説いた人である。キリスト教の本質は、愛の宗教であることだ。彼は、神の前では万人が平等であること、神の前ではすべての人々が貴重であることを説く。そこにある愛ではなく、新たな愛の概念を創造した。それは、当時のさまざまな宗教思想のなかで圧倒的な魅力を備えていた。その愛の宗教が、ローマ帝国社会の最下層で虐げられていた人々のあいだに、まるで稲妻のように駆け抜けたのだ。

 人は生きているのではない。神によって生かされているのだ。目的は自分で作り出すのではなく、神から与えられる。音楽もまた、神から与えられるものだ。
 18世紀のルソーなどの啓蒙思想家によって否定されるまで、この考えは、ずっと西洋のキリスト教社会で疑われることはなかった。たとえば、ある作曲家が曲を書いたとする。それは、彼の作品ではなく、神の恵みと考えるわけだ。

 歴史に「もしも」はありえないというが、もしもカトリックとプロテスタントの分裂がなければ、バッハ、ヘンデル、テレマンという、ドイツ・バロック音楽の偉大な作曲家たちがこの世に誕生することはなかった。その意味では、ルネサンス期までは文化不毛の地といわれたドイツが、西洋音楽史に大輪の花を咲かせることになった真の立役者は、「聖職者にならなければ、音楽家になっていた」と語るほど音楽を愛した、マルティン・ルターそのひとであったといてもいい。

 ルターによる讃美歌の普及は、文字を読める人を増やし聖書を一般に普及させるきっかけともなった。近代西洋音楽の基本システムも、讃美歌と共に確立されたといえる。
(ちょうどこの頃、イタリアではルネサンスの時代が始まろうとしていました)

 そもそも近代以前に、キリスト教化された西洋世界では、創造としての芸術は存在しなかった。人間の精神は何も創造できないと考えられていたからだ。「創造」は神の属性であって、人間の属性ではない。
 「創造的」などということは、創造主である神への冒涜である。ルネサンス期を経て啓蒙主義が現れるまでは、こう信じられていたのだ。
 啓蒙主義が目指したのは、人間精神を神に代わる創造者の地位に高めることでもあった。神の作品から、人間の作品になるための過程。それが芸術の誕生であり、宗教と芸術の地位の逆転でもある。
・・・
<音楽と政治の関り>
 神と結びついていた音楽は、その後、政治とも結びつくことになります。そうして音楽はそれぞれの時代を映し出す鏡となり、政治を行う人々や社会状況によって音楽もまた変化するようになって行きます。
<日本では>
「人の心が動くのは、外界に存在する色々の物が心にふれ、それに心が感じて動くからである。こうして感動すると、これは声となって外にあらわれる。この感動の声の調子にはさまざまなものがあるが、これらが互いに応じ合って変化を生じる。変化してここに曲調ができる。これを音という」
「音曲は、人の心に起因するから、平安に治まった世には、その音曲が安らかで楽しそうであるのは、政治が和を保っているので、人々の心も和らいでいるためである。・・・」


 政治を司る立場であるからこそ、知性を高め、感性を磨き続けなければならなかった平安貴族たち。ところが、保元・平治の乱をきっかけに、貴族政治から武家政治へと大きな転換を遂げた日本社会は、政治と音楽のありかたをも劇的に変えていくことになる。新たな政治の担い手となった武家たちは、音楽の庇護者ではあったものの、音楽は政治よりも、むしろ権力と結びつくことになっていくからだ。貴族自らが楽器や舞の才能を競って政治的な駆け引きを行った時代は過ぎ去り、武家が武力によって権力を手中に収め、音楽のパトロンとして登場する権力の時代の到来である。

<ヨーロッパでは>
 政治と音楽が結びつくことで音楽に階層(ヒエラルキー)が生じたように、楽器の世界にもそうした階層が反映され、オーケストラにもその影響がありました。

 中世ヨーロッパにおける楽器のヒエラルキーの頂点にあったのが、トランペットである。楽器の序列は、特に楽器が奏でる音の高さに影響されていた。単純にいえば、高い音を出せる楽器は、低い音の楽器よりも、エラかったのだ。で、トランペットの次に、オーボエ、フルート、フィドルという順位である。(戦争におけるトランペットの威圧的な響きは重要な役割を果たしていました。この序列は17世紀まで続きました)
<表現手段としての音楽の発展> 
<ルネサンスと音楽>
 神と結びついていた音楽が、人間の音楽へと移行した原因のひとつは、ドイツにおける宗教改革でしたが、同じ頃、イタリアを中心に始まっていたルネッサンスもまた人間中心の文化を発展させる重要なきっかけでした。

・・・ルネサンスとは、ふつう美術や文芸の復興と理解されているが、中世と近世のあいだにあって、感情と理性を神から人間が取り戻すための運動であったのだ。その果実が、ルネサンス美術や文学となって結実したとみるべきだろう。つまり、ルネサンスの意味する「再生」とは、感情の再生であり、理性の再生でもあったのだ。
 音楽が神の視点で書かれたものから、人間の視点で書かれるものになったとき、音楽は「神」の作品から「人間」の作品となる。たとえ神を讃える音楽ではあっても、それは、もはや人から見た神であり、人にとっての神となるのだ。これは作曲という創作活動にとって、まさにコペルニクス的転回というべき視点の逆転だった。作曲家が、音楽にはじめて感情表現を織り込むことができるようになったからである。


14世紀から16世紀にかけてのルネサンス以降、芸術に対する考え方が大きく変わり、音楽は人間による創造行為である「感情表現」の手段として発展して行くことになります。その後、最後の宗教戦争となった「30年戦争」の終結からフランス革命の勃発まで、17世紀半ばから18世紀末の150年は「啓蒙主義の時代」と呼ばれた時代に、芸術はさらなる発展を遂げることになります。

<楽器の時代始まる>
 これが近代音楽に与えた影響は、はかりしれない。ここから感情は「独創性」という表現に姿を変えて、音楽とは自己を主張すること、自己の内面からほとばしる感情を表出することこそが独創性であり、芸術表現であるという考えに発展する。、
 なぜこのような変化が起こったのか。そこには、それまで音楽の主役だった「声」の引き立て役でしかなかった「楽器」の躍進がある。科学の発展によって製作技術が飛躍的に進歩すると楽器は、かつては考えられなかったほど正確な音程と精密な運動性、そして豊かな表現力を手に入れることになる。「楽器の時代」の到来である。


<オペラの誕生>
 神の意思を伝えるための音楽は、作者の意志を表現する、より自由なスタイルへと変化し始めます。それによりオーケストラによる音楽はより高度で複雑なものとなり、そこに歌と芝居を組み合わせた総合的なエンターテイメント「オペラ」が誕生します。

 民衆の心をつかんで離さなかったオペラは、たんなる娯楽ではない。ときには、民衆の感情を爆発させる起爆剤になるという危険もはらんでいたからだ。・・・
 たとえば、フランス革命前夜の1784年。パリのコメディー・フランセーズ劇場で上演されたボーマルシェの戯曲「フィガロの結婚」などは、まさに革命の起爆剤となった危険な作品だった。その内容は、旧秩序の崩壊を暗示していたからだ。旧秩序の象徴であるヨーロッパの各王室が即座に上演禁止にしたのも無理はない。のちにナポレオンは、この作品を指して「革命はあのときすでに始まっていたのだ」と語った。その問題作を何とかオペラにしたいと考えたひとりの作曲家と、危険な作品と知りつつどうしても観たかったひとりの国王が許可して誕生したのが、モーツァルトの傑作オペラ「フィガロの結婚」であった。
楽譜という記録媒体の誕生>
 現在、我々が「クラシック音楽」として聴いているバッハからモーツァルトらへと連なるオーケストラ音楽の歴史は、こうして始まりました。しかし、そもそもその流れを我々はなぜ知っているか?その理由をご存知ですか?それは、彼ら歴史上の偉大な作曲家たちの曲を「楽譜」というメディアを通して知ることができたからです。逆にいうと、もし、「楽譜」という音楽を記録する媒体が存在しなければ、我々はベートーベンの「第九」もバッハの「トッカータとフーガ」も聴くことができなかったということです。

 バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト・・・。死後数世紀を経ていまも愛される大作曲家たち。だが、もし、あるひとりの修道士の存在がなければ、ぼくたちが彼らの音楽を聴くことはおろか、その作品さえこの世に存在できなかったかも知れない。
 その修道士の名は、アレッツォのグイード。おそらく991年か992年に生まれ、ポンポーザのベネディクト会修道院で教育を受けた修道士である。彼の功績は、線を用いた斬新な記譜法の採用により、典礼聖歌の教育方法に画期的な変革をもたらしたこと。平たく言えば、現在の五線譜に至る近代記譜法の概念を発明したこと。さらに平たく言えば、音を線に描いて目に見えるものにしたことである。


 もちろん、クラシック音楽の発展も「楽譜」からわかる音楽的な近代化だけで語れるわけではありません。そうした音楽を生み出した社会・政治・環境の変化を知り、作曲家たちがその中でどう生きたのかを知ることで、初めて彼らの音楽が生まれた理由が理解できるです。それぞれの音楽を生み出した作曲家たちは、みな生き方も、性格も、時代背景も、異なるからこそ様々な音楽を生み出したのです。
 例えば、ハイドンとベートーヴェンは、ほぼ同時代の作曲家ですが、ハイドンは108曲もの交響曲を作ったのに対し、ベートーヴェンはわずか9曲だけです。それには、二人の能力の問題以外に大きな理由があります。それはハイドンがハンガリー王室の宮廷楽師という地位のもので働いていたのに対し、ベートーヴェンはウイーン在住のフリーの作曲家だったという違いです。フリーのベートーヴェンは、自分の収入を得るために、自主公演を行い、そのためのスポンサー集めや楽譜販売などの営業努力をしなければなりませんでした。
 そして、そんな彼の成功によって、劇場を大型化し、オーケストラも規模を大きくすることができ、音楽ビジネス全体の価値が急激に上がることになりました。
<大衆音楽の誕生>
 「楽譜」の登場により、様々な音楽家によって演奏されることが可能になった音楽は、より広い範囲に広がります。さらに20世紀に入ると、そこに「レコード」という新たな記録媒体が登場。ラジオやテレビなどの放送が始まり、一気に音楽は世界中の大衆に広がることになります。こうして「大衆音楽」という現在に至る音楽ジャンルが、世界中に誕生することになりました。

 大衆社会(mass society)とは何か。ひとつの定義としては、高度に発達した都市機能と、大量生産、大量消費を基盤とした社会で、大衆が身分制度によってではなく、マスメディアとは、新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどであり、現代ではインターネットという新しいメディアが加わったが、マスメディアが現代人にとって決定的な意味を持つのは、この「身分によってではなくメディアによってつながっている」という状態だ。

 著者は、ここでポピュラーとポップの違いについても説明しています。

 イギリスの評論家、ミュージシャンのジョージ・メリーの「反逆から様式へ」によると・・・。
 ポピュラー文化もポップ文化も、どちらも労働者階級から生まれたものだが、主な違いは「ポピュラー文化が無意識のものであるのに反して、ポップ文化は、衣服、音楽、英雄、態度といったものを慎重に探索した結果として生じる」ということ。


 ポピュラー文化は受動的に生み出されるのに対して、ポップ文化は「抗議」など攻撃的(能動的)な文化として生まれた。

 主流文化に対抗する存在として、反抗的精神が生み出した文化が「ポップ文化」であるなら、そこから派生して、初めから大衆受けを意識して生み出されたのが「ポピュラー文化」と考えられます。したがって、「ポピュラー文化」はメジャーであり、その初期段階の「ポップ文化」はマイナーということになります。もちろん「ポップ文化」もそれがブームとなって、大衆受けしてしまえば「ポピュラー文化」へと移項したことになります。
<新しい音楽を生み出す新しい楽器>
 著者は、「音楽とは音を発する器と不可分なものである」と指摘しています。だからこそ、新しい音楽を生み出せるのは、新しい楽器だけであるという考え方もありえます。20世紀後半以降には、エレキギターの登場がロックン・ロールを生み出し、コンピューターの登場がテクノを生み出し、ターンテーブルとサンプリング・マシーンがヒップホップを生み出しています。

 楽器は音を奏でる器であるとともに、時代を奏でる器でもある。19世紀の近代ピアノの完成を最後に、ヨーロッパはついに新たな楽器を誕生させることはなかった。これは何を意味するのか。時代を奏でる楽器の不在は、新たな音楽表現の不在を意味するということなのだろうか。

 西洋の楽器と和楽器の根本的な違いの指摘も実に新鮮でした。
 西洋のフルートは、木から金属へ、より多くの穴と複雑な構造をもつ高度な楽器へと進化しました。ところが、日本の尺八は、竹を今でも使用し、穴の数を減らしています。この違いは?

 西洋の楽器が、自然素材である音をいかに管理征服し、合理化したかという過程は、機能和声を発展させていった西洋音楽の歴史にも反映されているが、日本の楽器は、音を加工することをよしとはせず、音という自然をあるがままに表現することを重視した。このために、日本音楽では、西洋では雑音として排除されたノイズをあえて奏法に取り込んだり、音程の微妙なずれや音色の微細な陰影を強調したりする。

 そんな流れから、著者は究極の楽器として生命体を提示します。それも、肉体を使った楽器ではあく細胞レベル、DNAレベルにも音楽が存在するというのです!
<タンパク質の音楽>
 細胞内でタンパク質が合成されるとき、合成工場であるリボゾームに運び屋であるtRNAがアミノ酸を一個ずつ運んできてつながるときに発する一種の信号を、波動として読み取ることができます。そのアミノ酸の発する信号は、アミノ酸ごとに異なる振動数を持っていて、アミノ酸がつながるごとに、別の高さの音を発しています。つまり、さまざまなアミノ酸がつながってできた多種多様なタンパク質は、それぞれ固有のメロディーを持っていることになるのです。
 なるほど、そこまで説明されると、人間が音楽を聴かされることで感じる高揚感や悲壮感の理由。踊りたくなったり気持ち悪くなったりする理由もわかる気がしてきました。

 僕たちが、調性のある音楽を心地よく感じるのは、調性や協和音のシステムが、ハーモニーとしてあらかじめ体内に備わっているからだ。不協和音を不快に感じたり、調性を破壊した音楽が生理的に受け入れがたいのは、あたかも人体の各パーツをばらばらにして、それをロジックだけで組み上げたロボットが人の心を持たないようなものだ。それは音の集合体ではあっても、音楽ではないのだ。
 ではあらためて問いたい。音楽とは何か。それは、たとえば人体である。ぼくたちの肉体は、波動を受け、共鳴し、シンクロし、自らも音を発しながら外界とのコミュニケーションを行うひとつの楽器にほかならない。この人体という楽器は、宇宙のありとあらゆるものとシンクロしている。そして、それこそがハーモニーであり、ぼくたちが音楽と呼ぶものの根源にあるのだ。


細胞と音楽の関係といえば、アメリカの作家リチャード・パワーズの小説「オルフェオ」があります。細胞の中に音楽を埋め込むという発想が凄いのですが、それが実際に起きた事件がもとになっているというのですから、さらに驚きです!

<参考>
「138億年の音楽史」
 2016年
(著)浦久俊彦
講談社現代新書

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