1937年

- カウント・ベイシー、トム・ペンダーガスト -

<大恐慌に襲われなかった街>
 1930年代、大恐慌に襲われたアメリカは経済的に崩壊し、その影響は1930年代の半ばまで続きました。ニューヨークでも、シカゴでも、ニューオーリンズでも、どの街でも失業者があふれ、そのため次々にクラブやバーなど、店内でライブ演奏を聞かせていた店の多くが閉店に追い込まれることになりました。ところが、そんな状況にも関わらず、ひとつだけ大恐慌による経済的崩壊を免れた街がありました。アメリカのほぼ真ん中に位置するミズーリ州カンザスシティーがその例外的な街でした。(ややこしいことに、隣接した場所にカンザス州のカンザスシティーがあります。しかし、ここで取り上げるのはあくまでミズーリ州の方です)
 ではなぜ、この街は大恐慌の被害から免れることができたのでしょうか。もちろん、それには理由があります。優れた政治家のおかげ?残念ですがそうではありませんでした。実は、まったくその逆だったのです。最悪の政治家のおかげでカンザスシティーは経済的崩壊を免れることができたのでした。そして、そのおかげでカンザスシティーには職を求めて多くのジャズ・ミュージシャンが集まり、後にビ・バップの時代を切り拓くことになるミュージシャンたちが、今や伝説となったジャム・セッションやカッティング・コンテストを繰り広げたのもこの時期です。しかし、この年を最後にカンザスシティーの黄金時代は終わりを迎えることになります。そして、カンザスシティーで生まれたジャズの新しいスタイルは、シカゴやニューヨークなど北部の都市へと移植されることになるのです。

<カンザスシティー>
 カンザスシティーの街が大恐慌の影響を最小限にとどめることができたのには、いくつかの理由があります。
 この街がもともとアメリカ中西部の穀物取引の中心地だったことから、工業都市や商業都市ほどバブルの影響を受けていなかったことがひとつ。しかし、最大の原因は、この街とミズーリ州を影で支配していた悪徳政治家トム・ペンダーガストの存在でした。彼は州知事でも市長でもないにも関わらず、カンザスシティーの市制だけでなくミズーリ州全体の政治をも操る影の大物(フィクサー)でした。彼は州内の政治家ほとんどに影響を及ぼすことで、公共事業を自分もしくは身内の企業で独占し、ミズーリ州全体を私物化していました。その力は州の範囲をも越えるほどで、後にアメリカ合衆国の大統領となるハリー・S・トルーマンも、ペンダーガストのおかげで政治家としてのスタートを切らせてもらったといわれています。
 政治的にはけっして表舞台に出ないにも関わらず、彼はあらゆる儲け話に手を出していました。特に有名なのは、当時アメリカで施行されていた禁酒法を逆手に取り、州内で酒の販売を黙認、それどころか自ら酒造メーカーを作って大儲けをしていたことです。
 当然、州が黙認しているとなれば、カンザスシティーには酒を求めて多くの人々が集まり、酒場だけでなく、売春宿、ホテル、賭博場、もちろんジャズの生演奏を行う店もにぎわうことになりました。そして、それらの店を牛耳るギャングたちや彼らをお目こぼしする悪徳警官、すべてがペンダーガストの手下だったというわけです。それはまるでバットマンに出てくる退廃した都市「ゴッサムシティー」のような漫画のような街でした。
 しかし、世の中とはよく出来たもので、こうした酒場を経営するギャングたちの中にはジャズが大好きな人物も多かったようです。そのため、この時期カンザスシティーの街は、ジャズ・ミュージシャンたちにとって救いの土地となったのです。

<カウント・ベイシー>
 ニューヨークのハーレムにも匹敵するジャズの都、カンザスシティーを代表するミュージシャンとしては、カウント・ベイシーと彼のオーケストラを忘れるわけにはゆきません。彼はもともとは、アメリカ北部ニュージャージー出身でしたが、カンザスシティーで活動していたウォルター・ペイジの楽団に参加。するとこのバンドが20年代カンザスシティー最高のバンドといわれていたベニー・モーテン楽団に吸収され、1935年にリーダーのベニー・モーテンが突然亡くなってしまったため、急遽ベイシーが引き継ぐことでカウント・ベイシーと彼の楽団が棚ぼた式に誕生したのでした。
 彼はペンダーガストの部下がしきる街で最も有名なリノ・クラブの看板バンドとして活躍しながら多くの若手ミュージシャンたちを育て、カンザスシティー・ジャズをアメリカ全土に広めました。中でも、彼の楽団の花形サックス・プレイヤー、レスター・ヤングは、カンザスシティー・ジャズとビ・バップをつなぐ存在として、大きな役割を果たすことになります。彼の演奏を見て、そのテクニックを盗もうとリノ・クラブにやって来たプレイヤーも多く、その中にはまだ14歳の少年、チャーリー・パーカーもいました。もちろん彼らの演奏を見に来たのは、そうした若手のミュージシャンたちばかりではなく、ジャズのメッカ、ニューヨークの大御所たちもまたこの街を訪れることで新しいジャズのヒントをつかもうとしていました。しかし、デューク・エリントンやフレッチャー・ヘンダーソン、キャブ・キャロウェイなどの大物たちも地元のカウント・ベイシーの人気にはかないませんでした。

<ジャム・セッション>
 こうして、カンザスシティーに集まってきたミュージシャンたちには、もうひとつ大きな目的がありました。それはただ人の演奏を見るだけでなく、直接お互いの演奏をぶつけ合うジャム・セッションに挑戦することです。クラブの営業が終わった朝の5時から6時ごろ、それぞれの店での演奏を終えたミュージシャンたちが所属するバンドや出演している店に関係なく、どこかの店に集まっては、ジャム・セッションを行いながらお互いのアドリブ演奏を披露し、その優劣を競い合いました。特に盛り上がったのは、同じ楽器を持つミュージシャンがステージ上に立ち、交互にアドリブ演奏を行い、相手のアドリブに対応しながらさらにそれを上回る演奏を披露してゆき、どちらかのアイデアがつきるまで勝負を続けるという、カッティング・コンテストと呼ばれる勝負です。
 ある意味ミュージシャン同士の決闘ともいえるカッティング・コンテストは、大物同士の場合には、朝方にも関わらず多くの観客を集めることになり、そのおかげでカンザスシティーの街は24時間賑わいをみせるようになったといいます。そんなバトルの中でも特に有名なのが、今や伝説となっているコールマン・ホーキンスとレスター・ヤングの勝負です。

<伝説の勝負>
 当時、フレッチャー・ヘンダーソン楽団のテナー・サックス奏者で人気ナンバー1の存在だったコールマン・ホーキンスにレスター・ヤングが挑んだこのサックス・バトルは、夜中から始まって昼をすぎても勝負がつかなかったものの、ついにはレスター・ヤングが勝利を飾ったといわれています。バトルの会場となったクラブ・チェリー・ブロッサムには、彼ら二人の他にも何人ものサックス・プレイヤーが登場し、バトル・ロイヤルを展開。しかし、朝まで残っていたのは4人だけで昼には、やはり主役の二人だけになっていました。ジャズ・ファンならずとも、その時どんな演奏が行われたのかを見てみたくなる夢のような話です。
 もちろん同じことを考える人は多かったようで、なんとこの伝説のライブはドキュメンタリー風に再現され映画化されています。監督は2007年に惜しくもこの世を去ったインディペンデント映画の巨匠ロバート・アルトマンです。彼はなんと、この時代カンザスシティーで実際にジャム・セッションを目にしたジャズ・ファンの一人で、いつかその時の壮絶な演奏を映像化したいと考えていたそうです。(ちなみに、一時間半に満たないこの作品を撮ることが可能になったのは、映画「ザ・プレイヤー」の成功によって映画会社から獲得したご褒美ともいえる条件のおかげだったそうです)
 では、そんな昔のライブをどうやって再現したのかというと、ロン・カーターやベニー・カーターなど、本物のミュージシャンたちに当時の衣装を着せ、再現した当時のクラブのセットで演奏をしてもらい、それをコンサート・ライブのように撮影したのです。もちろん、その会場には当時の衣装に身をまとった観客たちがいて、1930年代の雰囲気を見事に再現しています。映画のタイトルは、ずばり「ロバート・アルトマンのジャズ」。ロバート・アルトマンにとって「最高のジャズ」とは、かつて自分が見た夢のようなジャム・セッションの世界だったということでしょうか。

<カンザスシティー栄光の終わり>
 こうして、かつて熱気にあふれたニューオーリンズの街でジャズが生み出されたように、混沌の街カンザスシティーでジャズは数多くの衝突を繰り返しながら新しいスタイルを生み出すことになりました。しかし、そんなジャズの都カンザスシティーの栄光はそう長くは続きませんでした。
 終わりの始まりは、1933年に禁酒法が廃止になったことでした。酒がどこでも飲めるようになたことで、ペンダーガストの資金源が大きく減り、その権力にもしだいに陰りが見え始めました。そうなると、それまで口をつぐまざるをえなかったマスコミの中から彼の悪行を暴こうとする動きが出始めたのです。その中心となったのは地元の新聞ジャーナル・ポスト紙で、1938年ついにペンダーガストの不正を紙上で暴き、それをきっかけに起きた世論の動きによって、ついに彼に対する捜査が始まったのです。そうなれば、彼の罪は簡単に明らかになり、翌年ついに彼は逮捕されることになりました。当然、その頃にはカンザスシティーの繁栄はすでに過去のものとなっていました。
 繁栄を誇ったクラブの多くが閉店に追い込まれ、そこで活躍していたミュージシャンたちの多くが街を離れてニューヨークやシカゴへと旅立って行きました。そして、その中には憧れのミュージシャン、レスター・ヤングの演奏を盗み見ていたチャーリー・パーカーの姿もあったのです。彼らによって受け継がれた新しいジャズの卵は、ジャズの次なる聖地ニューヨークへと運ばれ、そこで「ビ・バップ」という美しい鳥に孵化することになります。
 もちろん、その育ての親が「ヤードバード」(かごの鳥)ことチャーリー・パーカーなのはいうまでもないでしょう。

<1937年の出来事>
日独伊三国防共協定、イタリアは国際連盟を脱退
ブラジルでヴァルガス大統領の独裁始まる
チェンバレン挙国一致内閣誕生(英)
ヒンデンブルク号爆破事件
フランコのファランヘ党の一党独裁始まる
日中戦争起こる(盧溝橋事件)ただし、日本にとってはあくまで「支那事変」もしくは「日華事変」となる
二・ニ六事件を起こした皇道派を統制派が粛清。皇道派を恐れた政府は統制派の言いなりになり、戦争への道を突き進むことになります。
南京陥落
岸田國士らが文学座を結成

<音楽>
「In the Still of the Night」コール・ポーター
「ワン・オクロック・ジャンプ」カウント・ベイシー楽団(発表は1936年)
カウント・ベイシーが「タイム・アウト」の録音でエディ・ダラムがエレキ・ギターを使用。小編成のコンボでもオーケストラに匹敵する迫力を出せるようになった
エディット・ピアフが二度目のデビューで一躍スターとなる
「ヤ・ドゥラ・ジョワ」「ジュ・シャント」シャルル・トレネ
「別れのブルース」「湖畔の宿」「蘇州夜曲」服部良一
「チャペル・イン・ザ・ムーンライト」(ビリー・ヒル作曲のゴスペル・ソング)
「ハーバー・ライツ Harbor Lights」Frances Langford
「It Looks Like Rain」ビリー・ホリディ
「Little Old Lady」レイ・ノーブル楽団(ホーギ―・カーマイケル作)
「ムーンライト・アンド・シャドウズ Moonlight and Shadows」ビング・クロスビー
「ア・キャビン・オブ・ドリームズ My Cabin of Dreams」トミー・ドーシ―楽団
「Once In A While」トミー・ドーシ―楽団
「Sailboat In The Moonlight」ビリー・ホリデイ
「九月の雨 September in the Rain」James Melton(映画「Melody for Two」)
「ソー・レア― So Rare」、「Boo Hoo」ガイ・ロンバルト&ロイヤル・カナディアンズ
「That Old Feeling」シェプフィールド楽団
「When My Dreamboat Comes Home」ケニー・ベイカー Kenny Baker
「You Can't Stop Me From Dreaming」オジー・ネルソン、ディック・パウエルほか

<映画>
「大いなる幻影」(監)ジャン・ルノワール(出)ジャン・ギャバン、エリッヒ・フォン・シュトロハイム(ヴェネチア映画祭芸術映画賞
「オーケストラの少女」〈監)ヘンリー・コスター(製)ジョージ・パスターナク〈出)ディアナ・ダーヴィン、アドルフ・マンジュー
「シカゴ」(監)ヘンリー・キング(出)アリス・フェイ、タイロン・パワー、アリス・ブラディ(アカデミー助演女優賞
「ステラ・ダラス」〈監)キング・ヴィダー〈脚)サラ・Y・メイソン〈出)バーバラ・スタンウィック、ジョン・ボールズ
「暗黒街の弾痕」(監)フリッツ・ラング(原)(脚)ジーン・タウン、グラハム・ベイカー(出)シルヴィア・シドニー、ヘンリー・フォンダ
「最後の一兵まで」〈監)〈脚)カール・リッター〈脚)マチュアス・ウィーマン〈出)マチュアス・ウィーマン、ヘインリッヒ・ゲオルク
「女だけの都」(監)ジャック・フェデー(原)(脚)シャルル・スパーク(出)フランソワ・ロゼ、アンドレ・アルレム
「我等の仲間」(監)ジュリアン・デュビビエ(原)(脚)シャルル・スパーク(出)ジャン・ギャバン、シャルル・バネル
「椿姫」(監)ジョージ・キューカー(原)アレクサンドラ・デュマ・フィス〈出)グレタ・ガルボ、ロバート・テイラー、ライオネル・バリモア
「どん底」(監)ジャン・ルノワール(原)ゴーリキー(出)ジャン・ギャバン、ルイ・ジューヴェ
「孔雀夫人」(監)ウィリアム・ワイラー(原)シンクレア・ルイス(出)ウォルター・ヒューストン、ルース・チャタートン
「新婚道中記」(監)レオ・マッケリー(出)アイリーン・ダン、ケイリー・グラント(アカデミー監督賞
「ゾラの生涯」(監)ウィリアム・ディターレ(出)ポール・ムニ、ジョゼフ・シルドクラウト(アカデミー作品賞、助演男優賞
「大地」(監)シドニー・フランクリン(原)パール・バック(出)ポール・ムニ、ルイーゼ・ライナー(アカデミー主演女優賞
「舞踏会の手帖」(監)ジュリアン・デュビビエ(出)マリー・ベル、フランソワーズ・ロジェー(ヴェネチア映画祭最優秀外国映画賞
「我は海の子」(監)ヴィクター・フレミング(出)スペンサー・トレイシー(アカデミー主演男優賞
「白雪姫」ディズニー初の長編アニメ

「限りなき前進」(監)内田吐夢(原)小津安二郎(出)小杉勇、滝花久子
「風の中の子供」(監)(脚)清水宏(原)坪田譲治(出)川村惣吉、吉川満子
「人情紙風船」(監)山中貞雄(原)(脚)三村伸太郎(出)中村翫右衛門、河原崎長十郎

<美術>
「ゲルニカ」パブロ・ピカソ
「緩慢な日」イヴ・タンギー

<文学>
「ジョン万次郎漂流記」井伏鱒二(直木賞
「墨東奇譚」永井荷風
「雪」川端康成

<時代を変えた発明、モノ>
ヘンリー・ドレフェス、デザインのベル社モデル300登場(黒電話のスタンダード)
デュポン社の「ナイロン」が発売開始

<1937年の物故者>
アーネスト・ラザフォード(物理学者)
グリエルモ・マルコーニ(無線機の開発者)
ジョージ・ガーシュイン(作曲家)
ジョン・D・ロックフェラー(実業家)
中原中也(詩人)
ノエル・ローザ(サンバのミュージシャン、作家)
ハワード・フィリップス・ラブクロフト(小説家)
ピエール・ド・クーベルタン(近代オリンピックの創設者)
ベッシー・スミス(ブルース・ミュージシャン)
モーリス・ラヴェル(作曲家)

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