1925年

- ジョセフィン・ベイカーとアール・デコの設計者たち -

<パリ万国博覧会とアールデコ>
 この年、パリで1900年以来25年ぶりの万国博覧会が行われました。ただし、この時の博覧会は装飾美術と工業美術という限られた分野を中心とするもので、1900年のパリ万博に比べると小規模なものでした。(会場規模で5分の1、入場者数で8分の1程度)そのため、この博覧会はそれほど世界的な注目を集めなかったようです。この博覧会は本当は1915年に開催されるはずが第一次世界大戦のために延期されたものでした。そのため、敗戦国のドイツは招待されず、当時話題となりつつあったバウハウスの作品群は会場に展示されませんでした。さらにアメリカも不参加だったため、盛り上がりに欠けるものとなったのです。
 しかし、1966年にパリの装飾芸術美術館でこの博覧会の回顧展が行われたことをきっかけにこの年の博覧会は「アール・デコ」という名前とともに世界中に知られてゆくことになりました。あまりにも有名な「アール・デコ」という呼び名は、この時の博覧会の正式名称「現代装飾芸術・工業美術国際博覧会 Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels Modernes」からきています。
 建築のことや美術、工業のことなどについて、ほとんど知識がない人でも「アール・デコ」という言葉は一度は耳にしたことがあるでしょう。でも、具体的にアール・デコとは、どんな時代の、どんな作品のことをさすのか?そこまではなかなか答えられないのではないでしょうか。
 先ず、「装飾美術と工業美術」とは、家具、室内装飾、服飾、金銀細工の食器、陶磁器、タペストリー、モザイクなど生活に直結するものをデザイン、制作する技術のことをいいます。(要するに、アール・デコは建物の表層の造形といえます)さらに時代としては、1925年から1930年代、第二次世界大戦が始まるまでの様式ということになります。色彩的には、金と銀、赤と黒。ただし金と銀の使い方は控えめで、金属でいうと光沢のあるジュラルミンやアルミニウム、それにコンクリートを覆う陶器製のタイルもまた重要な存在でした。
 ちなみにこの博覧会で最も人気を集めたアーティストは、ココ・シャネルでした。彼女の黒いシルクのイブニング・ドレスや香水「シャネルの5番」は、大きな話題となり、この後彼女はパリ・ファッション界の女王となります。

<アール・ヌーヴォーとアール・デコ>
 1900年の万博で一世を風靡したアール・ヌーヴォーとアール・デコを比較するともう少し分かりやすいかもしれません。アール・ヌーヴォーは、植物や女性の髪など、生物のもつ曲線をもった非対称の飾りを特徴としています。(鉱物の結晶のイメージ)二つはある意味、デザインにおける近代の両極端の性格であるともいえます。ただし、どちらもそのデザインが生み出されるに至ったのは、「時代の流れ」や「社会的な傾向」によるものでした。「アール・ヌーヴォー宣言」なるものは存在せず、「アール・デコ」の始祖なる人物も存在しません。どちらも今振り返って見て初めて、「あの作品はアール・ヌーヴォーといえる」とか「時代は違うが、これも意匠的にアール・デコの建物だ」とかいうようになったのです。
 考えようによっては主義や宗教や宣言を基に生まれた様式と違い、後付の名前である分、逆に見分けやすいともいえます。

<具体的な作品>
 具体的に作品の例をあげるとすると、以下のような建物をイメージすると分かりやすいでしょう。
 先ず、アメリカを代表する建築物ともいえる、エンパイヤー・ステート・ビル、クライスラー・ビル、ロックフェラー・センターなどのビルとその内装デザイン。そして日本では、なんといっても東京都庭園美術館(旧朝香宮鳩彦邸)が有名ですが、鉄筋コンクリート造りで表面にタイルを張った昭和初期の建物はほとんどアール・デコといえるようです。(東京都庭園美術館は確かに見ごたえがあります。是非ご覧になることをお薦めします)他には、日本橋の三越デパートや有名な客船「氷川丸」もそうです。そうそう、僕の住む小樽の街はまさにアール・デコの宝庫です。
<アール・デコの時代>
 それでは、こうしたアール・デコの建物に象徴される1925年前後は、どんな時代だったのか、というと。
 第一次世界大戦が終結し、世界の中心がヨーロッパからアメリカへと移り変わろうとする時代だったことがひとつ。実は、この時の博覧会にアメリカは出展していません。逆にアメリカは会場に多くの視察団を送り込み、その吸収に勤めました。こうして、ヨーロッパの優れたセンスや伝統を学ぶことに徹したことで、アメリカはその後芸術、文化の面でも世界の中心になってゆくのでした。
 ただし、アメリカはまったく輸出する芸術、文化を持っていなかったわけではありません。この年、アメリカからフランスに渡った黒人女性アーティスト、ジョセフィン・ベーカーは、その代表的存在でした。彼女の活躍はアメリカの黒人音楽ジャズがヨーロッパで大ブームとなるきっかけとなり、その後アメリカから次々と黒人ミュージシャンたちがヨーロッパへと渡ってゆく先駆けともなりました。

<ジョセフィン・ベーカー>
 弱冠19歳の黒人女性、ジョセフィン・ベイカー Josephine Baker。彼女が出演する黒人レビュー「ラ・ルヴュ・ネーグル」の公演が行われたのは、この年1925年の10月でした。豊かな胸を隠すことなく限りなく自然に近い姿で踊る彼女の姿は、パリの街の男たちの目を舞台に釘付けにしました。しかし、それは単にエロチックなだけのダンスではありませんでした。シドニー・ベシェらアメリカの優れたジャズ・ミュージシャンたちの演奏だけでもパリっ子は熱狂したことでしょう。そして、そこにニジンスキーのようなバレエのダンサーたちが見せていた白人たちの踊りとはまったく異なるチャールストンやブラック・ボトムをリズムに乗って踊りまくるジョセフィンのエキセントリックでエロティックな女神が加わったのです。
 批評家や文化人の多くが、文明に対する侮辱であると批難しましたが、大衆は彼女を新しい女神として崇めることを止めませんでした。こうして、ジャズの人気はパリを中心にヨーロッパ全体に広がってゆき、その後はアメリカで正当に評価されずに苦労していた多くの黒人ミュージシャンたちが数多くこの「安息の地」を訪れることになります。そうした黒人アーティストたちの先陣を切ったのが、19歳の少女だったというのはある意味意外かもしれません。

<ヨーロッパとアメリカ>
 こうして、芸術だけでなく音楽や娯楽の分野でもアメリカとヨーロッパが、お互いの文化を吸収し合うことで急激にその距離が縮めていったのが、この時代だったといえそうです。そして、その交流の中心となったのが「動くアール・デコ」ともいえる巨大豪華客船でした。クイーン・エリザベス号、クイーン・メリー号、ノルマンディー号などは、その代表的な船でした。映画「タイタニック」でも、主人公のジャック(ディカプリオ)がヨーロッパでの修行帰りの画家という役どころでしたし、お金持ちのお嬢様ローズ(ケイト・ウィンスレット)の船室には歴史的な名画が並んでいました。ああやって、ヨーロッパからアメリカへと少しずつ芸術作品が移動していったわけです。(ただし、タイタニック号はアール・デコ以前、1917年に沈没してしまたのですが、・・・)さらにこの時代には、飛行機という新しい乗り物も登場し、1937年には大西洋横断空路ができることになります。しかし、まだこの頃は大衆のための交通手段ではなく、船と鉄道こそが、その主役でした。
 もうひとつ、この時代を象徴するものとして、百貨店(デパート)の繁栄があります。それはファッションを中心として広く大衆に売れる商品が登場し、それを買う側にも経済的な余裕が出始めていた時期に当たっていたせいでしょう。ポール・ポワレやココ・シャネルの登場により、ファッション業界は大きな転換点を迎え、街には先端のファッションに身をつつむギャルソンヌたちの姿が目立つようになり始めました。日本でも、モボ(モダン・ボーイ)やモガ(モダン・ガール)が登場しており、その傾向は世界的なものでした。
 こうして、街に増えたお洒落な人々は、自分たちに相応しい新しい遊びの場を求め、ジャズが演奏されているキャバレーやカフェ、バーなどへと繰り出していったのでした。この年にスコット・フィッツジェラルドが発表した歴史的名作「偉大なるギャツビー」に描かれた人々が「ジャズ・エイジ」と呼ばれたのも、こうした社会全体の雰囲気を反映したものだったのです。

<大量生産の時代>
 安価な鉄筋コンクリートを用いて、より直線的でシンプルな構造と控えめな飾りつけをもつこの時代の建物は、豊かになった先進国の大衆が大量生産による商品を求め始めた時代の象徴であり、その後世界が向かうことになる危険な時代とは別の古き良き懐かしき時代を思い出させてくれる存在でもあります。しかし、この時大衆が得ていた豊かさの影には富を奪われ続けた植民地の存在があったことを忘れてはいけません。そして、そのしっぺ返しは、ゆっくりと時間をかけて訪れることになります。それはある時は社会主義革命という形で、またある時はテロリズムという形で、そして地球温暖化という形でグローバル化した地球をしだいに追い詰めてゆくことになるのです。
 もちろん、アール・デコ自体は特権階級が享受していた過剰な贅沢を否定するひとつの前向きな革命でもありました。この時代が「古き良き時代」として、未だに取り上げられることが多いのは、この頃は多くの人々がそれぞれ未来への明るい夢を抱くことが可能だったからなのかもしれません。

「アール・デコは、大量生産を可能にした近代工業によって送り届けられる『中流市民のための美』だった・・・・」
「アール・デコは『装飾は否定しないが、金持ちの趣味に合わせて成り立つ過剰な様式は否定する』という様式なのである」
「二十世紀」橋本治著

<1925年の出来事>
ベニート・ムッソリーニが独裁を宣言
ドイツではヒトラーを守るためのナチス親衛隊設立
ロカルノ会議(独仏英伊、ベルギー間の安全保障)
ジュネーブ議定書(細菌兵器、毒ガス兵器禁止)
クー・クラックス・クランがワシントンDCで第一回全国大会開催
炭鉱労働者による大ストライキ(英)
レフ・トロッキー失脚(露)
アムンゼンが飛行機により北極探検
パーレヴィ朝の成立(イラン)
後のNHKラジオ放送開始
治安維持法、普通選挙法公布
エジプト、「王家の谷」でツタンカーメン王の墓が発見される

<音楽>
「マンハッタン」(リチャード・ロジャース&ロレンツ)
ヒルビリーズが初録音、このバンドの名がヒルビリー・サウンドの元となる
カントリーの祭典「グランド・オール・オープリー」開幕、ラジオ中継も始まる

<映画>
戦艦ポチョムキン(監)セルゲイ・エイゼンシュテイン
「黄金狂時代」(監)(出)チャールズ・チャップリン
「嘆きのピエロ」(監)(脚)ジャック・カトラン(出)ジャック・カトラン、ロイス・モラン
「キイン」(監)アレクサンドル・ヴォルコフ(出)イヴァン・モジウキン、ナタリー・リセンコ
「救いを求める人々」(監)ジョセフ・フォン・スタンバーグ(出)ジョージ・アーサー、ジョージア・ヘール
「ジーク・フリード」(監)フリッツ・ラング(出)ポール・リヒター、ハンナ・ラルフ
「バグダッドの盗賊」(監)ラオール・ウォルシュ(出)ダグラス・フェアバンクス、ジョランヌ・ジョンストン
「ピーター・パン」(監)ハーバート・ブレノン(出)ベティ・ブロンソン、アーネスト・トーレンス
「蜂雀」(監)シドニー・オルコット(出)グロリア・スワンソン、エドワード・バーンズ
「オペラの怪人」(監)ルパート・ジュリアン(出)ロン・チェニー、メリー・フィルビン
「荒武者キートン」(監)(出)バスター・キートン
「喜びなき街」(監)ゲオルグ・W・バブスト(出)グレタ・ガルボ、アスター・ニールセン

<文学、思想>
「偉大なるギャツビー」スコット・フィッツジェラルド
我が闘争」アドルフ・ヒトラー
「檸檬」梶井基次郎
ジョージ・バーナード・ショーがノーベル文学賞受賞


<時代を変えた発明、モノ>
テレヴィジョンが発明される(米)
ライカ(独)初の量産モデルA発売35ミリ小型化の時代へ
白揚社日本初の乗用車「オートモ号」製作

<1925年の物故者>
エリック・サティ(仏)
ルドルフ・シュタイナー(独)
アリスティード・ブリュアン(シャンソン歌手)
孫文(辛亥革命指導者、中国)

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