- サルサ、越境を夢みて -

ルベン・ブラデス Ruben Blades

この年の出来事 代表的な作品 デビュー 物故者
<「ブスカンド・アメリカ」の意味>
 「ブスカンド・アメリカ」とは、スペイン語で「アメリカを探して」という意味になります。このアルバムは、アメリカというWASP(アングロサクソン系白人)中心の国で、自らのアイデンティティーを探し続ける中米系移民たちの思いをつづった問題作であるとともに、パナマ出身のサルサ・ヒーロー、ルベン・ブラデスの大ヒット作でもあります。彼は、1979年にファニア・オールスターズ出身のウィリー・コローンとコンビを組み、中米系移民たちの歴史をつづった大河ドラマ形式の大作アルバム「マエストラ・ビーダ」をつくっており、「アメリカを探し続ける」非白人アーティストを代表する存在と言えるでしょう。

<夢を追う男、ルベン・ブラデス>
 ルベン・ブラデスは、中米パナマ出身のヴォーカリスト兼コンポーザーですが、それだけではなく、将来は母国パナマの大統領を目指す政治家志望の青年ですた。(今でも彼はそのつもりかもしれない)さらに彼は、このアルバムの発表後、映画俳優としての活動も開始し、ロバート・レッドフォードが監督した名作「ミラグロ」では、準主役の保安官役を演じ、一躍俳優としても注目を集めるようになりました。その勢いで、1986年の映画「クロス・オーバー・ドリームス」では、ついに主役の座を獲得、サルサ界のスターが全米ポップス界のスターを目指して奮闘する姿は、まさに彼の人生そのものでした。ところが残念なことに、彼の夢もまた、映画と同じように挫折への道を歩んでしまいます。

<挫折からの再出発>
 彼にとって「クロス・オーバー・ドリームス」のサントラ・アルバムは、アメリカの音楽業界メジャーへ進出する足がかりとなるはずでした。しかし、現実はそう甘くなく、アルバムはまったくヒットしませんでした。結果は映画の主人公の挫折とまったく同じになってしまったのです。そして、そうなったとき、彼が取った行動もまた映画の主人公と同じでした。彼は再びサルサの本流、彼本来の音楽へと戻っていったのです。

<「ブスカンド・アメリカ」という作品>
 1984年発表のこのアルバムは、移民たちの生き方に対する問いかけという深い内容をもつ作品でしたが、音楽的にも「サルサ」という枠組みの常識に挑戦した新しい作品でした。
 もともとサルサ・バンドには、トランペット、トロンボーンからなるホーンセクションが必ずあり、それがサルサの基本のひとつともなっていました。サルサ・バンドのリーダーの多くが、トランペッターやトロンボーン奏者だというのも、その重要性を現していると言えるでしょう。しかし、このアルバムでは、そのホーン・セクションに代わってキーボードがその役目を担っています。これは伝統にこだわるラテン音楽の世界においては実に画期的なことでした。

<ホーンセクションのないサルサ>
 何故、彼はそうしたのでしょうか?それは意外に単純な理由でした。バンドの人数を減らし、身軽になりたい、そうすれば海外ツアーにもゆけるし、世界的に認められる可能性も高くなる。そして、このバンド編成により、彼のサウンドはアメリカにおける主流ポップスであるロックに近いものになりました。そうなると、そのぶんメジャーのマーケットで受け入れられる可能性は高まるはず、これもまた、彼が目指す目標への作戦のひとつだったわけです。そしてこのアルバムに関しては、彼の作戦は大成功でした。それまでサルサでは聴けなかったスピード感、まるで空を飛んでいるかのような浮遊感覚を生み出したのは、まさにキーボード導入のおかげでした。残念ながら、このスタイルの新鮮さは、そう長くは続かなかったのですが、このアルバムの素晴らしさは、時を経た今も変わっていません。どんなチャレンジでも、最初の一人は偉大であり、良い結果を残すものかもしれません。

<サルサのその後、ブラデスはどこへ?>
 サルサがクロス・オーヴァーを目指した80年代中頃、サルサはブームのピークを迎えようとしていました。ロックがそうだったように、時代の緊張感が薄れてくるにつれて、サルサも次第にメローな路線へと向かい、そのパワーを失い始めました。すると、それと入れ替わるように現れたメレンゲの仕掛け人、ウィルフリード・バルガスラス・チカス・デル・カンなどのカワイコチャン系アイドル・グループによって、ラテン・ミュージック界はメレンゲ・パワーに占領されてしまいます。しかし、その間も、ルベン・ブラデスは、サルサの本流をはずれることなく、地道に活動を続けていました。そんな彼の目指す先には、今でも母国「パナマ」の大統領という目標があるのでしょうか?「クロス・オーヴァー・ドリームス」を見続け、「アメリカを探し続けた」彼なら、それは十分あり得るかもしれません。あの「大根役者」といわれたレーガンですら、アメリカの大統領になれたのです。彼ならきっと素晴らしい大統領になることでしょう。

関連するページ
ウィリー・コロン



ロック系
"Arena" Duran Duran
"Born In The U.S.A." Bruce Springsteen
(もちろん、彼はレーガンの友達ではありません)
"The Big Express" XTC
"Body & Soul" Joe Jackson
"Cafe Bleu" Style Council(彼らの最高傑作、お洒落!)
"Do They Know It's Christmas" Band Aid
"From Her To Eternity" Nick Cave And The Bad Seeds
"How Will The Wolf Survive?" Los Lobos
"Into The Gap" Thompson Twins
"In The Studio" Special AKA(大人向けツートーン・サウンド)
"Knife" Aztec Camera (お洒落なアコースティック・サウンドがブームに)
"Like A Virgin" Madonna(ご存じマドンナの代表作)
"Make It Big" Wham!
"Pride" Robert Palmer
"Reckless" Bryan Adams
"Stealing Fire" Bruce Cockburn
(カナダ人硬派シンガー・ソングライターの代表作)
奴らか?俺たちか? Them Or Us」 Frank Zappa(ポップなロック・アルバム)
"Unforgettable Fire" U2 (いよいよU2時代へ突入!)
"Volume One" The Honeydrippers(ジミー・ペイジのヴォーカルがゴージャス)
"Welcome To Pleasuredome" Frankie Goes To Hollywood
(ソ連対アメリカのビデオ・クリップは最高でした)
ソウル、ファンク系
"Cool It Now" New Edition
"Purple Rain" Prince (JBだけでなく、JHジミヘンをも目指した作品)
"I Feel For You" Chaka Khan(ソロとしての代表作)
ジャズ系
"That's The Way I Feel Now" (セロニアス・モンクのトリビュート・アルバム)

"Anthem 讃歌" Black Uhuru (ポスト・ボブ・マーリーの代表作)
サルサ系
"Criollo" Willie Colon (メッセージ性と遊び心の見事なバランス!)
"Looking For Trouble" The Bad Street Boys
"A Giant Step" Charlie Palmieri(サルサ界も大御所、偉大なる一枚)
"El Islano" Luis" Perico" Ortiz
ブラジリアン・ポップ(MPB)系
"Chico Buarque" Chico Buarque(名曲「ヴァイ・パッサール」収録)
"Gagabiro" Joao Bosco(美しいギターの音色と声をもつ男)
アフロ・ポップ系
"Immigres" Youssou N'Dour
"The Beat Of Soweto" L.B.Mambazo…etc.
(南アの美しくパワフルなコーラスが世界を魅了、オムニバス盤)
アジアン・ポップ系
"Life In The Lion City" Dick Lee(アジアン・ポップ・ヒーローのブレイク作)
"Syirin Farthat" Elvy Sukaesih
(ジャカルタ発、ダンドゥットの女王の代表作)
つぐない」 テレサ・テン
J−ポップ系
ヴィジターズ VISITORS」 佐野元春(誰よりも早いヒップ・ホップへのチャレンジ)
ヴェネツィア加藤和彦(「パパ・ヘミングウェイ」も良かった!)
コンフュージョン」大沢誉志幸
玉姫様」戸川純
山のアッちゃん」少年ナイフ
ワインレッドの心」安全地帯




ロック系
The Art Of Noise "(Who's Afraid Of ?) The Art Of Nise"
(いよいよサンプリング・サウンドの時代へ突入!)
Bon Jovi 「夜明けのランナウェイ」
Bangles 「気分はモノクローム」
The Blow Monkeys "Leaving For A Generation"
Bronski Beat "Smalltown Boy"
Cyndi Lauper "She's So Unusual"(デビュー作が大ブレイク)
Dead Or Alive 「美醜の館」
Everything But The Girl "Eden"
Julian Lennon "Valotte" (「ヘイ・ジュード」に歌われたジョンの息子デビュー)
k.d.lang "A Truly Western Experience" , Mr.Mister "I Wear The Face"
The Pogues "Red Rose For Me"
The Red Hot Chili Peppers "The Red Hot Chili Peppers
Sade "Diamond Life" (ブラック・ビューティーは声もセンスも最高)
The Smith "The Smith" ,
Twisted Sisters "Stay Hungry"
ラップ・ファンク系
L.L.Cool J "I Need A Beat"
Sheila E "The Glamorous Life"
サルサ、ラテン系
Gloria Estefan & Miami Sound Machine "Eyes Of Innocence"
(90年代に訪れるラテン・ブームの先駆け)
ジャズ
The Dirty Dozen Brass Band "The Dirty Dozen Brass Band"


 Alexis Korner
(ブリティッシュ・ブルースの父)
 1月 1日  肺癌  55歳
 Jackie Wilson   1月21日  病死   49歳
 Marvin Gaye    4月 1日  射殺  44歳
 Z.Z.Hill   4月27日  血栓  43歳
 Alberta Hunter 10月17日  病死  89歳
 Percy Mayfield  8月11日  心臓発作  63歳
 Philippe Wynne(Spinners)  7月14日  心不全  43歳
 Nate Nelson(Frammingos)   6月 1日   心不全    52歳
 Big Mama Thornton   7月25日  心不全  57歳
 Ester Phillips  8月 7日  肝臓、腎臓障害   ?
 Count Basie  4月26日  すい臓癌  79歳
 Machito  4月17日  心不全  75歳
 Sam Peckinpah(映画監督) 12月28日  心不全  59歳
 Yilmaz Guney(映画監督)  9月 9日  癌  47歳




第10回主要先進国首脳会議(ロンドン・サミット)
国連国際人口会議
<アメリカ>
ロサンゼルス・オリンピック開催(ソ連圏不参加、中国初参加)
(カール・ルイスが4冠、山下泰裕が柔道無差別級で金メダル:協賛企業を前面に出した商業オリンピックの始まり)
スペース・シャトル、ディスカバリー打ち上げ成功
レーガン大統領、訪中
カナダ、マルルーニー内閣発足
<ヨーロッパ>
コメコン首脳会議開催(キューバ欠席)
サッチャー訪中し、香港返還への同意文書へ調印
ベルリンで東ドイツからの亡命者激増
欧州原子力研究所が素粒子トップ・クオークを発見
フランスの構造主義哲学者ミシェル・フーコー死去
<アフリカ・中東>
イラン・イラク報復戦争勃発
エジプト・ヨルダン首脳和解会談開催
アフリカの飢餓24カ国に拡大、深刻化
南ア、ヨハネスブルグで黒人暴動発生
<アジア>
中国、オリンピック初参加
シーク教徒によるガンジー首相暗殺事件(インド国内で宗教紛争激化)
ソウルで集中豪雨、朝鮮から救援物資搬入
<日本>
第一回世界湖沼環境会議、滋賀県大津市で開催
江崎グリコ社長誘拐事件
日本世界一の長寿国となる
長野県西部地震
植村直巳、マッキンリーで消息を断つ
チケット・ピア営業開始
コアラが日本にやってくる
エリマキトカゲが一大ブームとなる

<芸術、文化、商品関連>
存在の耐えられない軽さミラン・クンデラ著(チェコ)
「秋のホテル」アニタ・ブルックナー著(ブッカー賞受賞)
「愛人(ラ・マン)」マルグリット・デュラス著(仏ゴンクール賞受賞)
宮崎駿「風の谷のナウシカ」がヒットし、宮崎駿時代が始まる
大友克洋「アキラ」コミック発売日本から海外へブームが広がる
アップル社が「マッキントッシュ」発売
ナイキ社が「エア・ジョーダン」発売
フェラーリ「テスタロッサ」発売


<音楽関連(海外)>
映画「フット・ルース」大ヒット
映画「ストップ・メイキング・センス」公開(ミュージック・ビデオの歴史的傑作誕生)
映画「ビート・ストリート Beat Street」公開(ヒップ・ホップを世界に広めた作品)
<音楽関連(国内)>
「アトミック・カフェ」コンサートで尾崎豊が骨折事故を起こしながら歌いとおす

<映画>
この年の映画についてはここから!

[1984年という年] 橋本治著「二十世紀」より 2004年11月追記
 1984年の初め、アフリカの24ヶ国で10億5千万人が飢餓に苦しんでいるとの報告があった。翌年の7月には、「ライブ・エイド」と題する飢餓救援の慈善コンサートが開かれ、5千万ドルの資金がたちどころに集まった。世界にはそれだけの豊かさと善意があって、それでもアフリカの飢餓は救えなかった。・・・貧しいアフリカには、「強大な管理社会を作って国民を統制する国家」さえ存在しなかった。
 1984年、アメリカのロサンゼルスで開かれたオリンピックは、民間スポンサーの協力で、2億ドルの黒字を出した。毎年巨大なオリンピックを開催するために必要な力は、もう国家のものではなかった。・・・豊かな企業を持つ社会ひゃ強く、ジョージ・オーウェルの書いた「暗い1984年」は来なかった。かつて「人を抑圧する力」を持っていた国家が、もうその力を失っていたのである。
 「国家選択の自由がない国では、『国家の一員』という自覚は恣意的なものだった。だからこそ、国家主義という思想宣伝が必要になる。しかし、『辞める』という選択肢を社員に用意する会社の場合、『愛社精神』などというものとは無関係に、誰もが『会社の一員』なのである」
「国家という大きな対立因子を失って、『思想』というものは力を欠いた。その後の時代が必要とするのは、『モラル』と言う名の各人の調整能力である。それがなければ『会社社会』は破綻する。

<作者からのコメント>
2002年、イラクを攻撃したアメリカ合衆国もすでに財政的に破綻したといってよい状況です。ただアメリカにはカーライル・グループや軍事産業の大手が存在しているため、それらの企業によって、かろうじて生かされているのかもしれません。そんな企業は、もちろんすべてが多国籍企業であり、国境の存在などないも同然です。だからこそ、同じ会社にビンラディンもブッシュも出資することがあり得るわけです。
 そう考えると「21世紀の革命」は、かつての国家単位の革命ではなく、世界規模で起こる経済社会革命か特定の企業を倒す企業革命になるのかもしれません。それは世界中の市民を巻き込んだ市民革命でなければならないのですが、逆に敵が見えにくい闘いのため、テロという手段に訴える人も増えるのかも知れません。どちらにしても、21世紀は20世紀のように分かりやすい時代でないことだけは確かかもしれません。
                        

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