- モータウン、その光と影 -

マーサ・アンド・ザ・ヴァンデラス
 Martha & The Vandellas

この年の出来事 代表的な作品 デビュー 物故者
<モータウンが成し遂げた偉業>
 ポピュラー音楽の歴史において、「モータウン・レーベル」ほど、数多くの革新を成し遂げた企業は他にないでしょう。ポピュラー音楽の進化を、あらゆる面で押し進めた「突然変異的」企業、それがモータウンです。その偉業をざっとあげると。
1. 小さなファミリー企業から、わずか十年でメジャーのレコード会社と肩を並べるまでの企業に成長し、インディー・レーベル成功物語の先駆けとなった。
2. それまでは、黒人層を対象として制作、販売が行われてきたR&Bを、白人までもその購買層としてとらえ、ポップ・チャートに次々と黒人音楽を送り込んだ。
3. 黒人が経営する企業として、アメリカで最大の成功を成し遂げただけでなく、白人経営陣の採用などによりいち早く社内における人種の壁を破壊したこと。
4. 発祥の地である中東部の街デトロイトを離れず、ニューヨーク、ロス・アンジェルス以外の街からでも、レコード会社として成功できることを証明した。(モータウンとは、このアメリカ自動車産業の中心地デトロイトの愛称、モーター・タウンから取られた)
5. 起業戦略として、アーティストを徹底的に教育し、モータウンのイメージ、スタイルを築き上げるというその後の音楽産業におけるプロモーション活動の基本を示した。
6. そして、これらのことを、ベリー・ゴーディー・Jr.という黒人中産階級出の一人の男が、10年たらずで成し遂げてしまった。まさに、アメリカン・ドリームの典型であった。(この業界の常識を覆すような変革は、カリスマ的な「ワンマン」社長だからこそ、可能だったのだが)

<モータウン以後>
 残念ながら、ベリー・ゴーディーが成し遂げたことすべてが、素晴らしいことだったわけではありません。彼が黒人音楽を、白人社会だけでなく世界中に広めたことは、逆に「ソウル」の持っていた「黒い魂」を失ってゆくきっかけにもなりました。80年代に幅を利かせることになる「ブラック・コンテンポラリー」(通称ブラコン)と言われるメロウなだけの気の抜けたサウンドの基礎をつくったのは、彼だったのかもしれないのです。とは言え、1960年代時点では、彼の成し遂げた業績に文句のつけようはありませんでした。彼の生み出したサウンドは、まさにアメリカのサウンドそのものになったのですから。

<ダンシング・イン・ザ・ストリート>
 「ダンシング・イン・ザ・ストリート」は、モータウンが1964年に放った最もモータウンらしいヒット曲でです。そして、この曲の有名なプロモーション・フィルムは、デトロイトの自動車工場でロケされたもので、モータウンだけでなく、デトロイトの街自体が黄金時代であったことを教えてくれる貴重な作品です。さらに、この曲は、数あるモータウンのヒット曲の中で、最も多くのアーティストにカバーされている曲でもあります。カバーしたのは、キンクス、ママス&パパスローラ・ニーロ、ミック・ジャガー&デビッド・ボウイグレイトフル・デッド、ヴァン・ヘイレンなどです。しかし、どんな偉大なアーティストもオリジナルを越えることはできなかったと、僕は思います。それだけ当時のモータウン・サウンドは完璧なできばえだったと言えるでしょう。そして、この曲を歌ったマーサ&ザ・ヴァンデラスのリード・ヴォーカル、マーサ・リーブスこそ、そんなモータウンを代表するアーティストであり、ある意味モータウンの「光と影」をも写し出した重要なアーティストでした。

<誤解されたダンシング・イン・ザ・ストリート>2004年10月27火
 この曲がヒットした時期、アメリカ国内では公民権運動の生きず詰まりにいらだった人々が各地で暴動を起こしていました。すると、この曲はストリートで暴動を誘発する危険性があるととらえられ、全米各地で放送禁止になってしまいます。
<マーサ・リーブスの運命>
 彼女は、一応、レコードを出したことのある歌手でしたが、モータウンには秘書として入社していました。もちろん、彼女の目標は再びレコードを出すことであり、秘書をしながら、多くのアーティストたちのバック・ヴォーカルを引き受け、そのチャンスを待っていました。そしてある日、モータウン初期の大スター、メリー・ウェルズがレコーディングをさぼったことで、ついにその代役をつかむチャンスを得ました。その後、彼女はモータウンの黄金コンビ、ホランド、ドジャー、ホランド(H-D-H)という作家チームの素晴らしい曲を与えられて、次々にヒットを飛ば始め、あっという間にモータウンのトップへと上りつめました。その頂点に位置する作品が、「ダンシング・イン・ザ・ストリート」だったわけです。
 しかし、この曲がヒットし、マーサがモータウンのNo.1スターになった時、すでに次期モータウンのNo.1スターになるべきアーティストが現れていました。そのアーティストが、21世紀になってなおアメリカを代表するスターとして活躍を続けているダイアナ・ロス率いるシュープリームスでした。(彼女の異常なまでの出世欲もまた有名な逸話が多いのですが、それはダイアナ・ロス(シュープリームスのページをご覧下さい)
 この方針変更は、当然社長のベリー・ゴーディーの考えであり、常に時代の先をいっていたモータウンらしい企業戦略でした。 結局、マーサはモータウンのトップの座を追われることになり、その仕打ちへの怒りから神経衰弱になってしまいました。その後、他のレーベルへと移籍しますが、残念ながらすでに「ソウルの時代」は終わりに近づいており、彼女が再びスターの座に返り咲くことはありませんでした。(逆に、モータウンでは芽が出ず、移籍した後に大ヒット曲「夜汽車よジョージアへ」でブレイクしたグラディス・ナイト&ザ・ピップスのような例もあるのですが)

<モータウンの運命>
 しかし、モータウンという企業の運命もまた、永遠ではありませんでした。そして、その挫折の原因もまた、スーパー・ワンマン社長の企業戦略によるものでした。いつの時代でも、栄光の座に上りつめたヒーローは、さらなる栄光を目指そうとして、自らその座を失ってしまうものなのですが、 ベリー・ゴーディーの場合もその例外ではありませんでした。
 彼は、ラスヴェガスで金を湯水のように使うだけでは飽きたらず、その西に位置する「夢の都、ハリウッド」を目指したのです。そう、映画産業への進出でした。彼は、故郷デトロイトの街を捨て、太陽の光に満ちあふれたロス・アンジェルスへモータウンの本社を移します。しかし、全く畑違いの映画産業で簡単に成功できるはずもなく、ミュージカル映画「ウィズ」の失敗などで、その資金を失って行きます。その間、本業を支えてきた優秀なスタッフたちは、次々に彼の元を離れてゆき、最後に残された道は、メジャーへの配給権の売却しかなくなっていたのでした。
 1984年、ついにモータウンは、メジャーのMCAと配給契約を結び、その独立レーベルとしての活躍にピリオドを打ちました。同じ頃、モータウンの故郷、デトロイトの街も自動車産業の不振により、アメリカで最も不況が深刻な街になっていたというのも、また皮肉な偶然でした。
 モータウンほど、アメリカ社会における「夢と挫折」をはっきりと教えてくれる存在は、他にないかもしれません。

<追記ー最も報われなかった者たち><追記の追記>2005年10月1日
 モータウンの栄光の影で、まったく報われなかった人たちもいます。モータウン・サウンドの柱となっていたバック・バンド(実質的にはヒット曲を作った人々と言っても良い存在です)の「ファンク・ブラザース」の中心人物ジェームス・ジェマーソンベニー・ベンジャミン、アール・ヴァン・ダイク、ロバート・ホワイトらは、悲劇的といって良いほど、その存在を無視されてきました。同じ時期に黄金時代を築いたアトランティックースタックスのスタジオ・ミュージシャンたちが、その後も「ブルース・ブラザース」などによって、再評価され活躍を続けているのと実に対照的です。(やっと映画「永遠のモータウン」によって彼らは報われることになりました。この映画のヒットのおかげで、彼らファンク・ブラザースはグラミーの功労賞を受けました。それにしても、アメリカという国は何でも気づくのが遅すぎる!)

<映画「ドリーム・ガールズ」>
 映画「ドリーム・ガールズ」は実によく出来た作品でした。モータウンの盛衰史とともに、ダイアナ・ロス(ビヨンセ)とフローレンス・バラードの物語にベリー・ゴーディー・Jrが描かれていたのは当然ですが、ドリーム・ガールズに後から入った秘書上がりの歌手はまさにマーサ・リーヴスだし、エディー・マーフィーが演じていたのはマーヴィン・ゲイ(ニット帽は彼へのオマージュでしょう)。それに、CCはたぶんH−D−Hということになるのでしょう。現実と違うのは、フローレンス・バラード(ジェフリー・ハドソン)と思われる女性は、自分のわがままに気づき最後には復活しています。実際は、主役のダイアナこそが最もわがままな人物だったらしく、彼女はそのわがままを通しながらも見事に生き残り、逆にそのわがままによって追い出されたフローレンスは若くして死んでしまいます。なんと、現実は映画よりも厳しいのです。

関連するページ
ホランド・ドジャー・ホランド
(モータウンの作曲家チーム)
ダイアナ・ロス
(シュープリームス)
マーヴィン・ゲイ
(ニュー・ソウル)
スティービー・ワンダー
(ニュー・ソウル)

     アンダーラインの作品は特にお薦め!

ロック・ポップ系
"A Hard Day's Night" "Can't Buy Me Love" "She Loves You"
"I Want To Hold Your Hand" The Beatles(こう良い曲ばかりだと、ありがたみが薄くなってしまう)
"All Day and All of the Night" The Kinks(全英2位)
"All Summer Long" The Beach Boys
"Anyone Who Had A Heart " Cilla Black(全英チャート2週連続1位バート・バカラック&ハル・デヴィッド)
"As Tears Go By" Marian Faithfull(全英9位、当時はミック・ジャガーの恋人として有名だった)
朝からゴキゲン」 Herman's Hermits
(ブリティッシュ・インベイジョンにおけるアイドル・グループのデビュー曲)
"Because" The Dave Clark Five(トットナム・サウンドの代表的バンド)
"Ferry Across The Mersey" Gerry & The Pacemakers
"5-4-3-2-1" Manfred Mann(「レディ・ステディ・ゴー」のテーマ曲)
朝日のあたる家」 The Animals
"Do Wah Diddy Diddy" Manfred Mann(エクサイターズがオリジナル、全英2週連続1位)
"Don't Through Your Love Away" The Searchers
二人だけのデート」 Dusty Springfield
(イギリスを代表するホワイト・ソウル女性ヴォーカル)
ふられた気持ち You've Lost That Lovin' Feelin'」 The Righteous Brothers
"Glad All Over" The Dave Clark Five(全英3週連続1位)
"Hippie Hippie Shake" The Swinging Blue Jeans
"I Feel Fine" The Beatles(全英5週連続1位)
"I'll Get Around" The Beach Boys
"I'm The One" Gerry & The Pacemakers
"I'm Into Something Good" Herman's Hermits(デビュー曲で全英1位)
"It's Over" Roy Orbison
"Just One Look" The Hollies
"Little Children" Billy J. Kramer & The Dakotas(全英2週連続1位)
"Little Red Rooster" The Rolling Stones(全英1位)
"Mr. Lonely" Bobby Vinton
"Needles and Pins" The Searchers
"Oh, Pretty Woman" Roy Orbison(全英2週連続1位)
"People" "Funny Girl" Barbra Streisand (ミュージカルの実力派大スター)
"Time Is On My Side" The Rolling Stones
"Yeh Yeh" Georgie Fame & The Blue Flames
"She's Not There" The Zombies(全英ヒットに続き全米でも2位となり100万枚の大ヒット)
"Tobacco Road" Nashiville Teens(全英チャート連続4週6位)
"You Really Got Me" The Kinks (ロック史に残る名曲のひとつ、9月11日から2週連続全英1位)
"You're My World" Cilla Black
"World Without Love" Peter & Gordon(全英チャート2週連続1位)
フォーク系
時代は変わる」,"Another Side of Bob Dylan" Bob Dylan
"Ramblin' Jack Elliott" Ramblin'Jack Elliott
(ガスリーズ・チルドレンであり、ディランへの影響大)
R&B、ソウル系
"Baby Love" The Supremes (全米4週連続1位)
"Baby I Need Your Lovin'" Four Tops
"Chapel Of Love" The Dixie Cups
(ニューオーリンズ出身のガールグループのヒット曲)
"A Change Is Gonna Come" Sam Cooke
(彼の死後発売され、公民権運動のテーマ・ソングとなる)
"Common And Swim" Bobby Freeman(最高位5位となり「スウィム」ブームに火をつけた曲)
"Every Little Bit Hearts" Brenda Holloway
"Good News" Sam Cooke
"Goodbye Baby" Solomon Burke
"Hello,Dolly" Louis Armstrong (ミュージカル・ナンバーのカバー曲)
"Hitch Hike" Marvin Gaye
"Hold What You've Got" Joe Tex(全米5位、R&B2位、苦節10年後の初ヒット)
"It's All Over Now" Valentinos(ローリング・ストーンズがカバー)
"Love""I Don't Want To Be Hurt Anymore" Nat King Cole
"Mercy Mercy" Don Covay
"My Guy" Merry Wells(R&Bチャート1位)
"Under The Boadwalk" The Drifters
"The Way You Do The Things You Do" The Temptations
(この頃のモータウン・サウンドの歌詞の美しさには、ディランも脱帽していた)
"Walk on by" Dionne Warwick
"Wild One" Martha And The Vandellas
"Where Did Our Love Go" "Baby Love" The Supremes
ブルース系
"Ain't Nothing You Can Do" Bobby Bland
"Live At The Ann Arbor Blues Festival" Magic Sam
(この幻のブルース・ギタリストの超絶プレイを是非聴いてみてください!)
"Skip James ,Today!" Skip James (悪魔的ブルースを歌った再発見作)
ラテン系
"My Boy Lollipop" Millie Small
(アイランド・レーベルの基礎を築いたジャマイカのスカの大ヒット曲)
ジャズ系
"The Cat" Jimmy Smith (オルガン・ジャズの第一人者のヒット作)
至上の愛John Coltrane (いよいよフリー・ジャズの時代へ)
「プリーズ・リクエスト We Get Requests」オスカー・ピーターソン
"Rio" Paul Winter (ルイス・ボンファらとのブラジル録音のボサ・ノヴァ)
"The Sidewinder" Lee Morgan (ジャズ・ロックの大ヒット曲)
"Spiritual Unity" Albert Ayler (60年代最重要サックス奏者の傑作)
"You Better Know It !!!"Lionel Hampton
ユーロ・ポップ系
アイドルを探せ」 Sylvie Vartan(「イエイエの女王」映画でも活躍)
ほほにかかる涙」 Bobby Solo
(日本では人気No.1だった男性カンツォーネ歌手)
アジアン・ポップ系
トンベク・アガシ(椿娘)」 李美子 イ・ミジャ (韓国の大ヒット演歌)

歌謡曲
愛して愛して愛しちゃったのよ」田代美代子&マヒナスターズ
あの娘と僕」橋幸夫
アンコ椿は恋の花」都はるみ
君だけを」西郷輝彦
抱きしめたい」スリー・ファンキーズ
美空ひばり(レコード大賞、この曲から演歌の時代が始まったとも言われます)


<1964年デビュー>
ロック系
The Animals "The Animals"
The Byrds "Please Let Me Love You"
The Dave Clark Five "A Session With The Dave Clark Five"
Georgie Fame & The Blues Flames "Rhythm & Blues At The Flamingo"
Kinks "Kinks"
Manfred Mann "The Five Faces Of Manfred Mann"
Peter & Gordon 「愛なき世界」
(ピーター・アッシャーは、J.テイラーなどを手がける名プロデューサーとなった)
The Righteous Brothers 「ふられた気持ち」
Rod Stewart " Good Morning Little School Girl"
Spencer Davis Group "Dimples"
The Yardbirds "Five Live Yardbirds" (ライブ・アルバムでデビュー)
フォーク系
Buffy Sainte-Marie "It's My Way!"
(映画「いちご白書」の「サークル・ゲーム」で有名なインディアン系フォーキー)
Phill Ochs "All The News That's Fit To Sing"
Simon & Garfunkel "Wednesday Morning,3AM"
ソウル系
Otis Redding "Pain In My Heart"
The Temptations "Meet The Temptations"
ブラジリアン・ポップ
Quarteto Em Cy "Quarteto Em Cy" (ブラジル最高の女性コーラス・グループ)
ユーロ・ポップ系
Gigliola Cinquetti 「夢みる想い」 (サンレモ音楽祭優勝曲)
歌謡曲
都はるみ「困るのことョ」

<音楽界の出来事>
<アメリカ>
インディアナ州知事がキングスメンの「ルイ・ルイ」を、「歌詞がくだらなく淫ら」という理由で放送禁止処分に。
NYパラマウント・シアターで「イースター・ステージ・ショー」開催(サム・クック、ジャッキー・ウィルソン、ジェームス・ブラウン、フォーシーズンズ、キング・カーティス・・・)
メリー・ウェルズがモータウンからの独立を宣言
リトル・リチャードがカムバック
「ニューポート・フォーク・フェスティバル」開催(7月23〜26日)
(出)ボブ・ディラン、ジュディ・コリンズ、PPM、オデッタ、スリーピー・ジョン・エスティス、スキップ・ジェイムス、、ミシシッピ・ジョン・ハート、ステイプル・シンガース・・・
ヤング・ラスカルズがアトランタ・レーベルと契約(アトランタ初の白人アーティスト)
ABC放送の音楽番組「シンディグ」放送開始(9月16日)ゲストは、ライチャス・ブラザース、サム・クック、エヴァリー・ブラザース、ボビー・シャーマン。
ビーチ・ボーイズが「エド・サリバン・ショー」に初出演(9月27日)
ウィリー・ネルソンが「グランド・オール・オプリー」に初出演
ビーチボーイズが全米ツアーに出発するが、ブライアン・ウィルソンが精神的不調により離脱
シュープリームスが「エド・サリバン・ショー」に初出演

<イギリス>
BBC「トップ・オブ・ザ・ポップス」放送開始
ローリング・ストーンズのデビューアルバム発売
チャック・バリーの英国ツアー(前座はアニマルズほか)
ビートルズのワールドツアー始まる(6月)
ビートルズの主演映画「ア・ハードデイズ・ナイト」公開
リッチモンドで第4回「ナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティバル」開催
(出)ローリング・ストーンズ、ヤードバーズ、マンフレッド・マン、グレアム・ボンド・オーガニゼーション・・・
ローリング・ストーンズが「エド・サリバン・ショー」に出演。放送後、彼らの態度・風貌に抗議が殺到し、サリバンは二度と出演させないと視聴者に謝罪する。(10月24日)
サンタモニカで「TAMIショー」開催され、映画「ギャザー・ノー・モス」として公開される。
(出)ビーチ・ボーイズ、チャック・ベリー、ローリング・ストーンズ、ジェイムス・ブラウン、マーヴィン・ゲイ、シュ−プリームス、ミラクルズほか

<海賊ラジオ放送開始>(3月27日)
 サフォーク州フェリックストウ沖5マイルで船舶キャロライン号を停泊させそこから放送開始。オーナーは、ローナン・オレイヒリーでジョージー・フェイムのマネージメント会社リック・ガンネル・エージェンシーでプロモーションを担当。フェイムの曲のオンエアをBBCにプッシュするが断られ、オランダ沖で行われていたヨーロッパ向け放送にヒントを得て海賊放送船のアイデアを思いつく。自分と同じアイルランド系のケネディ大統領の娘の名からキャロラインから命名した船を使ってイギリス沖から放送を開始。公海上からの放送のためイギリス政府の取り締まりは不可能。サイモン・ディーやクリス・ムーアなどが24時間ぶっとうしでブリティッシュ・ビートやR&Bナンバーをかけ続けた。
 5月12日には、2つめの放送局ラジオ・アトランタも放送開始。(アラン・クロフォード)この二社は共同企画会社を設立。ナビスコやペプシなどがスポンサーとなった。その後、軍用海上要塞を用いたラジオ・サッチなど、様々な放送局が誕生。
 この年7月にはBBCもこれらの放送に対抗し、ビートルズなどを出演させるようになります。さらに1967年にはイギリス海軍による取り締まりが始まり、ラジオ・キャロライン以外の放送局が放送を終了させられます。この後、海賊放送で活躍したラジオDJたちはBBCがスタートさせたFM放送局ラジオ1などに移籍し活躍を続けました。
 結局海賊放送が活躍したのは1963年から1967年までのわずか4年間でしたが、この放送局がビートルズなどビート・サウンドのブレイクに大きな影響を与えたことは間違いありません。

<日本>
渡辺プロがスクール・メイツ結成
東京ビートルズでビートルズの日本語カバー「抱きしめたい/プリーズ・プリーズ・ミー」でデビュー
寺内タケシとブルージーンズが初のサーフ・インスト・アルバム「これぞサーフィン」発表


Johnny Barnett  8月 1日  溺死  30歳
James Travis Reeves  7月31日   飛行機事故 41歳 
Eric Dorphy   6月29日  糖尿病  36歳 
Sam Cooke 12月11日  射殺  27歳




世界商業衛星通信網協定調印
<アメリカ>
「ヴェトナム戦争への介入本格化」
民主党全国大会開催
(民主党内の公民権法反対派(ミシシッピー州民主党)について、党内、白人黒人間に亀裂が生じる。黒人側の過激派誕生のきっかけとなった事件)
SNCC(学生非暴力調整委員会)が中心となり公民権運動に白人学生を動員する動きが活発化
アメリカで新公民権法が成立(黒人無差別の広範囲適用)
カリフォルニア大バークリー校で「フリー・スピーチ運動」が始まる。これはヴェトナム反戦運動など、学内での政治活動禁止に対する反発で、ここから学生運動が世界中に広まって行くことになります。
トンキン湾事件をきっかけに、アメリカのヴェトナム介入が始まる
カシアス・クレイ(モハメド・アリ)がソニー・リストンを破り世界ヘヴィー級王者につく
クーデターにより、カステロ・ブランコによる軍事政権が樹立される(ブラジル)
ドミニカ共和国で革命、アメリカが軍事介入
<ヨーロッパ>
フルシチョフの失脚により、ブレジネフが書記長就任
<アジア>
中国が初めて原爆実験を実施、成功させる(中ソ対立決定的となる)
パレスチナ解放機構(PLO)設立
<日本>
東京オリンピック開催、東海道新幹線開業
佐藤栄作内閣設立

<芸術、文化、商品関連>
「マリリン」 アンディー・ウォーホル
「ケンタウロス」ジョン・アップダイク著(全米図書賞)
マーシャル・マクルーハン「メディア論」
シャネル、クレージュ、イヴ・サンローランが「パンタロン・ルック」を発表
テレンス・コンランが「ハビタ」をオープン(コンラン・ショップ)
「ひょっこりひょうたん島」放映開始
月刊漫画誌「ガロ」、「平凡パンチ」創刊
TOTOがホテル用ユニット・バスを開発
「クリネックス・ティッシュ」「ワンカップ大関」「かっぱえびせん」発売開始


<音楽関連(海外)>
オランダのフィリップス社がカセット・テープの発売を開始
ブリティシュ・インベイジョンと呼ばれるイギリス勢のアメリカ進出が本格化
初めてのビートルズ・アメリカン・ツアー開始
ビートルズがアメリカのヒット・チャートでベスト5を独占("Can't By Me Love","Twist & Shout","Please Please Me", "She Loves You",「抱きしめたい」)
映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」公開
ダンス「スウィム」がブームになる
フリージャズ・ミュージシャンによるコンサート、「ジャズの10月革命」開催
ニューヨークでサルサのレーベル、ファニアが設立される(アルゼンチン生まれの弁護士、ジェリー・マスッチとドミニカ生まれのジョニー・パチェーコによる)
バイーア四人組カエターノ・ヴェローゾ、マリア・ベターニャ、ジルベルト・ジル、ガル・コスタ)の活躍が始まる
ジャマイカで、スカのパイオニア、スカタライツが結成される
南アフリカで、マハラティーニ&マホテラ・クィーンズが結成される
<音楽関連(国内)>
歌謡界の青春御三家活躍(舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦)
日本武道館開館
「恋をするなら」「チェッ、チェッ、チェッ」「恋のメキシカン・ロック」「あの娘と僕」など、エレキ歌謡と呼ばれる曲が次々にヒット

<映画>
この年の映画についてはここから! 

[1964年という年] 橋本治著 「二十世紀」より(2004年11月追記)
 1964年はオリンピックの年、同年、夢の超特急「東海道新幹線」が営業を開始している。
「東京オリンピックとその”成功”は、後の日本人に慢性的なスクラップ&ビルドの習慣を定着させてしまう。・・・」
「『オリンピックのために立派な施設も作る』という変な常識を定着させてしまったのは、ろくな施設がないことに慌てた東京オリンピック以来なのである。・・・」


<作者のコメント>
 高度経済成長を遂げた1960年以降、知らぬ間に日本は世界中に多大な影響を与えていたのだということを、日本人はあまりに知らなさすぎるのかもしれません。
 それはけっして悪い影響だけではありません。良い影響、悪い影響をしっかり見極めることが必要だと思うのですが、なぜか日本人は自分の国のことになると異常に卑屈になるか、異常に傲慢になるか、そのどちらかのようです。
 たぶん21世紀に大人になる人たちの感覚はまた違ったものになると思うのですが・・・。        

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