21世紀イスラミック・ディストピア小説


「2084 世界の終わり 2084 LA FIN DU MONDE」

- ブアレム・サンサル Boualem Sansal -

<新たなディストピア小説>
 この小説は、タイトルにあるようにジョージ・オーウェルの歴史的なディストピア小説「1984年」の100年後の世界を描いたSF小説です。とはいっても、著者のブアレム・サンデルは「1984年」の続編として、この小説を書いたというよりも、21世紀の時点(2015年)でもう一度「1984年」の世界観を時代に合わせて構築し直した作品と考えるべきでしょう。そして、その社会を支配しているのは、イスラム原理主義の延長にあると考えられる人々なのです。その意味では、この小説はもうひとつフランスの作家ミシェル・ウェルベックが書いたフランスをイスラム系の政党が支配するという近未来小説「服従」の延長線上にあるともいえそうです。
 ジョージ・オーウェルが「1984年」を書いたのは、1949年のことですから、それからすでに70年近くが経過していることになります。幸いなことに、実際の「1984年」時点では「ビッグ・ブラザー」のような支配者は現れなかったのですが、21世紀の今、イスラム原理主義が広がりをみせることで新たな「ビッグ・ブラザー」の登場が予測されるようになっています。この小説は、「1984年」の21世紀版リメイクであり、もうひとつの選択肢が生み出した悲劇の未来予想図なのです。

<原理主義化するもう一つの未来社会>
 この小説は「1984年」から100年後の世界を描いているにも関わらず、科学、文化、政治などは進化ではなく退化を遂げているように思えます。しかし、その状況はイスラム国を代表とするイスラム原理主義の社会を見ると十分にあり得る未来に思えてきます。そして、そのことは、かつて「1984年」の中でジョージ・オーウェルが予測していることでした。

「『科学』という単語は見当たらない。過去のあらゆる科学的偉業が依拠していた経験主義的な考え方は、イングソックの根本原理に反するのだ。テクノロジーの開発にしたところで、その製品が人間の自由を縮小する為に用いられることが可能な場合にのみ実行に移されるといった具合だ。全ての有用なテクノロジーに関して、世界は停止している。・・・」
ジョージ・オーウェル「1984年」より

 この小説「2084年」においては、登場人物アティの名前も含めて、その世界で使われている言語は、語彙も少なく、それぞれの単語の文字数も極端に短くなっています。このことについても、オーウェルの「1984年」にはすでに書かれていました。
「・・・ニュースピークは実際、語彙が年々増加するのではなくて減少するという点で、他のほとんどの言語と異なっていた、というのも選択範囲が狭まれば狭まるほど、何かを熟考しようとする誘惑が小さくなるからである。・・・」

 そして、その世界の住人たちの生活レベルの低さ、食うや食わずの暮らしぶりもまた「1984年」で描かれていたとうりです。そして、それは現在のイスラム圏の国々において、ほぼ共通している点でもあります。それぞれの国はごくごく少数の王族や権力者、大金持によって支配される限りなく不平等な社会でもあります。彼らはそうした状況を改善するどころか、永遠のものにしようと権力闘争を繰り広げ続けています。

「・・・権力を握りかけている新しいグループの見地からすれば、人間の平等は、もはやそれを目指して努力すべき理想ではなく、避けるべき危険となった。・・・」

「・・・問題は、世界の実質的財産を増やさずに、如何にして産業の車輪を回し続けるかであった。物質は生産されねばならないが、それらが分配されてはならないのである。・・・」

 そして、そのためには、そうやって生み出された資産を戦争によって消費しなければならない・・・とういうわけです。ただし、この小説の中では本当に戦争が行われているのか?そのことは明らかにされてはいません。というよりも、そうして行われていた戦争の拡大によって、ついに世界が崩壊し、そこからかろうじて生き残った人々が文明を再構築しつつある世界のようにも見えます。
 もしかすると、過去におきた終末戦争の教訓をもとにこの世界では「戦争」を実際には行わず、「テキ」の存在を示して、そこに兵士を向かわせるという「情報」のみですませるやり方に変更したのかもしれません。どちらにしても「戦争」は必要と考えているようです。

<宗教を越えたシステムとしての新たな宗教>
「戦争は平和なり 自由は隷従なり 無知は力なり」
ジョージ・オーウェル「1984年」より

「・・・真の恒久平和とは、永遠の戦争状態と同じということになるだろう。これこそが、戦争は平和なりという党のスローガン - 大多数の党員は、ごく表面的な意味でしか理解していないが - の隠された意味なのである。」
ジョージ・オーウェル「1984年」より

 すべてはもしかすると、オーウェルが「1984年」の中で描き尽していたのかもしれません。とはいえ、現実にはもう1984年という年は過去になりました。そして、現実はより複雑なものになりつつあります。(いや、もしかすると単純化しつつあるというべきでしょうか?)その意味でこの小説は、「1984年」の世界観をより現実世界の状況に近づけた作品になっています。「ビッグ・ブラザー」というカリスマ的指導者を中心とするある意味単純で分かりやすい宗教的な世界を、より厳しい宗教を越えた「超宗教的世界」に改変しています。そして、その世界ではこれまでの「宗教」をも否定し、その上を目指そうとしています。

 知略を究めるうちに、システムは早々に理解した。完璧な信徒をつくるのは偽善であって信仰ではない。信仰にはもともと人の心を圧迫する性質があって、その過程で疑念を、それどころか反乱や狂気までも引き起こしてしまう。システムはこうも理解した。本物の宗教とはきちんと抑制されている。完璧な信徒の生活は、間断なく反復される一連の動作と言葉だ。そこには夢を見たり、迷ったり、反芻したり、場合によっては不信を行ったりする自由は残されていない。おそらくは信じる自由すら残されていない。・・・

 より、その超宗教的側面をリアルに描くため、この作品には架空の書物「アビの聖典」いろいろと引用されています。
「神の啓示はひとつであり、共通であり、普通である。それは加筆も修正も必要としない。ましてや信仰、愛、批判も必要としない。ただ是認と服従のみを要請する。ヨラーは全知全能である。彼は傲慢を厳しく罰する」
アビの聖典第一巻二章12節

「傲慢な者はわたしの憤怒の雷を受けるだろう。取り除かれ、手足をもがれ、焼かれるだろう。そしてその灰は風塵と化するだろう。親類縁者は先祖末代に至るまで、痛ましい末期を味わうことになるだろう。死んでもなお、わたしの制裁からは逃げられない」
アビの聖典第42巻36章351節

 この小説の中の謎の指導者は、「ビッグブラザー」同様に精神を「機械」として扱うことで、市民に見せかけの「自由」を与えています。

 結局のところ精神というのは力学的な機械にすぎない。それも並外れて複雑であるがために、分別を持たぬ冷たい機械であり、強迫的にすべてを把握し、コントロールし、ひたすらに干渉と恐怖を増大しようとする。自由の秘密はすべて、生命と機械のあいだにある。人間は死ななければ自由になれない。そして機械は意識を持つことがないから自由を超越するのだ。・・・

<ブアレム・サンサル>
 明らかにイスラム教原理主義を批判しているように思えるこの小説を描いたのは、アルジェリア人のアルジェリア在住作家のブアレム・サンサルです。そして、これだけ強烈に批判的な小説を書けたのも、彼がアメリカ人でも英国人でもフランス人ではなくイスラム圏の人間だったからです。
 著者のブアレム・サンサル Boualem Sansal は、1949年にアルジェリアで生まれたアルジェリア人作家です。フランスで教育を受け、帰国後は故国アルジェリアの民間企業に就職した後、産業省に就職し、官僚として働いていましたが、政府を批判する小説を書いたことから職を追われます。作家になったのは、それからで、1999年に処女作「蛮人の誓い(Le Serment des barbares)』を発表。しかし、彼の作品には政府批判、宗教批判の要素が含まれる場合が多いことから、その多くはアルジェリア国内で発売禁止処分となっています。さらに政府によるアラビア語の公用語化などに反対する彼自身の命も危険にさらされていましたが、彼は政府による監視を受けながらあえてアルジェリアに住み続けているようです。
 2008年、イスラーム原理主義とナチズムを扱った長編『ドイツ人の村―あるいはシラー兄弟の日記』を発表し、数々の文学賞を受賞しています。

「2084 世界の終わり 2084 LA FIN DU MONDE」 2015年
(著)ブアレム・サンサル Boualem Sansal
(訳)中村桂子
河出書房新社
<あらすじ>
 アビスタンの住人アティは、病に冒されたため、首都のコッツァバッドからはるか遠くの山岳地帯にあるサナトリウムで1年間、療養生活を送りました。その後、奇跡的に回復した彼は、一年がかりの長旅の後、故郷に戻ることができました。
 その旅の途中、彼はアビスタンの辺境で遺跡が発見され、それが国家の歴史を揺るがす発見だったことをその調査に参加したナースという人物から聞かされました。それまで、アビスタンの体制を生み出した宗教、政治指導者の思想も伝説も疑ったことがなかったアティの心は揺れ始めます。再び首都で働き始めるものの、彼は好奇心を抑えることができず、同じように疑いを持ち始めていた友人のコアと共にもう一度ナースに会うため、街を出る決意を固めます。
「宗教は神を好きにさせるかもしれないが、宗教ほど人間を嫌いにさせたり、人間性を憎ませたりするものはない。・・・」

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