1920年

- セステート・アバネーロ 他 -

<セステート・アバネーロ誕生>
 この年、キューバの首都ハバナで行われたカーニバルを盛り上げるため、大手のラム酒メーカー「ボコイ・ラム」の社長アレチャボーラ氏は地元の優秀なミュージシャンを集めて、コンサートを開催しました。予想以上にこのバンドの人気は高く、その後、この時のメンバーを中心として、セステート・アバネーロ(6人組のハバナ人という意味)という名のバンドが誕生し、彼らはハバナだけでなくアメリカやヨーロッパにまでツアーを行い、キューバ音楽の最新モデル「ソン」の魅力を世界中に広めることになります。そして、この「ソン」という音楽を元にして、その後のラテン音楽「ルンバ」や「マンボ」、「チャチャチャ」、それに「サルサ」が生み出されることになり、さらには「ジャズ」にも大きな影響を与えることで世界のポピュラー音楽全体に影響を与え続けることになります。大げさではなく「ソン」はあらゆるポピュラー音楽の基礎であり、その完成型のひとつといえるのです。

<「ソン」とは?>
 では、先ず「ソン」とは何か、基本的なことから。
「ソン」とは、リズム・パターンの名称ではありません。(とはいえ、基本は4分の2拍子)どちらかというと、それは曲の構成を表わしており、「ギア」と「モントゥーノ」二つの部分から構成されていることが基本です。「ギア」と呼ばれる部分は、「メロディー部」もしくは「主題部」ともいえ、それに対し「モントゥーノ」と呼ばれる部分は「反覆部」であり「ダンス・パート」ともいえます。それぞれの曲は「ギア」で始まり、それが1番、2番と演奏された後、よりリズムを強調し楽器やコーラスによる掛け合い(コール&レスポンス)なども加わった「モントゥーノ」に変わることで聴衆を盛り上げ、ダンス・フロアへと誘います。その後、もう一度「ギア」に戻り、再び「モントゥーノ」となりよりテンポ・アップして聴衆を踊らせた後、エンディングへと向かうのです。
 こうした形式は、現在でも「サルサ」や「アフリカン・ポップス(特にザイーレアン・ポップなどラテン音楽の影響を受けた音楽)」そして、それらの元となった「ジャズ」にも生かされています。ラテン音楽の影響を受けている音楽はすべて「ソン」の影響を受けているといえるでしょう。

<「ソン」以前の音楽>
 「ソン」誕生以前、キューバにはどんな音楽があったのか?かつてキューバは先住民族であるタイーノやシボネイと呼ばれる人々が住んでいました。しかし、スペインからやって来た白人たち、そしてアフリカから連れてこられた黒人奴隷の流入後、わずか一世紀の間にそれらの民族は、それまでなかった伝染病などによて、一気に絶滅してしまいました。そのため、キューバの文化はアフリカ各地の部族が持ち込んだアフリカ文化とスペイン文化が融合することで生まれることになりました。その中でも、アフリカ系の文化はキューバ各地の村々で行われていたフィエスタと呼ばれるお祭りなどによって融合発展することになり、そこからソン・プリミティーボと呼ばれる音楽が生まれました。
 それともうひとつキューバの中心都市サンチャゴ・デ・クーバでは、トロバドール(吟遊詩人)と呼ばれるギター伴奏を用いた弾き語りの音楽も盛んで、それらが融合することで「ソン」が形作られていったようです。
 「メロディー・パート」と「ダンス・パート」をもつ音楽であるということは、キューバ音楽がスペイン系の白人音楽とアフリカ系の黒人音楽の融合によって生まれたことを象徴的に表わしています。ブラジル同様、白人と黒人の混血(ムラート)が進んだ国であるキューバでは、19世紀から音楽の混血化も進んでいました。その代表的音楽としては「ハバネラ」があげられます。その名のとおり「ハバネラ(アバネーラ)」は、ハバナで生まれ、その後ヨーロッパで発展し、世界中に広まった音楽です。ただし、それはまだクラシック音楽の影響の方が強く、黒人音楽の要素はわずかでした。しかし、しだいにそこにアフリカ系の楽器であるパーカッションが持ち込まれるようになります。そして、白と黒の音楽的要素がちょうど良いバランスに達した1915年から1920年にかけて、「ソン」とう完成形が生まれたのです。

<「ソン」の楽器構成>
 「ソン」のこうした白と黒の混ざり具合は、バンドの楽器編成にも明確に表れていました。この年1920年に結成され、その後「ソン」のナンバー1バンドとして長く活躍することになるセステート・アバネーロの場合は、謎の部分が多く正確なメンバーがはっきりしていません。しかし、一応セステートの構成は基本的に下記のようになっていました。
トレース(複弦3対をもつ小型のギター)ギター(メロディーはトレース、ギターはリズム演奏が主な仕事)ベース(もちろん当時はウッド・ベース)クラベス(木製の拍子木、ヴォーカルも兼ねる)マラカス(こちらもヴォーカル兼任)ボンゴ(のちにカウベルも兼任)
 これらの楽器のうち最初の3つはどちらかというとヨーロッパ系の楽器。それに対し残り3つはアフリカ系のリズム楽器です。その後7つ目の楽器としてトランペットが加わり、「セステート」は「セプテート」へと変わりますが、この当時はまさに白と黒が半々の混合音楽だったわけです。
 こうして、誕生したセステート・アバネーロとその後登場するセプテート・ナシオナール、2つのバンドは「ソン」のナンバー1バンドとしての地位を争うように活躍を続け、1920年〜1930年にかけてのソン黄金時代を築くことになります。

<ハバナとサンチャゴ・デ・クーバ>
  もうひとつ、白と黒の不思議な対称を感じさせるのは、キューバにおけるハバナとサンチャゴ・デ・クーバの対比です。首都でもある大都会ハバナは古くから支配層でもあった白人層の多い街でした。それに対して、サンチャゴ・デ・クーバは、アフリカからの奴隷たちが最初の到着した港町で、最もアフリカ文化の残る街でもありました。当然、アフリカ音楽の影響を強く受けた新しい音楽の発信源は、サンチャゴ・デ・クーバである場合が多く、そこからハバナへと進出することでキューバ全土へ、さらにはアメリカ経由で世界各地へと広がることにもなりました。キューバにおけるサンチャゴ・デ・クーバは、ブラジルにおけるバイーアであり、アメリカにおけるニューオーリンズだったのです。

<「ソン」海外へ>
 1926年、ソンのコンクールで優勝したセステート・アバネーロは1927年にはトランペットを導入し、1933年にはアメリカに渡ってレコード録音やコンサートを行い、ヨーロッパにも演奏旅行に出かけました。1927年には彼らのライバルとなたセプテート・ナシオナールが登場。バンド・リーダーのイグナシオ・ピニェイロは作曲家としても優れた人物で、数多くのソンの名曲を残すことになります。
 さらにもうひとつ、1925年「ソン」を演奏する3人組のバンド、「トリオ・マタモロス」が登場。キューバにそれ以前から存在していたトロバドールの流れをくんだ彼らは当初はギター2本とクラベスだけでソンを演奏していましたが、ソンの基本スタイルは3人でも十分表現可能でした。1928年に「とうもろこしを播く男」をヒットさせた彼らは、キューバを代表する人気バンドとなり、その後1960年まで長く活躍することになります。
 「ソンの3大バンド」がこうして出揃い、彼らが海外で活躍することで、その影響はキューバからアメリカ、ヨーロッパへと広がって行きました。彼らが作った海外進出の道筋は、後にルンバやマンボ、チャチャチャ、サルサなどの世界的ブームへとつながって行くことになります。

<1920年の出来事>
国際連盟が正式に成立、第日本帝国も加盟
婦人の参政権獲得(米)
アメリカで司法長官A・ミッチェル・パーマーによる赤狩りが始まる
サッコとバンゼッティが無実の罪で死刑になる(米)
世界初のラジオ放送(ピッツバーグのKDKA局)始まる
イギリスで経済恐慌起こる
第一回ナチス党大会
スウェーデンに社会主義内閣誕生
日本初のメーデー、社会主義同盟設立(大杉栄、堺利彦らによる)
株価の暴落から経済恐慌、不景気から脱するため海外侵略が始まる
新聞各社が文語体を口語体に改める

<音楽>
「ホイスパリング(ささやき)」ポール・ホワイトマン楽団
「ダーダネラ」ベン・セルヴィン楽団(ダンス・バンド初のミリオンセラー)
「クレイジー・ブルース」メイミー・スミス(初のブルース・レコードがヒットし、レイス・レコードが誕生)
「家具の音楽」エリック・サティ(B・G・Mの原点?)
セステート・アバネーロ結成

<映画>
「東への道」D・W・グリフィス(出)リチャード・バーセルメス、リリアン・ギッシュ
「島の女」(監)ヘンリー小谷(松竹キネマ合名社第一回作品
松竹合名社設立、松竹蒲田撮影所開設(映画が娯楽の王者と呼ばれる時代の始まり)

<美術>
「ダダ万歳」ラウール・ハウスマン(独)

<文学>
「ロボット R.U.R」カレル・チャペック(チェコ)
「哲学の改造」ジョン・デューイ
「資本論」カール・マルクス邦訳が出版される


<時代を変えた発明、モノ>
ジョンソン&ジョンソン「バンドエイド」発売

<1920年の物故者>
アメデオ・モディリアーニ(画家)
ジョン・リード(ジャーナリスト、映画「レッズ」のモデル)
マックス・ウェーバー(社会学者)
ロバート・ピアリー(北極圏探検家)

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