1926年

- パトリシオ・ヒメネスなどテックス・メックスのアーティストたち -

<ラジオ黄金時代と地方文化>
 1926年、NBCラジオはいよいよ全国ネットの放送を開始し、いよいよラジオの黄金時代が訪れようとしていました。しかし、それぞれの地方でも独自色を打ち出す地域密着のラジオ局が立ち上げられ、同じこの年、テキサス州のヒューストンでは新たな地方局KPRCが放送を開始しました。そして、その放送局が地元に数多く住むドイツ系、東欧系移民たちのためにかけた音楽の多くはポルカと呼ばれる音楽でした。
 当時、放送局はまだ黒人層をラジオ番組のターゲットとは考えていませんでした。彼らの所得は購買層と考えるには程遠い金額に過ぎなかったからです。そのため、ラジオのターゲットはあくまで白人層だったわけです。そして、まだ全国的規模に発達してはいなかったラジオ局はそれぞれ地域住民の民族性を色濃く表わす特徴的な音楽を流しており、現在よりもずっと個性的な内容をもっていたようです。(現在では逆にスペイン語を代表とする英語以外の言語による放送が増え、白人人口の減少を表わす傾向が強まっています)
 フォークダンスや故左卜全の「老人と子供のポルカ」のおかげで日本人にも知られるようになったポルカ。その音楽のルーツをたどることは、アメリカにおける東欧系移民の歴史を知ることと同時に移民文化というものが、その故郷を離れてもなお生き続ける理由を知ることにもつながりそうです。

<テキサスとポルカ>
 以前、僕の友人がテキサス州のアトランタに住んでいた1980年代後半頃のこと、僕の音楽の師匠だった彼は、車でテキサス各地の街を見て回った時、多くの街でポルカがメイン・ミュージックになっていることに驚かされたそうです。アメリカという国は田舎に行くほど、そこに住む住人のルーツがはっきりしていて地域ごとに固まっている傾向があります。
 そして、テキサス州の場合には、ポルカを愛好する民族、東欧系、ドイツ系が多いのです。もちろん、それには歴史的な理由もありました。ポルカという音楽は元々は19世紀前半のチェコで生まれた4分の2拍子のダンス・ミュージックです。その後、シンプルで楽しいこの音楽は、東欧全般からドイツや北欧、そしてスイス、オーストリアなどの山岳地帯で演奏される音楽やアイルランドのトラッドにまで取り入れられるようになりました。(ポルカという言葉は「ポーランド風」という意味からきているそうです)
 その後、20世紀が始まった頃、これらのポルカを愛する東欧系の人々が大量にアメリカへと移住してゆくことになります。その多くは土地をもたない貧しい農民たちで、さらにその多くはユダヤ人として差別されている人々だったようです。
 最初にチェコからの移民が19世紀ごろテキサスに住み着き、その後同じように農地を求めて東欧からの移民がテキサスにやってきました。しかし、すでにイギリス系の移民がほとんどの土地を領地として確保していたため、彼らは再び差別と迫害にあいます。土地の奪い合いは、ついには殺し合いになることもありました。有名なのは、超大作として鳴り物入りで製作されながら予算をはるかにオーバーしてしまい製作したユナイト映画を倒産に追い込んだマイケル・チミノ監督による伝説の映画「天国の門」に描かれていた歴史上の事件、「ジョンソン郡戦争」(1892年)です。こうした厳しい状況の中、多くの東欧系移民は北部の工業地帯、ペンシルバニアやイリノイへと移住してゆきましたが、しぶとくテキサスなど南部に残った人もいました。
 彼らはテキサスなど南部の土地がビールの原料となるホップを育てるのに適していることを知り、しだいに農業で成功してゆきました。その頃には同じくビールを愛好するドイツ系の移民も参入。ドイツ系の移民たちもまたポルカが好きだったこともあり、ポルカはテキサスを代表する音楽のひとつになってゆきます。(ドイツでは「ビア樽ポルカ」という有名な曲があります)

<ポルカからテックス・メックスへ>
 実はポルカという音楽は、故郷の東欧ではほとんど聞かれなくなっているようです。今やポルカはアメリカ南部の定番音楽として生き続け、ルーツとは離れた別の道を歩み始めているようです。当初は故郷を懐かしみ、つらい労働のことを忘れるために聞かれていたポルカですが、しだいにそのファン層を広げてゆき始めます。そして、南部に住む白人にとってのもうひとつのメイン・ミュージックであるカントリーとの融合も進みますが、そこにブルースなどの要素も加わって、もうひとつの新しいジャンル、テックス・メックスが誕生しました。
 テックス・メックスの中心地は、テキサス南部メキシコ国境にほど近いサン・アントニオの街です。この街にも、やはりドイツ系、東欧系の人々が数多く住んでいたのですが、国境でもあるリオ・グランデ川の向こう側メキシコにも同じようにビール醸造を仕事とする人々が住んでいました。
 アコーディオンというメキシコ人には馴染みのない楽器を用いた彼らの音楽は、ノルテーニョ・ミュージックと呼ばれていましたが、これが後にテックス・メックスへと発展してゆくのです。(ノルテーニョというのは北メキシコの音楽という意味)そして、このテックス・メックスの元祖といわれるアーティスト、パトリシオ・ヒメネスもまたドイツ系の移民でした。そして、1930年代に活躍した彼が残した最高の後継者が彼の孫であり、テックス・メックス界最高のアコーディオン・プレイヤーと呼ばれたフラーコ・ヒメネスでした。彼の名は、テックス・メックスのファンの間では有名な存在でしたが、その後ロック・ファンの間でも知られるようになり世界的な人気ミュージシャンの仲間入りを果たしました。そのきっかけとなったのは、もうひとりのテックス・メックス・ヒーローであるダグ・サームとの共演でした。
 テキサス出身のロック・バンドとしてデビューしたダグ・サームは、1973年にボブ・ディランドクター・ジョンらの協力を得て「ダグ・サーム&バンド」というアルバムを製作しました。それまではテキサスの田舎者ロック・バンド扱いだった彼が豪華なメンバーとの共演によりいっきに全国区へと出世することになったこのアルバムで、ダグ・サームとともに脚光を浴びることになったのが、アコーディオン奏者として参加したフラーコでした。彼はその後、ライ・クーダーサンタナ、ローリングストーンズ、ボブ・ディランらのアルバムに参加。テックス・メックスという音楽を世界中に知らせることになりました。
 同じ頃、ソウルとは異なるラテン系バラード歌手フレディー・フェンダーもスペイン語、英語の入り混じった不思議なヴォーカリストとして人気者となりました。彼が歌った映画「ボーダー」のテーマ曲「アクロス・ザ・ボーダー・ライン」は、ジャック・ニコルソン主演の渋い名作とともに永遠の名曲です。
 その他にも、テックス・メックスのわくを越えて前衛的なぶっ飛びプレイを聞かせてくれるアコーディオン・プレイヤー、スティーブ・ジョーダンも忘れられません。
そして、もう一組テックス・メックスとポルカを世界に広めた重要なバンドがブレイブ・コンボです。

<ブレイブ・コンボ>
 優れたアコーディオン奏者でもあるルーツ・ミュージック・オタクのカール・フィンチ率いる4人組みのブレイブ・コンボが演奏する音楽は、テックス・メックスのわくを完全に越えています。ポルカ、スカ、ルンバ、クンビア、レゲエ、ポル・スカ(ポルカ+スカ)など多様なリズムを用いて、彼らは世界各国の名曲をカバー。そのどれもがまったく新しいダンス・ナンバーとなっており、ライブ会場は最高に盛り上がります。このバンドは何度も来日しているので、見たことのある方も多いでしょう。

<懐かしいアメリカの心>
 映画「ホーム・アローン」で主人公の母親が家に帰る飛行機がなくて途方に暮れていた時、車に乗せてあげようと声をかけてくれた今は亡きジョン・キャンディー演じる親切なおじさん、彼がポルカ・バンドのメンバーだったのを覚えていますか?ダサいけれども心温まる音楽、ポルカはそんなイメージの音楽なのでしょう。
どんなにダサくても、もう故郷では聞かれていない音楽だとしても、遠い故郷の思い出と結びついた音楽は、東欧からやって来たビールと同様けっして消え去ることはないのかもしれません。

<1926年の出来事>
ドイツが国際連盟に加盟、常任理事国となる
バードによる北極飛行成功(米)
労働者によるゼネストが決行される(英)
ピウスツキによる5月革命から独裁政治始まる(ポーランド)
蒋介石の国民革命軍による北伐開始(中)
大正天皇が崩御、昭和天皇となる
京都学連事件で初めて治安維持法が適用される
社団法人日本放送協会設立(NHKの前身)
豊田佐吉がトヨタ自動車の前身となる豊田自動織機製作所を設立
ドイツのダイムラー・ベンツ社、スウェーデンのボルボ社もこの年設立

<音楽>
ミュージカル「砂漠の歌」シグムンド・ロンバーグ作
「ピアノ・ソナタ」ベーラ・バルトーク作
「ラビット・フット・ブルース」ブラインド・レモン・ジェファーソン

<映画>
「女優ナナ」(監)ジャン・ルノワール(原)エミール・ゾラ(出)カトリーヌ・エスラン、ヴェルナー・クラウス
「ファウスト」(監)F・W・ムルナウ(原)ルドウィッヒ・ベルガー(出)ヨースタ・エックマン、エミール・ヤニングス
「黄金狂時代」(監)(出)チャールズ・チャップリン
「最後の人」(監)F・W・ムルナウ(出)エミール・ヤニングス、マリー・デルシャフト
「ダグラスの海賊」(監)アルバート・パーカー(出)ダグラス・フェアバンクス、ビリー・ドーブ
「ドン・ファン」〈監)アラン・クロスランド(脚)(撮)バイロン・ハスキン〈出)ジョン・バリモア、メアリー・アスター
「肉体と悪魔」(監)クラレンス・ブラウン(原)ヘルマン・ズーデルマン(出)グレタ・ガルボ、ジョン・ギルバート
「ロイドの人気者」(監)サム・テイラー、フレッド・ニューメイアー(出)ハロルド・ロイド
「ムーラン・ルージュ」(監)E・A・デュポン(出)オルガ・チェホーワ、イヴ・グレイ
スタンリー・ローレルとオリバー・ハーディがコンビで活躍開始
「アリラン」を主題歌とする韓国映画「アリラン」製作される(監)(脚)(主)ナ・ウンギュ

「足にさわった女」(監)阿部豊(出)岡田時彦、梅村蓉子
「日輪」
(監)村田実(出)岡田嘉子、山本嘉一
「狂った一頁」(監)衣笠貞之助(出)井上正夫、中川芳江
「神人形の春の囁き」(監)溝口健二(出)山本嘉一、島耕二

<文学、思想など>
「日はまた昇る The Sun Also Rises」 アーネスト・ヘミングウェイ
アメリカでSF専門誌の先駆けとなる「アメージング・ストーリーズ」創刊


<時代を変えた発明、モノ>
ロレックス社が防水腕時計を発売(英)
量子力学の基礎となる「シュレディンガーの波動方程式」発表
ドイツでユースホステルが誕生

<1926年という時代>
「大正は”デモクラシーの時代”ではなく、統括者・山県有朋の掌の中で肥大した複数のエゴがまだおさまっていた時代・・・それこそが”語られることを忘れた大正”なのである」

「二十世紀」橋本治著より

<1926年の物故者>
アントニオ・ガウディ(スペインの建築家)
クロード・モネ(仏の画家)
ハリー・フーディニー(米の奇術師)
ルドルフ・バレンチノ(米の俳優)
ライナー・マリア・リルケ(詩人)

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