<タンゴの歴史>
タンゴの歴史は古い。19世紀の終わりには、すでにアルゼンチンにおいてヨーロッパのダンスとはまったく違う特殊なダンス・スタイルとして存在していたようです。男と女が抱き合った状態で繰り広げられるストイックかつエロチックなダンスは、音楽としてよりも、ダンスのスタイルとして有名になって行きました。しかし、なぜあの独特のダンス・スタイルが生まれたのでしょうか?
<タンゴを生み出した文化>
まず、タンゴを生み出したアルゼンチンという国が南米で最も混血が少ないヨーロッパ系白人の国であるということが重要でした。そのため、この国は他の南米諸国に比べて、黒人奴隷からの文化的影響が少なくヨーロッパの白人文化が中心の国家なのです。そこから、正装した男女によるストイックなダンスの原型が生まれることになりました。しかし、首都ブエノスアイレスのような巨大な港町では、いろいろな人種が自然に集まってきます。特に下町の売春宿が集まった地域には、黒人ミュージシャンが多く、そこで演奏される音楽は、しだいにアフロ系リズムの影響を受けるようになってゆき、それがあの官能的で肉体的な「タンゴ・アルゼンティーノ」の世界を生み出すにいたったのです。
<タンゴの黄金時代>
その後20世紀になると、カルロス・ガルデルという伝説的なスター歌手が登場し、タンゴはダンスとしてよりも、大衆歌謡として、再び脚光を浴びることになりました。(タンゴ伝説のヒーロー、ガルデルについては、映画「タンゴ〜ガルデルの亡命」が絶対のお薦め!音楽はもちろんアストル・ピアソラです)特に、1940年代には、次々とスター歌手が現れ、続く50年代には第二次世界大戦の影響による世界的食糧不足の影響で、アルゼンチンは肉や穀物の輸出国として大きな経済的発展を遂げます。そして、その好景気によりタンゴは絶頂期を向かえることになりました。
<忘れられた音楽、タンゴ>
しかし、ブームの後にはその反動が待っていました。アルゼンチン経済が農業からの依存を脱しきれず、どんどん時代の変化に取り残される中、タンゴも世界の音楽の中でしだいに忘れられ、過去の音楽へとなっていったのです。そんな時代に現れたのが、「タンゴの救世主」アストル・ピアソラでした。
<「タンゴの救世主」ピアソラ>
彼はタンゴの歴史上、最高のバンド・リーダーであり、バンドネオン奏者であり、コンポーザーでもありました。今私たちが、タンゴとして聴いている音楽は、そのほとんどがピアソラによって確立したものと言われているのです。(CMやドラマで使われているのは、ほとんどピアソラの曲ばかりです)たった一人でそこまでのことを成し遂げた音楽家は、どのジャンルの歴史を見ても例がないかもしれません。彼の影響は、タンゴの世界だけにとどまらず、ギドン・クレーメルやヨー・ヨーマなどタンゴ以上の歴史を持つクラシック畑のアーティストたちが、その影響を受け、90年代に再び世界的なタンゴ・ブームをもたらすことになりました。
<ピアソラの死とタンゴの未来>
しかし、残念ながらそのブームは、天才アストル・ピアソラが個人の力で生み出したものでした。たぶん、彼を越えるアーティストは今後二度と現れることはないでしょうし、タンゴという音楽の限界もそこまでなのかもしれません。100年以上にもわたって積み上げられてきたタンゴの長い歴史と伝統はあまりにも重すぎ、すでに進化の担い手である遺伝子の寿命もつきてしまったのかもしれません。しかし、歴史の流れは何が起きるかわかりません。何かの事件をきっかけにして、タンゴの世界が活性化され、新たなヒーローが登場しないとも限りません。でも、その時その音楽はもう「タンゴ」とは呼ばれず、まったく新しい名前が付けられるだろうと、僕は思います。
ロック系
"Baby, The Stars Shine Bright" Everything But The Girl
"Back In The High Life" Stevie Winwood
(白人ソウル・ヴォーカリストの最高峰、完全復活の傑作)
"Blah-Blah-Blah" Iggy Pop
"Bring On The Night" Sting (最高級のバンド演奏!)
"Dream Time" Daryl Hall(オカルト研究の大家、初ソロ作)
"Graceland" Paul Simon
(南ア・ミュージシャンの起用で賛否両論、音楽植民地主義なのか?)
"The Good Earth" The Feelies
"Invisible Touch" Genesis
"Into The Light" Chris De Burgh
"Lifes Rich Pageant" R.E.M.
"On The Beach" Chris Rea
"The Queen Is Dead" The Smith
"Riptide" Robert Palmer
"SO" Peter Gabriel (ワールドミュージックの仕掛け人、ついにブレイク!)
"Skylarking" XTC (T.ラングレンとの激突で生まれた伝説のサウンド!)
"Slippery" Bon Jovi
"True Blue" Madonna
"True Confessions" Bananarama
"Taj" Taj Mahal
"True Stories" Talking Heads
「ウエスト・エンド・ガールズ」Pet Shop Boys
ソウル、ファンク、ラップ系
"Control" JanetJackson
"Parade" Prince
"Raising Hell" Run D.M.C. (ラップ新時代のきっかけとなった作品)
"Word Up" Cameo
"Womagic" Bobby Womack
サルサ系
"Bembe" Milton Cardona
"Con Cuerdas" Grupo Niche
"El Regreso de Maria" Adalbert Alvarez
"El Conjunto del Amor" Chaney
"In Tradition" Luis Perico Ortiz
"Special Delivery" Los Vecinos
"Una Nueva Vision" Ismael Miranda
"Somos El Son" Raphy Leavitt Y Su Orquesta La Selecta
"Afro Cuban Jazz" Mario Bauza
(元祖アフロ・キューバン・ジャズのフル・オーケストラによる格好いい演奏)
メレンゲ系
"El Candado del Amor" Aramis Camilo (メレンゲ・ブームの牽引車)
"Pegando Fuego" Las Chicas del Can(メレンゲ界の「モー娘」だ!)
ブラジリアン・ポップ(MPB)系
"Dezembros12月" Maria Bethania
(MPBの奥深さ、優しさがたっぷり。彼女の最高傑作!)
「最高の人生」Wilson Moreira
「裏山の風景」 Nelson Sargento
(この頃、渋いサンバの掘り起こしで名盤続出。ボンバ・レーベル大貢献))
"Cabeca De Nego" Joao Bosco
(ミナス出身アラブ系、80年代に大活躍。これは代表作)
"Almir Guineto" Almir Guineto
(80年代パゴージ・ブームの立て役者のソロ作、大ヒットした))
アフリカン・ポップ系
"Nelson Mandela" Youssou N'Dour
"10 Cola Nuts" Mory Kante
(ギニア出身、フランスでのアフリカン・ポップ・ブームのきっかけを作った)
ジャズ系
"Mardi Gras In Montreux" The Dirty Dozen Brass Band
(ニューオーリンズ系ブラスバンドが世界的に注目される)
ユーロ・ポップ系
"Siroco〜熱風〜" Paco De Lucia
(フラメンコ・ギターのNo.1、スペイン、アンダルシア出身)
アジアン・ポップ系
「四物遊撃」サムルノリ(民族音楽)
(法政大学の屋上で見たライブは感激でした!)
「うぶ毛がそそり立つ」 Hetty Koes Endang
(インドネシアのアイドル歌手、TVでも活躍)
「一無所有(俺には何もない)」 ツイ・ジェン
(日本でのブレイクは1988年頃、中国ロックの最高峰登場!)
J−POP系
「カフェ・ボヘミア」 佐野元春
「カミング・ストーン」大貫妙子
「3rd Break」バービー・ボーイズ
「J. BOY」浜田省吾
「ジ・エンド・オブ・ザ・センチュリー」聖飢魔U
「Just A Hero」BOOWY
「峠のわが家」矢野顕子
「時の流れに身をまかせ」テレサ・テン
「My Revolution」渡辺美里
「Modern Time」吉川晃司
ロック系
Beastie Boys "Lisenced To Ill"
Bruce Hornsby & The Range "The Way It Is"
Guns N' Roses "Live?!☆@Like A Suicide"
Pussy Galore "Groovy Hate Fuck"(J.スペンサー B.Exの前身バンド)
Roxette "Pearls Of Passion"
ソウル、ラップ系
Babyface "Lovers"
Larry Heard "Can You Feel It" (ハウス初のオリジナル・ヒット・レコードたなる)
New Kids On The Block 「どきっとニューキッズ」
ジャズ系
Casandra Wilson "Point Of View"
J−ポップ系
有頂天「ピース」
パール兄弟「未来はパール」
Albert Grossman (Producer) 1月25日 心不全 59歳 Richard Manuel (The Band) 3月 6日 自殺 42歳 Phil Lynott (Thin Lizzy) 1月 4日 肺炎、心不全 36歳 Cliff Burton (Metallica) 9月27日 交通事故 24歳 O'Kelly Isley (Isley Brothers) 3月31日 心不全 48歳 Lee Dorsey 12月 1日 肺気腫 59歳 Nelson Cavaquinho 2月18日 ? 75歳 Benny Goodman 6月13日 脳卒中 77歳 岡田有希子 4月 8日 自殺 18歳
ハレー彗星が76年ぶりに地球に接近
<アメリカ>
ニューヨーク株式大暴落
スペース・シャトル・チャレンジャー爆発事故
アメリカ軍、カダフィ率いるリビヤを攻撃
米ソ首脳レイキャビク会談
イラン・ニカラグア・コントラ秘密工作事件
<ヨーロッパ>
チェルノブイリ発電所で爆発事故発生
ナヒモフ号衝突沈没事件
イギリスの彫刻家ヘンリー・ムーア死去
フランスの女流作家、シモーヌ・ド・ボーヴォワール死去
フランスの作家、ジャン・ジュネ死去
<アジア>
フィリピン大統領にアキノ夫人が就任
第一回南アジア首脳会議、SAARC発足
ベトナムのドイモイ政策により経済復興進む
<日本>
第12回主要先進国首脳会議(東京サミット)開催
円相場が高騰、バブルがピークを向かえる
イギリスの皇太子夫妻来日、ダイアナ妃フィーバー
三原山が大噴火
「新人類」が流行語となる
<芸術、文化、商品関連>
「紐育万国博覧会」E・L・ドクトロウ著(全米図書賞)
富士フィルムの「写ルンです」発売(使い捨てカメラ時代始まる)
ルイジ・コラーニ、デザインのキャノン「T90」発売
<音楽関連(海外)>
"Can You Feel It"、ハウス初のヒット・レコードとなる
パリのゼニットでカッサブがライブ開催、ズーク・ブームが本格化
イギリスでバングラ・ビートがブームになる
<音楽関連(国内)>
Run・DMCの来日で、日本でもヒップ・ホップの時代が始まる
「マイ・アディダス」(Run DMC)のヒットとともにアディダス・ブーム
原宿の歩行者天国「ホコ天」でのライブ・バンドたちがブームとなる
<映画>
この年の映画についてはここから!
[1986年という年] 橋本治著「二十世紀」とり 2004年11月追記
1986年の4月26日、ソ連のテルノブイリ原子力発電所が爆発事故を起こした。
「二十世紀最大のどんでん返しは、その初めに『進むべき正しい道』と信じられていた社会主義が『進歩を阻む保守派』となってしまったのである」
「チェルノブイリの原発事故は、その深刻さゆえに、保守派の介入を一時的に抑えた。ゴルバチョフはペレストロイカ(再建)を公然と推し進め、そして”終わり”もやって来るのである」
1980年代、世界の中心は日本にあった。輸出に成功した日本は、世界一の金持ちになった。その理由はなにか?
「日本は技術が優秀だった」というのは、おそらく第二の理由である。軍隊を放棄した日本で、軍事予算は少なかった。アメリカとソ連と、そしてヨーロッパ諸国に冷戦を担当させて、日本はただ「世界一の金持ち国になる道」を歩んでいればよかった」
<作者からのコメント>
この年の夏、僕はトルコ3週間一人旅に出かけました。チェルノブイリの原発事故の影響など気にもしていなかったのですが、帰ってきてから放射能の影響について真剣に心配になったものです。ロシアの西側は風の影響でかなり死の灰を浴びていたことが、しだいに明らかになってきたのです。そして、その心配はいつしか現実のものとなります。その頃から、急に僕の頭髪が、・・・・。あの時、トルコに行かなければ、今でもフサフサだったのかもしれません。原発への怒り未ださめやらず!
参加国総数 110
本戦参加チーム(24ヶ国)
西欧圏 イタリア、ベルギー、フランス、スペイン、北アイルランド、デンマーク、西ドイツ
ポルトガル、スコットランド、イングランド
東欧圏 ブルガリア、ソ連、ハンガリー、ポーランド
南米 アルゼンチン、パラグアイ、ブラジル、ウルグアイ
北中米 メキシコ、カナダ
アジア 韓国、イラク
アフリカ アルジェリア、モロッコ
<予選リーグ突破チームと一次リーグ勝敗>
メキシコ ×ブルガリア、ベルギー× ソ連、ブラジル ×ポーランド、アルゼンチン× ウルグアイ
フランス ×イタリア、西ドイツ ×イングランド、スペイン ×デンマーク
準決勝進出チーム フランス、西ドイツ、アルゼンチン、ベルギー
決勝 西ドイツ、アルゼンチン
優勝 アルゼンチン
<活躍した選手>
ヤン・クーレマンス、ステファン・デモル、フランク・フェアコウテン、ジャン・マリー・パフ(ベルギー)
ミシェル・プラティニ、ジャン・ピエール・パパン、ジャン・ティガナ、ロシュトー(フランス)
エワトール・エンリケ、ディエゴ・マラドーナ、ホルヘ・バルダーノ、ホルヘ・ブルチャガ
ペドロ・パスクリ(アルゼンチン)
クラウス・アロフス、ローター・マテウス、アンドレアス・ブレーメ、ルンメニゲ(西ドイツ)
イエスパー・オルセン、ブライアン・ラウドルップ、プレベン・エルケア・ラールセン(デンマーク)
ピーター・シルトン、ピーター・ベアズリー、ゲーリー・リネカー(イングランド)
アブデルラザク・ハイリ、アブデルカリム・クリマウ(モロッコ)
ソクラテス、ファルカン、カレカ(ブラジル)
<FIFA私物化の始まり>
アヴェランジェFIFA会長の鶴の一声により、メキシコでの2度目の開催が決まったが、大会の放映権を独占していた「テレビサ」の重役がFIFAの副会長を務めていたり、アヴェランジェ会長と「テレビサ」オーナーが友人同士だったりなど、FIFAの明らかな私物化が始まっていた。
<アフリカ初の予選リーグ突破>
モロッコがポルトガルを破った他、イングランド、ポーランドと引き分け、予選リーグを見事一位で通過。アフリカ初の予選リーグ突破となり、決勝リーグでも、この大会準優勝の西ドイツと0−1,0−0という僅差の敗戦で大健闘をみせた。
<ワールドカップ・マラドーナ大会>
この大会の準決勝アルゼンチン対イングランド戦は、ワールドカップ史上最も繰り返し見られる伝説の試合となった。
それはあの「神の手」から生まれたゴールだけでも、充分歴史的な価値があったかもしれないが、それを世界中のサッカー・ファンに「神の手」と言わしめたのは、そのゴールから数分後の「奇蹟の5人抜きゴール」があったからこそなのです。このゴールを生で見たときの戦慄は未だに忘れられません。
それともうひとつ、「神の手」が生まれた布石には、イングランドによる徹底的なマラドーナ潰しがありました。前半、彼はイングランドの選手からしつようにタックルを受け、倒され続けました。それは誰が見てもかわいそうなぐらいでした。それを見ていた審判だからこそ、「神の手」判定が生まれたのかもしれません。
<アルゼンチンの守備的戦法>
アルゼンチンは守備的な試合運びを身上とするカルロス・ビラルドが監督に就任。徹底的に守備を固め、攻撃はマラドーナひとりに任せるという戦法を貫き、これが全勝での優勝につながった。しかし、これはマラドーナという天才が絶好調であったこの大会だったからこそ、可能な戦法だったことが、次回の大会で明らかになる。