1943年

- ナット・キング・コール Nat "King" Cole -

<素晴らしき声の持ち主>
 「声」こそは最高の楽器です。だからこそ「良い声」をもつ歌手は永遠不滅の存在になりうるのです。パッと思い浮かぶのは、ロック界のエルヴィス・コステロ、カナダのフォーク・シンガー、ゴードン・ライトフットにカントリー界ならウェロン・ジェニングス、それからソウルのルー・ロウルズにトレーシー・チャップマン、ジャズ界ではカサンドラ・ウィルソン、シャンソンのエディット・ピアフなどなど、この人たちならどんな曲を歌っても名曲に聞こえてしまうかもしれません。
 そうした素晴らしい声の持ち主の中でも、その人格や風貌も含めて、すべての人々に愛されたアメリカのポップス界を代表するアーティスト。そのひとりとしてナット”キング”コールを挙げることができます。そして、そんな人種を超えたアイドルでもある彼のデビューがこの年1943年のことです。実は意外なことに彼はデビュー当時、歌手ではありませんでした。彼はピアノ・ジャズ・トリオのピアニスト兼リーダーとして音楽活動のスタートを切っていたのでした。
 彼はジャズ・ピアニストとしても高い評価を得ており、もし歌を歌いだしていなければ、もしくはあんなにも素晴らしい声を持っていなければ、ジャズ・ピアニストとして一流となり後にマイルス・デイヴィスと共演し、モダン・ジャズを代表するピアニストとしてバド・パウエルなどの天才たちと並び称されていたかもしれない、そうもいわれています。
 しかし、運命は彼をもう一つの道へと進ませることになります。それは彼が誰にもマネできない素晴らしい声の持ち主だったからかもしれません。そして、それは彼にとって幸福な道だったのでしょう。なぜなら彼はその道を歩んだことで、世界中の人々に愛されることになったからです。その声と同じ、もしくはそれ以上に優しい心の持ち主だったといわれる「心優しきキング」の人生と彼が生きたこの時代をのぞいてみたいと思います。

<ナサニエル・コールズ>
 彼は1919年3月17日、アラバマ州のモントゴメリーに生まれました。(後にモントゴメリー・バス・ボイコット事件で有名になる街です)本名は、ナサニエル・アダムズ・コールズといい、父親はバプテスト派の牧師でした。4歳の時に家族とともにシカゴに引越した彼は、教会の聖歌隊で活躍していた母親からピアノを習い、12歳の時には教会のオルガニストをつとめるようになっていました。しかし、彼が好きな音楽は讃美歌でもゴスペルでもなくジャズだったようで、ルイ・アームストロングやキング・オリヴァーに憧れ、地元シカゴで本場のジャズを学んだ彼は、高校時代に早くも14人編成のバンドを組んでダンス・パーティーで演奏してはお金を稼ぐようになっていました。ただこの頃はまだ歌を歌うのではなく、ピアノと指揮を担当していました。高校卒業後、彼は黒人のレビュー「シャッフル・アロング」を上演する劇団に楽団の指揮者として参加。アメリカ各地で公演を行う旅に出ました。ところがこの旅の途中、彼の運命を大きく変える事件が起きました。公演をしながらの旅の途中、劇団員の一人が公演ツアーに必要な資金を持ち逃げしてしまったのです。地元を遥かに離れた西海岸で運営資金を失ってしまった劇団はその場で解散せざるを得なくなり、彼は仕方なく仲間を集めて、ジャズ・カルテットを編成しナイトクラブで演奏することになりました。ところが、せっかくつかんだクラブでの演奏当日、ドラムを演奏するはずのメンバーが本番当日になって現れず、しかたなく彼らはドラムレスのトリオで演奏することになりました。一般的にドラムレスのトリオは静かなバーで演奏するのが基本で、賑やかなナイトクラブではドラムが刻むリズムがないと騒ぎ声にかき消されてしまいがちです。彼のバンドは、またもや危機に見舞われてしまったのです。
 しかし、その危機も彼は切り抜けます。それは彼のピアノがシカゴで鍛えられてたからでした。ブギ・ウギ・ピアノの本場シカゴでピアノを学んだ彼は、ブギ・ウギ・ピアノ独特の奏法であるストライド・ピアノをマスターしていたため、片手で力強いリズムをたたき出すと同時に美しい旋律を奏でることができたのです。それならナイトクラブの喧騒の中でも十分に音楽は観客に届き、かえってその力強さと美しさが観客をひきつけることになりました。こうして、彼はジャズ・ピアニストとしての地位を確立。この年、彼のトリオはキャピトル・レコードから彼のオリジナル曲「ストレート・アップ・アンド・フライ・ライト」を発表。当時のピアノ・トリオとしては珍しい成功例となりました。もしそのまま行けば、彼は一流のピアニストもしくはバンドリーダーとして活躍していたかもしれません。しかし、運命は再び彼にいたずらを仕掛けます。

<ヴォーカリストとしての活躍>
 ある日、彼のトリオがナイトクラブで「スウィート・ロレイン」という曲を演奏していた時、酔っ払った客の一人が彼に、歌も歌ってくれと半ば脅すように言いました。マイルス・デイヴィスなら、そんな時、客を睨みつけてステージを降りたかもしれません。しかし、ナット”キング”コールという人物はあまりに心優しく、人に反抗的な態度をとることができない人物でした。そのため彼は、要求されたとおりにピアノを弾きながら歌いだしました。すると観客は大喜びし、その時の観客の反応に気を良くした彼は、以降自ら歌を歌うようになったのです。この逸話は確かかどうかわかりません。しかし、彼の性格を考えると十分ありえることです。
 彼はこうして大スターになった後も、雇い主や宿泊先のホテルなどで差別されたり、ステージ上で観客にヤジられたりしました。しかし、一度としてそんな差別的な対応に彼は反抗的な態度をとることはなかったといいます。そんな彼の性格を表わす逸話として、「キング」の愛称がついた時の話があります。
 ある夜、やはり彼がナイトクラブで演奏していた時、客の一人がナイトクラブの飾りつけをはずして、彼のために王冠をつくってかぶせたのがきっかけだったというのです。これは彼がバカにされて、かぶせられたのか?(イエス・キリストの茨の冠のように)本当に敬意を表されたものなのか?それははっきりしません。しかし、これもまたマイルスなら、王冠を投げ飛ばし、かぶせた相手を殴っていたかもしれません。ところが、彼は素直にそうした評価を受け入れ、そしてそれを自分にとって良い方向へと生かして言ったのでした。彼は単にバカ正直だったのか?それともしたたかな計算をしていたのか?それはもちろん謎のままです。

<アンクル・トムと呼ばれて>
 しかし、こうした彼の態度は逆に黒人たちの間での評判を悪くし、ジャズ界からポップス界へとフィールドを移したことで、さらに軟弱者の汚名を着せられることにもなりました。それは同じように、優秀なジャズ・トランペッターからヴォーカリストへと転向したルイ・アームストロングの立場に似ているかもしれません。しかし、彼には養わなければならない妻と5人の子供たちがいました。(その子供たちの中の一人が、後に彼と時を越えて「アンフォゲッタブル」でデュエットすることになるナタリー・コールです)たぶん彼にとっては選択の余地などなかったのでしょう。
 そのうえこの時代、人種問題に関する闘いは一時的とはいえ棚上げ状態になっていました。それは世界中が反ファシズムという目標の前で一時的に平等な立場になっていたからです。人種差別が再び大きな問題として取り上げられるようになるのは、1950年代になってからになります。

<ポップ・スターとしての黄金時代>
 その後、彼は50年代から60年代にかけて「トゥー・ヤング」、「モナ・リザ」、「アンフォゲッタブル」などのヒットを次々に飛ばし、10本以上の映画にも出演。人種の壁を越えたアメリカン・ヒーローの一人となります。
 ただし、彼がテレビの音楽番組で大人気をとった時も、高い視聴率にも関わらず、彼が黒人であるということで番組のスポンサーがまったく現れず、結局打ち切りになったこともありました。どんなに人気者になっても、彼は人種の壁を越えることはできなかったわけです。それでも、彼の歌には優しさがあふれていました。そこに差別の心などはなく、誰にでも愛をわけ与える優しさがあったのです。だからこそ、彼が歌う「モナ・リザ」は永遠に微笑み続けるのではないでしょうか。
 ダヴィンチの「モナ・リザ」が見飽きることがないように、ナット・キング・コールの「モナ・リザ」もまた聞き飽きることはないでしょう。

<1943年の出来事>
カイロ会議(米、英、中による)
テヘラン会議(米、英、ソ連による)
カサブランカ会議(米、英)
鉄道のゼネストが行われる(米)
英国空軍によるベルリン大空襲
北アフリカ戦線が独伊の敗北で集結、イタリア軍降伏
スターリングラードの戦闘でドイツ軍敗北
ユーゴスラヴィアの国民解放委員会が臨時政府を樹立(チトーらによる)
山本五十六戦死、アッツ島守備隊が全滅、米軍サイパンに上陸
東京都と東京府が一本化し東京都誕生

<音楽>
「You'd Be So Nice To Come Home To」コール・ポーター
ミュージカル「オクラホマ!」
「ドゥース・フランス」シャルル・トレネ
「クレド・イン・アス」ジョン・ケージ

<映画>
「カサブランカ(公開は1942年)(監)マイケル・カーティス(出)ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン(アカデミー作品賞、監督賞
「オペラの怪人」(監)アーサー・ルービン(原)ガストン・ルルー(出)クロード・レインズ、ネルソン・エディ
「キュリー夫人」(監)マーヴィン・ルロイ(原)イーブ・キュリー(出)グリア・ガーソン、ウォルター・ピジョン
「聖処女」(監)ヘンリー・ジョーンズ(出)ジェニファー・ジョーンズ(アカデミー主演女優賞
「誰が為に鐘は鳴る」(監)サム・ウッド(出)ゲーリー・クーパー、イングリッド・バーグマン(カティーナ・パクシヌーがアカデミー助演女優賞
「町の人気者」〈監)〈製)クラレンス・ブラウン〈原)ウィリアム・サロイヤン〈出)ミッキー・ルーニー、ドナ・リード
「密告」(監)アンリ=ジョルジュ・クルーゾー(脚)H・G・クルーゾー、L・シャーバンス(出)ピエール・フレネー、ジネット・ルクレール
「肉体と幻想」(監)(製)ジュリアン・デュヴィヴィエ(原)オスカー・ワイルド(出)シャルル・ボワイエ、バーバラ・スタンウィック
「ラインの監視」(監)ハーマン・シュムリン(出)ポール・ルーカス(アカデミー主演男優賞

「キャビン・イン・ザ・スカイ」「ストーミー・ウェザー」(ハリウッド製オールキャスト黒人による映画)

「姿三四郎」(監)黒澤明(出)藤田進、大河内伝次郎

<文学、思想>
「存在と無」ジャン・ポール・サルトル
「尼僧ヨアンナ」ヤロスラフ・イヴァシュキェヴィッチ(ポーランド)
「星の王子さま」サン=テグジュペリ


<絵画>
「アッツ島玉砕」藤田嗣治

<時代を変えた発明、モノ>
フランスのジャック・イブ・クストーがアクアラングを発明

<1943年の物故者>
セルゲイ・ラフマニノフ(作曲家、ピアニスト)
ダフィット・ヒルベルト(数学者)
ドン・アスピス(楽団リーダー)
ニコラ・テスラ(電気技師、発明家)
島崎藤村(詩人、小説家)

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