
- ワールド・ミュージック元年 -
Peter Gabriel… Various Artists
<WOMADとは?>
「World Of Music And Dance 音楽とダンスの世界」と題するフェスティバルが、この年イギリスで初めて開催されました。元ジェネシスのピーター・ゲイブリエルを中心とするスタッフが世界中から優れたアーティストたちを集め、各地の音楽とダンスを紹介するとともに、お互いの交流を深めようという画期的な企画でした。
残念ながら、この第一回は開催期間中の天候不順や前宣伝の不足などにより集客に恵まれず、大きな赤字を抱えてしまいました。しかし、ピーター・ゲイブリエルが自らの資産をつぎ込んだり、多くのボランティアが支えることによって、その後もこのフェスティバルは海外各地で開催され、80年代を代表する音楽フェスティバルへと成長しました。(日本でも、その後横浜で開催されました)そして、それはそのまま「ワールドミュージックの時代」となった1980年代を象徴する存在となりました。
「WOMAD '82」は、このフェスティバルの運営資金を補うことと、出演者たちの紹介を目的として制作されたプロモーション・アルバムです。
<1973年「ホット・メニュー」のこと>
ここでちょっと話しを過去に戻すと、その10年前、1973年に「ホット・メニュー」というアルバムが発売されました。そのアルバムは、ワーナーがアトランティックと合併して、いよいよ絶頂期を迎えようとしていた時期に、二つのレーベルのアーティストたちが総出演して制作したプロモーション・アルバムでした。そのために、二枚組でありながら980円という低価格で発売されていました。その時のメンバーはとにかく凄かった。
ロック系では、 ドゥービー・ブラザース、オールマン・ブラザース・バンド、ディープ・パープル、エマーソン・レイク&パーマー、ライ・クーダー、アリス・クーパー、レッド・ツェッペリン、ブラック・オークアーカンソー、J.ガイルズ・バンド、グレイトフル・デッド、ヴァン・モリソン
フォーク・カントリー系では、アーロ・ガスリー、マナサス、ジェームス・テイラー、シールズ&クロフツ、ゴードン・ライトフット
ソウル系では、ダニー・ハサウェイ、ロバータ・フラック、タワー・オブ・パワー、ドクター・ジョン、スピナーズ…etc. どうです凄いでしょう!まさにこの後70年代ロック界を代表するメンバーでした。
このアルバムは、僕にとって絶好のロック入門案内となり、その後30年たった今でも70年代サウンドを代表するサウンドの基準として、その輝きを失っていません。
<1982年「WOMAD」の登場>
調度その10年後にこのアルバム「WOMAD '82」が発売されたわけですが、それが今度は僕にとって新たなジャンル、80年代サウンドの基準「ワールド・ミュージック」への素晴らしい入門案内になってくれたというわけなのです。このアルバムをきっかけに僕の音楽の興味は英米のロックから、第三世界のさまざまなポップスへと移って行くことになりました。しかし、この興味の移り変わりは、僕一人だけの事ではなく、当時の世界全体の音楽状況の変化でもあったのです。
生命における「進化論」では、ある種の生命体の進化が進んで行くのは、毎日少しずつ変化するのではなく、ある日突然急激な大きな変化が起こることによって進められて行くと考えられています。それと同じように、当時世界では一気にワールド・ミュージックという文化が花咲こうとしていたのです。
<WOMAD以降>
「世界中のどんな国に行っても、そこには必ず素晴らしい音楽が存在する」
それは当たり前のことなのかもしれませんが、実際にそれを確認することは、かつては世界中を旅する以外に方法がありませんでした。欧米でよほどのヒットにならない限り、第三世界のポップスがその国以外の市場に出回ることはなかったのです。現在のように、世界中の音楽のCDが店頭で購入できるようになったのは、この時期からのワールド・ミュージック・ブームと外資系メガ・ショップ(タワー、ヴァージン、HMVなど)の世界進出のおかげです。
さらに、この時期には第三世界の音楽を積極的に世界中で売り出そうという新しいタイプのレコード会社(その代表格がB.マーリーやK.サニー・アデを世界的スターに押し上げたアイランドレーベルだ)が大活躍を始め、いよいよワールド・ミュージックという新しいジャンルが一大ブームとなったわけです。それはまた、日本においては「バブルの時代」と重なることにもなり、いよいよ世界中の音楽がCDショップに揃うという状況が生まれることになったのです。
<バブルの崩壊以降>
残念ながら、このワールド・ミュージックのブームは日本では「バブルの崩壊」とともに、その勢いを失ってしまいました。しかし、ミュージシャンたちの世界的な交流はその後も確実に進み、音楽の混合化(ミクスチャー)だけでなく、世界各地の音楽産業の活性化につながるなど、静かに着実にその効果は世界中に広まって行きました。そして、それは今でも続いています。
<音楽を通して世界を知る>
「音楽は世界の共通言語である」と良く言われます。ならば、音楽を通して世界を知ることは、最も偏見の少ない有効な方法なのではないでしょうか。もちろん、実際に世界を旅して得られる経験に比べたら、それは些細な事かもしれません。しかし、その旅のきっかけとして「音楽」が「映画」と並んで大変重要な存在なのは確かでしょう。(ジャミロクワイのアルバムに「トラベリング・ウィズアウト・ムービング」という意味深なタイトルの作品がありますが、彼が目指しているのは、そんな世界を感じられる音楽のようです)
<ワールド・ミュージック・ブームの仕掛け人>
ところで、このワールド・ミュージック・ブームに仕掛け人がいたことは、あまり知られていないようです。それが、なんとフランスの社会党政権だったとは、僕も知りませんでした。フランスの文化省が巨額の資金をそそぎ込んで、第三世界の音楽を世界に向けて紹介し、販売するベンチャービジネスを始めたことが、その発端だったというのです。さすがは、芸術の国フランスです。と言いたいところですが、増え続ける第三世界からの移民が生んだ国内の軋轢を解消するための方策として、実施されたともいわれています。そのため、もともと赤字覚悟の企画だったとか・・・。しかし、「ランバダ」という世界的な大ヒット作を生み出したことがきっかけで、このビジネスは、以外な大成功を納めることになったのです。
<追記-ワールドカップ、フランス・チームの優勝について>
1998年、今世紀最後のワールドカップ・サッカーで、地元フランスがジダンを初めとする移民選手の大活躍で初優勝したのも、やはり、フランスの移民問題にむけての政策が効をそうしたからだと言われています。
関連するページ
アンダーラインの作品は特にお薦め!
ロック系
"Avalon" Roxy Music (ロキシー空間がついに完成、伝説となる)
"Business As Usual" Men At Work(オーストラリア製ロックの代表格)
"最終楽章Coda" Led Zeppelin (まさにラスト・アルバム)
"English Settlement" XTC (どれも質が高いが、これがベスト?)
"Jukebox Dury" Ian Dury& The Blockheads
「カモン・アイリーン」 Dexy's Midnight Runners
"Night And Day" Joe Jackson (サルサを本格導入した快作!)
"The Nightfly" Donald Fagen (スティーリー・ダンをさらにスタイリッシュに)
"Nick The Knife" Nick Lowe (パブ・ロックのリーダー会心のソロ作)
「オンリー・ユー」 Yazoo(ブリティッシュ・エレクトリック・ソウルの代表作)
"Peter GabrielW" Peter Gabriel
"RIO" Duran Duran
"TOTO W" TOTO
"Tropical Gangsters" Kid Creole And The Coconuts
(ラテン系ごった煮サウンド、米米クラブは彼らをパクッた)
「遠い渚」 Tracey Thorn (ブリティッシュ・アコースティック・サウンドの決定版)
"Vacation" Go-Go's(アメリカらしい元気なガール・グループ)
"Waiting" Fun Boy Three
"Words From The Front" Tom Verlaine
アイリッシュ、ケルト系
"Fuaim" Clannad
(初ヒット「ハリーズ・ゲームのテーマ」収録、エンヤ在籍時のアルバム)
ソウル、ファンク系
「スリラー」 Michael Jackson (MTV時代を象徴するメガヒット作)
"Street Songs" Rick James(ストリート・ファンクの代表作)
"1999" Prince
"Planet Rock" Africa Bambaataa & Soulsonic Force
レゲエ系
"Chill Out" Black Uhuru
"Not Satisfied" ASWAD
ブラジリアン・ポップ(MPB)系
「個人生活 Corpo e Alma」 Simone
"Anima" Milton Nascimento
サルサ系
"Sabroso" Luis Perico Ortiz
(ファニアのトロンボーン奏者からNYサルサを代表するバンド・リーダーへ)
"Preparate …" Grupo Niche
(コロンビア・サルサ発展の戦陣を切ったバンド、セカンド・アルバム)
"Orquestra Puerto Rican Power" Orquestra Puerto Rican Power
アフリカン・ポップ系
"Ju Ju Music" King Sunny Ade & His African Beats
(アフリカン・ポップ時代の到来を告げた名作)
"Khidni Habibi" Majida El Roumi(チュニジアが生んだアラブ歌謡のヒロイン)
ジャズ系
"Carla Bley Live!" Carla Bley Band
J−ポップ系
「いけないルージュ・マジック」忌野清志郎、坂本龍一
"Immigrants" サンディー&ザ・サンセッツ
「H」立花ハジメ
「改造への躍動」ゲルニカ
「完全無欠のロックン・ローラー」アラジン
「北酒場」 細川たかし(レコード大賞受賞曲)
「サムデイ」佐野元春 (ついにブレイク!)
「シルク・スクリーン」南佳孝
「すみれセプテンバー・ラブ」一風堂
「赤道小町ドキィ」山下久美子
「チャコの海岸物語」サザン・オールスターズ
「ドゥー・ユー・ライク・ジャパン」Melon
「バイブラ・ロック」ビブラトーンズ
「ファイト・オア・フライト」 The Mods
「釜山港へ帰れ」 チョー・ヨンピル(韓国のアイドル、日本でもブレイク)
「PROMISED LAND 〜約束の地」浜田省吾
"Nude Man" Southern All Stars
"Mania Maniera" Moonriders (CDのみで発売、独自の空間を創造)
「民族の祭典」巻紙公一


ロック系
ABC "Look Of Love" , Asia "Asia"
Billy Idol "Billy Idol"
Culture Club "Kissing To Be Clever"
Cocteau Twins "Garlands"
Hair Cut 100 "Pelican West"
Laurie Anderson "Big Science"
Men At Work "Work Songs"
Motley Crue "Too Fast For Love"
Nena 「夢を見ただけ」
Orange Juice "You Can't Hide Your Love Forever"
Prefab Sprout "Lions In My Own Garden"
Pale Fountains "Just A Girl"
REM "Chronic Town"
Scritti Politti "Songs To Remember
Soft Cell "Non- Stop Erotic Cabaret"
Sonic Youth "Sonic Youth"
Thomas Dolby 「光と物体」
Wham! "Wham! Rap"
ファンク・ラップ系
Grandmaster Flash & The Furious Five "The Message"
(ラップがメッセージ性という武器をもった重要作)
Trouble Funk "Drop The Bomb"
(ワシントン発、新しい肉体派ファンク「ゴーゴー」の登場)
J−ポップ系
暗黒大陸じゃがたら「南蛮渡来」
(エログロ・バンドとしてデビューするが、
ゲルニカ「改造への躍動」
Boowy "MORAL"

James Scott(Pretenders) |
6月15日 |
? |
25歳 |
Randy Rose(Quiet Riot) |
3月19日 |
飛行機事故 |
25歳 |
John Belushi(Blues Brothers) |
3月 5日 |
薬物中毒 |
33歳 |
Joe Tex |
8月13日 |
心不全 |
49歳 |
Lightnin' Hopkins |
1月30日 |
癌 |
69歳 |
Thelonious Monk |
2月17日 |
心不全 |
61歳 |
Philip Koutev(ブルガリア) |
? |
? |
79歳 |
Rafael Cortijo |
10月 3日 |
? |
53歳 |
Elis Regina |
1月19日 |
心不全 |
37歳 |

国連海洋法会議、海洋法条約採択
国連環境特別会議、ナイロビ宣言採択
国際捕鯨委員会総会、全面捕鯨禁止を可決
アメリカ、西ドイツなどで、反核運動が本格化する
第8回主要先進国首脳会議(ヴェルサイユ・サミット)開催
<アメリカ>
米ソ戦略兵器削減交渉(SALT)開始
<ヨーロッパ>
英国、アルゼンチン間で、フォークランド紛争勃発
ソビエト連邦、ブレジネフ書記長死去
<アフリカ・中東>
イスラエル軍、西ベイルートに突入
PLOメンバー15000人アラブ各国へ撤退
<アジア>
カンボジア3派の連合政府成立
<日本>
中曽根内閣成立
東北、上越新幹線開通
教科書の歴史記述について中国、韓国から批判
ホテル・ニュージャパン火災
日航機が東京湾に墜落
<芸術、文化、商品関連>
「シンドラーズ・リスト」トマス・キニーリー著(ブッカー賞受賞)
「金持ちになったウサギ」ジョン・アップダイク著(全米図書賞)(ピューリツァー賞受賞)
ガルシア・マルケス、「百年の孤独」でノーベル文学賞受賞
近未来SF映画の傑作「ブレード・ランナー」(原作はP.K.ディック)公開
村上春樹、代表作のひとつ「羊をめぐる冒険」発表

<音楽関連(海外)>
イーグルス、ドゥービー・ブラザース解散
カリフォルニアのローズ・ボールで反核コンサート開催
ザ・ジャム解散、ポール・ウェラーはスタイル・カウンシル結成へ
アーラープの登場でバングラ・ビートの時代が始まる
テレサ・テンの「何日君再来」のヒットに対し、中国が批判
<音楽関連(国内)>
オフ・コース、アリス、ツイストが相次いで解散。「ニューミュージック」はすでに「ニュー」ではなくなっていた。(ニューミュージック時代の終焉)歌謡曲の世界にもニューミュージック系のミュージシャンが作詞、作曲などで関わるようになっていました。(松田聖子の「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」は呉多軽穂(ユーミン)、「風立ちぬ」は大滝詠一、「野バラのエチュード」「白いパラソル」は財津和夫、それぞれの作品)
デジタル・オーディオ・ディスク(CD)発売開始(日本が世界初)
サンプリング・キーボード、「イーミュレーター」発売
<映画>
この年の映画はここから!
[1982年という年] 橋本治著「二十世紀」より 2004年11月追記
1981年、ある奇病が生まれていた。それがこの1982年になって名前を与えられる。後天性免疫不全症候群
- AIDSである。
「男性器ペニスへの信仰は、人類の中でも古い。それは、豊じょうを可能にするものへの信仰である。『産めよ増やせよ地に満てよ』という聖書も言葉は、それを可能にする男性器への賛歌でもあろう。しかし、男性器はまた、侵入するものでもある。人類の歴史はまた侵略の歴史でもあって、その間一度も、男性器の優越に関する疑義は出されたことがない。それは、『男性優位』の根源なのだ。しかし、それはまた『侵略』するものでもある。自分の必然を越えて、誰彼なしに性交を持つことは、男にとって勲章なものだったが、エイズは『本当にそれでいいの?』を問うものなのである」
「エイズは快楽とともに訪れた。無差別をよしとし、そこに『人間関係』という必然を欠落させたままの性交渉に現れた
- そして、自己防衛の無意味を衝いた。それが『免疫機能の不全』である。・・・無限定な他者への欲望は、それを抱く者の深い孤独を照らし出す
- エイズが登場した1982年の人類史的意味はこれだろう」
<作者からのコメント>
エイズという病は、21世紀に入り一時ほど話題にならなくなりました。しかし、エイズの特効薬ができたわけではなく、エイズ患者が減ったわけでもありません。ただマスコミ的に情報ネタとしての価値が下がっただけのことです。
かつて、原子爆弾が生まれた時、それは人類を滅亡に導く最終兵器であると、世界中の人々が非難しました。ところが、21世紀になっても核兵器はなくなっておらず、かえってそのバリエーションは増えています。それでも、人々はかつてほどの危機感を持っていないようです。人類は次々に危機を抱えながら、それらを見て見ぬ振りすることに慣れてしまったです。
オゾン層破壊の問題や地球温暖化と砂漠化の問題、それに人口爆発や食料問題、エネルギー問題にゴミ問題に公害などによる環境破壊など、問題は山積みにも関わらず、すべてについて見て見ぬ振りをしようとしているかのようです。誰かが被害者となり、それを訴えかけるまで、もしくはアメリカなど超大国にまでその問題が影響をを与えるまで、その問題は無視され続けるのでしょう。
これらの問題はどれも危機的ですが、現状をしっかりと認識することさえできれば、おのずと道は開けると僕は信じています。ただその「現状を認識すること」がいかに困難なことか、・・・。

総参加国数 109
本戦参加チーム(24ヶ国)
西欧圏(資本主義国) イタリア、西ドイツ、オーストリア、ベルギー、イングランド、フランス
北アイルルランド、スペイン、スコットランド
東欧圏(共産主義国) ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ソ連
南米 ペルー、チリ、アルゼンチン、ブラジル
北中米 エルサルバドル、ホンデュラス
アフリカ カメルーン、アルジェリア
アジア クウェート、ニュージーランド
2次リーグ進出チーム
ポーランド、ソ連、ベルギー、西ドイツ、イングランド、スペイン、イタリア
ブラジル、アルゼンチン、フランス、オーストリア、北アイルランド
準決勝進出チーム
イタリア、ポーランド、西ドイツ、フランス
決勝 イタリア、西ドイツ
優勝 イタリア
<活躍した選手>
カール・ハインツ・ルンメニゲ、ピエール・リトバルスキー、パウル・ブライトナー、クラウス・フィッシャー、ホルスト・ルベッシュ(西ドイツ)
ミシェル・プラティニ、ディディエ・シクス、ロシュトー、ジレス(フランス)
クラウディオ・ジェンティーレ、マルコ・タルデリ、パオロ・ロッシ、アレッサンドロ・アルトベリ、アントニオ・カブリーニ(イタリア)
ズビグニウ・ボニエフ(ポーランド)、ブライアン・ロブソン(イングランド)
<民主化のシンボルとなった大会>
スペインを長年に渡って支配し続けた独裁者フランコ将軍が死去。その後継者となったファン・カルロス国王は民主化を進める進歩的な人物だったため、この大会はスペインの民主化を世界に知らしめるための大会になりました。そのため、バスク地方の独立を目指すグループがテロを実効する可能性もありましたが、幸い大会中に事件は起きませんでした。
<フォークランド紛争>
この年4月にフォークランド諸島の領有権をめぐり、アルゼンチンとイギリスとの間で戦争が勃発。本大会には、アルゼンチンとイングランド、スコットランド、北アイルランドが出場を決めていたため、大会への影響が心配されましたが、抽選によるグループ分けにより、対戦は避けられました。
<新ルールと出場チーム数の増加>
参加国数がこの大会から24ヶ国となり、アジア、アフリカの出場枠がそれぞれ2ヶ国になりました。さらに、準決勝以降の試合においては、延長戦で勝負が決まらない場合にPK戦が導入されることになりました。
<民主化ポーランドの活躍>
レフ・ワレサを指導者とする連帯が進めた民主化は、大会の一年半前にソ連の圧力によって挫折していたものの、2次リーグの同じ組でポーランドがソ連を上回り、見事ベスト4に進出したました。
<黄金のカルテット>
ブラジルはトニーニョ・セレーゾ、ファルカン、ソクラテス、ジーコの「黄金のカルテット」を擁し、史上最強のチームと呼ばれました。しかし、攻撃的な戦法が災いし、ベスト4にも残ることができませんでした。(個人的には、この頃からワールドカップ・サッカーというものの存在を知り、ジーコたちのプレーに魅せられました)
<44年ぶりの優勝>
イタリアは、一次リーグでは一勝もできず、3引き分けでかろうじて2次リーグに進みました。前評判でも評価は低かったのですが、その後八百長事件の出場停止が解かれたばかりのストライカー、パオロ・ロッシの復活などにより、しだいに調子をあげ、結局44年ぶりの優勝を飾りました。
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