- 世界を踊らせた黒い呪術師 -

キング・サニー・アデ King Sunny Ade

2000年12月22日改訂

この年の出来事 代表的な作品 デビュー 物故者
<アイランド・レーベルの時代> 
 80年代前半、ニュー・ウェーブのアーティストたちは、世界各地のエスニック・サウンド(レゲエ、サルサ、アフロなど)をロックに導入することで、大きな活力を得ましたが、この状況は同時に本家本元である第三世界のアーティストたちにも、世界デビューのチャンスをもたらしました。そして、この世界的なエスニック・サウンドのブームに乗って大躍進をとげたのが、「アイランド・レーベル」という新しい会社でした。アイランドは、70年代後半にボブ・マーレーをレゲエ・ブームの火付け役として世界中に売り込むことで大成功をおさめ、一気に世界的な企業へと躍進をとげました。
 しかし、アイランドがボブという素晴らしい存在を得ることができたのは偶然ではありませんでした。この会社の社長クリス・ブラックウェルがジャマイカ出身のイギリス人であったことやボブ・マーレー自身がイギリスの軍人とジャマイカの女性との間に生まれたハーフであったことが運命的な出会いを生んだのです。

<ポスト・ボブ・マーレーとして選ばれた男>
 ボブ・マーレーは人気絶頂の1981年に惜しくも36歳という若さで、この世を去りました。しかし、レゲエの世界においては、ボブを越えるようなカリスマはその後登場せず、その後しばらく第三世界からのヒーローは登場しませんでした。
 そこで、アイランド・レーベルが、ポスト・ボブ・マーレーとして、次なる第三世界発のヒーローにと白羽の矢を立てたのが、西アフリカのナイジェリアで「ジュジュ」というサウンドを武器に大活躍をしていたキング・サニー・アデでした。彼は当時すでにナイジェリア国内では大スターでしたが、1982年に世界向けのデビュー・アルバムとして「ジュジュ・ミュージック」を発表し、世界中に衝撃を与えました。このアルバムでスティールギターが生み出した摩訶不思議なサウンドは、まるで「宇宙遊泳」を思わせるような「浮遊感覚」に満ちあふれ、世界中の人々がアフリカの音楽に抱いていた「原始的、男性的なダンス・サウンド」といったイメージを見事に覆してくれました。

<「シンクロ・システム」>
  そして、1983年に第二弾として発表されたのが、この「シンクロ・システム」です。この作品の世界的な大ヒットによって、「ジュジュ」というアフリカン・ポップの一ジャンルは一躍世界中に知られる最先端の音楽になりました。この作品でも前作同様、スティール・ギターの大活躍は目立ちましたが、それ以上にトーキング・ドラムを中心とするパーカション部隊の活躍の場が増え、「強靱なリズム」と「しなやかなメロディー」による見事な「シンクロ・システム」を作り上げることに成功しました。この作品が前作以上に受けたのは、こうしてよりポップなダンス・サウンドへと進化して、今まで誰も聞いたことのない新しいタイプの音楽を生み出したからです。この時、世界中の多くの人がアフリカン・ポップ時代の到来を予感しました。

<アフリカン・ポップの本当の凄さ>
 しかし、キング・サニー・アデの本当の凄さは1枚や2枚のアルバムに収まるようなものではありませんでした。アイランドがつくったこのアルバムは、世界市場を意識して、余計な泥臭さを取り除き、曲の長さも短くまとめられた、ある意味「純粋培養のアフリカン・ポップ・アルバム」でしたが、アフリカのダンスバンドはライブでこそ、その真価を発揮するものなのです。僕の個人的見解では、ライブの楽しさの標準は、スタジオ録音盤を1とした場合、アフリカ3倍、サルサ2.5倍、レゲエ2倍、ロック1.5倍となっています。(かなり大ざっぱな法則ですが、・・・)

<サニ・アデ来日は日本を揺るがした>
 彼の最初の来日は1985年「国際アフリカ年」を記念して行われたものでした。会場は、代々木第一体育館。そこはまさに彼のコンサートにぴったりの場所でした。体育館のアリーナほど飛んだり跳ねたりにぴったりの場所は他にないのですから。そして、実際に当日の観客たちは、オープニングからみんな立ちっぱなし、踊りっぱなしでした。座っていたのは、スタンドの観客席から見下ろすように聴いていた大使館関係のお堅い観客たちだけで、トーキング・ドラムのソロ・パートではまさに体育館が揺れるような大騒ぎでした。こうして、時代はいよいよ「ワールド・ミュージック」の時代を迎えようとしていたのです。

<その後のサニ・アデ>
 いっきに世界的なスターになったサニ・アデでしたが、1990年代、彼の世界規模の活動は何故か一時の勢いを失いました。どうやらその主な理由は、サニ・アデ自身が海外で活躍する意欲を失ったことにあるようです。ナイジェリア国内での彼の人気は不動のものであり、その地位を捨てて、さらに自分のスタイルであるジュジュのサウンド・スタイルを変えてまで世界で活躍する必要性を彼は感じなかったようです。確かに、それで良いのかもしれません。そうでなければ、世界のポピュラー音楽は、みんな世界進出を目指しながら同じような音楽、同質化された音楽になってしまうかもしれないのですから。

<追記- 「ジュジュ」と「ビアフラ戦争」>
 「ジュジュ」という音楽スタイルが、ナイジェリアでメジャーになったのには理由があります。このスタイルは、ナイジェリアに住むヨルバ族が作り上げてきたものですが、1950年代までは、国内の主流派イボ族の影に隠れた存在でした。しかし、あの悲惨を極めた「ビアフラ戦争」により、イボ族はナイジェリアを追われ、代わってヨルバ族が主流派の地位についたのです。こうして、「ジュジュ」はナイジェリアのポップスにおける主流派となったのです。
 「20世紀は戦争の世紀であった」と言われる場合が多いのですが、ポップスの世界にも、その影響は常に影を落としています。

関連するページ
フェラ・クティ
(アフリカン・ビート)

     アンダーラインの作品は特にお薦め!

ロック系
"Colour By Numbers" Culture Club
(イギリスらしいセンスの良いソウルナンバーの宝庫)
"Construction Time Again" Depeche Mode
"Eliminator" ZZ Top
"…From Across The Kitchen Table" The Pale Fountains
"Innocent Man" Billy Joel , 「権力の美学New Order
"Let's Dance" David Bowie (大ヒット作、しかし時代に追いつかれた)
"Learning To Crawl" The Pretenders(これぞロック!最高傑作)
"Malcom McLaren" Malcolm McLaren
(パンク、ニューウェーブの仕掛け人は、やはりただ者ではなかった!)
"1984" Van Halen(「ジャンプ」を聴けば、元気百倍!)
"Porcupine" Echo & The Bunnymen
"Sparkle In The Rain" Simple Minds
"Sports" Huey Lewis & The News (良質ポップ・ロックの教科書的作品)
"State Of Confusion" The Kinks
"Synchronicity" The Police (最高傑作!時代を越えるでしょう)
"Speaking In Tongue" The Talking Heads
"Touch","Sweet Dreams" Eurythmics
"WAR(闘)" U2 (プロデューサー、スティーブ・リリーホワイトが一躍時の人に)
ソウル、ファンク系
"Thriller" Michael Jackson (MTV時代を代表する作品)
"Future Shock" Herbie Hancock(ヒップホップの教科書的サウンド)
ブルース系
"Bad Influence" Robert Cray(どっこいブルースは生きていた!)

"Anthem" Black Uhuru
"Live And Direct" ASWAD (ブリティッシュ・レゲエを代表するバンド)
サルサ系
"Yo Soy El Son" Los Kimy
"El Sabor De Oscar" Oscar D'Leon
14の輝ける星」 ソン・カトルセ(アダルベルト・アルバレス所属)
ブラジリアン・ポップ(MPB)系
"100 Apresentacao" Joao Bosco(究極のアコースティック・ソロ・ライブ)
"Aquarela" Toquinho(C.ブアルキらと活動、80年代からソロへ)
イスラム圏のポップス
愛しのベイルート」 フェイルーズ
(レバノン、ベイルート生まれのアラブ歌謡界の女王)
アジアン・ポップ系
"Kekek Reggae" Waljinah
(インドネシアの伝統歌曲とレゲエの出会い、けっしてきわものではない)
恋人への言づけ」 プンプワン・ドゥワンチャン
淡淡幽情」 テレサ・テン
(中国古代の歌を現代に甦らせ自らの方向性を変えた重要作)
J−ポップ系
カルナヴァル」 ゼルダ (ニュー・ウェーブ系レディース・ロック・バンド)
"Crazy Diamond" Sun House
(鮎川誠在籍の幻のブルース・バンド、再結成アルバム)
君に胸キュンYMO
さざんかの宿」 大川栄策
17歳の地図」尾崎豊
抱きしめてオンリー・ユー」山下久美子
チェッカーズ」チェッカーズ
ディス」ルースターズ
ブルー・スフィンクス」 EDPS
メロディーズ山下達郎(永遠のスタンダード「クリスマス・イブ」収録)
矢切りの渡し」細川たかし(レコード大賞)
ラブ・イズ・オーバー」 欧陽フィーフィー
Reincarnation松任谷由美
レベル・ストリート」(EDPS、リザード、突然段ボール、ゼルダなど)




ロック系
Aztec Camera "High Land,Hard Rain"
The Big Country "The Crossing"
Bananarama 「キューティー・ハート」
Howard Jones 「かくれんぼ」
Kajagoogoo "White Feathers"
Los Lobos "And A Time To Dance"(チカーノ・ロック・バンドの代表格、90年代にはロック界を代表する重要バンドに)
Metallica "Kill 'Em All"
Madonna "Burning Up"
Paul Young "No Parlez"
Stevie Ray Vaughan "Texas Flood"
Tears For Fears "The Hurting Change"
The The 「魂の彫刻」

ラップ・ソウル系
Run DMC "Run DMC"
Ice-T "The Coldest Rap"
New Edition "Candy Girl"
J−ポップ系
大江千里「ワラビーぬぎすてて」
尾崎豊「15の夜」
チェッカーズ
「ギザギザハートの子守歌」
ストリート・スライダーズ
「スライダー・ジョイント」


 Peter Ivers   3月 3日      ?  36歳
 Lamar Williams
( Allman B.Brothers)
 1月19日  癌  35歳
 Dennis Wilson(Beach Boys) 12月28日  溺死  39歳
 Chris Wood (Traffic)  7月12日  肝臓病  39歳
 Karen Carpenter
 (Carpenters)
 2月 4日  心不全(拒食症)  32歳
Pete Farndon(The Pretenders)  4月14日  薬物中毒  30歳
 Tom Evans(Bad Finger)  11月23日  自殺   36歳
 Felix Pappalardi   4月17日  銃による死亡  44歳
 Muddy Waters   4月30日  心不全  68歳
 James Jamerson
 (モータウンのBass)
 8月 3日  心不全  45歳
 Clara Nunes   4月 2日  脳障害   38歳
 Prince Far I   9月15日  射殺  38歳
 Roy Milton  9月18日  ?  53歳
 Michael Smith  8月17日  撲殺  29歳
 Hugh Mundell  10月15日  射殺  21歳




第9回主要先進国首脳会議(ウィリアムズバーグ・サミット)
<アメリカ>
米軍によるグレナダ侵攻作戦開始
スペース・シャトル、チャレンジャー打ち上げ成功
シカゴ市長に黒人のハロルド・ワシントン当選
劇作家テネシー・ウィリアムズ死去
<ヨーロッパ>
ソ連の軍事衛星
イギリス保守党総選挙で圧勝、サッチャー再選
スペインの画家ホアン・ミロ死去
<アフリカ>
ジンバブエ紛争
エチオピア軍、ソマリア侵攻
チャド内戦
南ア軍、アンゴラ侵攻、モザンビークを爆撃
アフリカ各地での紛争により飢餓が拡大
<アジア>

大韓航空機撃墜事件(ソ連軍によるサハリン沖での撃墜事件)
ヴェトナム軍、ポルポト派を攻撃
フィリピンの野党指導者アキノ氏暗殺される
ラングーンで爆弾テロ事件(韓国閣僚ら死亡)
<日本>
比例代表制初の参議院選挙
レーガン米大統領訪日
東京、町田市の中学校で、教師が生徒をナイフで刺す。
三宅島、噴火により島民全員脱出
青函トンネル開通

<芸術、文化、商品関連>
「マイケル・K」J・M・クッツェー著(ブッカー賞受賞)
「カラーパープル」アリス・ウォーカー著(全米図書賞)(ピューリツァー賞受賞)
藤原新也「メメントモリ」出版
映画「フラッシュ・ダンス」のヒットでダンス・ウェアやスウェット製品がブームになる
東京ディズニーランド開業
連続テレビ小説「おしん」が一大ブームとなり、後にアジア各国へ輸出
任天堂がファミリー・コンピューター発売
ジェームス・ダイソンの掃除機「サイクロン」発売(イギリス)
スウォッチ社がプラスチックウォッチ発売(スイス)
任天堂「ファミリー・コンピューター」発売
寺山修司、敗血症で死去(5月4日)


<音楽関連(海外)>
アメリカに「ロックの殿堂」設立される
ヒップ・ホップの伝説を生んだ映画「ワイルド・スタイル」公開
<音楽関連(国内)>
YMO散開

<映画>
 この年の映画についてはここから!                                                   

[1983年という年] 橋本治著「二十世紀」より 2004年11月追記
 1983年の4月、日本のあり方を象徴する二つのものが現れた。一つはNHK朝の連続テレビ小説「おしん」。もう一つは、千葉県浦安市に登場した東京ディズニーランドです。
「『おしん』は、やがて『高度経済成長以前の日本』のような状況にあるアジアの国々で爆発的な人気を獲得する。まだ貧しいアジアの国々で、主人公おしんの生き方は人生のテキストとなるのだが、しかし、日本では違う」

「1960年代から続くスクラップ&ビルドの波は、既に必要なところを一巡して、しかし日本にはまだ金があった。その金は、どう使われるべきか?1980年代の日本人は、スクラップ&ビルドに「モデル・チェンジ」という名を与えた」(当時その代表選手だったのがCDでした)
<作者からのコメント>
 僕はディズニーランドが嫌いです。それはディズニーランドの創設者ウォルト・ディズニーがバリバリのタカ派だからというわけではありません。彼が作った人工の夢の世界に組み込まれることで、人間の創造力が失われて行く気がするからです。おまけに、その夢の世界は、アメリカ人が描く、アメリカ人にとっての幸福感に基づく世界であり、世界中に存在する多用な価値観とはかけ離れている場合が多いのです。世界中の子供達がディズニーの世界観を理想と考えるようになったら、世界はどうなってしまうのでしょう?これはある意味ファシズムよりも恐ろしい世界をターゲットにした洗脳作戦なのではないかと、僕には思えるのです。
 「たかが遊園地ごときに、何言ってるの!」そう思っているあなた!あなたには、まだまだロックの魂が不足しています。

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