1913年

- イゴール・ストラヴィンスキーとルイジ・ルッソロ -

<未来派宣言>
 1909年、イタリアの詩人フィリッポ・マリネッティがフランスの新聞「フィガロ」に「未来派宣言」を発表しました。彼はその中で美術家に必要なのは勇気、大胆、反乱であるとし、現代において新しい美とは「速度の美」であると、自動車や飛行機など20世紀が生んだ新しい交通手段を称えました。

「戦争は美しいものである。なぜなら、ガスマスクや威嚇拡声器や火焔放射器や小型戦車、人間の力が機械を支配していることを証明できるからだ。戦争は美しい」
フィリッポ・マリネティ「未来派宣言」より

 さらには進歩を続ける工業だけでなく、軍国主義、愛国主義やそこから生まれる戦争をも称えると同時に、その対極にある女性の美を否定するという過激な思想を展開。5人のイタリア人画家がその主張に賛同し、1910年「未来派画家宣言」を発表しました。この5人の画家、ウンベルト・ボッチーニョ、ジャコモ・バッラ、ルイジ・ルッソロ、カルロ・カッラ、ジーノ・セヴェリーニは、近代工業都市のエネルギーや都市の人工的な照明、自動車、兵士の行進などを抽象的な手法で力強く描きました。
 彼らの手法はその後ヨーロッパを震撼させることになるファシズムの前触れであると同時に、これから始まる「戦争の時代」の前兆でもありましたが、ある意味「スピードの世紀」であり「科学の世紀」となった20世紀を予言するものであったとも言えるでしょう。

「われわれは、われわれの注意を運動しているものに集中する。なぜならば、われわれの近代の感受性は、速度の観念を把握するのに適しているからである。われわれの都市の通路を通り抜ける重々しい強力な自動車、物語の世界のように華麗な光と色彩のなかにきらきら動き回る踊り子、興奮した群像の上を飛び去る飛行機・・・、深い感動を呼び起こす源泉であるこれらのものは、一個の梨やひとつのリンゴよりもはるかに強く、われわれの持っている抒情的、劇的な世界の感覚を満足させてくれる・・・」
ジーノ・セヴェリーノ

 未来派の時代は、1914年ローマで行われた第一回未来派芸術自由国際展で早くも終わりを迎えることになりました。直接の原因は第一次世界大戦の勃発でしたが、「過去の否定」から始まった未来派の活動は、飛行機や自動車など現実の急激な発展に匹敵する創造的なイメージを提示できなかったということかもしれません。そんな中でも斬新な存在だったのは「雑音芸術」と呼ばれる未来の音楽でした。

<ルイジ・ルッソロ>
 そのイタリア未来派の5人の画家のひとり、ルイジ・ルッソロはグループの中でもただ一人、元々は音楽が専門でした。オルガン奏者だった父親から音楽教育を受けていた彼は、独学で絵画を学び、独特の画風で人工的な世界像を描いていました。しかし、未来派の表現が絵画だけでは不十分と考えた彼は、1913年「雑音芸術・未来派宣言」を発表します。そこで彼はこう主張しています。

「複雑で不協和な響きへと次第に向かいつつあるのが、現代の音楽の特徴である。その結果、音楽はやがてノイズへと行き着くだろう。ノイズは音色の豊かさをもたらしてくれる。ベートーヴェンやワーグナーが私たちの心を動かしてきたように、今度はエンジンの出すノイズや群集のざわめきが私たちを楽しませてくれるだろう」
 さらに彼はこうも言っています。

「・・・繊細な耳があれば、ノイズがどれだけ多彩なものか分かるはずだ。現代の都市にあふれる機械や電気のノイズを聞き分けることに、私たちは喜びを感じることができるのだ・・・」

そこまで言うか!という感じです。しかし、彼はこうした主張に基づき「イントナルモーリ(雑音楽器)というオリジナルの楽器を考案。実際にその楽器で雑音音楽なるものを奏でてみせました。残念ながら、その楽器の音の記録は残されておらず、部屋いっぱいを占拠するその巨大楽器も、第二次世界大戦の戦火に巻き込まれて消失、現在では写真しか残っていません。いったいどんな音楽を奏でていたのか。かなり気になります。
 未来派の主張の多くは、明らかに現代文明を過大に評価し、ファシズムへとつながる保守的、軍国主義的、差別的なもので到底評価できるものではありません。しかし、「未来の人々は、雑音を音楽として楽しむようになるだろう」という彼らの主張は、どうやら間違ってはいなかったようです。

<究極のノイズ>
 以前、僕は鈴鹿サーキットで毎年行われたいたF1日本グランプリを見に行ったことがあります。アクセルを踏み込んでスピードを上げた時にF1マシーンが発するエンジン音の凄さは予想をはるかに超えるものでした。それは「音を聴く」というよりは「空気の振動を身体で感じる」といった方が正確だったように思います。毎年サーキットを訪れているF1ファンの多くは、こうしてエンジン音を体感することが最大の喜びだといいます。もしかすると、イタリア未来派のルッソロが生み出そうとしていた雑音音楽の究極の形は、同じイタリアが生んだF1マシーンの最高峰、フェラーリのエンジン音なのかもしれません。
 そうそうF1が大好きなイギリスのミュージシャン、ジャミロクワイにとってもフェラーリのエンジン音は最高の音楽のひとつかもしれません。

<イゴール・ストラヴィンスキー>
 この年、ロシアが生んだクラシック音楽の巨匠イゴール・ストラヴィンスキーは、後に三大バレー音楽といわれることになる作品、「火の鳥」(1910年)「ペトルーシュカ」(1911年)に次ぐ最後で最高の作品「春の祭典」(1913年)を発表しました。その初演は、他の二作品と同様パリの劇場で行われたのですが、この公演の際、途中で聴衆が騒ぎ出し、ヤジと怒号の嵐につつまれるという事件が起きました。それは、その新作がロシアの古い民謡や信仰の世界を描き出すために、あえて不協和音と激しいリズムを用い、美しいメロディーというものが存在しなかったため、従来のクラシックの枠組みを大きく踏み外していたからでした。当時の聴衆にとって、それは自分たちが発しているヤジや怒号と同じように雑音にしか聞こえなかったのです。
 こうした彼の音楽スタイルは、その後バーバリズム(原始主義)と呼ばれることになります。彼はこの後も新しい音楽に挑み続け、次々に新しいスタイルを提案し、「カメレオン」とあだ名をつけられることにもなります。新しいことに挑戦し続けた彼は、他の作曲家たちに先駆け、いち早く音楽の範囲を拡張することで、「雑音」を音楽へと変える先駆者となったのでした。

「生命が脈拍とともに生きているように、音楽はリズムがあることで存在する」ストラビンスキー
 リズム重視の彼の音楽「春の祭典」がバレエ音楽として作られているように、彼の音楽は肉体のもつリズムに根ざしたものでした。そのため、複雑な変拍子であっても演奏者、踊り手はみな違和感なく踊ることができるのだといいます。

 ストラヴィンスキー「春の祭典」は第一次世界大戦に向かおうとするヨーロッパの不穏、秩序や規範の機能不全を予感させる大戦前夜の時代性が刻印された曲であるが、そのことを知らなくても、新鮮な驚きをもたらす作品として永遠の存在であり続ける。
「イギリス1960年代」小関隆(著)

<ストラヴィンスキーとロック>
 ストラヴィンスキーは多くのロック・ミュージシャンたちに愛されている作曲家として現代の音楽につながっています。
 例えば、ロック界の巨大山脈ことフランク・ザッパは、あるインタビューで、ロックやR&B以外のジャンルで最もよく聴いたアルバムを二枚挙げています。それは、一枚が現代音楽の奇才「エドガー・ヴァレーズの作品集」とストラヴィンスキーの「春の祭典」でした。
 それともうひとつ、彼は1939年アメリカに亡命し、ハリウッドに住むことになったのですが、それから自宅で音楽の家庭教師をしていました。そこで指導していた若者たちの中に、後にウエスト・コースト・ロックの「孤高の狼」ウォーレン・ジヴォンがいました。音楽はこうして、どこかで誰かがつながりながら未来へと伝えられて行くのでしょう。
 マイルス・デイヴィスはかつてこう言いました。

「音楽における自由というのは、自分の好みや気持ちに合わせて、規則を破れるように規則を知っている能力だってことをちゃんと理解していた」
 またこういう言葉もあります。
「・・・不協和音といわれているものは、ふつうよりも広く離れている協和音にすぎない」
フランツ・マルク

<乱雑へと向かう必然>
 1913年、こうして発表された「雑音芸術・未来派音楽宣言」は、、もしかすると音楽界にそれほど大きな影響を与えたわけではなかったのかもしれません。たぶん宣言とは関係なく、かつて雑音だったはずの音は少しずつ音楽の仲間入りを果たしているように思えるからです。
 そうなるであろうは、実はすでに予告されてもいました。なんと19世紀ののクラシック音楽を代表する巨匠、あのチャイコフスキーはこういっていたそうです。
「現代音楽の歴史は不協和音の許容の歴史である」
 どうやら、音楽界の不協和音許容の流れは必然だったようです。もしかすると、それは物理学の世界を支配する最強の法則「エントロピー増大の法則」から当然導き出せるものなのでしょうか?(「エントロピー増大の法則」とは、「すべての事象は、より乱雑な状態に向かって変化し続ける」という法則です。そして、この法則に逆らう自然界唯一の存在こそ、生命体であるとも言われています)

<ダンスとリズム音楽の世紀始まる!>(追記2014年3月)
 「坂本龍一の音楽の学校」(20世紀の音楽編)より
 ストラヴィンスキーは、それまでのクラシックのメロディーをずらしながら組み合わせることで、独特のリズムと不協和音を生み出した。美しいメロディーが微妙に重なり合うことで、民族音楽的な響きを持ったといえます。そうした不協和音の元になったのは、ジャズやヨーロッパ東欧の民族音楽でした。さらに彼はそれをバレーと結び付けることで、よりダンスと強く結びつかせました。彼の作品の中で、後にジャズ、ロックンロール、ヒップ・ホップへとつながる20世紀のダンス音楽の源流が誕生したともいえます。
 「20世紀はダンス音楽の世紀だった」
 確かにそうかもしれません。納得です。

<この夜の舞台再現した映画があります!>
映画「「シャネル&ストラビンスキー」 Coco Chanel & Igor Stravinsky  2009年 
(監)(脚)ヤン・クーネン(フランス)
(製)クローディー・オサール、クリス・ボルズリ(原)(脚)クリス・グリーンハルジュ(撮)ダヴィド・ウンガロ
(美)マリ=エレーネ・スルモニ(衣)シャトゥーヌ、ファブ(編)(音)ガブリエル・ヤレド
(出)マッツ・ミケルセン(ストラビンスキー)、アナ・ムグラリス(シャネル)、エレーナ・モロゾワ、アナトール・トーブマン、グレゴリ・モヌコフ
<あらすじ>
1913年パリのシャンゼリゼ劇場で行われたストラビンスキー「春の祭典」の初演。
観客からのブーイングや賛否分かれてのケンカの始まりと大混乱の顛末を描いたオープニング。
この混乱の観客席にフランス・ファッション界の女王ココ・シャネルがいました。
そこから彼のファンになったシャネルが家族と共に自分の別荘に呼び寄せることになります。
しかし、彼女は彼の音楽に惚れながらも彼との不倫にも燃えてしまいます。   
音楽・芸術の歴史における伝説のシーンが見事に再現されたオープニングの20分は最高!
当時の記者が描いた画が元になっているというダンスや衣装も見ごたえあります!
シャネルの衣装だけでなく時代を映し出すファッション、背景が見事に再現されています。
シャネル役のアナ・ムグラリスはシャネルのメイン・モデルだっただけにはまり役!
美しさも演技もカリスマ的な雰囲気まで今までの最高に思えます。 
「春の祭典」誕生の後、シャネルの5番誕生秘話もあります!
どちらも既存のスタイルに反旗をひるがえした反逆者同士。彼女のテーマカラー、白と黒はその象徴。
基本不倫の映画ですが、主人公二人の魅力と役者の演技、カメラワークなどで期待以上の作品に! 
1913年の出来事
第二次バルカン戦争(ブルガリアvsセルビア、ギリシャ、モンテネグロ、後にルーマニアとトルコが介入)
アイルランド自治法案通過にともないアイルランド北部の分離独立運動が起きる
アルバニアが独立
袁世凱が大総統に就任、孫文が日本に亡命する(中)
チベットが独立宣言
憲政擁護運動が起こる(大正デモクラシー)
京王線開業(都内に私鉄が誕生し、郊外へと広がり始める)

<文学、思想など>
「モーヌ大将 le Grand Meaulnes」アラン=フルニエ著(仏)
詩人ラビンドラナート・タゴールがノーベル文学賞を受賞(印)
「失われた時を求めて」第一部刊行
「阿部一族」森鴎外著


<美術>
ニューヨークでアーモリーショー(国際現代美術展)アメリカにおける現代美術の歴史が始まる
「ベルリンの街頭風景」エルンスト・キルヒナー作(独)
「コンポジションY」ヴァシリー・カンジンスキー作(ロ)
「自転車の車輪」マルセル・デュシャン作(仏)
「頭部」(彫刻)アメデオ・モディリアーニ(伊)

<映画、演劇、ダンス>
ロシアの舞踏家、ニジンスキーがフランスで人気者になる
島村抱月、松井須磨子により芸術座創立
雑誌「活動之友」創刊

<時代を変えたモノ、発明>
マリー・フェルプス・ジェイコブがブラジャーを開発(米)
ユニバーサル・ファスナー社がファスナーを開発(米)

<1913年の物故者>
ディーゼル(機械)(独)
伊藤左千夫(歌人)
岡倉天心(美術家)
田中正造(政治家、足尾鉱毒事件)
徳川慶喜(第十五代征夷大将軍)

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