1936年

- 写真技術の誕生からフォト・ジャーナリズムの誕生まで -

<写真時代の始まり>
 この年1936年、20世紀に入って急速な進歩を遂げていた写真の世界で重要な出来事がありました。まずひとつは、アメリカにおいて、その後20世紀の写真ジャーナリズムを代表することになる雑誌「ライフ Life」が創刊されたことです。そして、同じ年にニューヨークで活躍していた報道写真のカメラマン、ポール・ストランド、ルイス・ハイン、リゼット・モデル、アーロン・ラスキンらが写真家たちのグループ「フォト・リーグ」を結成しています。これもまた報道写真家たちが活躍するきっかけとなりました。
 ハードの面では、イーストマン・コダック社が、35mmのカラー用カートリッジ付ロール・フィルム「コダクローム」を発売。さらに極めつけは、この年、写真の歴史だけでなくジャーナリズムの歴史、そして社会をも動かすことになる戦争報道写真の傑作「共和国軍兵士の死(崩れ落ちる兵士)」がロバート・キャパによって撮られたことです。この写真は、世界中に衝撃を与えると同時に数多くの賞を獲得し、戦場カメラマンという新しい職業を生み出すことになりました。
 20世紀は、ある意味「映像の世紀」とも呼べます。19世紀に開発が進められた写真機が、この時期いよいよ戦場へと持ち込まれるようになり、「決定的瞬間」をとらえる重要なツールへと進化しました。そして、20世紀の出来事のほとんどがカメラによって撮影、保存され永遠の存在となるのです。(もちろん、カメラ以後、テレビ、映画、ビデオ、デジタル・ビデオなど次々に新しい映像メディアが誕生することになります)
 では、このカメラの歴史をちょっとだけ振り返り、「映像の世紀」とカメラの関係について見てみましょう。

<写真機の誕生>
 写真の原理となる「感光」という化学反応が研究されるようになったのは、1725年というかなり昔のことになります。しかし、実際に写真機が誕生するまでには、それから100年近い年月が必要でした。
 最も古い写真画像として現存しているのは、「ル・ゲラの自宅窓からの眺め」といわれるもので、露光には8時間もの時間を要したとされています。この写真が撮られたのが1827年で、その11年後には、かの有名な写真機ダゲレオ・タイプが登場しています。ダゲレオ・タイプの露光時間は数分から数十分となり、この写真機によって世界で初めて人間の写真が撮られたとされています。(「パリ、タンプル大通り」1838年撮影)このダゲレオ・タイプの開発者はフランス人のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールという人物ですが、この後も写真機の開発はフランスとイギリス、それとドイツが中心となって進められてゆきました。19世紀はこうして数々の写真技術が登場し、現在の写真に近いものへと進化を続ける時代でした。そんな中、1881年にアメリカのフレデリック・E・アイヴスがハーフ・トーン(網目)製版法を発明。これより、写真は文字などといっしょに紙に印刷できるようになります。
 こうして、ついに写真は新聞や雑誌などの印刷物に使用できるようになったわけです。このことは写真の歴史にとって非常に重要な意味を持つことになります。なぜなら、このことによって写真は印刷物として大量に複製できるようになっただけでなく、商品として高い価値をもつことが可能になり、カメラマンは仕事として十分に成り立つ職業の一つになったのです。

<グラフ雑誌の誕生>
 1920年代、こうして写真技術の進化のもとドイツではグラフ雑誌が人気となり、そこからフォト・ジャーナリズムという新しい報道スタイルが発展し始めました。20年代も後半になると、ベルリンには「ヴェルトルンデシャオ」や「デフォト」などの写真エージェンシーが誕生しています。
 「写真エージェンシー」とは、フリーランスのカメラマンたちが写真の管理会社を作り、自分たちの作品を集めて管理し、それを新聞社や雑誌社などに有料で使用させることで収入を得るというシステムです。このシステムの登場により、カメラマンたちは売れる写真を撮ることで、なんとか食べてゆくことができるようになったのでした。
 こうして、ドイツではいち早くフォト・ジャーナリズムが発展することになりましたが、彼らが批判していたナチス・ドイツ政権をとるに至り、その多くは自由な活動を求めてヨーロッパの他国か新大陸であるアメリカへと旅立つことになりました。

<アメリカでの発展>
 1920年代アメリカはかつてない経済的発展をとげつつあり、その経済力のおかげで文化的にもヨーロッパの伝統を吸収しながら、まったく新しいスタイルの文化を生み出しつつありました。そのひとつが後に800万部を越える発行部数として世界一の写真雑誌となる「ライフ」の創刊でした。この創刊号の表紙に使われた女性カメラマン、マーガレット・バーク=ホワイトの写真「フォート・ペック・ダム」は、その後の「ライフ」を象徴するかっちりとした構図をもつ重厚な作品です。アメリカの経済的繁栄は1930年代突然終わりを迎えますが、この悲劇の時代にもカメラマンたちは大きな仕事をしています。
 アメリカの経済復興を目指して計画されたニューディール政策。この実施状況を国民に伝えるための広報を目的として11人のカメラマンがその記録係に選ばれ、30万点近い記録写真を撮ることになりました。カール・マイダンス、ベン・シャーン、ドロシア・ラング、ウォーカー・エヴァンスらは貧しさに苦しむ農民たちや転々と旅を続ける移動労働者たちの姿をカメラに収めましたが、その写真は単なる記録写真というレベルを超えた社会的メッセージをもつ作品となっていました。(それは、記録写真という当初の目的を超える価値を持つことになります)

2012年11月追記
「ライフ(人生)を見ること、世界を見ること、大きな出来事を目撃すること、貧しい人々の顔とともに、いまを時めくおごる人々の顔を見ること、機械、軍隊、群集、密林や月の影などのめずらしいものを見ること、絵画、建築、発見などの人間の業績を見ること、数千マイルかなたに埋もれたり、壁のうしろや部屋のなかにかくれたもの、危険をおかしてはじめて到達し得るものなどを見ること、男たちが愛する女性や子供たちを見ること」
写真誌「ライフ」の創業者ヘンリー・R・ルースが1936年に書いた創刊予告文より

<ファッション・カメラマン>
 こうして、写真誌は一大ブームとなりましたが、カメラマンの多くはそうした報道の仕事以外にも別に仕事をもっていました。その代表的な仕事がファッション・カメラマン、すなわちファッション誌などに向けてモデルたちの写真を撮影する仕事です。
 1920年代の経済的発展はデパートなどのファッション産業を大きく発展させ、それまでは上流階級のためのものだったファッションが広く一般大衆のためのものとなり、それに対応してファッション誌は広告のための重要なアイテムとなってゆきました。そのため、ファッション誌のための写真は単なる商品のカタログ写真ではなく、より芸術的、より魅力的なものでなければならなくなってゆきました。こうして、ファッション誌の世界でも優れたカメラマンが求められるようになりました。
 「ヴォーグ」のカメラマンでドイツ出身のバロン・アドルフ・ド・メイヤーは、その先駆となったカメラマンです。その他、ロシア出身のジョージ・ホイニング=ヒューン、ホルスト・P・ホルスト、イギリスの貴族出身というセシル・ビートンなども「ヴォーグ」の出身で世界的なカメラマンになりました。もうひとつの有名ファッション誌「ハーパーズ・バザー」では、マルティン・ムンカーチ、トニ・フリッセル、リチャード・アヴェドンなどが活躍。ファッション誌の写真は美しさを追求することにより、人々の所有欲をあおるという確信犯的な芸術ジャンルとして発展を続け、優秀なカメラマンを数多く生み出すことになります。

<報道写真時代の始まり>
 1924年から25年にかけて、ドイツのエルンストライツ社は35mmフィルムを使用し、自然光で高速シャッターによる繰り返し撮影が可能な画期的な小型カメラ「ライカ」を発表しました。このカメラから始まる小型カメラの登場によって、報道カメラマンはどこにでもカメラを持ち歩くことが可能になり、報道写真の概念は大きく変わることになりました。特に画期的だったのは「戦場」という究極の被写体へ接近することが可能になったということでしょう。もちろん、それまでも戦場で撮られた写真はありました。戦争というテーマは今も昔もカメラマンの心をひきつけており、戦争をとらえた写真は19世紀半ばにすでにありました。撮影者はイギリス人のロジャー・フェントンという人物で、彼は1855年ロシアとトルコ、そして英仏が介入したクリミア戦争の戦場で撮影を行い、歴史上初めての戦場写真を撮っています。しかし、この時彼は撮影のために助手2名と馬車一台分の器材と暗室を必要としており、戦闘そのものをリアルタイムで撮ることは到底不可能でした。当時の写真フィルムは露光時間も長く、その場ですぐに現像しなければならなかったのです。そのため、彼は戦闘の後の戦場の様子やそこで戦った兵士たちの写真しか撮れなかったのです。それから70年、やっとカメラマンたちは戦場の決定的瞬間をとらえることが可能になったわけです。
 こうして、スペイン戦争を舞台にした歴史的写真「共和国軍兵士の死」という写真が撮られることになったのです。

<スペイン戦争>
 「スペイン戦争」は単なる内戦ではありませんでした。国内が右派左派に分かれただけでなく、それぞれのバックには、右派にファシズムのドイツ、イタリア、左派にはソ連と世界各国の進歩派インテリ層からなる義勇軍が応援に加わりました。その戦争は、それまでの戦争目的「領土拡大」を目指すのもではなく「政治思想」のために行われたものでした。そのため、多くの人々がこの戦争の重要性に注目し、へミングウェイやジョージ・オーウェルなど、多くの優れた作家たちが戦場を訪れ、それぞれの立場でスペイン戦争を記録してます。
 しかし、ロバート・キャパの戦場写真は、そうした作家たちのどんな文章よりも雄弁に「戦争」を語りつくしていました。だからこそ、沢田教一を含め数多くのカメラマンがロバート・キャパの領域に近づこうと、命がけで戦場を這い回り、そこで命を失うことにもなったのです。
 キャパはその後も戦場で写真を撮り続け、第二次世界大戦でも、あのノルマンディー上陸作戦に同行し、その現場で再び歴史的な写真を撮ることになります。その後、彼は同じ志をもつカメラマン、デヴィッド・シーモア、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ジョージ・ロジャーらと報道写真家の著作権を管理するための会社「マグナム」を設立。後に続く者たちが危険に見合っただけの収入を得られるように努力しました。
 彼は1954年ヴェトナム戦争の取材中に命を落としますが、その意思は「マグナム」のメンバーやその後に続く報道カメラマンたちへと受け継がれてゆくことになります。

<写真について>2012年11月追記
「写真の一瞬に込められた意味を想像する前と後、あるいは、写っていないものにまで思いをめぐらせること。さらに写っているものに、どう自分を重ね合わせ、何を感じ取るかということ。想像力を伸びやかに働かせることで、私たちは周りに流されずに、「いまの時代」を自分なりに感じ取ることができるはずだ。
 しかし、想像力を呼び起こすためには、写真に「絵」としての力があることが必要条件となる。最初に「絵画」の構成力や力強さがあってこそ、人を惹きつけることができるで、そこから何を感じてもらうかは、その次のこととなる。・・・・・」

長倉洋海(著)「私のフォト・ジャーナリズム」より

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<1936年の出来事>
ベルリン=ローマ枢軸結成
日独防共協定制定
ベルリン・オリンピック開催
ニューヨーク州クーパーズ・タウンに「野球の殿堂」オープン
ギリシャでメタクサスによるクーデターが起き、独裁制始まる
ソ連で新憲法(スターリン憲法)制定
スペイン内乱始まる
中華民国憲法草案公布
西安事件

二・二六事件(高橋是清らを軍内部右派が暗殺)
日本がロンドン軍縮会議を脱退
天皇機関説を発表した美濃部達吉が右翼に襲撃される
日本職業野球連盟結成(読売ジャイアンツ優勝し沢村栄治が最多勝)
阿部定事件

<音楽>
「キャラバン」デューク・エリントン
「スウィート・ホーム・シカゴ」ロバート・ジョンソン

<映画>
「有頂天時代」〈監)ジョージ・スティーブンス(原)アーウィン・ゲルシー〈出)フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース
「巨星ジーグフェルド」(監)ロバート・Z・レナード(出)ルイーゼ・ライナー(アカデミー作品賞、主演女優賞
「オペラ・ハット」(監)フランク・キャプラ(出)デーリー・クーパー(アカデミー監督賞
「科学者の道」(監)ウィリアム・ディターレ(出)ポール・ムニ(アカデミー主演男優賞
「大自然の凱歌」(監)ウィリアム・ワイラー、ハワード・ホークス(出)エドワード・アーノルド、ウォルター・ブレナン(アカデミー助演男優賞
「風雲児アドヴァース」(監)マーヴィン・ルロイ(出)フレデリック・マーチ、ゲイル・ソンダガードアカデミー助演女優賞
「モダン・タイムス」(監)(脚)(出)チャーリー・チャップリン
「リビア白騎隊」(監)アウグスト・ジェニーナ(ヴェネチア映画祭最高賞
「ミモザ館」(監)(原)(脚)ジャック・ファデー(脚)シャルル・スパーク(出)フランソワーズ・ロゼ、ポール・ベルナール
「幽霊西へ行く」(監)ルネ・クレール(出)ロバート・ドーナット、ジーン・パーカー

「祇園の姉妹」(監)(原)溝口健二(出)山田五十鈴、梅村容子
「人生劇場 青春篇」(監)内田吐夢(原)尾崎士郎(出)山本嘉一、小杉勇
「一人息子」(監)小津安二郎(出)飯田蝶子、日守新一
「浪速悲歌」(監)溝口健二(出)山田五十鈴、大倉千代子
「兄いもうと」(監)木村荘十二(出)小杉義男、英百合子

<文学、思想>
「風と共に去りぬ」マーガレット・ミッチェル
「駱駝の祥子」老舎(中国)
「山椒魚戦争」カレル・チャペック
ユージン・オニールがノーベル文学賞を受賞
「風立ちぬ」堀辰雄
「普賢」石川淳(芥川賞)

<美術、写真>
雑誌「ライフ」創刊(本文参照)
「横たわる人」ヘンリー・ムーア

<時代を変えた発明、モノ>
ボシュロム社がサングラスを開発(飛行機の操縦士用)
ロンドン・フィルオーケストラがドイツで世界初のテープ・レコーダー「マグネトフォン」による録音を行う

<1936年の物故者>
イワン・パブロフ(生理学者)
オスヴァルト・シュペングラー(思想家、哲学者)
ギルバート・チェスタトン(推理小説作家)「ブラウン神父シリーズ」
マキシム・ゴーリキー(劇作家、小説家)「どん底」
魯迅(作家、思想家)「阿Q正伝」「狂人日記」
ラドヤード・キプリング(詩人、作家)「ジャングル・ブック」
ロバート・E・ハワード(小説家)「英雄コナン・シリーズ」

夢野久作(小説家)「ドグラ・マグラ」の作者

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