- 転がる石の神話 -

ボブ・ディラン Bob Dylan

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2011年5月31日改訂

<20世紀を代表する天才、ボブ・ディラン
 「真に天才と呼べるアーティストは、常に自らを変革し続ける多作家である」
ピカソ、アンディー・ウォーホルマイルス・デイビスらは、まさにその典型です。そして、ボブ・ディランもまた、同じように20世紀を代表する天才アーティストのひとりに数えることができるでしょう。
 彼は60年代前半から21世紀まで、40年以上にわたって活躍を続けていますが、その音楽スタイルは時代によって、幾度も大きな変化をとげてきました。そして、その中でも最も重要な変化の年、それがこの1965年でした。
 ボブ・ディランは、カントリー・フォークの伝説的英雄、ウディー・ガスリーの継承者として、1962年にデビューし、その頃ピークを迎えようとしていたフォーク・リヴァイバル・ブームに乗り、「フォークの神様」とまで言われるようになっていました。

<1965年7月25日>この部分は、太田睦著「ボブ・ディランの転向は、なぜ事件だったのか」(論創社)を参考にして書かせてもらいました。(2011年追記)
 事件のきっかけは、この前日の昼、ニューポート・フォーク・フェスティバルの会場で起きたディランのマネージャー、アルバート・グロスマンと民族音楽研究者アラン・ローマックス Alan Lomax のケンカにあったようです。
 アメリカ国内の民族音楽(フォーク・ミュージック)の収集者、研究者としてフォーク・ミュージックの歴史を変えた偉人、アラン・ローマックスはそのイベント会場で行われたワークショップの司会をしていました。そのワークショップでは、テキサスから来たブルースマンから白人のブルーグラス・バンドの大御所、ビル・モンローのライブが行われた後、最後に白人、黒人混合のエレクトリック・ブルース・バンドの草分け、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドが演奏を行いました。
 アラン・ローマックスは、それぞれのバンドの紹介と解説を行いアメリカのポピュラー音楽の素晴らしさを再認識させる企画になったいました。ところが、最後のポール・バターフィールド・ブルース・バンドを紹介する際、彼らの現代的なビートルズ風のバンド・スタイルが気に入らなかったことと、イベントの主催者の一人であり彼らのマネージャーであるアルバー・グロスマンが彼らをイベントの最後にねじ込んだことに腹を立てて、彼らについて批判的なコメントを言ったのです。それを聞いたアルバート・グロスマンは、当然激怒、アラン・ローマックスとの大喧嘩が始まってしまったのでした。
 ボブ・ディランはこのケンカとは関係なかったのですが、自分のマネージャーでもあるグロスマンの怒る姿を見たことで彼はフォークの古いスタイルにこだわるローマックスの考え方に反発。急遽、最終日のライブにエレキギターを持ち込み、ロックのスタイルで演奏することに決めたのでした。当然、新造のバンドではレパートリーも少なく、ポール・バターフィールドのバンドを従えたディランの演奏は、「マギーズ・ファーム」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」、「悲しみは果てしなく」の3曲だけでした。このライブでのブーイングの理由の一つは、あまりにも短すぎたディランの演奏に対する批判もあったようです。その後、彼は急遽アコースティック・ギターを持ってステージに戻り、「ミスター・タンブリンマン」、「イッツ・オールオーバー・ナウ・ベイビー・ブルー」を歌ってステージを降りました。
 もうひとつ本当らしい理由のひとつとして、当時の古い音響設備のせいで彼の歌がまったく聞き取れなかったせいとも言われています。ただし、そうした野次の中には、彼の演奏に対し「それでも仲間か!」とか「エド・サリバン・ショーへ行っちまえ!」など、ロックへの鞍替えに対する批判があったことも確かなようです。そして、もしかするとそれ以上に重要だったのが、フォーク・ミュージック界の大御所ピート・シーガーの反応でした。
 ピート・シーガーはディランの演奏に激怒し、音量を下げるようスタッフに詰め寄ったと言われています。(ただし、これも彼は音量のうるささと聞き取れない音響に怒ったきあらとも云われていて、彼が怒った理由は今やはっきりしないようです)そして、それを断られると「それなら、斧で電源ケーブルを切ってやる」と言い、涙まで流していたといいます。いつも冷静で落ち着きのある人格者だったはずの彼が、突然怒りだしたことに周囲の人々も驚いたといいます。しかし、この時の彼の怒りは、当日の観客たちの思いを代表していたのもかもしれません。

<フォークからフォーク・ロックへ>
 しかし、1964年に発表した「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」で、すでに変化の兆しを見せていた彼は、この年に出演したニュー・ポート・フォーク・フェスティバルで、まさに衝撃的な変貌を遂げて見せました。フォークの基本でもあったギター一本の弾き語りスタイルを、エレキギターやドラムを導入したロックバンドのスタイルへと、一気に変えてしまったのです。そして、その時のバックバンドには、アル・クーパーマイク・ブルームフィールドというこの後、ブルース・ロックで世界を席巻するコンビがいました。(このコンサートに出演していたポール・バターフィールド・ブルース・バンドの演奏を見たディランが感動して急遽バックを依頼したと言われています)
 ディランは、言葉でメッセージを伝えることにこだわり続ける「フォーク・ソング」というスタイルに限界を感じ、サウンドそのものが自由な「ロック」という新しいスタイルの魅力にいち早く気がついていたのでした。
 ところが、そのコンサートでの観客の反応は、残念ながらブーイングの嵐でした。メッセージ性の高いラディカルなミュージシャンのファンでありながら、彼の変化の意味を理解する者は、フォーク・ファンの中に、わずかしか存在しなかったのです。
 翌1965年、ディランはイギリスへのツアーに出ました。このツアーの様子は映画「ドント・ルック・バック」で見ることができます。この映画のディランの格好良さは、半端じゃありません。当時流行の「ビート」そのものです。さらに翌1966年彼は再びイギリスへ旅立ちます。その時、彼のツアーのバック・バンドに抜擢されたのが、その後ディランと行動を共にし、70年代には世界一のバンドと呼ばれることになるザ・バンドでした。(この時はまだホークスと呼ぶべきでしょうか)

<追憶のハイウェイ>
 しかし、その年発売の「追憶のハイウェイ」からのシングル・カット「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、曲の長さが6分以上という、その時代では異例の長いシングルであったにも関わらず、彼にとって初めて、全米チャート2位まで上昇する大ヒットとなりました。やはり、時代は彼の変化を必要としていたのです。怒れる若者の心の表現として広まりつつあったロックという新しいサウンドは、ボブ・ディランの「言葉=メッセージ」を得ることにより、さらなる進化の段階へと進んだのです。アルバムも全米チャート3位まで上昇しています。
 そして、これ以降、彼はまさに「ライク・ア・ローリングストーン」(転がる石)のように、前身と変身を繰り返しながら、20世紀を代表するアーティストとしての活躍を繰り広げてゆくことになります。

<「ライク・ア・ローリングストーン」について>(追記)2005年8月2日
 この曲で歌われる「ライク・ア・ローリングストーン」とは、「苔むすことなない転がる石」のことではなく、「人生における転落者」のこと、と言うより「転落した権力者」のことと考えるべきでしょう。当時の彼はそんな者たちに対し厳しい批判を浴びせていたわけです。しかし、多くのディラン・ファンにとっては、「ライク・ア・ローリングストーン」が意味するのは、「けっして苔むすことのない永遠のヒーロー」でもあります。そして、こうした二面性こそ、アーティストがカリスマ的存在になりうる最大の理由だと僕は思います。
 「ライク・ア・ローリングストーン」、なんともブルース的で魅力的なな言葉です!元祖「ライク・ア・ローリングストーン」ことマディー・ウォーターズだけでなく、この言葉は元々旅を続けるブルースマンたちのためにあった言葉なのでしょうから・・・。

<追記ー歴史は繰り返す>
 ボブ・ディランのデビュー30周年記念コンサート(1993年開催)に出演したアーティストの中に、アイルランド出身の女性ヴォーカリスト、シンニード・オコーナーがいました。彼女は、反体制的で過激なパフォーマーとして有名ですが、そのコンサートの直前にテレビ番組において、ローマ法王の写真を破り捨てるというパフォーマンスを行っていました。それは、女性の堕胎を認めないカトリック教会へのプロテストだったのですが、この日コンサートに来ていた観衆は、そんな彼女に対する反発から、徹底したブーイングを浴びせ、彼女に歌わせようとしませんでした。結局、彼女は、このブーイングの嵐の中、ボブ・マーリー「ウォー」のワン・コーラスをアカペラで歌いステージを降りました。
 この時、ステージを見ていたであろう主役のディランは、いったい何を思ったでしょう。
「天才は転がり続ける、しかし、大衆は、けっして自ら転がろうとはしない」
これは、いつの時代も変わらない真実のようです。

関連するページ
ボブ・ディラン ザ・バンド 映画「ドント・ルック・バック」 ポール・バターフィールド

     アンダーラインの作品は特にお薦め!

ロック、ポップ系
明日なき世界」 Barry McGuire
(RCがカバー、元歌も英国、米国で放送禁止になりながら大ヒット!)
"All I Rearly Want to Do" The Byrds(全英4位)
"Catch The Wind" Donovan
"Colors" Donovan(全英4位)
"Day Tripper/We Can Work It Out" The Beatles(全英1位)
"Eight Days A Week" "Ticket To Ride" "Yesterday" The Beatles
"For Your Love" The Yardbirds (全英2位)
"Get off of my Cloud" The Rolling Stones(全英3週連続1位)
007ゴールド・フィンガー Goldfinger」 ジョン・バリー楽団 The John Barry Orchestra、シャーリー・バッシー Shirley Bassey
"Go Now" Moodie Blues(全英1位)
"Hang On Sloopy" The McCoys(若き日のリック・デリンジャー在籍全米1位)
"Hanky Panky" Tommy James & the Shondells(全米1位)
"Heart Full of Soul" The Yardbirds(全英3週連続2位)
"Help !" The Beatles (全英チャート3週連続1位、アルバム・チャートも1位)
"Help Me Rhonda" The Beach Boys
"Here Comes The Night" Them(全英2位)
"I Got You Babe" Sonny & Cher(全英2週連続1位)
"I'm Alive" The Hollies (「バス・ストップ」で日本でもブレイク)
"It Ain't Me Babe" The Turtles(ボブ・ディランのフォーク・ロック・カバーがヒット)
"It's Not Unusual" Tom Jones(全英1位、映画「マーズ・アタック」のラスト・ナンバーとしても有名)
"Keep On Running" The Spencer Davis Group
"Knock Me Out!" The Ventures (ベンチャーズの最高傑作とも言える名作)
恋のダウンタウンDowntown」 Petula Clark
(イギリスを飛び出し世界のスターとなった数少ない女性ヴォーカリスト)
恋のダイアモンド・リング」 Gary Lewis & The Playboys
(アメリカを代表するコメディアン、ジェリー・ルイスの息子)
"Make It Easy On Yourself" The Walker Brothers(全英1位アメリカのグループだが英国で人気に)
"Mr.Tambourine Man "The Byrds
ボブ・ディランの曲で初の全米1位、全英1位となった曲)
"My Generation"The Who(これもロック史に残る名曲、アルバム全英5位)
涙でさようなら」 The Walker Brothers(なぜか日本で大人気)
"Out Of Our Heads" The Rolling Stones(全英2位)
"Rubber Soul" The Beatles (シタールの導入など、いち早くサイケに突入)
"Satisfaction" The Rolling Stones(上に同じ!全英チャート2週連続1位)
"Sound of Silence" Simon & Garfukel
"The Last Time" The Rolling Stones(全英1位)
"Ticket To Ride" The Beatles(全英3週連続1位)
"Yeh Yeh" Georgie Fame(全英2週連続1位)
"Turn! Turn! Turn!" The Byrds(全米1位)
カントリー系
"Strangers" Marle Haggard (G.パーソンズに影響を与えたアウトローシンガー)
R&B,ソウル系
"Ain't That Peculiar"Marvin Gaye(R&Bチャート1位)
"Baby Love"「涙のお願いThe Supremes
"Back In My Arms Again" The Supremes(R&Bチャート1位)
"Don't Fight It" Wilson Picket(R&Bチャート4位)
"Got Get You Off My Mind" Solomon Burke
(ついつい口ずさみたくなる名曲、R&Bチャート3週連続1位)
"How Sweet It Is To Be Loved By You" Marvin Gaye
"It's Growing" The Temptations (R&B3位)
"It's The Same Old Song" The Four Tops(R&Bチャート2位)
"I Can't Help Myself" The Four Tops(R&Bチャート連続9週1位、全米1位)
"I Got You" James Brown(R&B6週1位、全米チャートでも3位)
"In The Midnight Hour" Wilson Pickett (アトランティックからの第一作でR&Bチャート1位)
"I Want To" Joe Tex(R&Bチャート3週連続1位)
"I've Been Loving You Too Long" Otis Redding(R&Bチャート2位、トム・ダウドによって再録音されて完成)
"The Jerk" Don Julian & The Larks (R&Bチャート9位のヒットとなりジャーク・ブーム頂点に)
"Live at the Copa" The Supremes
"My Girl" "It's Growing" "Since I Lost My Baby" The Temptations
"Nothing Can't Stop Me" Gene Chandler(R&B3位)
"Nowhere To Run" Martha & The Vandellas
"Ooh baby baby "Smokey Robinson & The Miracles(R&B4位)
"Otis Blue" Otis Redding (「リスペクト」「愛しすぎて」が入った名作)
"Papa's Got A Brand New Bag" James Brown(R&Bチャート8週連続1位)
"People Get Ready" The Impressions (カーティス・メイフィールド在籍R&Bチャート3位)
"Respect" Otis Redding(R&Bチャート4位)
"Shot Gun" Junior Walker & The All Stars(R&Bチャートで4週1位)
"Stop! In The Name Of Love" "I Hear A Symphony" The Supremes
"The Duck" Jacky Lee(R&Bチャート4位)
"The Tracks Of My Tears","Going To A Go Go"
Smokey Robinson & The Miracles
(この頃のモータウンは今なら独禁法に引っかかっているだろう!)
"Treat Her Right" Roy Head(白人R&B歌手のヒット、R&Bチャート、全米チャートともに2位)
"You're Gonna Make Me Cry" O.V.Wright(R&Bチャート6位)
"We Are Gonna Make It" Little Milton(R&Bチャート3週連続1位)
"What The World Needs Now Is Love世界は愛を求めてる" Jackie DeShannon
バカラック・サウンドの代表作)
"Yes,I'm Ready" Barbara Mason(17歳の黒人シンガー・ソング・ライター)
ブルース系
"Father Of The Delta Blues" Son House
(デルタ・ブルースの父の再発見アルバム、キャンド・ヒートも録音に参加)
"Hoodoo Man Blues" Junior Wells
(ブルース・ハープ系シカゴ・ブルースの傑作、バディ・ガイのギター)
"The Best Of Mississippi John Hurt" Mississippi John Hurt
(伝説のブルース・マン、再発見アルバム)
ジャズ系

アセンション Ascension 神の国」 John Coltrane
オスカー・ピーターソン・トリオ・プラス・ワンOscar Peterson
"The In Crowd" The Ramsey Lewis Group (ポップなジャズの登場、R&Bチャート2位の大ヒット)
処女航海」 Herbie Hancock (脱ハード・バップの新しい挑戦)
ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン」 Ornette Coleman
ブラジリアン・ポップ系
おいしい水」 Astrud Gilberto
(「イパネマの娘」を歌い一躍世界的スターに。ジョアン・ジルベルトの奥さん)
サルサ系
"Azucar Pa'Ti" Eddie Palmieri
(イスマエル・キンターナのヴォーカルによるプレ・サルサ・アルバム)
ユーロ・ポップ系
君に涙とほほえみを」 Bobby Solo
夢みるシャンソン人形」 セルジュ・ゲーンズブール(作曲者)
夢みるシャンソン人形」 France Gall
民族音楽
ナイルの流れのように」 Hamza El Din
(スーダンだけでなくアフリカを代表する旅する音楽家)
歌謡曲系
網走番外地」 高倉健
おしゃべりな真珠」伊東ゆかり
君といつまでも」 加山雄三
恋は赤いバラ」加山雄三
涙の太陽」 エミー・ジャクソン(和製ポップスヒット第1号)
フリフリ」ザ・スパイダース(オリジナルのロック・ナンバー第一号?)
ヨイトマケの唄」 美輪明宏



ロック・ポップ系
The Association "Baby I'm Gonna Leave You"
The Beau Brummels "Introducing The Beau Brummelds"
Boz Scaggs "Boz"
The Byrds "Mr.Tambourine Man"
Donovan "What's The Bin Did And What's Bin Hid"
Lovin' Spoonful "Do You Believe In Magic"
Mamas & Papas "California Dreaming"(全米4位)
Mitch Rider & The Detroit Wheels"I Need Help"
The Moody Blues "The Magnificent Moodies"
(スタート時の中心はデニー・レインだった)
Paul Batterfield Blues Band "Paul Batterfield Blues Band"
The Spencer Davis Group( Steve Winwood) "Their First LP"
The Small Faces "Whacha Gonna Do About It" (全英14位)
Them "The Angry Young Them"
The Turtles 「悲しきベイビー」
The Who "I Can't Explain"
The Young Rascals "The Young Rascals"
フォーク系
Fred Niel "Bleecker & MacDougal"
(伝説のフォーキー・ブルース、グリニッチ・ビレッジのコーヒー・ハウス・ヒーロー)
The Seekers 「恋はたったひとつ」
(オーストラリアから登場したフォーク・グループ)
Tom Paxton "Ramblin' Boy"
(ガスリーズ・チルドレンの代表格のひとり)
ソウル系

Four Tops "Four Tops"
ブラジリアン・ポップ系
Edu Lobo "Musica Do Edu Lobo Por Edu Lobo"
Paulinho Da Viola "Conjunto A Voz Do Morro"
J-ロック系
スパイダース 「フリフリ」

<アメリカ>
TV音楽番組「フラバルー」放送開始(1月11日)
ニュー・クリスティ・ミンストレルズ、ゾンビーズ、ジェリー&ザ・ペースメイカーズ
ビーチボーイズのブライアン・ジョーンズに代わるツアー・メンバー、グレン・キャンベルに代わり、ブルース・ジョンストンが参加
ビートルズがグラミー賞最優秀新人賞&最優秀ヴォーカル・グループに選出される
ボブ・ディランの英国ツアー開始。ツアー映像は、映画「ドント・ルック・バック」として公開される(4月30日〜5月7日)
ボブ・ディランのアルバム「Bringin' It All Back Home」が全米アルバム・チャートで初のベスト10入り(5月1日)
ポール・サイモンがソロ・アルバム「ポール・サイモン・ソングブック」発表(5月)
ウィルソン・ピケットがスタックス・スタジオにて「In The Midnight Hour」などを録音
ジェファーソン・エアプレインがサンフランシスコで初ライブ開催
第5回「ニューポート・フォーク・フェスティバル」にボブ・ディランがエレキギターを持って参加(7月25日)
サンフランシスコにライブ・クラブ「マトリックス」オープン(オーナーはジェファーソン・エアプレインのマーティ・ベイリン)
ビートルズのメンバーがビヴァリーヒルズのエルヴィス・プレスリー邸を訪問(8月27日)
スタックス・レヴュー」開催(8月)
(出)MG’s、ルーファス&カーラ・トーマス、ウィルソン・ピケットほか
「ザ・モンキーズ」(テレビシリーズ)の出演者(いかした若者)募集(応募者の中には、スティーブン・スティルス、ポール・ウィリアムス、チャールズ・マンソンがいた)
ビートルズのアニメ番組スタート
ジェリー・ゴフィン&キャロル・キングがトゥモロー・レコードを設立
ビル・グレアムが「フィルモア・オーディトリアム」でのコンサートを初主催(ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、ファグス、マザーズ・オブ・インヴェンション・・・)
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドがニュージャージーの高校のダンス・パーティーで初ライブ
ブルース・プロジェクトにアル・クーパーが参加
元グリーンベレー隊員バリー・サドラーの「ザ・バラード・オブ・ザ・グリーン・ベレー」が全米1位のヒットとなる

<イギリス>
エリック・クラプトンがヤードバーズを脱退し、ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズに移籍。ヤードバーズには代わりにジェフ・ベックが加入
タムラ・モータウン・レビュー開催
フロリダのホテルにて、キース・リチャーズが夢の中で「サティスファクション」のギター・リフを発見(5月5日)
ドノヴァンとジョーン・バエズがロンドン・トラファルガー広場にてベトナム反戦デモ行進
デイヴ・クラーク・ファイブ主演映画「五人の週末」公開
ビートルズの主演映画「Help ! 四人はアイドル」公開
グレアム・ボンドがTV「レディ・ステディ・ゴー」でメロトロンを演奏し話題となる
第5回「ナショナル・ジャズ&ブルース・フェスティバル」開催(8月6〜8日)
(出)ヤードバーズ、ザ・フー、マンフレッドマン、ムーディ・ブルース、スペンサー・デイヴィス・グループ、ジョージー・フェイム
マーク・ボランがデッカと契約しソロデビュー
マンフレッド・マンの「イフ・ユー・ガッタ・ゴーゴー・ナウ」(ディランのカバー)がセクシャル過ぎるという理由でBBCで放送禁止となる



Alan Freed (DJ)  1月20日 尿毒症 42歳
Bill Black (E.プレスリーのベース奏者) 10月21日 脳腫瘍 39歳
Nat King Cole  2月15日 肺癌 45歳
Sonny Boy Williamson U  5月25日 自然死 65歳



<アメリカ>
「アメリカ激動の時代に突入」
アメリカによる北ヴェトナムの爆撃開始(北爆)
ワシントンでヴェトナム反戦平和行進
黒人投票権法(65年公民権法)成立
マルコムX暗殺される、LAのワッツで黒人暴動が起き、死者34名をだす
<アジア>
中国で文化大革命が始まる
インドとパキスタンがカシミールで交戦、印パ戦争勃発
<日本>
朝永振一郎ノーベル物理学賞受賞
日本原子力発電東海発電所が初の営業用原子力発電に成功

<芸術、文化、商品関連>
「ハーツォグ」ソール・ベロウ著(全米図書賞)
ピエール・カルダンが「宇宙ルック」を発表
J・R・R・トールキン著「指輪物語」のペーパー・バック版が発売され、静かなブームが始まる
「おばけのQ太郎」「ジャングル大帝」「11PM」放映開始
「0011ナポレオン・ソロ」日本での放映開始


<音楽関連(海外)>
ビートルズがMBE勲章を受章
ビートルズの主演映画映画「ヘルプ」公開
「イッツ・ゴナ・レイン」 スティーブ・ライヒ
ダンス「ジャーク」がブーム
<音楽関連(国内)>
ベンチャーズ、アストロノウツ、ピーター&ゴードン、アニマルズらが次々来日、エレキ・ブームいよいよ本格化。
フジテレビ系で「勝ち抜きエレキ合戦」スタート
加山雄三主演の映画「エレキの若大将」公開

<映画>
この年の映画についてはここから!

[1965年という年] 橋本治著 「二十一世紀」より(2004年11月追記)
 1965年の1月、日本で初の「スモッグ警報」が発令され、東京湾のゴミの埋め立て地である「夢の島」にハエが大量発生。新潟の阿賀野川流域で原因不明の水銀中毒患者が発生したのもこの年。
「ある時期までの日本人は、『自分たちと関係のないものは、放っておけば消える』という形で、すべてを処理しようとしていたらしい。・・・」

<作者のコメント>
 昔、僕はアラスカでシーカヤック・ツアーに参加したことがあります。(詳しくは「クジラまであと3mの旅」参照)その時、島や入り江をめぐりながら最も感心したこと。それはどこにもゴミが落ちていなかったことです。そこで拾った唯一のゴミ、チョコレートのケースは僕のお土産になったくらいです。もちろん、それはただ単にそこに人が入っていないからゴミがない、というわけではありません。そこを旅する人々のマナーの良さとガイドする人との真剣な取り組みがあるからこその結果です。
 「先進国」という言葉は、こういう意味でこそ使うべきだと実感しました。そう考えると、日本という国は本当に先進国と呼べるのか?また、あなたの近所の海辺は、先進国の海辺と呼ぶに相応しい場所でしょうか?

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