1918年

- フーゴ・バル、リヒャルト・ヒュルゼンベック、トリスタン・ツァラ、マルセル・ジュシャン他 -

<ダダとは?>
 1916年にスイスのチューリッヒにオープンしたキャバレー・ヴォルテールを舞台にして始まった総合的芸術ムーブメント「ダダ」、その中心メンバー、トリスタン・ツァラは、この年「ダダ宣言」(第二宣言)を発表しました。しかし、この時すでに「ダダ」は世界各地に飛び火していました。ニューヨーク・ダダ、ベルリン・ダダ、ケルン・ダダ、ハノーヴァー・ダダ、パリ・ダダ・・・etc.
 元々「仏独辞典」を適当にめくっていて見つけたという「ダダ Dada」という言葉は、フランスの幼児言葉で「木馬」を表し、ルーマニア語では「そうだそうだ」の意味にあたるそうです。(発案者のトリスタン・ツァラはルーマニア人)さらにいうなら日本にも「駄々をこねる」という言葉があります。「ダダ」という言葉は、万国共通の幼児言葉、もしくは反抗の言葉なのかもしれません。(ウルトラセブンに登場したダダ星人もまた、ダダイズムが生んだ反抗の表現作品のひとつでした。今思えば実に斬新なデザインでした)そんなワールドワイドな語呂のよさも手伝ってか「ダダ」や「ダダイズム」という言葉はピカソやゴッホに匹敵する知名度をもつ美術用語となりました。
 ところで「ダダ」を代表する作品とは何でしょうか?代表するアーティストは誰でしょうか?ダダとはどこで生まれた運動なのでしょうか?そうしたことは、意外にほとんど知られていないように思います。とはいえ、「ダダ」の影響は大きく、そこから発展したシュルレアリスムとともに20世紀後半の美術や音楽、さらにはロックの重要な精神的要素となっています。そんな二つの世界大戦の間に生まれた「ダダ」の時代をのぞいてみましょう。

<スイスにて>
 「ダダ」は第一次世界大戦のまっただ中、1916年頃、永世中立国スイスのチューリッヒに戦乱を逃れてやって来た芸術家たちによって始められたといわれています。その中でもドイツ人の詩人、音楽家フーゴ・バルと妻のエミーが始めた「キャバレー・ヴォルテール」は、彼らの活動拠点となり、「ダダ」の発信地として歴史的な存在となりました。(ロックの歴史にも、後にキャバレー・ヴォルテールというバンドが登場することになります)
 戦争に反発し、それを生み出した社会や文化を批判する若者たちは、その店に集まって既成概念を破壊する様々な芸術的試みを行いました。ルーマニアから召集を逃れて来た詩人のトリスタン・ツァラは、英語、フランス語、イタリア語で同時に詩を朗読し、あえて意味不明な詩に変えてしまうという「同時進行詩」を発案しました。フーゴ・バルもまた脈絡なく言葉をつなげた「音声詩」を、一晩中延々と朗読していたといいます。その他にも、ドイツの詩人リヒャルト・ヒュルゼンベックや画家のマルセル・ヤンコなど様々なアーティストたちが、この店でパフォーマンスを展開しました。地元スイスの画家ジャン・アルプは、こうした言葉の偶然による羅列を絵画にも取り入れ、偶然性によるコラージュ絵画を実践していますが、これはキュビズムから生まれた理論な構造を意識したコラージュの一歩先を行くもので、無意識による選択を用いた作品制作としてシュルレアリスムに通じるものでした。

<ニューヨークにて>
 もう一箇所、同じ時期にニューヨークでも「ダダ」がスタートしています。その中心となったのは、写真家のアルフレッド・スティーングリッツと現代美術を代表するアーティスト、マルセル・デュシャン、フランシス・ピカビアで、1915年に彼らが発行した雑誌「291」からニューヨーク・ダダが始まりました。
 彼らの周りには画家、写真家のマン・レイや現代音楽家の巨匠エドガー・ヴァレーズらも集まっていました。まったく異なるアーティストたちによって始められながら、共通して「ダダ」と呼ばれたのは、ニューヨークもまた戦乱を逃れてヨーロッパからやって来たアーティストたちが集まる街という点でチューリッヒと共通する条件にあり、その方向性にも共通性があったからなのでしょう。もちろん、ニューヨークで生まれた作品はチューリッヒのそれとはまったく異なり、より都会的で冷めたユーモアから生まれたオブジェにその特徴がありました。
 特にマルセル・デュシャンの「泉」(1917年)は、既製の品物を用いながら、それをアートにしてしまうという彼のトレード・マーク的手法「レディ=メイド」の代表作として20世紀現代美術を象徴する作品となりました。どこにでもある便器に「泉」というタイトルをつけることで、それを美術作品にしてしまうというのはデュシャンならではの発想でしたが、それが現代美術史に燦然と輝く作品になってしまうとは、彼自身も予想できなかたでしょう。
 意味あるものを無効化するのと反対に、無意味であるはずの物に美的価値を与えてしまうという行為もまた、20世紀の芸術が生み出したまったく新しい芸術手法でした。そして、この発想は、その後の現代美術作家たち、とりわけアンディ・ウォーホルに受け継がれることになります。

<ドイツにて>
 この年1918年には、終戦を迎え平和が訪れたばかりのドイツの首都、ベルリンでもダダが動き出しています。その中心はチューリッヒから帰国したヒュルゼンベックで、彼を中心に開催された「ダダの夕べ」を発火点としてベルリン・ダダがスタートしました。ベルリン・ダダの特徴は、印刷物や写真などを用いて政治的主張を盛り込んだコラージュ作品にあります。
 ラウル・ハウスマンの「ダダ万歳」(1920年)やハンナ・ヘッヒの「わが家訓」(1922年)は、その代表的な作品です。ドイツの場合、敗戦からワイマール共和国の建国へと急激な民主化と芸術家の政治参加が進んだこともあり、「ダダ」は単に現状の破壊だけでなく新たな秩序の再構築を目的とするものが多かったことも重要です。

<パリにて>
 「ダダ」はこうして世界各地で運動を展開した後、最終地点としてパリに到達。そこで最後の盛り上がりを見せます。それは戦争が終わり平和が戻ったヨーロッパに再び多くの芸術家たちが集まったせいだったのですが、同じ顔ぶれが中心だったこともあり、そこにかつての新鮮さはあまりなかったのかもしれません。とはいえ、トリスタン・ツァラ、フランシス・ピカビア、ジャン・アルプ、マン・レイ、マックス・エルンスト、マルセル・デュシャン・・・こうしたそうそうたる顔ぶれが1919年から1922年にかけてパリに滞在し、最後のダダの花を咲かせました。
 そして、その顔ぶれに加わった3人の詩人たち、前衛文学の雑誌「リテラチュール」の中心メンバーでもあったアンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴン、フィリップ・スーポーは、再び「ダダ」を盛り上げると同時に新たな芸術運動となる「シュルレアリスム」を立ち上げることになります。

<ダダの遺産>
 二つの世界大戦の間に生まれ、あっという間に終わりを迎えた「ダダ」は、ロック界における「パンク」の存在を思わせます。それまでの芸術に対する概念を壊し、詩や絵画の原点回帰を実現した「パンク」によく似ているのです。そして、「ダダ」が「シュルレアリスム」という新しい展開を生んで現在にまで行き続けているように、「パンク」もまた「ニューウェーブ」や「レゲエ」、「スカ」など、数々の子孫を残すことで現代につながっています。
 あらゆるジャンルにおける「進化」は、その向かう先に行きづまると必ず一度、誕生当初の原点に帰るといわれています。これを幼形進化といいます。「ダダ」という赤ちゃん言葉は、まさにそんな「赤ちゃん帰り」の芸術運動にピッタリだったわけです。
 もし、この言葉を無意識に選んでいたのだとしたら、「シュルレアリスム」でいう「オートマティスム」が生んだ奇跡ということになりそうです。

<1918年の出来事>
ドイツが休戦協定に調印し、第一次世界大戦が終わる
ヨーロッパでスペイン風邪が大流行、戦争の終結を早める
アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンが国際連盟の樹立と民族自立をうたった十四か条の平和原則を提案
ドイツで革命が起き共和国宣言
ポーランドが独立し共和国となる
チェコスロバキアが独立宣言(トマーシュ・マサリク大統領)
英軍がダマスカスを占領

日本軍がシベリアに出兵
米騒動起きる
原敬内閣誕生

<音楽>
「本当のアメリカのフォークソングはラグタイムだ!」ジョージ・ガーシュイン(ミュージカル「レディーズ・ファースト」より)

<映画>
「人類の春」(監)D・W・グリフィス(出)リリアン・ギッシュ
「世界の心」(監)D・W・グリフィス(出)リリアン・ギッシュ、ドロシー・ギッシュ
「間の入江」(2色加色混合法によるアメリカ初の長編色彩劇映画)

<美術>
リヒャルト・ヒュルゼンベックが「ダダの夕べ」を開催
児童雑誌「赤い鳥」創刊(鈴木三重吉)

<文学、思想>
「狂人日記」魯迅
「西洋の没落」オスヴァルト・シュペングラー


<1918年という年>
「革命後のフランスにはなにが起こっただろう?『革命の結果国内は大きく揺れ、やがてそこから独裁者が登場する』である。革命後のフランスに起こったことが、そのままこの地にも訪れる。ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニ、ソ連のスターリン・・・国内の混乱の中から独裁者が生まれる。彼らは”一世紀ほど遅れて来たナポレオン”なのである」

「第一次世界大戦は『利益を求めた国家間の戦争』だったが、その後の第二次世界大戦は”思想戦”になった。侵略戦争を仕掛ける側は自分たちの”正義”を訴え”理想”を唱えた。これに対する連合国軍も『ファシズムからの解放』という思想を掲げる・・・」
橋本治著「二十世紀」

<1918年の物故者>
ウィリアム・H・ホジスン(恐怖小説作家「異次元を覗く家」など)
エゴン・シーレ(画家)
グスタフ・クリムト(画家)
クロード・ドビュッシー(作曲家)
ニコライ二世(ロシア帝国最後の皇帝)
フェルディナント・ブラウン(物理学者、ブラウン管の発明者)

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