- ルーツ・ミュージック博物学 -

ライ・クーダー Ry Cooder

この年の出来事 代表的な作品 デビュー 物故者
<ロック時代の異端派>
 この年、60年代から続いてきた「ロックの時代」は、いよいよ新たな局面を迎えようとしていました。「パンクの時代」をリードするアーティストたちが、世界中で活躍を始め、それまでのロック・ヒーローたちは、少しずつ過去の存在へと追いやられようとしていたのです。その意味ではロックは再び「若者たちの音楽」としての輝きを取り戻そうとしていたとも言えます。
 ライ・クーダーはそんな時代の流れとは、常に距離を置き、あくまでも「ルーツ・ミュージックへの旅」にこだわり続けてきたアーティストです。彼は、60年代末ごろからキャプテン・ビーフハートのギタリストやローリング・ストーンズのバックをつとめるようになり、ロック・ブルース系のセッション・ギタリストとして一躍有名になり、1970年23歳でソロ・アーティストとしてデビューを果たしています。

<隠れた名曲掘り起こしの達人>
 彼がデビューした時代は、自らのメッセージを、自らの曲で歌い聴かせるシンガー・ソングライーたちがいっせいに活躍を始めたころでした。しかし、彼はそれとは全く違うタイプのアーティストでした。彼はオリジナルの曲はめったに作らず、その代わり他のアーティストがつくった知られざる過去の曲を探してきて、自分流によみがえらせるのが得意でした。と言っても、彼の行為はけっして「盗作」とかパクリとか呼ばれるものではありませんでした。昔から、多くの白人アーティストたちが黒人のブルースマンたちから曲のアイデアを盗み、それを自分の歌として発表していましたが、彼の行為はそれとは違いました。彼には、それぞれの曲を作ったアーティストやそのバックにある文化への敬意と愛情が常にあったのです。だから、彼はアフリカや南米から優れたミュージシャンたちをニューヨークのスタジオへ連れてきて、自分の演奏のバックに使うのではなく、逆に自ら彼らの土地へ出かけて行き、そこで共同で作品を作り上げるのが常でした。(その逆の例として、しばしばやり玉に挙がるのがポール・サイモンです。彼のことを「音楽植民地主義者」と呼ぶ者さえいるほどです)

<ルーツ・ミュージック博物学の先駆者>
 ロックという音楽は、R&B、ブルース、ゴスペル、ジャズ、カントリーなどが混ざり合うことによって成立した複雑な混血音楽です。しかし、それは同時に黒人奴隷からの収奪と貧しい白人移民たちの苦労によって発展してきたアメリカ合衆国の歴史そのものとも言える音楽です。ライはそんな過去の人々の努力によって育てられてきた「ルーツ・ミュージック」の掘り起こしに取り組んだだけでなく、それを現代によみがえらせた先駆者と言えるでしょう。

<アメリカン・ポップ・ミュージックの継承者>
 しかし、彼の素晴らしさはそれだけではありません。彼は研究者にありがちな頭の固い人間ではありませんでした。それどころか、アメリカン・ポップ・ミュージックの良き継承者として、掘り起こした曲を誰でも楽しめる音楽に翻訳する天才でもありました。彼は自分の研究成果を管理、分類、保管するだけでなく、それを素敵なポップ・アルバムとして発表することを欠かしませんでした。

<世界を旅する音楽博物学者>
 そのうえ、彼は「アメリカン・ルーツ・ミュージック」の研究だけでは飽きたらず、世界の素晴らしい音楽との出会いを求めて、さらなる旅を続けています。メキシコ、沖縄(琉球)、ハワイ、ギターの故郷西アフリカ、キューバ…、その旅に終わりはなさそうです。もちろん、彼はその旅の途中にもそれぞれ素晴らしいアルバムを発表しています。

<ジャズのルーツへの旅、アルバム「JAZZ」>
 そんなライ・クーダーが発表した数々の作品の中で、唯一ジャズのルーツに挑んだのが、このアルバム、その名もズバリ「ジャズ」です。しかし、そこはさすがにライ・クーダー、「ジャズとは、こんなにも楽しい音楽だったのか!」と聴く者を驚かせる内容になっています。ジャズがかつてニューオーリンズの街角でポップ・ミュージックとして演奏されていた時代へと、聴く者をタイムスリップさせるような、楽しくて、ノスタルジックな演奏は、何度聴いても実に新鮮です。
 ライ・クーダーというアーティストは、「ルーツ・サウンドの研究者」としての「求道者的生真面目さ」と「世界を旅する古き良き時代の博物学者」としての「寅さん的呑気さ」の二つの面を持っているといえそうです。そう考えると、前者の面が生んだ代表作が究極のブルース・アルバムとも言える映画音楽「パリ・テキサス」であり、後者の面が生んだ代表作は、ハワイ、メキシコの旅から生まれた「チキン・スキン・ミュージック」ということになるでしょうか。そうすると、このアルバム「ジャズ」は、その中間に位置する作品ということになるかもしれません。リラックスした明るいサウンドの向こうには、ジャズのルーツ、ニューオーリンズから、さらにキューバやアフリカへと向かうアフロ・アメリカン・サウンドの奥深い歴史が続いています。だからこそ、このアルバムは聴く者にセピア色の映画を見ているような何とも言えないノスタルジックな雰囲気を与えてくれるのでしょう。

     アンダーラインの作品は特にお薦め!

ロック系
"Do Ya Think I'm Sexy" Rod Stewart
"Don't Look Back" Boston (工学科系ロックの登場?)
"Double Vision" Foreigner
"Easter" Patti Smith
"52nd Street" Billy Joel
"Give'Em Enough Rope 動乱" The Clash
"A Little Kiss In The Night" Ben Sidran
"Live And Dangerous" Thin Lizzy
"Last Waltz" The Band (60年代ロックの終わりを告げたライブ)
"The Man Machine「人間解体」" Kraftwerk
"Minute By Minute" Doobie Brothers
"Music For Airports" Brian Eno(アンビエント・ミュージック、環境音楽の登場)
"No New York" V.A.(ブライアン・イーノがパンクから発展したノー・ウェイブ系アーティストたちを紹介したオムニバス)
"Sanctuary" J. Geils Band , "Some Girls" The Rolling Stones
"Stranger In The Town" Bob Seger& The Silver Bullet Band (渋い大人向けロック)
"Time Passages" Al Stewart
"This Year's Model" Elvis Costello
"Waiting For Columbus" Little Feat(L.フィートの貴重なライブ盤)
アイリッシュ、ケルト系
"Welcome Here Kind Stranger" Paul Brady
(トラッド・アルバムとしての代表作、この後はロックに転向した)
"After Hours" ボシー・バンド(Donal Lunny
ソウル・ファンク系
マッカーサー・パークDonna Summer
"C'est Chic" Chic
"Larry Levan's Paradise Garage" Larry Levan(DJの名をメインにした作品の先駆け)
"One Nation Under a Groove" Funkadelic
"Right On Time" Brothers Johnson(チョッパー・ベースがブレイク!)
ジャズ系
フライング・ホームLionel Hampton
"Milstone Jazz All Stars In Concert" Milestone Jazz All Stars

エチオピアへの道」Third World
"Babylon By Bus" Bob Marley & The Wailers
サルサ系
"We Love N.Y." Orquesta La Grande
"Comedia" Hector Lavoe (NYサルサを代表するヴォーカリストの代表作)
"Siembra" Willie Colon & Ruben Brades
"En Cuba" Tipica 73(キューバン・サルサとNYサルサの記念すべき出会い)
"Explorando" Sonora Poncena
ブラジリアン・ポップ(MPB)系
すばらしき世界」 Beth Carvalho
ユーロ・ポップ系
愛-女の第三章」 Ornella Vanoni(イタリアを代表する歌姫)
出発せよ」 ジャック・イジュラン(フランス、左岸派出身のアーティスト)
アジアン・ポップ
アナック(息子)」 フレディ・アギラール
J−ポップ系

あんたのバラード」世良公則&ツイスト
Weeping in the Rain」柳ジョージ&レイニーウッド
勝手にシンドバッドサザン・オール・スターズ(このタイトル「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバッド」の合体です)
ガンダーラ」 「モンキー・マジック」ゴダイゴ
季節の中で」松山千春
君の瞳は10000ボルト」堀内孝雄
サウスポー」ピンクレディー
サラヴァ ! 高橋幸宏
時間よとまれ矢沢永吉
電撃的東京近田春夫&ハルヲ・フォン
東京ワッショイ遠藤賢司
はらいそ細野晴臣
HERO」 甲斐バンド
ビギニング」竹内まりや
プレイバック Part 2山口百恵
UFO」ピンクレディー(レコード大賞)




ロック系
Bobby Coldwell "Evening Scandal"
The Cars "The Cars"
Devo頽廃的美学論
Dire Straits "Dire Straits"
The Jam
"All Mod Cons"
Japan "Adolescent sex"
Los Lobos "Los Lobos Del Este De Los Angeles"
Nicollet Larson "Nicollet"
Nick Lowe "The Jesus Of Cool"
Nina Hagen Band "Nina Hagen Band"
Pere Ubu "The Modern Dance"
Public Image Limited "Public Image"
The Police "Outlands D'Amour"
Turtles "All You Need Is Cash"
Siouxsie & the Banshees "Scream"
Steve Forbert "Arrive On Arrival"
Squeeze "Squeeze"
Tom Robinson Band "Power In The Darkness"
TOTO "TOTO" (ボズ・スキャッグスのバック・バンドから生まれたスーパー・バンド)
Van Halen 「炎の導火線」
XTC "White Music"
ソウル、ファンク系
Blues Brothers "Briefcase Full Of Blues"
Neville Brothers "Neville Brothers"
Prince "For You"
Rick James "Come Get It"
J−ポップ系
Southern All Stars 「熱い胸さわぎ」
イエロー・マジック・オーケストラ 「イエロー・マジック・オーケストラ」


 Terry Kath( Chicago )    1月31日  拳銃の暴発   31歳 
 Keith Moon( The Who )   9月 7日  薬物中毒  31歳
 Sandy Denny( F.Convention )    4月21日  転落事故   30歳
 Migelito Valdez   11月 6日      ?  62歳
 Jacques Brel (フランス)  10月 9日  肺癌      49歳
 阿部 薫   9月 9日      ?  29歳




国連非政府組織軍縮会議
第4回先進国首脳会議(ボン)
<アメリカ>
ガイアナの人民寺院で集団自殺
ドミニカ連邦、アメリカより独立
<ヨーロッパ>
イギリスで世界初の体外受精児(試験管ベビー)誕生
ローマ・カトリック教皇にヨハネ・パウロ2世(ポーランド人)が就任
<アフリカ・中東>
中東和平キャンプ・デービッド会談開催(米、エジプト、イスラエル)
アラブ12ヶ国首脳会談(エジプト除外され非難強まる)
<アジア>
ヴェトナム、ソ連と友好協力条約を結ぶ(中国との対立深まる)
中国で新憲法公布、新国歌制定
毛沢東批判の壁新聞現れ、近代化路線へ
金大中氏釈放される
<日本>
日中平和友好条約調印
成田空港(新東京国際空港)開港
円高が進み、一時1ドル=180円を割る
大平内閣成立

<芸術、文化、商品関連>
「叫び声」ジェイムズ・マクファーソン著(ピューリツァー賞受賞)
「海よ、海」アイリス・マードック著(ブッカー賞受賞)
「亡命詩人、雨に消ゆ」ウィリアム・H・ハラハン著(エドガー賞)
ジャンニ・ヴェルサーチ・ブランド誕生
ラフォーレ原宿オープン


<音楽関連(海外)>
映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のヒットで世界的なディスコ・ブーム
アフリカ・バンバータがズールー・ネイションを設立。ヒップ・ホップ文化を生み出す先駆けとなる
インドネシアで、ググム・グンピーラがジャイポンガンを創始する
ローデシア(ジンバブエ)でトーマス・マプフーモがザ・ブラックス・アンリミテッド結成し、独立解放のための音楽「チムレンガ」を発表し始める
小アンティル諸島出身のカッサヴ結成、フランスで活躍開始
韓国でパーカッション・グループ、サムルノリが結成される
<音楽関連(国内)>
キャンディーズ解散
矢沢永吉の自伝エッセイ「成り上がり」が100万部を超えるヒットとなる
ピンク・レディーがラスベガスに続き後楽園球場でコンサートを開催。彼女たちのキャラクターを用いた商品が多数販売され、アーティスト・キャラクター・グッズ商法の先駆けとなる

<映画>
この年の映画についてはここから!

[1978年という年] 橋本治著「二十世紀」より 2004年11月追記
 この年の1月、イランではイスラム原理主義革命へと続くことになる暴動が起き、11月には南米のガイアナでアメリカの新興宗教団体「人民寺院」の集団自殺事件が起き、900人もの命が失われる。
「1978年から79年のイランでは『反米行動』が起こった。しかし、その『反米行動』は、実のところ1967年4月のアメリカ=ニューヨークで起こったものとそんなに変わらない。ヴェトナム戦争を続行する合衆国政府に対して、アメリカ国民はアンチを唱えたイランの反米は、これと同質のものである。・・・1967年に異議を唱えたアメリカ人の一部は、その後生きる方向を見失ってカルト集団となったが、1979年のイラン人は、本来的な自分たちの生活指針=イスラム教へと戻った」
「人民寺院とイスラム原理主義の並ぶ1978年から1979年にかけて、クローズ・アップされるべきものは宗教ではない。拾い上げられるべきは、『アメリカ的豊かさへの異議』であり、『生き方をめぐる思想の対立』なのだ」
「二十世紀の後半、アメリカは世界の豊かさのモデルだった。アメリカ以外の国の支配者たちは、『アメリカ的豊かさ』を求めた。アメリカの上層部も、『アメリカ的豊かさ』を最上級として、他国の独裁者を支援した。異議は、そこに起こったのだが、アメリカはそんな風に考えない。人民寺院の信者も、イスラム原理主義の信者も、『まともなアメリカ人とは違う異質な人間達』なのだ。・・・」

<作者からのコメント>
 僕は中学2年の春休みにアメリカの西海岸で2週間ホーム・ステイしたことがあります。その時、僕にとって最も印象深かったのは、街やショッピング・センターにたちこめる独特の香りでした。それは実に人工的で強烈な香りでした。もちろん、その時の良い思い出もいっぱいあるのですが、その香りに代表されるアメリカという国のうそっぽさは僕に大きな影響を与えてきた気がします。あの時の違和感とその後大人になってからインドやトルコを旅して感じたリアルな感覚。(そこはリアルな香りに満ちていました)そのギャップこそ、『アメリカ的豊かさ』への疑問であり反発だったのかもしれないと今さらながら感じています。多くの人が世界を旅し、世界各地の文化の多様性にこそ価値があるのだということを実感してほしいものです。


総参加国数 106
本戦参加チーム(16ヶ国)
西欧圏(資本主義国) イタリア、フランス、西ドイツ、オーストリア、スペイン、スウェーデン
              オランダ、スコットランド
東欧圏(共産主義国) ハンガリー、ポーランド
南米           アルゼンチン、ブラジル、ペルー
北中米          メキシコ
アフリカ         チュニジア
アジア          イラン
ベスト8(2次リーグ進出チーム)成績順
(A組) オランダ、イタリア、西ドイツ、オーストリア
(B組) アルゼンチン、ブラジル、ポーランド、ペルー
決勝
アルゼンチン、オランダ
優勝
アルゼンチン
<活躍した選手>
マリオ・ケンペス、ノルベルト・アロンソ、ダニエル・ベルトーニ、レオポルド・ルーケ
オズワルド・アルディレス(アルゼンチン)
ロブ・レンセンブリンク、アーリー・ハーン、レネ・ファンデケルクホル、ディック・ナニンハ(オランダ)
ゼップ・マイヤー、ライナー・ボンホフ、ディーター・ミュラー(西ドイツ)
パオロ・ロッシ、ロベルト・ベッテラ(フランス)

<最も政治色の強かった大会>
 クーデターによって軍部が政権を奪ったばかりの不安定な状態で行われた大会だったが、大会中ゲリラ組織によるテロ事件が起きることはなく、無事に大会は行われた。サッカーという国民的スポーツは、右派、左派どちらにとっても、無視することのできない存在だったのです。
<イランの民主化と黄金時代>
 今大会唯一のアジア代表国イランは、当時近代化、民主化が進んだことで急激な経済発展を遂げていました。その結果が、アジア大会での優勝、ワールドカップ出場という黄金時代につながったと言われています。
 しかし、この大会の翌年、ホメイニ師を中心とするイスラム革命が起こり、イランは再び厳格なイスラム国家に戻ります。と同時に、イラン・サッカー界の黄金時代も終わりをつげることになります。
<攻撃サッカーに変身したアルゼンチンの優勝>
 地元アルゼンチンの代表監督には、アルゼンチン独特の守備的サッカーを否定したセザール・メノッティーが就任。軍事政権の圧力により選手の海外流出を抑えることにより、強力な攻撃的チームを作り上げ、見事優勝を飾った。(海外組はマリオ・ケンペスただひとりだった!)
<地元優勝へ疑問の判定続出>
 地元が優勝したこと、軍事政権主導の大会だったこともあり、審判の判定への不満や八百長疑惑など、数々の大会批判が行われた大会だった。
 ペレ、ベッケンバウアー、ヨハン・クライフらの時代が終わり、ジーコ、プラティニ、マラドーナの時代には、まだ早いヒーロー不在の大会でもあった。
   

年代記編トップへ  1979年へ   このページの頭へ    トップ・ページへ