1912年

- W・C・フィールズ William Christopher Handy -

<意外性に満ちた年>
 1912年という年は、数々の常識が覆された意外性に満ちた年でした。世界最大の豪華客船タイタニック号がまさか処女航海で海に沈み、1500人もの人命が失われることになるとは、誰が思ったでしょう。
 「かつて世界の大陸はパンゲアという一つの大陸だった。分裂したそれぞれの大陸は未だに移動し続けている」
「大陸と海洋の起源」によって、アルフレッド・ウェゲナーの大陸移動説が発表されたのもこの年でした。しかし、このとんでもない学説が受け入れられるのは、まだまだ先のことになります。
 さらに人々を驚かせたのは、フランツ・カフカの小説「変身」でした。人がある日突然巨大な虫になってしまう。そんな馬鹿げたことが起きるわけはありません。しかし、それが文学作品として認められることの方が、もしかするとその内容以上に驚きだったのかもしれません。他にもまだ常識を覆す出来事がありました。インド人ラビンドラナート・タゴールの詩集「ギーターンジャリ」が大きな話題となり、翌年にはそれまで欧米の人間しかとったことのなかったノーベル賞(文学賞)を受賞。これもまた世界中が驚かされた出来事でした。
 そんな1912年、黒人音楽の長い歴史の中で初めてブルース・ナンバーが楽曲として正式に世の中に発表されました。「メンフィス・ブルース」というタイトルのその歴史的な曲を出版した黒人音楽家W・C・ハンディー William Christopher Handyは、その後「ブルースの父」と呼ばれることになります。
 彼はその後も次々にブルース・ナンバーを発表。特に1914年発表の「セントルイス・ブルース」は、20世紀のポピュラー音楽を代表する歴史的名曲として未だに演奏され続けています。彼の故郷メンフィスにはW・C・ハンディー公園もあり、「ブルースの父」として彼の名は誰もが知る存在となっています。しかし、「ブルースの父」は実はブルースマンではありませんでした。これもまた意外性の年である1912年にぴったりのお話かもしれません。

<教師からミュージシャンへ>
 W・C・ハンディーは、1873年11月16日アラバマ州のフローレンスに生まれたとされています。(マッスルショールズ生まれという説もあり)牧師だった父親は彼を教師にしたかったようで、彼に教会の手伝いをさせながら楽譜の読み方などを教えました。こうして自宅でもある教会で毎日オルガンを弾いていた彼は、しだいに音楽にのめり込み、いつしかミュージシャンを志すようになってゆきました。しかし、当時、ミュージシャンという仕事は、神の身業に反する悪行と見なされており、当然彼の父も猛反対しとようです。結局彼は家出をし友人たちとバンドを結成し、食うや食わずの放浪生活をすることになりました。
 しかし、彼はそうした放浪生活をしながらも、旅の途中で出会った曲の数々を楽譜として書き止める作業を忘れなかったといいます。こうして、彼によって記録された曲の数々は、後に彼の曲として出版され、ブルースの歴史をつくるきっかけとなります。しかし、、元々彼はブルースとは縁がありませんでした。教会育ちの彼にとって、世俗の音楽の代表であり、教会とは正反対の位置にあるブルースは彼にとってはるか遠くの音楽だったのです。(もちろん、当時はラジオもまだなく、レコードも普及していなかったので、ブルースとの出会いは生しかありませんでした)ではなぜ、彼はブルースと出会ったのか?彼がブルースと出会い、それを自らの音楽に取り入れてゆく作業に本格的に打ち込むようになったのには、ある衝撃的な出会いがあったといわれています。

<ブルースとの出会い>
 それは1903年のことでした。彼はミンストレルズのバンドでピアノを弾いたり、編曲をするなどして、やっと安定した生活ができるようになっていました。マハラズ・ミンストレルズという黒人オーケストラの音楽監督もつとめるようになっていた彼は、オーケストラとともにアメリカ国内だけでなくカナダ、メキシコ、キューバなども回った後、クラークスデイルで活動していた黒人バンド、カイツ・オブ・ピニアスのバンド・リーダーを引き受けるため、一人で列車の旅をしていました。
 その日、彼は乗るはずの列車が遅れてしまったため、ホームで延々と待つ羽目になり、ベンチに腰掛けていました。すると彼は、そこで一人のギター弾きと出会いました。ボロボロの服を着たその男はおもむろにポケット・ナイフを取り出すと、それを使って見たこともない弾き方で演奏を始めました。それは、現代のスライド・ギター奏法にあたるものでした。始めて見るギター・プレイに、彼の目は釘付けになりましたが、彼が驚かされたのはそれだけではありませんでした。
 その男のうなり声のようなヴォーカルと何度となく繰り返される不思議な歌詞によって自分が魔法にかけられたように歌の世界に引き込まれてゆくことに驚かされていました。それはまさに本物のブルースでした。ミュージシャンとして活動してきた彼は、この時初めて「ブルース」と出会ったのでした。
 その後、彼はミシシッピー州のクリーブランドでコンサートを行った際、地元のブルース・バンドに人気をさらわれることもあり、いよいよ彼はブルースの存在を無視しできなくなりました。

<「メンフィス・ブルース」誕生>
 1909年、彼はメンフィス市の市長のため、選挙用のキャンペーン・ソング「ミスター・クランプ Mr.Cranp」を作曲しました。それは、彼が本格的に流行のブルースを取り入れた曲だったため、大いに評判となりました。さっそく彼はその曲のタイトルを変え、正式に自分の曲として発表することにしました。そして、1912年彼はこの曲のタイトルを「メンフィス・ブルース Memphis Blues」と改めて、楽譜として出版。見事に大ヒットしました。。こうして、旅の途中で本物のブルースと出会った一人の音楽家によって、世界で初めて「ブルース」が楽譜として出版され、なおかつ大ヒットとなって世に広まってゆきました。
 バンド・リーダーとして優れていただけでなく、ビジネスマンとしても優れたセンスをもっていた彼は、「メンフィス・ブルース」のヒットが偶然でないことを知っており、さっそく次なるブルース・ナンバーを発表します。こうして、彼の代表的な曲の数々が世に出ることになりました。「The St.Louis Blues」、「Joe Turner Blues」、「The Hesitation Blues」、「Yellow Dog Blues」、「Beale Street」などの曲がこうして誕生し、これらの曲によって彼は大きな富を得ることになりました。
 彼がこうして発表した曲の数々が、実際に彼が作曲したのかについては、当然疑問があります。ほとんどの曲には、その元となる曲があり、それがいつ誰によって作られたのかは明らかではありません。というより、多く曲は一人の作者によって生み出されたのではなく、長い年月をかけて何人ものミュージシャンたちによって育てられ、作り上げられた曲と考えられます。それらの曲は、長い年月、誰か採譜ができるミュージシャンが登場することを待っていたのかもしれません。

<ブルースのメッセンジャー>
 昔から、W・C・ハンディーは棚ボタ式にブルースマンたちの苦労の結晶を独り占めした男、という言い方もされてきました。しかし、彼が南部の街を旅しながら、労働歌やブルース、スピリチュアル・ソングの数々を記録していたのは神が彼に与えた役割だったと考えるべきなのかもしれません。歴史はこうして役割を果たした人々によって、着実に築き上げられたのです。ブルースの父、W・C・ハンディーは確かにブルースマンではありませんでした。しかし、かつて青春時代に放浪の旅をしながらセントルイスの街にたどり着いた時、彼は確かに本物のブルースマンだったのかもしれません。

「わたしは音楽で身を落としたんだ。おかげで一文無しで腹を空かせたまま、ミシシッピ川の堤防や、石畳の上で眠る羽目になった。石畳の上で眠ったり、どこにも眠る場所がないという経験をしたことがあれば、わたしが『夕日を沈むのを見るのが嫌』というくだりではじめた理由がわかるだろう」
W・C・ハンディー

「夕日が沈むのを見るのは嫌
 見てるとこれがあたしの最期なんだって気がしてくる
 明日も今日みたいな気分のままなら
 荷物をまとめて出てゆこう
 
 セントルイスのブルースにやられたのさ
 気分はもうどん底
 あいつの心は海に投げ込んだ石みたい
 じゃなきゃあたしを捨ててくわけがない」

「セントルイス・ブルース」より

<1912年の出来事>
ルーズヴェルトが共和党を離れ進歩党を結成(米)
炭鉱労働者による大がかりなストライキ(英)
タイタニック号が北大西洋で沈没
第一回バルカン戦争(トルコ対バルカン同盟国)セルビア、ブルガリア、ギリシャ、モンテネグロの四カ国
中華民国成立、孫文が臨時大統領就任、宣統帝退去
愛新覚羅溥儀が皇帝を退位、清朝消滅
明治天皇崩御、大正へ
ストックホルム・オリンピック(第五回夏季オリンピック)開催、日本が初参加
第一回全国中等学校野球選手権(全国高等学校野球選手権)開催

<音楽>
「ラグタイム・ジョッキーマン」アーヴィング・バーリン
ミュージカル「赤いペチコート」(ジェローム・カーン作)
ブルース初の出版曲「メンフィス・ブルース」W・C・ハンディー
パリを中心にタンゴ・ブーム起きる
「月に憑かれたピエロ」アルノルト・シェーンベルク
「春の小川」高野辰巳(作詞)
「汽車」大和田愛羅(作詞)


<映画>
「喜劇の父」マック・セネットがキーストン社を結成し、「キーストン・コップス」などの作品を製作
ユニヴァーサル、パラマウントなど独立系映画会社が誕生
チャールズ・チャップリンがキーストンと契約

<文学、思想など>
「神々は渇く」アナトール・フランス
タゴールの詩集「ギーターンジャリ」ノーベル文学賞受賞
「変身 Die Verwandlung」フランツ・カフカ
アルフレッド・ウェゲナーが大陸移動説を発表

<時代を変えた発明、モノ>
ラックス社が家庭用ヴァキューム・クリーナー発明(スェーデン)
シルクに代わる素材としてレーヨン製ストッキング登場

<1912年の物故者>
アンリ・ポワンカレ(数学者)
ブラム・ストーカー(「ドラキュラ」などの小説家)
ロバート・スコット(探検家)
石川啄木(詩人、歌人、評論家)

20世紀年代記(前半)   トップ・ページへ