<マルチニーク諸島>
U 2の大活躍によって爆発したアイリッシュ・サウンド・ブームは、大西洋の北に浮かぶ小さな島国を一躍有名にしました。しかし、世界のポップス界に新鮮な風を送り込んだ島国は他にもありました。その島国は同じ大西洋上の反対側、カリブ海に浮かぶ島々の中にありました。それは正確には国ではなく、仏領マルチニーク諸島と呼ばれる地域で、カリブ海では珍しいフランス語圏のその地域では、他の島々とは違う文化が育まれていました。そこから登場した独特のサウンドが、この年を前後して世界各地で静かなブームを巻き起こしたのです。
<ビギンとマラヴォア>
先ずいち早く世界にその名を知られたのがマラヴォアという1968年結成のベテラン・ダンスバンドでした。彼らは以前からこの地で発展していた「ビギン」という弦楽器を中心とするアコースティックなダンスサウンドの継承者として活躍していました。彼らのサウンドは、弦楽器が生み出すゆったりとした「うねり」をもつゴージャスなダンス・サウンドで、キューバ系のサルサやジャマイカのレゲエ、それにメレンゲ、カリプソ、タンゴなどのラテン・サウンドとは、ひと味もふた味も違っていました。雰囲気的に近いのは、かつて同じフランス領だったハイチで発展した「ヘイシャン」と呼ばれるサウンドでしょう。(かつてどの国の植民地だったかによって、その国の文化が大きく違ってきたり、似てきたりするのは、皮肉な現実です。しかし、それが現代ポップスの多様性とパワーの源になっているのですから、世の中は面白いものです!)
<ズーク・ブームを巻き起こしたカッサブ>
同じ頃、フランスではカリブ海に浮かぶフランス領小アンティル諸島出身のバンド、カッサブが「ズーク」と呼ばれる新しいダンス・サウンドで一大ブームを巻き起こしていました。彼らのサウンドはエレクトリックなリズムを基本とするカリビアン・サウンドで、そこにフランス語とゴージャスなメロディーが加わることで独自の世界を作り上げていました。
<世界一のアマチュア・バンド、マラヴォア>
それに対して、マラヴォアのサウンドは、電気楽器をほとんど使用しないアコースティック・スタイルで、ゴージャスかつノスタルジックなダンス・サウンドは、ズークよりもぐっと大人向けで、その人気は次第に世界中に広まって行きました。しかし、もともと小さな島のため、バンドの仕事だけでは食べていけなかった彼らはそれぞれに仕事を持っていて、その合間にバンド活動を行っていました。そのため人々は彼らのことを「世界一のアマチュア・バンド」と呼ぶようになったのです。
<「ラシーヌ」の魅力>
そしてこの年、同じマルチニーク諸島から世界に向けて発表されたのが、カリの「ラシーヌ」でした。「ラシーヌ」とは、ズバリ「ルーツ(根)」のことで、アルバムの内容もタイトルどおりマルチニーク諸島のルーツ・サウンドを見事に現代に甦らせたものになっています。しかし、このアルバムが本当に素晴らしいのは、過去を甦らせるという考古学的価値よりも、世界中の人々を楽しませたり、ノスタルジックな気分にさせたりする音楽本来の機能を見事に発揮していることにあります。そこには不思議な癒しの力がありました。だからこそ、世界中の人々が彼らのサウンドの虜になったのです。
<カリという人物>
このアルバムを作ったカリは、第三世界が生んだ最大のヒーロー、ボブ・マーリーの影響を直接受けた世代で、サウンド・スタイルは違っても、精神的な面ではしっかりと、その意志を継いだアーティストでした。そのことは、その後の彼のアルバム「Live Au New Morning」におけるボブ・マーリーのカバー曲を聴くとよくわかります。彼はレゲエというスタイルをまねるのではなく、自らの住む国の音楽の歴史を掘り起こすことで、ボブの意志を継いだと言えるでしょう。ボブ・マーリーが蒔いた種はここでもまた見事な花を咲かせていたのです。
<追記-ボブ・マーリーは世界の共通語->
ちょうどこの年、僕は友人とインドへ旅をしました。旅も後半のある日、バラナシ(ベナレス)のホテルのレストランで朝食を食べていると、隣の席から聞き覚えのあるメロディーが聞こえてきました。それはボブ・マーリーの「バッファロー・ソルジャー」のフレーズでした。
インドにすっかり慣れ、かなりハイになっていた僕はすかさず振り返り「それってバッファロー・ソルジャーでしょ!」と話しかけた。(ハイと言っても、もちろんナチュラル・ハイです)歌っていたのは、エルビス・コステロに似たイタリア人の男性で彼女と二人で旅行をしているとのことでした。僕が東京でボブのコンサートを見たことを話すと、彼も、俺たちだってミラノで見たもんねと言う。それでもう僕らの間には確固たる信頼関係ができました。80年代に青春を過ごした世代の一部にとっては、「ボブ・マーリー」ほど赤の他人同士に信頼関係を結びうる「共通言語」はなかったかもしれません。
関連するページ
マラヴォア
(ビギンの継承者)
ロック系
"Ambitious Lovers" Greed
(最初にブラジルに取り憑かれたロック・ミュージシャン、アート・リンゼイ)
"Amnesia" Richard Thompson
"Brian Wilson" Brian Wilson(ビーチ・ボーイズの天才がついに活動再開)
"Dream Of Life" Patti Smith (パティ・スミス、鮮やかな復活)
"Falling Up" Kevin Ayers (ロック界の隠遁者、久々の傑作)
"Goodbye Blue Sky" Godley & Creme
"Green" R.E.M.
"Gladsome,Humour & Blues" Martin Stephenson
"Life After Romance" Ned Doheny
(究極のおぼっちゃまサウンド、悔しいけどお洒落です!)
"Land Of Dreams" Randy Newman
"Live At The Ritz" Ron Wood & Bo Diddley
"Music Circus" Brave Combo
"Naked" Talking Heads
"Provision" Scritti Politti
"Roll With It" Steven Winwood
「レイン・ストームとCHALKの痕」 Joni Mitchell
"Rattle And Hum" U 2
"Short Vacation" Kenny Vance
"Talk Is Cheap" Keith Richards (キースのソロ作、決定版!)
"Viva Hate" Morrissey
"Volume One" Traveling Wilburys
トラッド、アイリッシュ系
"Fisherman's Blues" The Waterboys
"Irish Heartbeat" Van Morrison
(V.モリソンとチーフタンズががっぷり四つに組んだアイリッシュ・ソウル!)
"If I Should Fall From…" The Pogues (ポーグスの最高傑作)
"Dolores Keane" Dolores Keane
(現代アイルランド最高の歌い手、トラッドからポップスへと転換をとげた作品)
"Once In A Lifetime" Runrig
(スコッチ・ゲーリック・バンドの最高峰。その実力を発揮したライブ作品)
"Watermark" Enya (まさに、アイリッシュ・サウンドの年でした!)
テックス・メックス
"Flaco's Amigos" Flaco Jimenez
(テックス・メックスのゴッド・ファーザー、ライ・クーダーらとのセッション作品)
ソウル、ファンク・ラップ系
"Don't Be Cruel" Bobby Brown"
"Forever" Willie Clayton
"Humpty Dance" Digital Underground
"Lovesexy" Prince
"What's Up Dogs?" Was(Not Was)
"What's Bootsy Doin'?" Bootsy Collins
"Public Enemy U" Public Enemy
レゲエ系
"Distant Thunder" ASWAD (レゲエのニュー・スタイルが大ヒット)
ズーク、マルチニーク系
"Jou Ouve" Malovoi (マルチニークの誇るゴージャス・ダンス音楽)
サルサ、ラテン系
"Fin De Semana" Adarbert Alvarez (キューバン・サルサの復活!)
"Primitive Love" Miami Sound Machine
"LA Salsa Society Orq."LA Salsa Society Orq.
「ソンゴが最高」 Los Van Van
(80年代キューバン・ポップの最高峰といえるバンド)
アフリカン・ポップ系
"Papa Wemba" Papa Wemba
「ンバラ・ファンク」 Super Diamono(セネガルを代表するバンド、独自のファンク)
"Paris-Soweto" Mahlahini & Mahotella Queens
(南アを代表するポップス「ンバカーンガ」で世界を席巻)
民族音楽
"Bulgarian Polyphony" The National Folk Ensemble:Philip Koutev
ユーロポップ系
"Gipsy Kings" Gipsy Kings
"Great Blue(Sound Track)" Eric Serra
インディア・ポップ系
"Shaday" Ofra Haza (イスラエルの女性歌手、世界市場を意識したアルバム)
アジアン・ポップ系
"Mirza Ghalib" Jagjit & Chitra
「もう一つの地球」 Medhat Saleh(エジプトから登場した若手アイドル歌手)
J−ポップ系
「ミッキーオの伝説」あがた森魚
「カバーズ Covers」 RCサクセション
「カメラ・トーク Camera Talk」フリッパーズ・ギター
「Keisuke Kuwata」桑田佳祐
「GO FUNK」米米クラブ
「Such A Funky Thang !」久保田利伸
「Train-Train」ブルーハーツ
「ハートランド Heartland」 佐野元春
「ひとつ抱きしめて」ジュン・スカイ・ウォーカーズ
「フラワーズ・フォー・アルジャーノン」氷室京介
「ベリッシマ!」 ピチカート・ファイブ
「ランナー」爆風スランプ
「Let's Get Crazy」プリンセス・プリンセス
ロック系
Fairground Attraction "The First Of A Million Kisses"
(映画を見ているようなお洒落なストリート・サウンド)
Hothouse Flowers "People"
Living Color "Vivid"
Phish " Junta " (アメリカン・アンダーグラウンド・シーンを代表するバンド)
The Sugercubes( Bjork ) "Life's Too Good"
Tracy Chapman "Tracy Chapman"(デビュー時から風格あり)
ソウル、ファンク、ラップ系
DJ Jazzy Jeff & The Fresh Prince(Will Smith) "Parents Just Don't Understand"
Guy "Guy"
Jungle Brothers "Straight Out The Jungle"
(アフリカ回帰をテーマにしたニュースクール・ラップ)
Tony Toni Tone "Tony Toni Tone"
MC Hammer "Let's Get It Started"
Naughty by Nature "Independent Leaders"
Queen Latifah "Wrath of My Madness"
J−ポップ系
ECD "Pico Curie" (J−ラップの開拓者)
フリッパーズ・ギター「カメラ・トーク」
ボアダムス「恐山のストゥージズ狂」
X 「Vanishing Vision」
エレファント・カシマシ「エレファント・カシマシ」
Andy Gibb(ビージーズ兄弟の弟) 3月10日 心臓病 30歳 Roy Orbison 12月 6日 心不全 52歳 Jesse Ed Davis 6月22日 薬物中毒 43歳 Nico 7月18日 脳内出血 49歳 Roy Buchanan 8月14日 自殺 48歳 Hillel Slovak(Red Hot Chili Peppers) 6月25日 薬物中毒 25歳 Dave Prater(Sam & Dave) 4月 9日 自動車事故 50歳 Brook Benton 4月 9日 合併症 56歳 Sun House 10月19日 ? 86歳 Charlie Palmieri 9月12日 心不全 61歳 Nelson Gonsalves 4月18日 心不全 78歳 Gil Evans 3月20日 腹膜炎 75歳 Chet Baker 5月13日 転落死 58歳
アフガニスタン和平4カ国協定調印(米国、ソ連、アフガニスタン、パキスタン)
第14回主要先進国首脳会議(トロント・サミット)
国連平和維持軍がノーベル平和賞受賞
<アメリカ>
米軍ペルシア湾でイラン軍と交戦
アメリカの理論物理学者リチャード・ファインマン死去
チリの大統領新任投票で15年続いたピノチェト軍事政権が敗北
<ヨーロッパ>
EC・コメコン相互援助関係樹立宣言
エーゲ海観光船テロ事件
ゴルバチョフが最高会議幹部会議長に就任、党書記長も兼任
スウェーデン議会、原子力発電所廃棄法可決
<アフリカ・中東>
イラン・イラク戦争終結
パレスチナ国家独立
<アジア>
ソ連軍アフガニスタンから撤退
カンボジア問題5者ジャカルタ会議開催、ヴェトナム軍がカンボジアからの撤収を開始
バングラディッシュ大洪水
ビルマ国軍クーデター(翌年国名をミャンマーに変更)
台湾の総統に李登輝氏就任
チベット自治区で独立を求める運動激化
ソウル・オリンピック開催
<日本>
青函トンネル、瀬戸大橋開通
リクルート事件
東京ドームが完成
日米牛肉・オレンジ交渉決着
<芸術、文化、商品関連>
「ビラブド:愛されし者」トニ・モリスン著(ピューリツァー賞受賞)
「オスカーとルシンダ」ピーター・ケアリー著(ブッカー賞受賞)
「パリス・トラウト」ピート・デクスター著(全米図書賞)
「ジャーナル・オブ・デザイン・ヒストリー」創刊(イギリス)
ドラゴン・クエストVが大ヒット
<音楽関連(海外)>
ヒップ・ホップ専門誌「ザ・ソース The Source」創刊
ヒップ・ホップ専門TV番組「Yo! MTV Raps」放送開始
デトロイトにクラブ「デトロイト・ミュージック・インスティテュート」誕生
(デトロイト・テクノの発信源となる)
「ディファレント・トレインズ」 スティーブ・ライヒ
<音楽関連(国内)>
CDシングルの発売が始まり、CDの売上が一気にアナログ盤を抜きさる
東京ドームがオープン(アルフィー、ミック・ジャガーが登場)
新宿パワー・ステーションがオープン(インディーズ・バンドの登竜門)
代々木公園の歩行者天国に「バンド天国」が現れる
<映画>
この年の映画はここから!
[1988年という年] 橋本治著「二十世紀」より 2004年11月追記
1980年に始まったイラン・イラク戦争が停戦となる。(犠牲者は100万人以上に達した)
「サダム・フセインは社会主義者ではない。彼にとって重要なのは、支配者として自分の地位を守ることであり、近隣アラブ諸国の中における自国の優位を達成することだった。自分の支配体制を危うくするようなシーア派原理主義も、社会主義も、彼には必要がない。彼に必要なものは、自分=自国の優位を飾る「民族主義」という言葉だけなのだ。・・・」
こうして
「1988年にイランは負け、翌年ホメイニ師は死ぬ。支持されて勝ったフセインは、1990年にクウェートへと侵攻し、翌年の湾岸戦争へと至る。・・・」
<作者からのコメント>
こうして、独裁者の地位をほしいままにするフセインを育てたのは、イスラム原理主義の中心国イランを抑えこもうとするアメリカでした。
アメリカは彼に巨額の資金援助を与え、イスラム国家同士で戦わせようとしたわけです。しかし、アメリカはこうした陰謀のツケを21世紀に入ってから払わされることになります。アメリカが育てたフセインは暴走し、もう一人アメリカがアフガニスタンで育てたビンラディンとともに「テロ」というアメリカにとって最大の敵を生み出すことになるのです。
アメリカはイスラム教という宗教を甘くみていました。イスラムンの国々は、例えフセインのような独裁者が消えても、マホメットの教えの元に団結する宗教心をもっていました。それはかつて社会主義という名のもとに自らの命を捧げたベトナムの兵士たちを思い起こさせます。
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