1944年

- ルイ・ジョーダン Louis Jordan -

<ジャズからロックン・ロールへ>
 1944年、ルイ・ジョーダンの代表曲のひとつ「G・I・ジャイブ」が彼にとって初のポップ・チャートNo.1に輝きました。ジャンプ・ブルースとも呼ばれる彼の音楽は、ジャズからロックン・ロール、R&Bへの過渡期の音楽ともいわれています。しかし、そうした中途半端な位置づけがされるせいか、彼の音楽は以前からあまり省みられずにいました。このサイトの中でもよく登場する過渡期の音楽は往々にして評価されないものですが、実際は非常に魅力的な場合が多いものです。そして、彼の音楽もやはり他のアーティストにはない魅力にあふれ、古臭さを未だに感じさせません。その音楽はワン&オンリーのものかもしれません。といっても、すべての音楽はその音楽スタイルに至るまでの長い道のりがあります。彼の音楽スタイルもまたその例外ではないはずです。そこで、ルイ・ジョーダンのジャンプ・ブルースが生まれた背景を追いながら、ジャズ、ブルース、ロックン・ロール、R&Bが共存していた混沌の時代1940年代をのぞいて見たいと思います。(その時代は第二次世界大戦とも重なっています)

<ミュージシャンの家庭に生まれて>
 ルイ・ジョーダンは1908年7月8日、アーカンソー州ブリンクリーで生まれました。有名な州都リトル・ロックとメンフィスの中間にある街です。父親はブラス・バンドのメンバーとして活躍しており、ミンストレル・ショーなどの仕事にも参加するプロのミュージシャンでした。
 彼が8歳の時、ブラス・バンドのトロンボーン奏者がいなくなり、そのため彼がその穴埋めをすることになりました。その後、彼は父親からの厳しい教えの元でしっかりと音楽と楽器について学び、高校卒業後は父親とともにミンストレル・ショウの楽団に参加。早くもプロのミュージシャンとして活動し始めました。1932年に父親の元を離れた彼は、ミュージシャンとしての成功を求めてフィラデルフィアへと旅立ち、そこで活動していたチャーリー・ゲインズ楽団に入りました。ゲインズとコンビを組んだ彼は、その後1934年にニューヨークへと進出し、ピアニストのクラレンス・ウィリアムズを加えて3人で初のレコードを録音しました。曲のタイトルは「おばさん僕のパンツに入っちゃって、僕は踊れない」(なんですか、このタイトル!?)
 その後一時期チャック・ウェッブ楽団に在籍した後、いよいよ彼は自らのバンド、ティンパニ・ファイヴを立ち上げました。ティンパニ・ファイヴの初録音は1939年で、バンド結成当初は、メンバーが5人で実際にティンパニが入っていて、ジョーダンのクラリネットとピアノ、トランペット、ベース、ティンパニという編成でした。その後、バンドにはドラムスやエレキギターも加わり、ビッグ・バンドまではゆかないスモール・コンボとして、活動を続けてゆきます。そして、1944年彼にとって初のポップ・チャートNo.1ヒットが出たわけです。

<ジャンプ・ブルース>
 彼の音楽スタイルを「ジャンプ・ブルース」と呼ぶことがありますが、それはいったいどんな音楽なのでしょうか?当時のポピュラー音楽の歴史を振り返りながら説明して見たいとおもいます。
 彼が活躍し始めた1930年代半ばは、ベニー・グッドマンらの白人ジャズ・ミュージシャンによって起こされたスウィング・ジャズ・ブームと重なっています。それに対し、黒人のジャズ・ミュージシャンたちは、不況の影響を受けずにいたカンザス・シティーを中心にジャンプ・ミュージックともいわれる独自のジャズを築き上げようとしていました。(その中心となっていたのは、カウント・ベイシーやジェイ・マクシャンの楽団でした)
 さらに1938年ジャズ人気を盛り上げるために大活躍していた白人のジャズ評論家ジョン・ハモンドが開催した「フロム・スピリチュアル・トゥ・スウィング」というコンサートで紹介された3人のブギ・ウギ・ピアニスト、アルバート・アモンド、ピート・ジョンスン、ミード・ルクス・ルイスがブギ・ウギのブームを巻き起こしていました。
 大不況の時代をかろうじて乗り越えつつあったアメリカは再びエネルギーに満ち溢れつつあり、音楽もまた楽しくウキウキするものが求められるようになってきたのです。
 こうして、ビッグ・バンド・ジャズもまたスウィング・ジャズからさらにパワー・アップする必要が生じ、その中心として「ホンカー」と呼ばれるパワフルに吹きまくるサックス奏者が登場し始めます。(その代表格が「フライング・ホーム」を大ヒットさせたライオネル・ハンプトン楽団とサックス奏者のイリノイ・ジャケーでした)そうなると、バンド内ではパワフルなサックスに負けないヴォーカルが求められるようになり、今までとは異なるシャウトを売りにするヴォーカリスト「シャウター」が登場することになります。そんな中から後にロックン・ロール初期のアーティストとして活躍することになるビッグ・ジョー・ターナーなどが現れることになりました。

<ルイ・ジョーダン・スタイル>
 そんな音楽状況のもとでヴォーカリストであり、サックス奏者でもあるルイ・ジョーダンは、ジャンプ・バンドの要素とブルースの要素を組み合わせ、さらにそこに都会に住む若者たちのライフ・スタイルから生まれた粋でユーモアにあふれた歌詞をのせることで一躍人気バンドへとなっていったのです。(こうした新しい歌詞のスタイルは、この後チャック・ベリーへと受け継がれ、時代を表現する新しい媒体としてロックン・ロールが若者たちに受け入れられてゆくことになります)こうして彼が次々にヒットさせた曲は、「カレドニア」(1945年)「レット・ザ・グッドタイム・ロール」(この曲は映画「ブルース・ブラザース」でジェイクが出所後に弟の部屋でかけたレコードです)「チューチューチ・ブギ」(1946年)「サタデイ・ナイト・フィッシュ・フライ」(1949年)

<下り坂の時代へ>
 しかし、彼の人気は50年代に入ると下り坂になってゆきます。元々オリジナルの曲が少なく、年齢的にも40代に入っていた彼がエルヴィス・プレスリーやチャック・ベリー、リトル・リチャードのような若者たちにロックン・ロールのフィールドで太刀打ちできるわけはなかったのです。60年代に入ると彼の活躍の場はすでにアメリカにはなく、フランスやドイツなどでの海外公演が主になってゆきました。多くのジャズ・ミュージシャンやブルースマンがそうだったようにアメリカという国は古き良き音楽を理解せず、その存在を忘れ去るのが常のようです。
 1975年2月5日に彼は66歳で心臓発作によりこの世を去りましたが、その時、彼の存在はすでに過去のものになっており、新聞にもほんの小さな記事が載っただけだったといいます。

<復活と永遠の命>
 1990年代、突然彼の名前が蘇ることになりました。彼の音楽をもとに作られたミュージカル「モーという名の5人の男」がロンドンで大ヒットし、それがアメリカに渡りブロードウェイでも公演され大ヒットしたのです。(残念ながら、その発信源もまたアメリカではなくイギリスでしたが・・・)ジャズからロックン・ロールへのジャンプを成し遂げたルイ・ジョーダンは、進化の歴史でいう「失われた環(ミッシング・リンク)」だったとも考えられます。しかし、けっしてその音楽は「過去の音」ではなく、今聴いても十分に楽しくカッコいいものです。彼の過去の録音は再発されて発売されていますので、是非お聞きになって見てください!
 考えて見ると、歴史的に価値のあるクラシックの名曲にはもっともっと古くても未だにポップなものがあるのですから、良い音楽が永遠の命をもつことはそれほど不思議なことではありません。彼の音楽もそうした貴重な音楽のひとつにきっとなるのでしょう。

<1944年出来事>
連合国軍ノルマンディーに上陸、パリ解放の後ローマを解放
ブルガリア、アルバニアで共産政権誕生
ドイツがロンドンをV2ロケットで攻撃
シリア共和国成立
レイテ島で神風特別攻撃隊が初出撃
静岡県で東南海地震発生、軍需工場なども大きな被害を受け終戦が早まる原因となる
「中央公論」、「改造」編集者が検挙され言論弾圧が進む

<音楽>
「I Wonder 」セシル・ギャント(R&Bの先駆となった曲)
「メトロポリタン・オペラハウス・ジャム・セッション」(L・アームストロング、ベニー・グッドマン、アート・テイタム、コールマン・ホーキンス、ライオネル・ハンプトン)
「G・Iジャイブ」ルイ・ジョーダン
「Try me once more time」「Soldier's last letter」アーネスト・タブ
「ラム&コーラ」アンドリュース・シスターズ

<映画>
「王国の鍵」(監)ジョン・M・スタール(製)ジョセフ・L・マンキウィッツ(出)グレゴリー・ペック、トーマス・ミッチェル
「ジェーン・エア」(監)ロバート・スティーブンソン(製)ウィリアム・ゲッツ(出)オーソン・ウェルズ、ジェーン・フォンティン
「深夜の告白」(監)(脚)ビリー・ワイルダー(脚)レイモンド・チャンドラー(出)フレッド・マクマレイ、バーバラ・スタンウィック、エドワード・G・ロビンソン
「我が道を往く」(監)レオ・マッケリー(出)ビング・クロスビー、バリー・フィッツジェラルド(アカデミー作品、監督、主演、助演男優賞
「ガス燈」(監)ジョージ・キューカー(出)シャルル・ボワイエ、イングリッド・バーグマン(アカデミー主演女優賞
「世紀の女王」(監)ジョージ・シドニー(出)エスター・フィリップス(驚きの水中ミュージカル超大作)
「百万人の音楽」(監)ヘンリー・コスター(原)(脚本)マイルス・コノリー(出)マーガレット・オブイエン
「若草の頃」(監)ヴィンセント・ミネリ(製)アーサー・フリード(出)ジュディ・ガーランド、マーガレット・オブライエン

<文学、思想など>
「伝奇集 Ficiones」ホルヘ・ルイス・ボルヘス(アルゼンチン)
「ゲームの理論」フォン・ノイマン、オスカー・モルゲンシュテルン


<美術>
「眠れるヴィーナス」ポール・デルヴォー(ベルギー)

<時代を変えたモノ、発明>
ボーイング社の大型爆撃機B29完成(米)
キャブ・キャロウェイズ・ヘップスターズ・ディクショナリー」(アメリカ黒人英語現代語辞典)

<1944年の物故者>
アーサー・エディントン(物理学、天文学者)
アスマハーン(エジプトの大歌手、女優)
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(作家)
イヴェット・ギルベール(仏の歌手)
エドヴァルド・ムンク(画家)
グレン・ミラー(ジャズ)
ピエト・モンドリアン(画家)
リヒャルト・ゾルゲ(記者、ソヴィエトの秘密情報員)
ロマン・ロラン(仏の作家)
ワシーリー・カンディンスキー(画家)
沢村栄治(プロ野球選手)

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