<ヒップ・ホップの誕生>
ヒップ・ホップとは何か?
ことの始まりは、70年代の中頃、ニューヨークのサウスブロンクス地区でした。犯罪都市ニューヨークの中でも、最も危険なこの地域に住むジャマイカ系の黒人たちが、レゲエではなくファンク・ミュージックのアナログ盤を使い、そのリズム・トラック(ブレイク・ビーツ)にDJが独特のノリをもつおしゃべりをかぶせる(トースティングと言う)新しいディスコ・サウンドのスタイルを作り出しました。これが今や全世界に広まった「ラップ」の始まりでした。そして、この頃同時に発展したストリート・ペインティングやブレイク・ダンスなども含めたストリート・パフォーマンスを総称として、「ヒップ・ホップ」と呼ぶようになりました。(その後、コンピューターを用いた「サンプリングによる曲作り」もヒップ・ホップの重要な要素として加わります)これは、かつてジャズを生み出した黒人たちによる新しい黒人都市文化の創造でもありました。
ヒップホップの歴史について、より詳細についてはここから!
<ヒップ・ホップとアメリカの歴史>
1992年発表のこのアルバムは、「ヒップ・ホップ」が生んだ大ヒットアルバムですが、それまでのヒップ・ホップのアルバムとはちょっと毛色が違っていました。そこで、このアルバムの話しの前に、もう少しこのジャンルの歴史について、ひもといてみたいと思います。と言うのも、ヒップ・ホップの歴史は実に変化に富んでいて、人種問題はもとより、麻薬、殺人、暴動、地域間紛争、テクノロジー進化の影響など、この時代のアメリカをはっきりと写しだしています。その意味で、ヒップ・ホップを語ることは、まさにこの時代を語ることにつながると言えるのです。
<ヒップ・ホップ・ヒーロー列伝(第一世代)>
サウスブロンクスで誕生した「ラップ」は、70年代末にシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」が大ヒットしたことで、全米に知られることになりました。さらに、ドイツのテクノポップ・グループ、クラフト・ワークの影響を受けたアフリカ・バンバータは、コンピューターによる打ち込みのリズムを導入、現在のハウスにもつながるエレクトロ・サウンドの土台を築きました。そして、グランドマスター・フラッシュは、サウンドだけではないメッセージ性の高いアルバム「グレイト・メッセージ」を発表し、ヒップ・ホップをいっきにメジャーなサウンド・スタイルへと持ち上げました。
<ヒップ・ホップ・ヒーロー列伝(第二世代)>
次の世代は、Run-DMCが1986年に「レイジング・ヘル」を発表し、その中で70年代に活躍した白人のハードロック・バンド、エアロスミスをカヴァーしたことから始まりました。これがロックとラップの最初の出会いであり、この後このタイプのラップが人種の壁を越えて、全米へと広がって行くことになります。
そして同じ頃、そんな流れとは対照的に、言葉とそのメッセージ性に重きをおく「ハードコア・ラップの雄」パブリック・エネミーが活躍を始め、スパイク・リーの映像(映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」)などとともに、黒人文化としてのヒップ・ホップを世界中にアピールして行きます。しかしこの時、彼らが受けた非難や差別は、かつて60年代に白人のロック・ミュージシャンたちが受けたものよりも、ずっときついものでした。それは、未だに解決しないアメリカにおける人種問題の根深さを示すものであり、この歪みが元となって、この後、ロス暴動という、全米を揺るがす事件が起きることになります。
<ヒップ・ホップ・ヒーロー列伝(第三世代)西海岸編>
こうして向かえた90年代、ラップはそのスタイルを爆発的に多様化させて行きます。特にそれまで、東海岸を中心に発展してきたラップは、西海岸ロス・アンジェルスでも独自の展開を見せ始め、「ギャングスタ・ラップ」という名を付けられる動きに発展して行きました。それは、白人主導の権力に対するプロテストだけではなく、黒人ギャングたちの抗争までもが歌われ、現実にミュージシャンが射殺される事件が起きるところまで、加熱して行きました。(ツーパック、 ノートリアス・ビッグの射殺事件)この西海岸の動きから登場したのが、ドクター・ドレ、アイス・キューブ、スヌープ・ドギー・ドッグ、ツーパックなどです。その他武闘派ラップ・グループのウータン・クラン、麻薬礼賛派のサイプレス・ヒルなど、過激な集団が次々と登場しました。(それらが皆ヒットしてしまうところが、良くも悪くもアメリカです!)
<ヒップ・ホップ・ヒーロー列伝(第三世代)東海岸編>
もちろん、ラップの故郷、NYでもNAS、ノーティー・バイ・ネーチャー、ノートリアス・BIGなどが活躍していましたが、そこにニュー・スクールと呼ばれるギャングスタ・ラップとは対照的なインテリ・ラップ集団が登場して、話しはさらに面白くなります。その代表格、デ・ラ・ソウルは、サンプリングを武器にコラージュによって曲をつくるという、革命的な手法を編み出しました。(この手法は著作権問題を複雑なものにし、この後サンプリングの規制へとつながることになります。しかし、これはまた別のお話)それに、同系列からスタートしたトライブ・コールド・クエストは、一流のジャズ・ミュージシャン(ロン・カーター!など)を起用して、ジャズをバックとするよりクールなスタイルを確立しました。
<ヒップ・ホップ戦国時代とその背景>
90年代のヒップ・ホップ戦国時代は、まるで連載マンガのようだ、と言った評論家がいました。常に新しいスタイルが生み出されるだけでなく、グループ間の対立や分裂など、ちょっと目を離すとついてゆけなくなる展開の早さに加え、実に個性的な登場人物の活躍など、確かにそれはマンガの世界に近かいものでした。しかし、その背景には、マンガの世界とはほど遠い厳しい現実の世界があったことも、忘れるわけにはゆきません。黒人社会には、当時爆発寸前の怒りのエネルギーがたまっていたのです。その結果があのロドニー・キング事件に端を発するロス暴動だったのです。(1992年)
<異色のグループ、アレステッド・デベロップメント登場>
そんなド派手なヒップ・ホップの歴史の流れの中、ヒップ・ホップ辺境の地、南部のテネシー州アトランタから登場したのが、このアレステッド・デベロップメントでした。都市に住む黒人たちのギラギラとしたエネルギーが生み出したヒップ・ホップを、遙か群衆を離れた南の地に住むスピリチュアルなアーティスト系グループが独自の宗教観、政治観をもとにまったく新しい作品として仕上げ、全米で大ヒットを記録しました。それは、過激なヒップ・ホップの歴史から離れていた分、時代性や地域性を越え純粋に音楽として楽しめるようになっていたのかもしれません。
バカげた抗争を繰り替えすギャングスタ・ラップへの批判が歌われていたり、マッチョな傾向が強いジャンルにも関わらず、女性メンバーが活躍していたり、スピリチュアル・アドバイザーとして老人のメンバーが所属していたり、明らかに他のグループとは一線を画する存在でした。
彼らは「連載マンガ」の世界が、ついに「大人向けの小説」へと移り変わり始めたことを示す存在だったのかもしれません。もちろん、どっちが面白いのかは人それぞれであり、それだけこのジャンルが成熟し、拡大したことの証であったと言うべきなのでしょう。
<追記-その後の進化->
その後も、ヒップ・ホップは進化を続けています。
ローリン・ヒルやエリカ・バドゥ、ミシェル・ンデゲオチェロなど、ジャンルを越えた女性ミュージシャンたちの活躍は、マッチョなサウンドだったはずのラップのイメージを変えてしまいました。子供向けのアイドル系ラップ・チームも登場し、ポップチャートを常ににぎわすようにもなってきました。そのうえ、ラップの歌唱法やサンプリングの手法は、国境を越えて世界中へと広がってゆき、それぞれの国の文化と結びついた独自のスタイルを生み出しつつあります。ロック以外の音楽ジャンルで、これだけ世界中に広がったのは、レゲエ以来のことですが、その影響力は今後それ以上のものになることでしょう。
<追記の追記>(2006.4.26)
その後21世紀に入っても、このグループの中心人物だったスピーチは、ソロとして活躍を続けています。さらにはアレステッド・デヴェロップメントの再結成もありました。あえてラップ史の代表として彼らを取り上げただけに、ちょっとうれしいです。おまけに再結成もして活躍は継続しています。今や、彼らは異端派ではなく、ヒップ・ホップの主流派を形成しつつあるのかもしれません。
関連するページ
ローリン・ヒル
(ヒップ・ホップ)ビースティー・ボーイズ
(ホワイト・ヒップ・ホップ)RUN-DMC
ヒップ・ホップ)
アンダーラインの作品は特にお薦め!
ロック系
"Automatic For The People" R.E.M.
"Check Your Head" Beastie Boys
"The End Of Silence" Rollins Band
"Erotica" Madonna
"Get In Touch With Yourself" Swing Out Sister
"Grave Dancers Union" Soul Asylum
"Ingenue" k.d.lang (自らゲイであることを告白、どうりで美しいはずだ)
"Magic And Loss" Lou Reed
(V.アンダーグラウンド時代から変わらぬテンションに脱帽!)
"Paul Weller" Paul Weller (ポウル・ウェラーついにソロ・デビュー)
"Still Life With Guitar" Kevin Ayers
"Unplugged" Eric Clapton (アンプラグド・ブームの火付け役)
ソウル、ラップ、ファンク系
"The Bodyguard" Whitney Houston
"The Chronic" Dr.Dre
"Family Groove" Neville Brothers
"Funky Divas" En Vogue
"Goin' Back To New Orleans" Dr. John
"Love Deluxe" Sade
"Totally Krossed Out" Criss Kross
"Tribes, Vibes and Scribes" Incognito
ジャズ系
"Live At The Motreux Jazz Fes." The African Pioneers
(ジャズって楽しい音楽なんだ、と納得)
"To the Eyes of Creation" Courtney Pine
ブラジリアン・ポップ(MPB)系
"Brasileiro" Sergio Mendes(ブラジル66から衰えぬセンスの良さ)
"Mais" Marisa Monte(90年代を代表するMPBのスター、2作目)
アイリッシュ、ケルト系
"Another Country" The Chieftains(グラミー賞受賞の話題作)
ユーロポップ系
"En Prive" Clemontine
"Vannesa Paradise" Vannesa Paradise
アフリカン・ポップ系
"Khaled" Sheb Khaled
"Eyes Open" Youssou N'Dour
サルサ系
「愛しTe Quiero」 Chica Boom
(ガール・グループによる本格派のキューバン・サルサ、素敵です)
「ディフェレンテス」 Orquesta De La Luz
アジアン・ポップ系
「ディーバ復活」 Ervy Skaesih
「アジマァ」りんけんバンド
「YUNTA」ネーネーズ(琉球ポップの大御所絶好調!)
「島唄」 The Boom(この後、彼らはアジアンポップの枠さえ越える)
「上々颱風3」上々颱風
「ナンアラヨ」(韓国のヒップ・ホップ、デビュー曲が大ヒット)
「カミング・ホーム」 Faye Wong (フェイ・ウォンの香港でのブレイク作品)
J−ポップ系
「ウォーク・ディス・ウェイ」 ECD
「エール」中西圭三
「悲しみは雪のように」浜田省吾(発売は1981年、テレビ主題歌としてブレイク)
「君がいるだけで」米米クラブ
「決戦は金曜日」 Dreams Come True
「恋の薔薇薔薇殺人事件」すかんち
「Super Folk Song」 矢野顕子 (究極の「矢野顕子」、やっぱり天才です)
「The Swinging Star」ドリーム・カムズ・トゥルー
「乳の実」コルネッツ
「ディフェレンテス」オルケスタ・デラ・ルス
「POP TATARI」 ボアダムス
「もう恋なんてしない」槇原敬之
「RUN」 B's
「レッツ・ナイフ」少年ナイフ
ロック・テクノ系
The Aphex Twin(RichardD.James) "Selected Ambient Works 85-92"
Deep Forest "Deep Forest"
Jeff Mills "Waveform Transmission"
The John Spencer Blues Explosion "The John Spencer Blues Explosion"
No Doubt "No Doubt"
Radiohead "Drill"
Rage Against The Machine"Rage Against The Machine"
ソウル、ラップ系
House Of Pain "House Of Pain"
Mary J.Blige "What's The 411"
TLC "Ooooooohhh…on the TLC Tip"
レゲエ系
Bounty Killer "Roots, Reality & Culture"
J−ポップ系
LUNA SEA "LUNA SEA"
Chica Boom "Chica Boom"
(本格派ジャパニーズ・キューバン・サルサ・レディース・バンド!)
Mr.Children 「Everything」
Bobby Lakind(Doobie Brothers) 12月24日 癌 ? Jeff Porcaro(TOTO) 8月 5日 心臓病 38歳 Jerry Nolan(New York Dolls) 1月14日 肺炎、脳膜炎 45歳 Nick DeCaro 3月 心臓発作 ? Peter Allen 6月18日 エイズ 48歳 Albert King 12月21日 心不全 69歳 Eddie Hazel(Funkadelic) 12月23日 肝臓病 42歳 Eddie Kendricks(Temptations) 10月 5日 肺癌 52歳 Merry Wells 7月26日 食道癌 49歳 Astor Piazzolla 7月 5日 心不全 71歳 Atahualpa Yupanqui 5月23日 ? 84歳 プンプワン・ドゥワンチャン(タイ) 6月13日 病死 31歳 尾崎豊 4月25日 肺水腫 26歳 篠田昌己 12月 9日 心臓病 34歳 渡辺正己(Jagatara) 4月 8日 急性肺炎 38歳
環境と開発に関する国連会議(地球サミット)
第18回主要先進国首脳会議(ミュンヘン・サミット)
<アメリカ>
ロス・アンジェルスで黒人暴動発生(本文参照)
米軍主導の多国籍軍ソマリアへ出兵
IBM、フォードなどアメリカ企業が赤字転落
フロリダ半島でハリケーンによる大きな被害発生
SF作家アイザック・アシモフ死去
<ヨーロッパ>
独立国家共同体(CIS)創設ゴルバチョフ辞任しエリツィン体制へ
イギリス、メージャー率いる保守党が勝利
ドイツ・マルク高騰しヨーロッパ経済が混乱
セルビア・モンテネグロによる新ユーゴ連邦創設(旧ユーゴ解体)
バルセロナ・オリンピック開催
<アフリカ・中東>
アルジェリア非常事態宣言
ソマリア停戦協定調印
<アジア>
中国、韓国が国交樹立
国連カンボジア暫定機構発足
モンゴルで民主憲法制定民主化進む
アフガニスタン内戦が終結
インドの映画監督サタジット・レイ死去
<日本>
東京佐川急便事件(巨額融資と政治献金問題)
国連平和維持活動(PKO)法案成立
円が高騰118円台に入る
学校の週休2日制始まる
毛利衛が日本人初の宇宙飛行士としてエンデバー号に乗る
女子高生の間でポケベルが大ブームとなる
バルセロナ・オリンピックで岩崎恭子が金メダル獲得
<芸術、文化、商品関連>
「大農場」ジェーン・スマイリー著(ピューリツァー賞受賞)
「すべての美しい馬」コーマック・マッカーシー著(全米図書賞)
スティーブン・マイゼル撮影、マドンナの写真集「セックス」発表
スパイク・リーの映画「マルコムX」公開
<音楽関連>
カラオケ・ボックスが登場する
第二回「DJバトル世界大会」で日本のDJホンダが準優勝
ボアダムス、少年ナイフが海外でメジャー・デビュー
尾崎豊死去
<映画>
この年の映画についてはここから!
[1992年という年] 橋本治著「二十世紀」より 2004年11月追記
1992年という年は「バブルがはじけた」と言われることになる年である。
「・・・多くの平均的日本人は、『そもそも自分はバブル経済なんかとは関係がなかったんだ。自分は、バブルなどという下品なものとは無関係に、自分の豊かさを確保したのだ』と思うようにもなった。そうして、『バブルがはじけた』という言葉の意味が自分たちの上にのしかかってくることを回避しようとした。だからこそ、1990年代の日本の惨状はあり、1992年の日本の『相変わらずさ』もあるのである」
「・・・その以前は別として、1972年に総理大臣に就任した田中角栄以来、この日本にまともな総理大臣は、何人いたのだろうか?彼らが日本経済をバブルへと導き、その破綻の以後もまた、政権を掌握し続けるのである。この相変わらずさに対して、日本人は、ただうんざりだけだった。もちろん、うんざりする人間以上に、『それでかまわない』と、政治のあり方を肯定する人間達が多いから、日本の政治は『相変わらず』のままなのである。・・・」
<作者からのコメント>
こうやって「歴史」について書いていると、歴史から反省すべき点を学べるのと同時に、過去に繰り返されてきた出来事を知り、あきらめに似た気持ちになる場合もあります。確かに「歴史は繰り返される」傾向にあります。国民性というものが変わらない限り、それは当然の結果なのでしょう。しかし、国民性も不変ではありません。もちろん、占領統治や大量の移民などによる急激な変化はなかったものの、着実に日本人は変わりつつあります。それはけっして悪い方ばかりに変わっているわけではありません。
日本人の好むスポーツが、野球からサッカーへと変わりつつあるのは、けっして偶然ではなく、国民性自体の変化につながっていると思います。(Jリーグの開幕は翌1993年のことです)
かつて、一度だけ実現した近代革命「明治維新」を実行したのは世界を知った優れた若者たちの集団でした。21世紀の日本にも、そんな若者達が現れてくることを期待したいと思います。