1941年

- ピート・シーガー Pete Seeger -

<オルマナック・シンガーズ>
 この年、モダン・フォークの元祖と呼ばれる伝説のバンド、オルマナック・シンガーズがアルバム「Sod Baster Ballads」でデビューを飾りました。ピート・シーガーとウディ・ガスリー、あまりにも有名な二人のメンバーを中心に生み出された音楽は、伝統的民族音楽の復興であり、黒人たちの音楽であったブルースと白人たちの音楽トラッドの融合であり、プロテスト・ソングという社会変革のための音楽の先駆けでもありました。
 現代に至るフォークの原点は、1960年に起きたフォーク・リヴァイバルのヒーローたち、ピーター・ポール&マリーやブラザース・フォア、キングストン・トリオといわれます。しかし、彼らにとっては1950年代に活躍したウィーヴァーズこそが、その原点であり、さらにはその10年以上前に登場したオルマナック・シンガーズこそが、すべての原点だったといえます。(もちろん、その先にはまだまだ音楽の長い歴史が連なっているのですが・・・)

<ピート・シーガー>
 オルマナック・シンガーズの中心であり、フォーク界における最大の貢献者ともいえる人物ピート・シーガーは、1919年ニューヨークで生まれました。父親のチャールズ・シーガーが有名な民謡研究家だったことから、彼自身も早くからフォーク・ソング(民謡)に興味をもち、バンジョーを手に演奏も行っていました。
 1935年父親と見に行ったバスコム・ラマー・ランスフォード主催の音楽イベント「アッシュヴィル・マウンテン・ダンス・アンド・フォーク・フェスティヴァル」を見て、衝撃を受けたかれはフォークの世界にのめり込むようになり、大学もやめてしまいます。
 職もなく困っていた彼を、後に民謡研究家として世界的に有名になるアラン・ローマックスが助手として雇ってくれたおかげで、その研究にのめりこんで行きましたが、しだいに自らの手で演奏を行う方向へと向かい始めます。(この時、いっしょに働いた仲間の中に後にいっしょに歌うことになるウディ・ガスリーもいました)そして1940年、彼は友人のリー・ヘイズ、ミラード・ランペルと三人でオルマナック・シンガーズを結成します。バンド名の「オルマナックス」はすぐに有名になり、彼らが共同生活を営んでいたニューヨークのロフトは、その後「オルマナック・ハウス」と呼ばれることになります。そして、そこには彼ら以外にも多くのミュージシャンたちが集まり、お互いの歌を披露し合うパーティーを行っていました。「フーテナニー」と呼ばれたこうしたフォークのパーティーは、彼らによってアメリカ中に広められることになります。

<レコード・デビュー>
 こうして、大人数での活動を東海岸で続けていた彼らをアラン・ローマクッスがプロデュースし、ついにレコード録音のチャンスが訪れます。それらの中でもジェネラル社で録音、発売されたレコードには、ピート・シーガー、リー・ヘイズ Lee Haze、ピーター・ホウズ Peter Hawes、ミラード・ランペル Millard Lampell、そしてウディ・ガスリー Woodie Guthrieが参加。この時代のレコードはSPとして発売されただけでどれも話題にはなりませんでしたが、60年代に入りコモドア・レコードがアラン・ロウマックスの協力と解説つきで再発し大きな話題となります。
 しかし、元々が流動的なメンバーの集合体だったこともあり、このバンドはすぐに解散し、1947年ピート・シーガーは、リー・ヘイズ、フレッド・ヘラーマン、ロニー・ギルバートとともに新しいグループ、ウィーヴァーズを結成。伝説的な黒人ブルース歌手レッドベリーの持ち歌だった「グッドナイト・アイリーン」をシングルとして発表したところ、なんと全米ナンバー1となる大ヒットを記録してしまいます。そして、これがモダン・フォークと呼ばれるフォーク黄金時代の幕開けとなりました。

<赤狩りとプロテスト・フォーク>
 1950年、アメリカ国内では「赤狩り」の一大ブームが巻き起こり、政界、映画界、音楽界などあらゆる分野で共産主義者もしくは共産主義のシンパのあぶり出しが行われていました。そして、この動きがウィーヴァーズをも襲うことになりました。以前から、ウディ・ガスリーらとともに労働組合のイベントなどに参加していたピートらは共産主義者のレッテルをはられ、ウィーヴァーズへの仕事の依頼がぴったりとなくなってしまったのです。1953年春、彼らはついに解散に追い込まれてしまいました。
 しかし、1955年ウィーヴァーズは赤狩りの勢いが衰えたのを機に見事復活を果たします。彼らが復帰の日に選んだ12月24日のカーネギー・ホールでのライブは大成功となり、その録音はライブ・アルバムとして発売されることになりました。
 ところが、1958年ピート・シーガーはせっかく再結成されたバンドを自ら離れ、ソロ活動に入ります。バンドの解散中、彼は全国各地の大学の学生たちに呼ばれ、キャンパスでのライブを行うようになっており、その地道な活動によって多くの大学でフォークを演奏する若者が増えていました。そして、ここから次の世代のミュージシャンが数多く育つことになります。彼はそうした若者たちの活動を積極的に応援。一時期中断していたニューポート・フォーク・フェスティバルの運営委員をつとめるなどフォーク界の裏方としても活躍してゆきます。
 ジョーン・バエズやボブ・ディランも、そんな大学でのコンサートでピートの音楽に出会い大きな影響を受けたフォーク・ミュージシャンです。(ジョーン・バエズの場合は高校でのライブ)しかし、ピートが後世に残した影響はそれだけではありませんでした。

<トラッド、フォークの研究家として>
 彼はソロ活動を行い始めると、それまで自分が研究していたイギリスのブロードサイド・バラッドを現代に蘇らせるための新たな取り組みに着手します。「ブロードサイド・バラッド」とは、イギリスのロンドンで事件や出来事を瓦版のようにして売っていたものを宣伝するため、それに曲をつけたところから生まれた音楽です。
 1962年、ピートはそれらの曲を収集し研究する中で、ブロードサイド・バラッドが現代社会でも必要とされているはずだと考えるようになり、、オルマナック・シンガーズのメンバーだったアグネス・シス・カニンガムと共同で雑誌「ブロードサイド」を創刊しました。この雑誌には現代のブロードサイド・バラッドともいえる政治的主張、批判精神にあふれた詩が掲載され、ここから「プロテスト・フォーク」という60年代のアメリカを大きく揺さぶる音楽が育つことになるのです。
 その創刊号で反共の右翼団体ジョン・バーチ協会に対する痛烈な批判の詩「トーキン・ジョン・バーチ・パラノイド・ブルース」を発表したのが、あのボブ・ディランでした。反骨の男、ピート・シーガーは赤狩りによって叩かれていた厳しい時代でも、権力に対する闘いを静かに続け、その活動の中から自らの後継者となる若者たちを育てていたわけです。

<時代の真実を伝える教師>
 オルマナック・シンガーズの「オルマナック Almanac」とは「暦」とか「年鑑」という意味です。彼はその後も世紀を越えて、社会を見据え続け、それを歌によって「暦」にしっかりと刻みつけ続けているのです。彼の歌は、歌い方や発音が教師のようにわかりやすいといわれます。組合活動への結集を呼びかけるアジテーション・ソングの数々は、多くの人々に聞いてもらいながら、納得させたり、力を与えたりしなければなりません。歌詞は当然誰もが理解できることが重要なわけです。それだけに、彼の歌に芸術的価値やポップさを求めるのは無理かもしれません。ある意味、時代に即したコマーシャル・ソングのようなものだっただけに、時代を越えて聞かれる歌はそうはないかもしれません。。彼と同じように歌によって闘い続けた黒人歌手ポール・ロブソンとの共闘など、彼の音楽活動は常に権力との闘いであり、その人生としてはけっして楽しいものではなかったはずです。
 ただし、彼の歌はカバーされて多くの人に聞かれています。キングストン・トリオやマレーネ・ディートリッヒら多くのアーティストにカバーされている「花はどこへ行った?」やバーズやジュディ・コリンズがカバーした「ターン・ターン・ターン」、ピーター・ポール&マリーの「ハンマーをもったら」など数多くのヒット曲もありますから、彼にはヒット曲を生み出す才能はあったもののその気がなかったというのが正確なところなのかもしれません。(彼は著作権についても無頓着だったことが知られています)
 しかし、彼はそうしたプロテスト・フォークの闘士としての人生以外にも、前述のフォーク・ソング研究家としての人生、そしてもうひとつ子供たちに向けた伝統的民謡の収集家、歌い手としての人生、ピート・シーガー・モデルまで生むことになった優れたバンジョー・プレイヤーとしての人生など、いくつもの生き方をもっていました。
 特に、子供たちに向けて彼が歌っていた民謡をきくと彼の歌声はまるで別人のように優しく楽しげに聞こえます。闘い続けた彼の人生において、そうした安らぎとなる歌もまたあったのだと知ると、こちらまで心が休まるような気がします。
 戦争、赤狩り、人種差別など、数多くの問題が渦巻いていた20世紀前半のアメリカ。その状況をリアルタイムで語るために生まれたプロテスト・フォークは、その後、彼の後を継ぐことになるボブ・ディランによって、より高い音楽性、芸術性獲得することになります。

<最後に>
 このページにいろいろと情報を提供してくださった太田さんありがとうございました。

その太田さんからの情報を最後に
 2009年1月のオバマ大統領就任記念の"We are One"コンサートには89歳のピート・シーガーがステージに上がり、ガスリーの"This land is your land"を歌いました。(正確に言えば、オバマを含む観客全員に歌わせました。)しかも、最後から2番目でした。(トリはビヨンセの"America the Beautiful"。)
 20世紀から21世紀へとアメリカの民主主義を支えるアーティスト、ピート・シーガーに最敬礼です!

<1941年の出来事>
真珠湾攻撃から太平洋戦争始まる
対独抵抗国民戦線結成、ロンドンにド=ゴールの亡命政府誕生(仏)
ドイツ軍がオデッサを占領、モスクワへの進撃開始
トルコ・ドイツ友好条約調印
ドイツのナンバー3、ルドルフ・ヘスがイギリスへ和平交渉に行き逮捕される(精神に異常をきたしていた)
ヴェトナム独立闘争民主戦線(ヴェトミン)創立
中ソ中立条約成立

東条英機内閣成立、国民学校令発令
ゾルゲ事件
関門トンネル開通

<音楽>
「Sod Buster Ballads」オルマナック・シンガーズ(本文参照)
「ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン」 Charley Christian
「A列車で行こう」デューク・エリントン
「シカゴ・ブレイク・ダウン」ビッグ・メイシオ
「ウォーキング・ザ・フロア・オーヴァー・ユー」アーネスト・タブ(カントリー)

<映画>
「偽りの花園」〈監)ウィリアム・ワイラー〈原)(脚)リリアン・ヘルマン〈出)ベティ・デイヴィス、テレサ・ライト
「ジキル博士とハイド氏」〈監)ヴィクター・フレミング(原)ロバート・スティーブンソン(出)スペンサー・トレイシー、イングリッド・バーグマン
「市民ケーン」(監)(出)オーソン・ウェルズ
「わが谷は緑りなりき」(監)ジョン・フォード(出)ジョン・ウェイン、ドナルド・クリスプ(アカデミー作品、監督、助演男優賞
「ヨーク軍曹」(監)ハワード・ホークス(出)ゲイリー・クーパー(アカデミー主演男優賞
「断崖」(監)アルフレッド・ヒッチコック(出)ジョーン・フォンティン、ケーリー・グラント(アカデミー主演女優賞
「偉大な嘘」(監)エドマンド・グールディング(出)ジョージ・ブレント、メアリー・アスター(アカデミー助演女優賞
「マルタの鷹」(監)ジョン・ヒューストン(出)ハンフリー・ボガート(フィルム・ノワールの先駆的作品)
「幽霊紐育を歩く」(監)アレクサンダー・ホール(原)ハリー・シーガル(出)ロバート・モンゴメリー、クロード・レインズ
「ダンボ」〈アニメ版)〈監)ベン・シャープスティーン

「戸田家の兄妹」〈監)小津安二郎(原)〈脚)池田忠雄〈出)藤野秀夫、葛城文子
「馬」〈監)〈脚)山本嘉次郎〈出)藤原鶏太、竹久千恵子
「みかえりの塔」〈監)〈脚)清水宏(出)笠智衆、日守新一
敵性国家の映画上映禁止となる

<文学、思想>
「知恵子抄」高村光太郎


<時代を変えた発明、モノ>
テレビの商業放送開始(米)
ジープ誕生(米)
レスポールが「エレキ・ギター」を開発

<1941年の物故者>
アンリ・ベルグソン(思想家)
ジェームス・ジョイス(小説家、詩人)
ヴァージニア・ウルフ(評論家、詩人)
ルー・ゲーリック(プロ野球選手)
ラヴィンドラナート・タゴール(詩人)
モーリス・ルブラン(小説家、ルパン・シリーズ)
南方熊楠(民俗学者、博物学者)

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