- ラスト・ロックン・ロール・ヒーロー -

バディ・ホリー Buddy Holly

<ポピュラー音楽の歴史>
 ポピュラー音楽の歴史は、「危険な香りを放つ新しい音楽の登場と混乱」そして、「その新しい音楽の認知と大衆化」に至る過程の繰り返しといってよいでしょう。
 60年代後半のロック大爆発の時代と70年代ロックのAOR化は、その典型例でしょうが、その他にも「1970年代中頃のパンク・ムーヴメントからニューウェーブへの移行」「同じ70年代に登場したレゲエの急激な前衛化と世界的な拡がり」、さらには「70年代のディスコ・ブーム」や「60年代のフォーク・リバイバル」「60年代の日本のグループ・サウンズ・ブーム」「80年代のオルタナ・ブーム」「90年代のグランジ・ブーム」などなど、数え上げるときりがないほどです。これらはみな「異文化の登場と混乱、その認知と吸収」という過程の異なるバージョンです。
 あまり語られることはありませんが、1950年代後半のロックン・ロール・ブームもまたそんな歴史の典型例のひとつです。わずか3年ほどの間に激しく燃えあがり、その後あっという間に消えてしまったという点ではかなり短いブームでしたが、その後の影響の大きさから考えるとその重要さは文句のつけようがないはずです。下記にある「1957年の代表曲」の数々を見て下さい。その質の高さと量の多さは、前年の1956年とともにこの後20世紀後半のどの年をも上回っているかもしれません。そんな数ある名曲の中でも、バディ・・ホリーの「ペギー・スー Peggy Sue」は未だに輝きを失わない代表曲と言えるでしょう。

<ロックン・ロール時代の終焉>
 1955年に映画「暴力教室」とそのテーマ曲「ロック・アラウンド・ザ・クロック」やチャック・ベリーの「メイベリーン」などのヒットによって華々しく始まったロックン・ロールの黄金時代は、1957年をすぎると急激に失速して行きます。
 不思議なことに、それは数多くの不幸な出来事が重なることで始まりました。
 1957年、オーストラリアをツアー中だったリトル・リチャードは神からの啓示を得たと突然引退を宣言。伝道師になってしまいました。
 翌1958年には、イギリスをツアー中だったジェリー・リー・ルイスの三重婚が発覚。彼はマスコミから袋叩きにあいます。この年、エルヴィス・プレスリーが徴兵により陸軍に入隊。音楽界を離れました。
 さらに1959年には、元祖ロックン・ロール・ヒーロー、チャック・ベリーが少女を性的行為を目的で州外に連れ出した罪(マン法違反)で逮捕され、実刑を受けます。
 その他にも、エディー・コクランが交通事故で死亡する事件もあり、ヒーローたちが次々に表舞台から消えて行きました。しかし、それらの出来事の中でも最も衝撃的だったのが、後にドン・マクリーンが大ヒット曲「アメリカン・パイ」の中で「アメリカの死」と歌ったバディ・ホリー、リッチー・バレンス、ビッグ・ボッパーらの飛行機事故による死でした。1959年に起きたこの事故によって、ロックン・ロールの時代はいよいよ終焉をを向かえることなるのです。

<60年代ロックとの類似性>
 60年代後半のロックの盛り上がりも、やはりジャニス・ジョップリンジミ・ヘンドリックスジム・モリソンらの死をきっかけにその勢いが失われて行きました。時代をリードする人物の多くは、どこかに「死の影」を背負っているのかもしれません。彼らはそれだけ自分をギリギリのところまで追いつめていたのでしょう。その点では、50年代のロックン・ロール・ブームのヒーローたちもまた十分に「危険さ」を持ち合わせていました。
 彼らは黒人だったり、ゲイだったり、チカーノだったり、プアホワイトの典型だったり、ある種社会のはみ出し者ばかりでした。それは黒人かぶれの白人エルヴィスも同じでしたが、彼は自らの手で社会の流れを変え、自分の存在を社会に認めさせることに成功しました。(ただし、彼は軍に入ることではみ出し者の道をはみ出してしまいましたが、・・・)
 だからこそ、彼らロックン・ロール時代のヒーローたちは、ブームに乗ってスターにはなったものの、社会からの反発やマスコミからの圧力に常に苦しめられ、多くはそのプレッシャーで潰れてしまったのです。

<ロックン・ロールの死>
 「ロックン・ロールの死」は、ミュージシャンたちが巻き込まれた不幸だけが原因ではありません。人種の壁を越え、若者たちの怒りを爆発させたロックン・ロールのエネルギーを吸収し、その勢いを利用するかのような新しいポップスが誕生しようとしていたのもこの頃でした。
 1957年、ファッツ・ドミノの「アイム・ウォーキン」をカバーしてデビューしたリッキー・ネルソン Ricky Nelson、「砂に書いたラブ・レター」でデビューしたパット・ブーンらがロックン・ロールをソフトタッチに歌うことで人気を獲得し始めます。その他にも、1958年にはボビー・ダーリン Bobby Darinが「スプリッシュ・スプラッシュ」で、フランキー・アヴァロン Frankie Avalonが「ディ・ディ・ダイナ」、ディオンDionがThe Belmontsを率いて「I Wonder Why」を歌ってデビューを飾っています。
 ポピュラー音楽の世界は「人種混合の危険なロックン・ローラーたち」から大人しい「白人のお坊ちゃんシンガー」の時代へと変わろうとしていました。こうした、歴史の繰り返しが20世紀のポピュラー音楽史を作り上げてゆくことになるわけです。

<ラスト・ロックン・ロール・ヒーロー>
 ラスト・ロックン・ロール・ヒーローとも言われるバディ・ホリーも、ある意味「白人の坊ちゃんシンガー」の一人かもしれません。黒縁の独特のメガネ姿のせいで、なおさらそんなイメージを抱かせますが、その音楽性はけっしてパット・ブーンのそれとは違いました。
 彼の音楽は、第一にバンドで演奏されることを前提に作られたものでした。だからこそ、ビートルズやローリング・ストーンズは、彼のバンド・スタイルをマネし、それがロック・バンドの基本となっていったのです。彼は、ロックの新しいスタイルを開発するリーダーでした。それだけに、彼の死は、50年代のロックン・ロールから60年代のロックへと向かっていた進化の流れを一時的に断ち切ることになってしまいました。
 バディの音楽を聴いて育ったイギリスの若者達が大人になる頃、再び彼のロック魂は甦り、新たなロックの時代を生み出すことになります。
 こうして、1959年から1962年のビートルズ・デビューまで3年ほどの期間、ポピュラー音楽の世界は、白人音楽のホワイト・ポップスと黒人音楽のR&Bが別々に分かれて発展することになるのです。


" All Shook Up " Elvis Presley
「バナナ・ボート The Banana Boat Song」 ザ・タリアーズ The Tarriers
「バイ・バイ・ラブ Bye Bye Love」 エバリー・ブラザース The Every Brothers
" Come Go With Me " The Del-Vikings
" The Girl Can't Help It " Little Richard
" Got My Mojo Working " Muddy Waters
" Great Balls of Fire " Jerry Lee Lewis
「監獄ロック Jailhouse Rock」 エルヴィス・プレスリー Elvis Presley
「ジェニー・ジェニー」 リトル・リチャード Little Richard
「白いスポーツ・コート」 マーティ・ロビンス
" I 'm Walkin' " ファッツ・ドミノ Fats Domino
" Keep A Knockin' " Little Richard
「砂に書いたラブ・レター」 パット・ブーン Pat Boone
「マリアンヌ Marianne」 Terry Gilkyson The Easy Riders
" Maybe " The Chantels
" Not Fade Away " バディ・ホリー Buddy Holly
「ルシール」 リトル・リチャード Little Richard
「起きろよスージー Wake Up Little Susie」 エバリー・ブラザース The Every Brothers
「ローンチー Raunchy」 ビル・ジャスティス Bill Justis
" Rock And Roll Music " チャック・ベリー Chuck Berry
「スプリッシュ・スプラッシュ」 ボビー・ダーリン Bobby Darin
(アトランティック・レーベルがポップス市場に進出)
" That'll Be The Day " Buddy Holly
「ユー・センド・ミー You Send Me」 サム・クック Sam Cooke
" Young Blood " The Coasters
" Who Do You Love " Bo Diddley
" Whole Lotta Shakin' Going on " Jerry Lee Lewis

" Art Pepper Meets the Rhythm Section" Art Pepper
" Atomic Basie " カウント・ベイシー Count Basie
" Blue Train " ジョン・コルトレーン John Coltrane
" Cool Struttin' " Sonny Clark
「エラ・フィッツジェラルド・アット・オペラハウス」Ella Fitzgerald
" Lee Morgan Vol.3 " Lee Morgan
" Modern Art " Art Pepper Quartet
" Thelonious Himself " セロニアス・モンク Thelonious Monk
" ヴィレッジ・バンガードの夜 " ソニー・ロリンズ Sonny Rollins


「東京だよオッ母さん」島倉千代子
「チャンチキおけさ」三波春夫(デビュー曲)
「有楽町で逢いましょう」フランク永井(そごうデパート有楽町進出のための曲、タイアップヒットの第一号)


国際原子力機関IAEA発足
アイ=ドクトリン(中東教書)発表
ネヴァダ州で核実験実施
キング牧師らによりSCLC(南部キリスト教指導者会議)結成される
リトルロック暴動(アーカンソー州リトルロック・セントラル高校に9人の黒人学生が入学。連邦軍の護衛で登校)
公民権法成立(黒人の投票権を保証する法律)
第一回パグウォッシュ核物理科学者会議開催
欧州経済共同体EEC発足
ICBM大陸間弾道弾実験成功
ソ連、人工衛星スプートニク1号打ち上げに成功
第一回アジア・アフリカ諸国民会議、カイロにて開催される
ガーナがイギリスより独立
中ソ共同宣言発表
<日本>
岸信介内閣発足
東海村原子炉点火

<芸術、文化、商品関連>
ジャック・ケルアックの「路上 On The Road」発売される(書かれたのは1951年)
エルメスの「サック・ア・クロア」(ケリー・バック)誕生
ポリプロピレン実用化(イタリア)


<音楽関連(海外)>
ディック・クラーク司会によるテレビ番組「アメリカン・バンド・スタンド」が始まり、全米ナンバー1の人気番組となる。
リトル・リチャードが牧師になるため引退
メンフィスにスタックス・レコード誕生
デトロイトにモータウン・レコード誕生
トスカニーニ死去
<音楽関連(国内)>
ジャズ歌手フランク永井が歌謡曲に転身

<映画>
この年の映画はここから!

[1957年という年] 橋本治著「二十世紀」より
 1957年8月ソ連は世界初の大陸間弾道ミサイル(ICBM)の打ち上げに成功。10月には、世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、翌月にはライカ犬を乗せた2号を地球の周回軌道に乗せることに成功。
「アメリカンお国防総省は、『こうなったら月に軍事基地を作るべきだ!』と主張した。ほとんどマンガだが、これを当時の大統領アイゼンハワーは呑んだ。だからこそ、翌1958年の7月に、アメリカ航空宇宙局(NASA)は発足するのである。その設立の目的は、『月に軍事基地を作ること』ただし、それは宇宙人の侵略から地球を守るためではなく、ソ連の大陸間弾道ミサイルの脅威からアメリカを守るためである。
 子供の考える宇宙開発と、大人の考える宇宙開発はずいぶん違うが、よく考えれば、子供の方がまともである。『負けるもんか!』の勢いだけで生きている大人たちは、時として子供より愚かで、現実感覚を消失している」
「1969年、人類は月へ行った。アメリカのメンツはどうやら立った。しかし、今度はソ連の経済状態が怪しくなってくる。つまり『対ソ政策』で続いてきた宇宙開発は、その必然性をなくすのである。宇宙開発はどうなるのか?やけっぱちの大人は『月に行く』だけを考えて、その先を考えていなかった。
<作者からのコメント>
 人類は月に行って何を得たのか?
それはいかに地球が宇宙の中で孤独であり、貴重な存在であるかを客観的に確認することができたこと、それにつきるのではないでしょうか。

年代記編トップへ   1958年へ   トップページヘ