1923年

- 失われた世代が育てたポップ・ミュージック -

<ローリング・トゥエンティーズ>
 この年、1923年ミュージカル「ランニング・ワイルド」が大ヒットを記録、その影響により、劇中で使われていたダンス「チャールストン」がニューヨークを中心に大流行しました。その流行はアメリカだけにとどまらず、ヨーロッパへも広がって行きました。この「チャールストン」の流行で象徴される第一次世界大戦から世界恐慌までの数年間は、後に「狂乱の20年代(ローリング・トゥエンティーズ)」と呼ばれることになります。さらには、この時代を生きた若者たちに対しては、「失われた世代(ロスト・ジェネレーション)」という言葉が使われました。その名付け親は、パリで活躍していたアメリカ人の女流作家ガートルード・スタインで、彼女は芸術の都パリに集まっていたアメリカ人作家たちと付き合い、彼らの作品を読む中から「失われた世代」という言葉を思いついたといいます。

<アーネスト・ヘミングウェイ>
 「失われた世代」の代表的作家といえば、先ずアーネスト・ヘミングウェイがあげられます。
 まだ新聞記者だったヘミングウェイは、パリに駐在中も作家を目指して作品を書き続け、ガートルード・スタインにも助言を求めていました。そして、そんなヨーロッパ滞在時代の体験を下に、「失われた世代」を代表する小説「日はまた昇る」(1926年)を書くことになります。
 第一次世界大戦でのケガがもとで性的不能になった若者がアメリカを捨てて、ヨーロッパを放浪する中で自分と同じように生きる目的を失った若者たちと出会うという物語の展開は、「失われた世代」を象徴するものとして大きな反響を呼び、世界中で大ベストセラーとなりました。

<スコット・フィッツジェラルド>
 もうひとりへミングウェイと同じようにパリを訪れていたアメリカ人作家スコット・フィッツジェラルドもまた「失われた世代」を代表する作家で、彼の代表作「偉大なるギャツビー The Great Gatsby」(1925年)を初めとする小説は、すべてそんな若者たちの生き様を描いた作品でした。そして、彼自身の生き方もまたロスト・ジェネレーションそのものだったといえますが、彼の妻ゼルダの生涯は、もしかするとスコット以上にこの時代を象徴するものだったかもしれません。
 当時アメリカではフラッパーと呼ばれる女性たちの存在が話題となっていました。「フラッパー」とは、元々「卵からかえったものの、まだ巣から飛び立つことのできないヨチヨチ歩きの鳥たち」のことを指します。髪を短くオカッパにして、シャネルがデザインしたボーイッシュな最新スタイルに身をつつみ紅い口紅と濃いアイシャドウを特徴とする都会の若い女性たち。彼女たちの多くは、デパートなどで働く歴史上初めての「キャリア・ウーマン」たちで(娼婦こそ最古のキャリア・ウーマンであるという説もありますが・・・)、男たちと同じように酒を飲みながらタバコをくゆらせつつどうどうと男遊びをし、休日にはつなぎの水着を来て海水浴に出かけたり、夜のナイトクラブでは足を高々と上げてチャールストンを踊ったりと、自由奔放に生きるまったく新しい人類でした。
 ゼルダはまさにそんな女性たちの代表的存在で、夜はパーティーで踊りまくり、昼間はデパートで値札も見ずに最新流行のファッションを買いあさるさまは、1980年代バブルの頃の日本のOLたちを思わせる様子でした。彼女の異常なまでの浪費家ぶりは、人気作家スコット・フィッツジェラルドをも借金まみれにするほどのもので、そのために彼は完成に時間を要する長編小説に挑むことができず、常に短編小説で小金を稼ぐ必要に迫られていたといいます。彼女の存在は、多くの小説を生むことにつながりましたが、そのために浪費された彼の才能もまた馬鹿にできないようです。
 もともと躁鬱の気があったかのような彼女の精神状態は次第におかしくなり、ついには精神病院に入院してしまいます。それでも彼女を愛し続けたスコットは小説で食べられなくなってしまうと人材不足にあったハリウッドで映画の仕事を請け負うなど借金の返済に終われながらの悲劇的な人生を送る羽目になります。結局、彼はアルコールに溺れながらまだ44歳という若さでこの世を去ることになりました。彼の人生こそ、「失われた世代」の生き方そのものだったと言えそうです。

<バブルが生んだ新しい音楽>
 こうしたバブリーな社会状況は、けっしてアメリカ全体に共通するものではありませんでしたが、その影響はわずかながらも貧しい層の人々や黒人社会にも及んでいました。そして、その影響は音楽業界にも及び、この時期アメリカ各地ではポピュラー音楽の新しい芽が吹き出ることになります。
 1920年史上初のブルース・レコードとなったメイミー・スミスの「クレイジー・ブルース」が発売され、女性アーティストが歌うブルースが一躍人気を獲得。女性ブルース歌手の大御所となるベッシー・スミスはこの年、地方からニューヨークに進出し、クラシック・ブルースの黄金時代が始まろうとしていました。こうして、後の「R&B」にあたる「レイス・ミュージック」よ呼ばれる音楽ジャンルが誕生することになります。
 さらにこの時期に黄金時代を迎えようとしていたジャンルとしてはゴスペルがあります。当時のゴスペルには様々なジャンルがあり、それぞれが地域ごとに発展をとげていました。その中には、ジュビリー・コーラスとも言われる現代のゴスペルに通じるスタイルやギター一本で神の言葉を歌うエヴァンジュリストと呼ばれるブルース・スタイルのアーティスト。それに映画「ブルース・ブラザース2000」においてジェームス・ブラウンやサム・ムーアが演じていた歌う説教師スタイルなどがあります。そのなかで、前者を代表するアーティストとしては、ノーフォーク・ジュビリー・カルテット、ゴールデンゲイト・カルテットやブラインド・ウィリー・ジョンソンらが活躍。また説教師スタイルのアーティストとしては、伝説的な存在といわれるJ・M・ゲイツ牧師が20年代から30年代にかけて200曲もの録音を行っています。
 さらにこの頃、メンフィスやルイヴィルなど南部の都市では、フィドルやバンジョーなどを中心としたジャグ・バンドが次々に誕生。(元々は水差し(ジャグ)を吹いてベースに見立てて演奏するなど手じかにあるものを用いたスタイルだったことからその名がつけられました)メンフィス・ジャグ・バンドやキャノンズ・ジャグ・ストンパーズなどが貴重な録音を残しています。
 ジャズの世界でもこの時期には大きな変化がありました。1917年に第一次世界大戦が始まったため、兵士たちが戦場に向かうことになり、そのため海軍の街、ニューオーリンズの娼婦街ストーリーヴィルが閉鎖されることになりました。するとその街で働いていた数多くのジャズ・ミュージシャンたちもまた仕事場を失うことになり、彼らは景気の良いシカゴやニューヨークなど北部の大都市へと移住し始めます。こうして、ニューオーリンズで生まれたジャズは、北部の街で各地の音楽と融合しながら新たな発展を遂げることになりました。
 こうして北部へと移住していったミュージシャンたちによって、シカゴではブギウギ・ピアノというジャズの新しいスタイルが誕生します。(その始まりは、1921年に行われた「ストライド・ピアノの父」と呼ばれるジェームス・P・ジョンソンによる初録音だといわれています)このジャンルは、1927年にミード・ルクス・ルイスが「ホンキー・トンク・トレイン・ブルース」を発表すると一躍大ブームとなります。
 こうした黒人たちの北部への移動は、20年代後半にひとつのピークを迎えることになり、ニューヨークでは「ハーレム・ルネッサンス」と呼ばれる黒人文化の美しい花を咲かせることになります。
 白人のポピュラー音楽の世界もまた活況を呈していました。エリック・ロバートソンが現在のカントリー音楽につながるスタイルの演奏を初めて録音したのが1922年のこと。さらに南部のアトランタでスカウトされた白人フィドル奏者、歌手のジョン・カースンのレコード「小道の小さな丸太小屋」がヒットしたことから、「ヒルビリー」と呼ばれるカントリーの原点となるジャンルが誕生することになりました。
 ニューヨークなど都市部の白人向けポップスとしては、ショービジネス界初のスーパー・スターと呼ばれる歌手アル・ジョルスンが黄金時代を迎えていたのがちょうどこの時期でした。(残念ながら彼のこの時期の録音はまったく残っていないそうです)
 「ジャズ王」と呼ばれたポール・ホワイトマンの楽団が大活躍したのもこの時期で、彼が発案した音楽イベント「アメリカ音楽とは何か」(1924年2月に開催)の会場では、ジョージ・ガーシュインの歴史的名曲であり、ジャズとクラシック初の本格的クロスオーバー作品「ラプソディー・イン・ブルー」が発表されることになります。
 こうしたポピュラー音楽の発展を急激に推し進める重要な役割を果たしたラジオの登場もまたこの時期でした。1920年10月ピッツバーグの街にKDKAというラジオ局が誕生。この世界初のラジオ局の登場は、いっきにアメリカ全土に広がりをみせ、1926年にはアメリカ初の全国ネット・ラジオ局、NBCが誕生しています。当然、それぞれのラジオ局は放送する番組を準備しなければならず、音楽は格好の素材としてその主役へと躍り出ることになりました。

<古き良きアメリカ>
 第一次世界大戦が終わり、経済的に上り調子となったアメリカでは、共産主義者は赤狩りによって勢いを失い、大衆もまたバブルのおこぼれにより経済的な不満を忘れつつありました。そのため、国民の政治に対する興味はほとんど失われ、その興味の対象は買い物や娯楽へと向かってゆきました。そんな状況の中、性的快楽を求める動きが急激に高まることになり、酒や麻薬の広まりとともに、音楽もまた大きく発展することになったわけです。良くも悪くも、音楽の発展はこうした状況によっていっきに推し進められたわけです。
 この年アメリカは、「古き良きアメリカ」と呼ばれるアメリカにとって歴史上最も幸福だった時代を迎えようとしていたのかもしれません。

<1923年の出来事>
フランス、ベルギーによるドイツ・ルール地方の保障占領開始
ローザンヌ条約(バルカン・ブロックの結成)
レーニンが脳溢血で倒れ、スターリンによる独裁が始まる
トルコ共和国成立(初代大統領はケマル・パシャ・アタチュルク)
ネパールがイギリスから独立
関東大震災(被害総額は当時の日本の国家予算の3倍)
震災による経済的な崩壊により日本の政治的右傾化が強まる
憲兵大尉甘粕正彦が大杉栄ら共産主義者を殺害

第一回ル・マン24時間耐久レース開催

<音楽>
ミュージカル「ランニング・ワイルド」から「チャールストン」が大ヒット
「ピアノ組曲作品25」アルノルト・シェーンベルク
バレエ曲「世界の創造」ダリウス・ミヨー
「船頭小唄」「しゃぼん玉」中山晋平

<文学、思想>
「肉体の悪魔」レイモン・ラティゲ Raymond Radiguet
W・B・イエーツがノーベル文学賞を受賞
「山椒魚」井伏鱒二


<映画>
「乙女よ嘆くな」〈出)フロレンス・ヴィドア
「サムソンとデリラ」(監)アレクサンダー・コルダ、マイケル・カーティス(出)マリア・コルダ、アルフレッド・ガラオール
ワーナーブラザース社設立
阪東妻三郎が映画「三好清海」でデビュー
<美術>
文化裁縫女学校(後の文化服装学院)設立

<時代を変えた発明、モノ>
マーケーによるインダス文明の遺跡モヘンジョ・ダロの発掘
コンプトン効果(アーサー・H・コンプトンによる光りが量子であることの証明)

<1923年の物故者>
ヴィルヘルム・レントゲン(物理学者)
ギュスターブ・エッフェル(建築家)
ヨハネス・ファン・デル・ワールス(物理学者)
レーモン・ラディゲ(詩人)
有島武郎(作家)

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