- ジャズがポップスだった頃 -

ART BLAKEY AND THE JAZZ MESSENGERS

この年の出来事 代表的な作品 デビュー
<ポピュラー音楽としての成熟期を迎えたジャズ>  
 僕にとって、ポップで楽しく、かつスリリングなジャズは1955年から1960年の間に録音された作品に多い。それは、ジャズ史におけるモダンジャズ、ハード・バップの黄金時代と一致するようです。 実際、ジャズの専門誌が選んだ20世紀ジャズの名盤リストを見ると、そこに載っているほとんどの作品は、やはりこの時代に録音されています。
 もちろん、1960年以降の作品がつまらないわけではないし、だからジャズは過去の音楽であるというわけでもないのですが、多くの音楽ファンが、この時代の作品を「もっともジャズらしいジャズ」だと思っているのも確かなようです。
 ジャズ黄金期の熱気を知っているわけでもなく、ジャズを演奏するわけでもない、そんな「一音楽ファン」にとっても、この時代のジャズは人を引きつけずにはおかない魅力があるということなのでしょう。 「楽しむための音楽」=ポップスとしてのジャズが、「芸術としての音楽」=アートとしても成熟期を迎えた時期。それがこの時代だったのでしょう。

<ジャズの転換期>
 「ブルース」から発展した「ジャズ」は、黒人ミュージシャンたちのジャムセッションを基礎として発展しました。しかし、それがポピュラー音楽として成立してゆくためには、ダンス音楽として、売れる商品となることが必要不可欠でした。
 そこでジャズ・ミュージシャンたちは、ルイ・ジョーダンキャブ・キャロウェイのような「ジャンプ・バンド・スタイル」を生み出し、そこから「リズム&ブルース」「ソウル」が進化してゆくことになります。 しかし、もうひとつの進化の流れもありました。それは、大衆化することを拒否し、より芸術性を追求するもので、その代表的なものがチャーリー・パーカーらによって押し進められた「ハード・バップ」です。この流れは、エリック・ドルフィージョン・コルトレーンらによって、さらに押し進められ、ついには「アンチ・ダンス音楽」ともいえる「純粋に聴くための音楽」としてのジャズ、「モダン・ジャズ」を完成させ、「フリー・ジャズ」という新しいスタイルを生み出すに至るのです。

<「チュニジアの夜」>
 このアルバム「チュニジアの夜」は、そんなジャズの進化の歴史において、ダンス・ミュージックとしての楽しさと芸術音楽としての芸術性の高さを見事に兼ね備えた「ハード・バップ期」を代表する作品です。特に、タイトル曲「チュニジアの夜」は11分以上の長い曲でありながら、ラテンとブルースが見事に融合された理屈抜きに楽しめるものです。
 リーダーのアート・ブレーキーによるドラム・ソロの後、メンバー全員がパーカッションを持って、典型的なラテンのリズム(このリズムは、1970年代にサルサのリズムと呼ばれることになる)を演奏する導入部からして、スリル満点です。その後、ピアノとサックスが「さあ、今日はどんな展開にするかな?」と引っ張った後、いよいよ、リー・モーガンのトランペットによるあの有名なフレーズが登場します。そして、めくるめくような演奏が繰り広げられ、時にクールに、時にホットに、ジャムセッション感覚で各パートの応酬が続くのです。
 これこそ、アフロ・アメリカンサウンドがたどり着いた一つの到達点です。このジャズにおけるセッションの魅力はその後も多くの音楽に影響を与え続け、新しい音楽を生み出す原動力となって行きます。(サルサやアフリカン・ポップスへの影響は特に大きいと言えます)

<追記ージャズの特殊性>
 ヨーロッパの上流階級のための音楽、クラシックは、20世紀にはいる以前に確立された音楽であり、アメリカの黒人たちによるブルースは、レコードという録音技術が誕生する以前、すでにその黄金時代を迎えていました。その点、ジャズはレコードによって、しっかりとその進化の過程が記録されることになった最初のポピュラー音楽であるとともに、「民族音楽」のルーツをもたない新しいポピュラー音楽でもありました。(もちろんそれは、アフロ・アメリカンの人々自体が故郷アフリカから距離的にも、文化的にも切り離されてしまった事によるものです)

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「浮気はやめなよ」ジム・リーヴス Jim Reeves (カントリーのポップ版ナッシュビル・サウンドの登場)
"Everybody's Somebody's Fool" Connie Francis
グリーン・フィールズ Green Fields」 Brothers Four
キャシーズ・クラウン」 The Everly Brothers
ビキニ・スタイルのお嬢さん」 Brian Hyland 
"Only The Lonely" Roy Orbison
ローハイド」(クリント・イーストウッド主演のTV番組主題曲)
サンセット77」 ドン・ラルク楽団(同名TVの主題曲)
"Shaking All Over" Johnny Kidd & The Pirates
"Walk Don't Run" The Ventures(エレキ・ギター・サウンドの原点)
フォーク系

"Green Fields" The Brothers Four  
R&B系

"Chain Gang" サム・クック Sam Cooke
"Green Onion" Booker T. & MG's(オーティス、スタックス・サウンドの原点)
"Handy Man" Jimmy Jones (70年代にジェームス・テイラーがカヴァー)
" Save The Last Dance For Me ラストダンスは私に」 The Drifters
"Spanish Harlem" Ben E.King
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"The Twist" Chubby Checker (ご存じツイスト・ブームの原点)
"Wonderful World" サム・クック Sam Cooke
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"Amor Em Hi-Fi" Sylvia Telles(ボサ・ノヴァ女性シンガーの第一人者)
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(プエルトリコのポップス、ボンバをアメリカに持ち込んだ重要作)
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エラ・イン・ベルリンElla Fitzgerald
"Free Jazz" "The Shape Of Jazz To Come" Ornette Coleman
(フリー・ジャズの先駆け、しかし、今聴くとけっこうポップです)
"Incredible Jazz Guitar Of Wes Montgomery" Wes Montgomery
(元祖フュージョンとも言えるお洒落なギター・サウンド)
"Mingus Presents Mingus" Charles Mingus
"Horace-Scope" Horace Silver
ブルー・ノートの稼ぎ頭、大活躍のヒット作)
"The World Of Cecil Taylor" Cecil Taylor
(フリー・ジャズの道を切り開いたピアニスト)


「潮来笠」橋幸夫(デビュー曲)
「悲しき60才」坂本九


フォーク系
Brothers Four "Green Fields"
Joan Baez "Joan Baez"
ソウル、R&B系
Aretha Franklin "Today I Sing The Blues"
Chubby Checker "The Twist"
Ike & Tina Turner "A Fool In Love"
歌謡曲
橋幸夫 「潮来笠」



「東西対立激化の年」
東西10ヶ国による軍縮会議開催されるが対立により流会となる
<アメリカ>
シット・イン・デモ(人種差別をするレストランへの座り込み運動)
ケネディー対ニクソン、初のテレビ討論
<アフリカ>
「アフリカの年」
アフリカで19ヶ国が次々に独立(ナイジェリア、カメルーン、マリ、トーゴ、コンゴなど)
フランスがサハラ砂漠で第一回の原爆実験を実施
巨大プロジェクト、アスワン・ダムが着工
南アフリカでアパルトヘイトに対する抗議集会に警官隊が発砲69名が死亡(シャープビル事件)
<アジア>
南ヴェトナム民族解放戦線設立(ヴェエトコン)
<日本>
「60年安保に揺れた年」
日米新安保条約調印
安保阻止国民運動(6・15事件)全国で580万人が参加。この際デモ隊と右翼団体が衝突し樺美智子さんが死亡
池田勇(自民党)内閣成立
浅沼稲次郎(社会党)暗殺される(犯人は、まだ17歳の右翼少年だった)

<芸術、文化、商品関連>
「人体測定プリントANT-66」 イブ・クライン
「さようならコロンバス」フィリップ・ロス著(全米図書賞)
レイナー・バンハム著「第一機械時代の理論とデザイン」(デザイン評論の先駆け)
ドクター・マーチンが「1460」ブーツを発売(イギリス)
積水ハウスがプレハブ工法住宅の国産第一号「セキスイハウスA型」開発
ミヒャエル・エンデのデビュー作「ジム・ボタンの機関車大旅行」
ダッコちゃんブーム(一個180円)


<音楽関連(海外)>
無名のビートルズ、ドイツのハンブルグへツアーに出発
ツイスト・ブームが世界中に広まる
ベリー・ゴーディーが設立した「タムラ」(モータウンの前身)が初ヒット、ミラクルズによる「ウェイ・オーバー・ゼア」 を発表する
チャーリー・パルミエリ、レイ・バレット、ジョニー・パチェーコが、それぞれチャランガ・バンドを結成
ハワイで、ギャビー・パヒヌイがサンズ・オブ・ハワイを結成

<音楽関連(日本)>
第二回日本レコード大賞「誰よりも君を愛す」松尾和子と和田弘とマヒナスターズ
 ジャズ歌手だった松尾とハワイアンバンドだったマヒナスターズ、それに戦後を代表する作曲家吉田正によるジャズ歌謡曲。
 ちなみにマヒナスターズのメンバーを父にもち、後に世界にその名を知られることになるアーティストがコーネリアスこと小山田圭吾です。

「・・・国会前のデモには、あのクレージーキャッツも来ていて、彼らが静かに『赤とんぼ』を唄ったんですね。それを聴いたとき、僕はとても感動した。でも、そのときの感動って、とてもひとことですませられるようなものではないですよね。・・・」
永六輔

<映画>
この年の映画についてはここから!

[1960年という年] 橋本治著「二十一世紀」より(2004年11月追記)
 1960年は、日米安全保障条約の改訂、調印、批准の流れの中で、日本が「安保反対!」の声に大きく揺れた年だった。
「アメリカは日本の”矛盾した親”で、ファシズムを追うが、やがてはファシズムに加担した戦犯たちをも救う。日本は独立したが、矛盾した親(アメリカ)からの”精神的自立”を理解しなかった。自立がないから、すべての議論は依存の中で空回りする。・・・」

<作者のコメント>
 日本が日米安保問題で揺れに揺れていた年の3月18日、僕は生まれました。考えてみると、1960年生まれというのは、微妙な世代かもしれません。僕たちが物心ついた頃、すでにビートルズは解散していました。それに学生運動もそのピークを越えており、「シラケ世代」という言葉が誕生していました。
 しかし、僕たちには60年代の熱かった時代の記憶がどこかに残っています。共通一次試験の一歩手前の世代であり、戦後の民主教育だけでなく全共闘世代の教師から「社会主義的教育」を受けた世代でもあります。その意味では、僕らは「シラケきれなかった世代」なのかもしれません。

Jonny Horton(カントリー歌手) 11月 4日 交通事故  ?

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