「2001年宇宙の旅 2001 a space odyssey 」 1968年

- スタンリー・キューブリック  Stanley Kubrick -

<僕の歴代ベスト10>
 今まで僕が見た映画(洋画)の中でベスト10を選ぶとすると、その衝撃度、その影響力、その感動の度合い、そして個人的な趣味も含めると、とりあえず2004年1月に思い浮かぶものとしては、以下のようになります。
ワイルド・バンチ」(ペキンパーの最高傑作、古き良き男のロマンよ、今いずこ)
市民ケーン」(古い白黒映画にも素晴らしい作品はいっぱいあります。その代表として)
ガープの世界」(個人的にも思い出深い作品、我が青春の一本といった感じです)
ブレード・ランナー」(新しいSF映画の形を築いた歴史的作品、ハードボイルドが魅力)
グラン・ブルー」(海が大好きな僕にとって、ある種バイブル的作品、さらばジャック・マイヨール
地獄の黙示録(特別完全版)」(「ゴッド・ファーザーPart 2」も良いのですが・・・)
ナッシュビル」(映画の新しい形を見せてくれ、映画は芸術でもあることを教えてくれた作品)
」 (映画は先進国のものだけではないことを痛感させ、僕を旅へと向かわせた傑作)
」 (反権力の意志をサスペンスいっぱいの映画で表現することに成功した数少ない傑作)
夜の大捜査線」(人種差別問題を刑事物にからめて見事に映像化した名作)
そして、その頂点に立つ作品として、「2001年宇宙の旅」を入れたいと思います。(あれ、11本になっちゃった?)
 なぜ、「2001年宇宙の旅」がナンバー1なのかというと、この映画だけが他の10本とあまりに違いすぎているからです。それは他の作品が、すべて「初めにお話ありき」であるのに対し、「初めに映像ありき」だからかもしれません。(「地獄の黙示録(特別完全版)」もちょっと近いかも)
 この映画の原作者でありSF界の大御所アーサー・クラークは、こう言ったそうです。
「もし、この映画が一度で理解されたら我々の意図は失敗したことになる」
 さらに監督のスタンリー・キューブリックは、この映画の製作意図についてこう言っています。
「言葉で説明できない種類のもの、つまり視覚的体験を、見る人の意識の内部へ到達するような強烈な体験を私は創造しようとしたのだ」

<映像に語らせる危険な賭け>
 最近では日本が誇る映画監督北野たけしが、言葉ではなく映像で語らせる作品を作り続けており、他にもハリウッド以外には多くの「映像派監督」がいます。しかし、この映画ほどスケールの大きい作品は、その後二度と作られていません。第一、ハリウッドの映画会社やプロデューサーは、そんな興行的に危険な作品を作らせるはずがありません。一歩間違うと、この映画も巨大な失敗作として歴史に残るところでしたが、幸いにして1968年の初公開以後も何度もリバイバルされ、時代を越えて観客を集めることに成功しました。僕自身テレビも含め、この映画を5回は見ていると思います。この映画は同じ観客に何度も見させることで、観客動員数を延ばした作品かもしれません。

<カメラマンからの出発>
 スタンリー・キューブリックは、1928年7月26日、ニューヨークのブロンクスに生まれました。医者の息子で、お金に不自由しなかった彼は、高校時代はジャズ・ドラマーを目指し、その後父親に買って貰ったカメラの影響でカメラマンを目指すようになりました。16歳の時に撮ったルーズベルト大統領の死を扱った写真がルック誌に買い取られたこともあります。彼は高校卒業後、その縁でルック誌のカメラマンとして就職。4年間そこに勤めることになります。
 彼が後に開発する数々の新しいカメラや撮影技法は、この頃身につけた知識が元になっています。

<映画製作開始>
 彼はカメラマンとして働きながら、映画業界進出を目指して、映画の製作を始めます。しかし、それは記録映画や実験的な映画だったため、一部の人々から評価はされるものの肝心の映画会社の方からは、まったく声がかかりませんでした。
 すでに映画界で生きて行くことを決心していた彼は、仕方なくニューヨークの街角で一局25セントの賭けチェスをして生活費を稼ぎ出していたそうです。(チェスに関しても、彼は天才だったようです。この人よっぽど頭が良いのでしょう)
 その後彼はジェームス・ハリスという優れた仲間を得て、共同で劇場用映画を作り上げます。中でも彼の名を世に知らしめることになる作品が3作目の「現金に体をはれ」(1956年)でした。犯罪映画の歴史に残る傑作は、評論家たちから絶賛され、一躍彼は映画界期待の星となりました。その後は、戦場の現実を鋭く描いたリアリズム戦争映画の先駆け「突撃」(1957年)、急遽代理監督として監督のみを務めることになった歴史超大作「スパルタカス」(1960年)、ナボコフの名作を映画化した「ロリータ」(1962年)と続けざまに問題作、話題作を発表して行きます。そして、さらに彼の名を高めることになったのが、映画史に残るブラック・ユーモア映画の傑作「博士の異常な愛情 / または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(1964年)です。この映画は、核戦争をテーマに人類の未来に対する不安と絶望を「笑い」に包み込んで表現したものでしたが、そのシニカルさはキューブリックならではのものでした。(もちろん、その表現を可能にしたのは、ピーター・セラーズ一世一代の名演技のおかげでもありましたが、・・・)実際、この映画はコメディーとは言っても、重すぎてほとんど笑えないかもしれませんが、・・・。
<ピーター・セラ―ズ>
 これは広く認められた真理だが、最もすぐれた物まね芸人はみょうに個性の薄い人が多いものだ。おそらく強烈な個性が欠けているからこそ、自分の人格に邪魔されることなく、簡単に他人の人格を身にまとうことができるのだろう。
「モンティ・パイソンができるまで」ジョン・クリーズより

<「2001年宇宙の旅」とアポロ月面着陸>
 こうして1968年「2001年宇宙の旅」が公開されました。今見ても驚くのは、この映画に登場する宇宙船や宇宙服などのデザインがまったく古くさく感じられず、最近作られたSF映画の宇宙船やNASAが現在使用している物と大差ないことです。1969年、この映画公開の翌年、人類はついに月面に立つことになりましたが、この映画はその予告編となったどころか、実は「アポロの月面着陸シーン」はキューブリックがこの映画のセットや技術を用いて撮影したものだったという説がアメリカの都市伝説として語られることになります。
 実際、この映画ではNASAで働く科学者の協力を得ただけでなく、ロケットや宇宙についての専門家を3名を技術顧問として雇い、彼らの意見をもとにすべてのデザインやストーリーをチェックしているのです。確かにNASAとキューブリックなら月面着陸の実写映画による再現は可能だったかもしれません。

<特殊撮影の数々>
 「2001年宇宙の旅」では、後にSFにおける特殊撮影の第一人者となるダグラス・トランブルとともに数多くの特殊撮影技術を開発しています。
(1) 類人猿たちが原始地球の背景をバックに現れるオープニングのストーリー。CGがなかった当時、背景のスクリーンに画像を映し、それをバックに俳優が演技するというのは非常に困難な方法でした。(俳優たちの影をつくらないためには、カメラとライトが完璧に一致して動く必要がありました)これを見事に成功させたのは、この映画と後の「未知との遭遇」ぐらいと言われているそうです。
(2) 宇宙船や月面移動用ムーンバスの窓に見える俳優たちの動き。これもまたCG無しで実現するのは非常に困難でしたが、それをまるでなんの苦労もなかったかのようにやってのけています。これは同じフィルムに宇宙船と船内のシーン(窓枠内)を二回にわけて焼き付けたのだそうです。(素人が考えても難しそうです)
(3) その他、スターゲート・コリドーと呼ばれるラスト近くの有名な光の洪水もまたスリット・スキャンという新しい装置を開発することで生み出された画期的なシーンでした。
 その後も彼は「バリー・リンドン」におけるロウソクの明かりだけで撮影が可能な超高感度カメラの開発。「フルメタル・ジャケット」では、開発されたばかりのステディーカムを全編に渡って使用して、まったく新しい戦争映画を作り上げています。

<意外な音楽使用法>
 もちろん、この映画の見所は映像だけではありません。音楽もまたこの映画の魅力のひとつです。特に凄いのは、この映画の画面を思い浮かべるだけで聞こえてくる名曲の数々、「ツァラトストラはかく語りき(序章)」(リヒャルト・シュトラウス)や「美しく青きドナウ」(ヨハン・シュトラウス)だけではなく、この映画に使用されている音楽がすべて既存の曲だということです。
 ラスト近くのサイケデリックなスペース・トリップの場面でかかる神秘的な曲もまたオリジナルではなく、ギョルギィ・リゲッティーという作曲家の「無限の宇宙(アトモスフェール)」という曲を使用しています。
 「美しく青きドナウ」をバックに宇宙船のシーンなどは、音楽に合わせてフィルムをつないだとしか思えないほど、映像と音楽が見事に融合しています。それはある意味、宇宙船を使ったミュージカル映画とも思えます。
 「ツァラトストラはかく語りき」(序奏)は、もともとニーチェの同名小説をイメージしてヨハン・シュトラウスが作曲したといわれています。中でもこの映画で使われている序章は、洞窟の中からゾロアスター教の創始者ツァラトストラが現れるところをイメージして作られました。そう考えると、この映画のイメージにもぴったりであることがわかります。

<原作小説「前哨」と映画>
 映像も音楽も、どちらも凄いのですが、やはりお話が面白くなければ映画にはなりません。その点、この映画はちょっとわかりにくくはありますが、お話もまた深いものがあります。
 先ず初めに、アーサー・C・クラークが書いた中編小説「前哨」という作品がありました。この作品は1996年に人類が月面基地を作ったところから始まります。ある時、月面の山の頂にピラミッド型の建造物が発見されます。いったいそれは何なのか?その調査が開始されますが、その物体の回りには侵入を阻止するための透明なバリヤーが存在しているため、誰もそばに近づくことができませんでした。そのため、ついに人間たちはそれを危険物と見なし、原子爆弾によって破壊してしまいます。しかし、それはどうやら人類の遙か上を行く高度な知性をもつ者が、地球に生まれた生命体の発達度合いを計るために設置した警報装置だったのです。(もちろん、映画版の原作本も「2001年宇宙の旅」として発売されています)
 キューブリックはこの原作をもとにして、クラークと共同で2400時間100日もの日数をかけて、新たな脚本を書き上げたのです。

<SF界の大御所、アーサー・クラーク>
 当時、アーサー・クラークはSF界のトップに立つ作家だったと言っていいでしょう。彼の科学知識は、同じ大物作家、アイザック・アシモフをも上回るものでした。彼はSF小説を書くだけでなく、いち早く通信衛星の将来性について、技術的科学的な論文を発表するなど、科学者としての頭脳を合わせ持つ貴重な作家でした。その点では、芸術家タイプのキューブリックとまったく性格が違っていたわけですから、映画の製作にあたっては、かなりのぶつかり合いがあったと思われます。
 最終的に出来上がった作品では、クラークの理屈っぽく語りすぎてしまう部分はすっぱりと切り捨てられ、論理的裏付けとして利用されるにとどまりました。そのおかげで、作品のもつ真実味や奥深さが増し、映像によってストーリーを語ろうとする監督の意図が実現されたのです。

<モノリスとは?>
 では、彼はいったい何を描きたかったのか?
 この映画は、科学的論理的裏付けのもとで作られた「神とは何か?」という人類共通の疑問に対するひとつの解答と言えるでしょう。
 キューブリック監督は、こう言っています。
「この映画の主題は、”神”という概念だ。ただし、これまでのような神ではなく、科学的な定義による神なのだ。宇宙の知的存在、生物的進化の最先端としての神である」
「この映画はメッセージではない。言葉に置き換えることのできない、2時間19分のフィルムの体験なのだ。私は(原作を)ビジュアルな体験としてクリエートしたかった。観客の意識の底深く訴えかけるような・・・音楽がそうするような、濃密な主観的体験をめざした」
 けっしてこの映画、わかりにくくはないはずです。是非一度ご覧下さい。そして、見たことのある方も是非もう一度ご覧下さい。できれば映画館で。(たまに映画館でやる企画もあるようです)

<締めのお言葉>
「スタンリー・キューブリックは究極のSF映画を創った。そして、誰にもこれ以上の映画を製作することはできないだろう。技術的に比較することはできるが、私は「2001年宇宙の旅」が遙かに優れていると思う」

「スター・ウォーズ」と「2001年宇宙の旅」について、ジョージ・ルーカス

「2001年宇宙の旅 2001 a space odyssey」 1968年
(監)(製) スタンリー・キューブリック Stanley Kubrick
(脚本)  アーサー・C・クラーク Arthur C. Clarke、S.キューブリック
(撮影)  ジェフリー・アンズワース Geoffrey Unsworth
(編集)  レイ・ラブジョイ Ray Lovejoy
(特撮)  ワリー・ヴィーヴァース Wally Veevers、ダグラス・トランブル Douglas Trumbull
       S・キューブリック
(衣装)  ハーディー・アミエス Hardy Amies
(出演)  キア・デュリア Keir Dullea、ゲイリー・ロックウッド Gary Lockwood
       ウイリアム・シルベスター William Sylvester

<あらすじ>
 人類誕生前夜、未だ類人猿にすぎなかった生き物たちの前に謎の黒い板(モノリス)が現れます。すると彼らの中に目の前に落ちていた骨を武器として使用するものが現れました。こうして、道具を獲得し、二足歩行をするようになった類人猿は人類へ進化をする第一歩を踏み出したのです。
 それから長い年月がたち、人類はついに月に到達していました。ところが、月面のある場所で謎の黒い板が発見され、それが人類を導くかのような電波を発していることが明らかになりました。そこで人類はその電波の示す方向に向かい探査船を向かわせることになりました。船内で起きたコンピューターによる反乱の危機を乗り越えた探査船はついに目的地に到着します。そして、彼らがそこで見たものは、・・・・・。

<追記>2014年
 スタンリー・キューブリックは、この映画の美術監督に当初手塚治虫を指名したといいます!ところが当時仕事が忙しすぎた手塚はその依頼を断ったといいます。残念です。

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