
- 人種融合音楽の先駆けとなった偉大なライター・コンビ
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ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー
Jerry Leiber & Mike Stoller
<ロックン・ロール黄金時代の始まり>
1956年、前の年に「ザッツ・オール・ライト
That's All Right」でデビューしたエルヴィス・プレスリーは、「ハート・ブレイク・ホテル」「ラブ・ミー・テンダー」そして、この曲「ハウンド・ドッグ
Hound Dog」を発表。あっという間に全米ナンバー1の人気者になります。彼の登場によりロックン・ロールはポップスの主流となり、それまでロックン・ロールに対して否定的だった保守的なレコード会社のお偉方やテレビ、ラジオ局など音楽業界関係者たちも考え方を変え始めます。ロックン・ロールが「金になる白人音楽の一ジャンル」になりつつあることに気づき始めたのです。こうして、ロックン・ロールにとっての黄金時代が始まりました。しかしそれは同時に、レコード業界の仕掛けによる白人アイドル・ミュージシャンによるR&Bポップス化時代の始まりでもありました。
<白黒混合時代の先駆け>
エルヴィスの大ヒット曲「ハウンド・ドッグ」も、もとはと言えばエルヴィスのオリジナル曲ではありません。それは多くのロックン・ロール・ナンバーと同様、黒人アーティストのカバー曲です。それは、アレサ・フランクリンのような巨体と男まさりの貫禄の持ち主である女性R&B歌手ビッグ・ママ・ソーントンの持ち歌でした。しかし、世の中とは不思議なものです。実はこの曲を彼女のために作ったのは、白人の作詞、作曲家コンビだったのです。白人が作ったR&Bナンバーを黒人が歌ってヒットさせ、さらにそれを白人歌手が歌ってロックン・ロール・ナンバーとして大ヒットさせる。ロックン・ロールの黄金時代は、こうした白人、黒人、時にはチカーノなど、異人種間の絶妙なバランスのもとに生み出されたものなのです。もしかするとそのブームは、あまりに微妙なバランスの上に成り立っていたために長続きしなかったのかもしれません。
リーバー&ストーラーとして有名なユダヤ人(白人)のソング・ライター・チームは、こうした音楽業界における人種融合の幕開けを代表する重要な存在です。
<ジェリー・リーバー>
コンビのうちの一人、ジェリー・リーバー
Jerry Leiberは、俗に「ホワイト・ニグロ」呼ばれる若者たちの先駆け的存在です。5歳の時に夫を失った彼の母親は、ボルチモア(アメリカ東部メリーランド州)の黒人居住区近くで食料品店を始めました。子供の頃から配達を手伝っていた彼は、ごく自然に黒人の家庭にも出入りするようになり、当たり前のように黒人音楽を聴いて育ちました。その後1945年に家族はロスへ引っ越します。そこでレコード店に勤めた彼は再びR&Bやブルースと出会い、しだいに黒人音楽特有の詞の世界にもひかれるようになり、それをマネて作詞の勉強をするようになります。
<マイク・ストーラー>
もう一人のマイク・ストーラー Mike Stollerもまた、東海岸のロングアイランドで育ち、黒人文化の中心地ハーレムで黒人のピアニストから直接ストライド・ピアノのレッスンを受けるなど、筋金入りの黒人音楽育ちでした。
しかし、その後彼は家族と共に西海岸に移住してから、クラシックや映画音楽の仕事を目標とするようになります。こうして、彼はロスアンゼルス大学でクラシック音楽を学びながらサンタモニカ・オーケストラの作曲家として仕事をするようになりました。とはいえ、それは彼にとってあくまで現実的な選択であり、心のどこかにもうひとつ別の選択肢が残されていました。
<二人の出会いとコンビ誕生>
マイクの心にあった秘かな熱い思いに火をつけたのは、ジェリー・リーバーでした。友達の紹介で出会ったマイクにジェリーが自分の作った詞を見せると、ブルースの影響を強く受けた詞にマイクは感動し、さっそく自分もそれにあわせた曲を作り始めました。こうして、数多くの名曲を生み出すことになるコンビが誕生したのです。
当初は歌に自身があったジェリーが自ら歌うことを考えていましたが、昔から本物の黒人音楽を聴いてきた彼らにとって、それはあまりに不遜な行為でした。結局二人は、ソングライティング・チームとして活動することになります。
1951年、ロスのレーベル、モダンのヴォーカル・グループ、ロビンズに"That's
What the Good Books Says" を提供。それが見事にヒットして、彼らはその名を業界で知られるようになります。そして、彼らは当時時代を先取りする存在として伸び盛りにあったアトランティック・レーベルのオーナー、アーティガン兄弟に声をかけられ、その後はビッグ・ママ・ソーントンやレイ・チャールズ、ジョー・ターナー、ルース・ブラウンらのアトランティック系ミュージシャンに曲を提供するようになります。こうして、彼らはアトランティックのR&B黄金時代を、影で支える存在として活躍することになるのです。
<ブルー・アイド・ソウル・ライターたち>
二人の活躍以後、白人の優れたR&Bのライターが次々と登場します。ライチャス・ブラザースの「ふられた気持ち
You've Lost That Lovin' Feelin'」(1965年)を作曲したバリー・マン
Barry Mann。リトル・エヴァの大ヒット曲「ロコ・モーション
The Loco Motion」(1962年)を作ったキャロル・キング&ジェリー・ゴフィン Carole King & Gerry Goffin。5th Dimentionらに曲を提供し、後にソロとしても活躍したローラ・ニーロLaura Nyro。ディオンヌ・ワーウィックを育てたバート・バカラック。それに二人の高校の後輩であり、直接の弟子でもあった「ウォール・オブ・サウンド」の創始者フィル・スペクター Phil Spector。彼らが確立した道を通って数多くのソング・ライターが誕生し、その多くがシンガーとしても活躍するようになりました。
<リーバー&ストーラーを越えた男>
白人である彼らがパフォーマーとして表現することは難しすぎる、とあきらめた自分たちの「黒い世界」、それを彼らに変わって見事に歌いこなす力を持った白人。それがエルヴィス・プレスリーでした。
リーバー&ストーラーのようにかなり黒い世界で育った人間ですら不可能だったことを、メンフィスという南部の田舎育ちの白人青年がいとも簡単に成し遂げてしまったのです。それは南部という土地が、人種問題に進歩的に思える北部よりも、かえって白人と黒人の融合が進んでいたせいかもしれません。メンフィスという黒人の街が黒人音楽好きの少年を迎え入れる懐の深さをもっていたせいもあるのかもしれません。
こうして、エルヴィスの登場により、黒人音楽はポピュラー音楽の枠を越えた新しい文化として、白人の若者たちへと広がって行くことになるのです。いよいよ時代は変わりつつありました。

" Be-Bop-A-Lula " ジーン・ビンセント
Gene Vincent
" Blueberry Hill " ファッツ・ドミノ Fats Domino
" ブルー・スウェード・シューズ Blue
Swade Shoes " カール・パーキンス Carl
Perkins
" Blue Swade Shoes " Elvis Presly(カバー)
" Brown Eyed Handsome Man " チャック・ベリー Chuck Berry
" ダイアナ Diana " ポール・アンカ
Paul Anka
" Folsom Prison Blues " ジョニー・キャッシュ Johnny Cash
" ハウンド・ドッグ Hound Dog " エルヴィス・プレスリー Elvis Presly
" In the Still of the Night " The
Five Satins
" I Put a Spell on You " Screamin'
Jay Hawkins
" I Walk The Line " Johnny Cash
" Jim Dandy " Lavern Baker
" のっぽのサリー Long Tall Sally "
" Lip It Up " リトル・リチャード Little Richard
" Love Me Tender " エルヴィス・プレスリー
" Please Please Please " ジェームス・ブラウン James Brown
" Roll Over Beethoven " チャック・ベリー Chuck Berry
" Smoke Stack Lightning" ハウリン・ウルフ Howlin'
Wolf
" トゥッティ・フルッティー Tutti-Frutti
" リトル・リチャード Liittle Richard
" Why Do Fools Fall In Love " Frankie
Lymon and the Teenagers
" Rock Island Line " ロニー・ドネガン
Lonnie Donegan (英スキッフル・ブームの火付け役)
<アメリカの年間トップ10>
(1)「Don't Be Cruel」 エルヴィス・プレスリー Elvis Presly
(2)「Great Pretender」プラターズ
(3)「My Player」プラターズ
(4)「ウェイウォード・ウィンド」ゴージ・グラント
(5)「ケセラセラ」ドリス・デイ
(6)「ハートブレイク・ホテルHeartbreak Hotel」エルヴィス・プレスリー Elvis Presly
(7)「カナディアン・サンセット Canadian Sunset」ユーゴー・ウィンターハルター
(9)「ムーングロウ&シーム」モーリス・ストロフ(映画「ピクニック」より)
(10)「ホンキ―・トンク」ビル・ダジェット
チャールズ・ベックマン「アメリカン・ポップス」より
<ジャズ>
" Brilliant Corners " セロニアス・モンク Thelonious Monk
" Cookin' " " Relaxin' "
" Workin' " マイルス・デイヴィス Miles Davis
" My Fair Lady " Shelly Manne &
His Friends
" 直立猿人 Pithecanthropus Erectus "
チャーリー・ミンガス Charlie Mingus
(人種差別に対する抗議の意志をこめた作品)
" サキソフォン・コロッサス Saxophone
Colossus " ソニー・ロリンズ Sonny Rollins
" 私の考えるジャズ This Is How I Feel
about Jazz " Quincy Jones
" Zoot " ズート・シムズ Zoot Sims

「あの娘が泣いてる波止場」三橋美智也
国際原子力機関成立
アラバマ大学に黒人学生ルーシーが入学
バスの人種差別に対して違憲判決が言い渡される
スエズ動乱
(エジプトによるスエズ運河の国有化宣言、イスラエル軍のエジプト侵入)
ハンガリー動乱
(反ソ運動に対するソ連軍侵攻、ブタペストの惨劇)
ポーランドで政変(ブムルカの10月革命)
モロッコ、チュニジア独立
パキスタン・イスラム共和国成立(イスカンダル・ミルザ大統領)
フランス軍、南ヴェトナムから撤退
<日本>
日本国連に加盟
日ソ共同宣言(日ソ国交回復)
<芸術、文化、商品関連>
ドライブスルーなどハイウェイ文化が発達(アメリカ)
オスカー・ニーマイヤーらのデザインによるブラジリア建設開始
石原慎太朗の小説「太陽の季節」大ヒット
彼は太陽族と呼ばれた自分たちの世代について「価値紊乱の光栄」(価値を破壊する者と呼ばれることを光栄と思う世代」と言った。皮肉なことに、政治家となった彼は日本の平和主義という重要な価値を破壊する者となった。

<音楽関連(海外)>
「ブランデンブルク変奏曲」でグレン・グールドがアルバム・デビュー
ミュージカル「マイ・フェア・レディ」のアルバムが大ヒット
マイティ・スパローがカリプソ・キングになる(トリニダード・トバゴ)
フランコが自らのバンド、OKジャズを結成(ザイール)
ハリー・ベラフォンテにより、アメリカからカリプソ・ブームが世界へ
(シングル「バナナ・ボート」、アルバム「カリプソ」が大ヒット)
エジプトの国民的歌手ウンム・クルスーム Umm
Kulthumの「愛しき我が武器よ」が新国歌となる
<音楽関連(国内)>
ペレス・プラード楽団来日(マンボ・ブーム日本にも)
民謡調の歌謡曲「あの娘が泣いてる波止場」「リンゴ村から」「哀愁列車」で故郷への思いを歌った三橋美智也が大ブレイク
<映画>
<1956年という年> 橋本治著「二十世紀」より
1956年は「もはや戦後ではない」という言葉が、経済白書に登場した年です。前年には55年体制と呼ばれる自民党、社会党2大政党による政治体制が始まっています。そして、1956年その自民党の初代総裁に鳩山一郎が選ばれました。
「・・・しかしところで、1946年に公職追放にあった鳩山一郎とは、どんな政治家だったのか?・・・1930年、政友会の議員として、政府が調印した海軍軍縮条約に反対した。その理由は、『国防計画とは天皇の統帥権に属するものなのだから、政府が軍縮などやってはいかん』ということである。とても政党政治家の発言とは思えない。1933年の「滝川事件」では、京都大学の刑法教授、滝川幸辰の罷免を要求し、大学の自治を踏みにじった文部大臣が彼だった。そういう人だから、公職追放にあっても不思議はない。そして、そういう人が『もはや戦後ではない』1956年に、安定多数を確保した与党の総裁になったのである。・・・」
そして、2代目総裁にはかつて東条英機内閣で国務大臣を務めたA級戦犯、岸信介が選ばれるのです。
<作者からのコメント>
それにしても、自分たちが選んでいる政治家たちの愚行に対して怒ろうともしない国民性とはいったいなんなんでしょう。
小泉総理のあの人を馬鹿にしたような記者会見を見ていて、頭に血が上らないなんて信じられません。うちの小5の長男(2004年時点)だって、小泉の顔を見るたびに指を立ててブーイングをしているのに・・・。
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