- アジアン・ポップの女神 -

サンディー Sandii    

この年の出来事 代表的な作品 デビュー 物故者
<アジアン・ポップの成長>
 ワールド・ミュージックのブームが続く中、我が日本を含むアジアの地でも、それまでの伝統的なアジア歌謡とは違うスタイルのサウンドが、花開きつつありました。その担い手となったのは、ビートルズだけでなくボブ・マーリーなど第三世界が生んだヒーローたちの曲を聴いて育った世代で、彼らの音楽にはロックだけでなく、レゲエやラップなどあらゆるスタイルが取り入れられていました。初めはそうした西欧圏ポップスのコピーだったサウンドも、しだいにオリジナリティーを持ち始め、80年代には、それぞれの民族の香りをもつ優れた作品が世界の市場で認められるようになって行きました。

<マッド・チャイナマンの登場>
 そんなアジアン・ポップの代表作の中でも特に衝撃的だったのは、1989年ディック・リーの「マッド・チャイナマン」です。シンガポールという世界でも有数の無国籍国家発のこのアルバムは、中国、日本、インドネシアなど近隣のアジアのサウンドにレゲエやロック、ラテンを混ぜ合わせ、単なる「ごった煮」ではない「極上のスープ」、アジアン・チャンプルー・サウンドに仕上げられていました。

<久保田麻琴&ディック・リー>
 この作品を聴いてショックを受けた多くのリスナーの中に、我が日本を代表するアジアン・ポップ・アーティスト、久保田麻琴がいました。彼は、早くから日本という狭い環境を飛び出し、海外、特に東南アジア地域で大活躍をしており、彼の率いるサンディー&ザ・サンセッツはオーストラリアでも大ヒットを飛ばし、一躍アジアを代表するバンドに成長していました。(日本では、さっぱりでした。この状況は海外から「黒船」を発表したサディスティック・ミカ・バンドとも共通します)
 彼は早速ディック・リーに連絡をとり、共同プロデューサーとして、手を組むことになりました。そして、作られたのが今やアジアを代表する歌姫、サンディーの「マーシー」です。

<アジアン・ポップの金字塔、「マーシー」>
 アジアを代表する二人のプロデューサー、久保田のアジアっぽい泥臭さとD.リーのセンスの良さが見事に生かされることにより、この作品は歴史的な名盤となりました。(その後の作品もけっして引けを取らない作品揃いですが)しかし、優れた作品になった本当の理由は、サンディーというカリスマ的とも言えるアーティストの魅力だったことを、忘れるわけにはいかないでしょう。なんと言っても、東アジアのポップスに共通する最大の魅力は、女性ヴォーカルの美しさにあります。そのことを彼女は再認識させてくれました。完全に男性中心の社会であるアラブ系の国々は、男性ヴォーカリストがはばを利かせているようですが、やはり「微笑みの国々」アジアは女性の優しく美しい歌声が基本なのかもしれません。

<チャンプルー人種、サンディー>
 実際、サンディー自身、太平洋のど真ん中ハワイ生まれの日本人という実にアジア的なチャンプルー人種でした。そうでなくとも、ハワイという島はアメリカ文化と日本人観光客や日系人がもたらした日本文化、そしてハワイ王国が本来持っていた文化が混じり合った独特の文化を持つ地域なのです。(ついでに言うなら、あのウクレレやスティール・ギター、スラック・キー・ギターなど、優れたギター・サウンドを生み出すもとになったギター文化をこの地に持ち込んだのは、メキシコからやって来たカウボーイたちだったそうです)

<アジアン・ポップの本質>
 サンディーの歌には、そんな民族の血が見事に溶け合っています。彼女の歌を聴いていると、アジアン・ポップのもう一つの魅力が「多民族性とその調和の美」にある、と気づかされます。アジアの文化そのものが、その豊かな自然と同様、「混沌」とそれを受け入れるおおらかな心によって成り立っているのですから。

<アジアン・ポップの女神よ、永遠なれ!>
 ほとんどマスコミにも登場せず、自らのペースで世界各地を歌い巡り、アルバムを制作するサンディー。それはまるで、彼女が生きながら「アジアン・ポップの女神」になってしまったかのようです。このアルバムのタイトル「マーシー」とは、「慈悲」を意味します。なんとも「アジア」を感じさせてくれる言葉ではないでしょうか。すべてを受け入れ、それでもなお「慈悲」を与え続けるアジアン・ポップの女神、サンディーよ永遠なれ!

<フラの正当なる継承者>(2013年追記)
 その後、彼女は久保田麻琴のもとを離れ、ソロとして活躍するようになりますが、ヒットに恵まれないこともあり音楽活動を休止。悩んでいた時期にかつて彼女がお世話になっていたフラの師匠からハワイに来なさいという誘いがきます。
 ハワイに住んでいた少女時代、彼女はフラに本格的に取り組んでいました。しかし、股関節の病気で続けることができなくなった経験がありました。その当時のフラの師匠からの誘いに彼女はハワイ行きを決意。改めてフラを学び始めました。
 2001年、彼女は東京でフラのスクールを始めました。まだフラのブームが起きる前のこと。彼女の学校は日本におけるフラブームのきっかけとなります。
 2005年、彼女はフラの正当な継承者としての資格である「ウニキ・クムフラ」と認められました。
 どうりで、彼女の歌声を聞かなくなったと思ったら、そうだったんですね。知りませんでした。
 アジアン・ポップの女神は、フラの女神に変身していたようです。神様は、やはり彼女の魅力、実力を認めていたようです。

     アンダーラインの作品は特にお薦め

ロック系
"Bellybutton" Jellyfish
"Brick By Brick" Iggy Pop
"Goo" Sonic Youth (パンクとオルタナをつなぐ名作)
"The Rhythm Of The Saints" Paul Simon
(この後ブレイクするブラジルのパーカッションをいち早く導入)
"Ritual De Lo Habitual " Jane's Addiction
"Songs For Drella" Lou Reed,John Cale
V.アンダーグラウンドのコンビがアンディー・ウォーホルに捧げたアルバム)
"Soup Of Century" 3 Mustaphas 3
夢紡ぎ」 Suzanne Vega
アイリッシュ、トラッド系
"Existir" Madredeuds
"Freedom And Rain" The Oyster Band
(ジューン・テイバーとの共演作。イングリッシュ・トラッド・ロック)
"Home" Hothouse Flowers
"The Red Crow" Altan(90年代を代表する若手トラッド・バンド)
"Shadow Hunter" Davy Spillane
(アイリッシュ・イーリアン・パイプ奏者によるロック・サウンド)
テックス・メックス、テハーノ系
"Ven Conmigo" Selena
(テハーノ・ミュージックの女王、銃による悲劇の死で若くして死亡)
ソウル、ファンク、ラップ系
"AmeriKKKa's Most Wanted" Ice Cube
"Brothers Keeper" Neville Brothers
"Black Planet" Public Enemy(ハード・コア・ラップの雄、その代表作!)
"Edutainment" Boogie Down Productions
"Funk Of Ages" Bernie Worrell(P−ファンクの隠し味、ソロでの登場)
"Please Hammer Don't Hurt'ern" M.C.Hammer (時代のアイドルになった作品)
"Sex Packets" Digital Underground
"Tender Lover" Babyface
"25 Years Later" Blaze (ブラック・アメリカンの歴史をつづった傑作アルバム!)

"BONAFIDE" Maxi Priest(大ブレイクで夏の定番に!)
クンビア、コロンビア・ポップ系
"El Palito" "Abrazaditos" Alfredo Gutierrez
(この時期、ブームとなったコロンビアのクンビアを代表する人気者)
メレンゲ系
"Siempre…Wilfrido…" Wilfrido Valgas
ソカ、カリプソ系

"1990" David Rudder (カリと並ぶB.マーリー世代のニューヒーロー)
ブラジリアン・ポップ(MPB)系
"Amazonia" Egberto Gismonti
(生楽器とコンピューターによるオーケストラの共演という前人未踏の世界)
"Ivan Lins 20 Anos" Ivan Lins (デビュー20周年記念ライブ)
"Mais" Marisa Monte(90年代MPBを代表する女性ヴォーカル、セカンド)

アフリカン・ポップ系

"Set" Youssou N'Dour
(世界を視野に入れた歌詞、バラエティーに富んだ内容はさすが!)
"Amen" Salif Keita(パワー全開の「ソロ」に比べ、リラックスしたサウンド)
イスラム圏のポップス
"Let Me Rai" Cheb Mami (「ライのプリンス」が世界進出を狙った作品)
"Mustt Mustt" Nusrat Fateh Ali Khan(ロック系サウンドとのコラボレーション開始)
"Gulumse" Sezen Aksu (現代性を備えたトルコの実力派女性歌手)
アジアン・ポップ系
"Someone Somewhere" Jagjito & Chitra
"Asia Major" Dick Lee
"Legenda" Sheila Majid (なんとお洒落で美しいサウンド、驚きました)
"Campur DKI" Campur DKI
(打ち込みダンドゥットのダンスサウンド、久保田&リリック・アリボウォ制作)
"Faces And Places" Sandy Lam
(香港を代表するアイドル系女性歌手、ディック・リーとも共演)
島うた」 知名定男
(琉球ポップスの牽引者が本格的な島唄を聞かせる名作)
ありがとうりんけんバンド(琉球ポップス界の人気者本土デビュー)
タキオ・スピリット」伊藤多喜雄&トライン・タイムス
(苫小牧出身の民謡歌手がその枠を越えて作り上げた唄の世界)
J−ポップ系
愛は勝つ」KAN
"The Exitentialist A Go Go" The Beatniks
踊るポンポコリン」B.B.クィーンズ(アニメ「ちびまる子ちゃん」主題歌)
おあそびJagatara (悲劇のカリスマ・ヴォーカリスト、死後発表された作品)
音楽旅団」Begin
家庭教師」岡村靖幸
CUE」高野寛
クロスブリード・パーク」ニューエスト・モデル
ケダモノの嵐」ユニコーン
最後の晩餐Moon Riders(時代の先を行く音楽集団久々の作品、傑作です!)
Sister Strawberry」筋肉少女帯
ジャパネスカThe BOOM
ジャングル・ガンボJungle Gumbo」ボ・ガンボス
世界が一番幸せな日」KUSU KUSU
誕生」尾崎豊
"Baby A Go Go" R.C.Succession





ロック系
The Black Crowes "Shake Your Money Maker"
Brand New Heavies "The Brand New Heavies"
Celine Dion "Unison"
Digital Underground "Sex Packets"
Mariah Carry "Mariah Carry"
Stevie Saras "Colorcord"
Wilson Phillips "Wilson Phillips"
ラップ、ヒップ・ホップ系
A Tribe Called Quest "People's Instinctive Travels And The Paths Of Rhythm
Deee-Lite "World Clique"(デビュー作とは思えない完成度)
J−ポップ系
上々颱風 「上々颱風」
スチャダラパー 「スチャダラ大作戦」
東京スカパラダイス・オーケストラ 「スカパラ登場」


Allen Collins(Lynyrd Skynyrd)  1月23日 肺癌 37歳
Brent Mydland(Grateful Dead)  7月26日 薬物中毒 38歳
Del Shannon  2月 8日 自殺 50歳
Jimmy Hodder(Steely Dan)  6月 5日 水死 42歳
Richard Thorlds(Patti Smith Group)  6月 3日 心臓発作 37歳
Stevie Ray Vaughan  8月27日 ヘリコプター事故 35歳
Sean Oliver(Rip Rig & Panic)  3月30日 心臓障害 28歳
Tom Fogerty(CCR)  9月 6日 呼吸困難 48歳
Sammy Davis Jr.  5月16日 喉頭癌 63歳
Sarah Vaughan  4月 3日 肺癌 66歳
Art Blakey 10月16日 肺癌 71歳
Elizeth Cardoso  5月 7日 胃癌 70歳
Xavier Cugart 10月27日 心不全 90歳
江戸アケミ(Jagatara)  1月27日 溺死 36歳




国連麻薬撲滅10年宣言
国際識字年サミット
第16回主要先進国首脳会議(ヒューストン・サミット)
<アメリカ>
米ソ首脳会談で戦略核削減合意
ペルー大統領に日系のフジモリ氏が就任
アメリカの日本研究家、エドウィン・ライシャワー死去
<ヨーロッパ>
ドイツが東西統一を達成する(西ドイツによる東ドイツの吸収)
英国サッチャー首相が辞任、メージャー氏が後任となる
ポーランド大統領にワレサ氏が就任
ロシア大統領にゴルバチョフ就任、市場経済への移行を宣言
同ゴルバチョフ大統領がノーベル平和賞を受賞
<アフリカ・中東>
国連安保理、イラク制裁を決議
イラク軍、クウェートに侵攻、制圧、中東危機が勃発
アフリカ民族会議指導者、ネルソン・マンデーラ氏釈放される(南ア)
ナミビア独立宣言
<アジア>
ミャンマー、総選挙で民主派が勝利をおさめる
インド・パキスタンが軍事衝突
韓国、ソ連との国交樹立
<日本>
日本市場、株価の暴落が続く(バブルの崩壊)
日米構造協議最終決着
天皇の即位式、大嘗祭が挙行される
TBSの記者秋山豊寛はソ連のロケットに乗り日本人初の宇宙飛行

<芸術、文化、商品関連>
「マンボ・キングス、愛のうたを歌う」オスカー・イフェロス著(ピューリツァー賞受賞)
「抱擁」A.S.バイアット著(ブッカー賞受賞)
「中間航路」チャールズ・ジョンソン著(全米図書賞)
アニメ「ちびまる子ちゃん」が大ヒット
任天堂がスーパー・ファミコン発売


<音楽関連(海外)>
ローリング・ストーンズがついに初来日を果たす
アメリカの作曲家、指揮者レナード・バーンシュタイン死去
<音楽関連(国内)>
フリッパーズ・ギターピチカート・ファイブなど「渋谷系ブーム」
ヴァージン・メガ・ストア、新宿にオープン(外資系大型ショップ時代が始まる)

<映画>
この年の映画はここから!

[1990年という年] 橋本治著「二十世紀」より 2004年11月追記
 この時、既に昭和はノスタルジーの中にあって、それが「終わる」ということは、「たいしたことではない」と思われていた。しかし、「終わってしかるべきもの」と「まだ続いていてしかるべきもの」との選別をしなければならない。それをしてこその「新しい時代の始まり」である。しかし、日本人はそれをしなかった。こうして迎えた1990年。
「もう日本に『激震』はない。日本で終わるものは、みんな終わってしまっている。しかし、その3月、公定歩合が4.25%から5.25%へと引き上げられた。株価の3万円割れが起こり、円と株式と債権のトリプル安が起こるのは、その2日後である。・・・かくして直視しないままの日本人は「バブルの傷」を深くして行く」
<作者からのコメント>
 「バブルの時代」を今振り返ってみると、当時は気づかなかった重要な点が見えてきます。ひとつは、ほとんどの人が自分はバブルの恩恵を受けていないと思っていたこと。それは、多くの人がバブルというものの本質を理解していなかったことの証明です。そして、もっとも重要なのは「バブルの時代」が内実の伴わない、その名のとおり「泡のような存在」であり、右肩上がりの経済は一時的なものであるということを認識できなかった人がいかに多かったかということです。
 そして、その現実認識のなさこそが日本経済の立ち直りを遅らせる最大の原因になったのです。逆に言うと、問題を正確に把握することは、問題を解決したのと同義なのだとも僕は思っています。本当に問題なのは、ほとんどの人があえて現実を見ようとしないことにあるのということです。


参加国総数 109ヶ国
本戦参加チーム(24ヶ国)
西欧圏   イタリア、オーストリア、スコットランド、スウェーデン、西ドイツ、スペイン
        ベルギー、イングランド、アイルランド、オランダ
東欧圏   チェコスロバキア、ルーマニア、ソ連、ユーゴスラビア
南米     アルゼンチン、ブラジル、コロンビア、ウルグアイ
北中米   アメリカ、コスタリカ
アフリカ   カメルーン、エジプト
アジア    アラブ首長国連邦、韓国
<予選リーグ突破チームと一次リーグ勝敗>
カメルーン×コロンビア、チェコスロバキア×コスタリカ、アルゼンチン×ブラジル
西ドイツ×オランダ、アイルランド×ルーマニア、イタリア×ウルグアイ
ユーゴスラビア×スペイン、イングランド×ベルギー
準決勝進出チーム アルゼンチン、イタリア、西ドイツ、イングランド
決勝          西ドイツ、アルゼンチン
優勝          西ドイツ
<活躍した選手>
オマン・ビイク(カメルーン)
ワルター・ゼンガー、サルバトーレ・スキラッチ、ロベルト・バッジョ、ジャンルカ・ヴィアッリ(イタリア)
ロベルト・センシーニ、ディエゴ・マラドーナ、クラウディオ・カニージャ、セルヒオ・ゴウゴチェア(アルゼンチン)
ローター・マテウス、アンドレアス・ブレーメ、ユルゲン・クリンスマン、ルディー・フェラー、ピエール・リトバルスキー、ギド・ブッフバルト(西ドイツ)
ゲーリー・リネカー、ポール・ガスコイン、デービッド・プラット(イングランド)
<印象に残らない大会>
全体的に守備的な試合が多く、素人目に見ても面白くない試合が多い大会だった。大会に関する話題も、良くないもの、つまらない事件が多く、記憶に残ることが少ない大会となった。
 開催国のイタリアは、当時セリエAの人気が高くなったところで、世界中の大物が在籍する黄金時代だった。
<事件1- ロハス事件 ->
 南米予選の最終戦、チリ対ブラジルの試合中、ブラジルのファンが投げた発煙筒がチリのロハスに当たり、中止試合となった。ところが、ロハスの怪我は自分で仕組んだものであり、負けていた試合を再試合に持ち込むためだったことがわかり、チリは次回大会にも出場できないことになった。
<事件2- メキシコ・チームの年齢詐称事件>
 メキシコはU-20の世界大会でオーバーエイジを出場させたとして、ワールドカップ予選への出場を禁止された。しかし、この処置は、それまでの同例に対する処置に比べると、明らかに厳しすぎた。これは次回開催国のアメリカを本体会に出場させるためにFIFAが仕組んだものであったと言われている。
<事件3- 神の手Part2 ->
 本体会予選リーグのアルゼンチン対ソ連戦において、ソ連のオレ・クズネツォフのヘディング・シュートをマラドーナが腕で防ぎクリアーした。審判はそのことに気づかなかったため、試合後責任を問われて帰国させられた。
<事件4- フーリガン隔離作戦 ->
 80年代にヨーロッパ各地で事件を起こしたフーリガンのメッカ、イングランドとオランダが入ったグループFの試合を無事行うため、大会本部は、試合の会場をサルディーニャ島とシチリア島という本土から離れた地域に決めた。
<事件5- カメルーン・チーム大活躍 ->
 アフリカ代表のカメルーンは、大ベテラン、38歳ロジェ・ミラの史上最年長ゴール(飛び出しすぎたあの伝説のゴール・キーパー、イギータからボールを奪い取ってのゴール)が飛び出すなど、大活躍をみせ、アルゼンチン、コロンビアなどの強豪を倒しての準決勝進出をアフリカ勢として初めて成し遂げた。
<事件6- 勝つべきチームの敗退 ->
 ルート・グリット、マルコ・ファンバステン、フランク・ライカールトを擁するオランダは、かつての黄金時代に匹敵する華麗なプレーを展開したが、決勝トーナメント一回戦で西ドイツに惜敗してしまった。
 ドラガン・ストイコビッチ、ロベルト・プロシネツキ、デヤン・サビチェビッチを擁するユーゴスラビアも史上最強のメンバーがそろったが、アルゼンチンにPK戦に持ち込まれて敗れ去った。
 こうして、創造的で見応えのあるチームが以外に早く大会から姿を消してしまった。
<事件7- 史上最低の決勝戦 ->
 アルゼンチンは徹底的な守りのサッカーを展開。マラドーナにマークが集中する中、そこからクラウディオ・カニージャへのスルー・パス一本で点を奪うか、だめならPK戦に持ち込むという単純で面白みのない戦法を貫き決勝まで勝ち残った。
 西ドイツ対アルゼンチンの決勝戦は、アルゼンチンがPK戦狙いとしか思えない超守備的戦法をとったこともあり、史上最もつまらない決勝戦と言われることになった。

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