「21g」 2004年
「アモーレス ペロス」2000年

- アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ Alejandro Gonzalez Inarritu -

<21グラムの真実>
 手持ちカメラによる粒子の粗い映像にちょっと気持ちが悪くなりながらも、すっかり画面に引き込まれてしまいました。
「人はみな死ぬと21グラムだけ軽くなる」
 その重さが魂の重さなのでしょうか?
 アインシュタインの有名な公式 (エネルギー)=(質量)X(光速)X(光速)からすると、重さは光の一形態ということになります。ということは、生命活動によって生まれる体内のエネルギーが、死によって失われることが「21グラム」の正体なのでしょうか?
 どちらにしても、ここで重要なのは、すべての人は死ぬときに差別なく「21グラム」を失うということであり、その重さは、人によって25グラムだったり15グラムだったりしないということです。
<21グラムの平等>
 あの2001年9月11日に世界貿易センタービルとともに失われた3000人の命も、それぞれみな21グラムづつ
 アメリカ軍のイラクへの誤爆によって瓦礫の山と化した結婚式場の新郎新婦と出席者たちの命も、それぞれ21グラムづつ
 アフガニスタンに対して行われた経済制裁によって、飢えと病気によって死んでいった50万人の子供たちの命も、やはり21グラムづつ
 イラク人捕虜に対し、非人道的な拷問を加えた兵士たちも死んでしまえば、みな21グラムづつ
 ならず者国家アメリカのケツをたたき、暴走へと導いた男、故ロナルド・レーガン氏も、たぶん21グラムだったのでしょう
 誰もが「21グラム」の前では平等なのです。
 しかし、「21グラム」というわずかなはずの重さは、計りの目盛りを遙かに越えた重さを持っています。

<21グラムの価値を決めるのは誰?>
 インドで起きた大地震で1000人が死んだら、その重さは21グラムX1000人。
 イラクでアメリカ兵が10人死ぬと、その重さは21グラムX10人。
 そして、日本の小学校で女の子が一人死ぬと、その重さは21グラムx1人。
 さて、その記事の扱いは、どちらが大きい?
 その事件の重要度は、どちらが大きい?
 「命の重さは人数では計れない」 確かにそうでしょう。
 では、その重要度のランクづけは誰がするのでしょう?
 マスコミ?世論?人それぞれ?

<21グラムの真実を守る闘い>
 今、世界中で起きているテロ事件の原因のほとんどは、21グラムを2グラムとしか見てもらえなかった人々の「無念」と「怒り」にあります。(日本の小学校で起きた殺人事件も、子供たちが「21グラムの重さ」を理解できなくなってしまったことからきているのでしょう)そして、そのほとんどは「第三世界」と呼ばれる地域に住む人々のものです。
 宗教、性別、国籍、収入、資産、職業、人種、年齢、支持政党、学歴、病歴、結婚歴、子供の有無、見た目、体格、好きなサッカー・チーム、・・・。
 人を差別する項目はいくらでもあげられますが、「21グラムの真実」だけは変えられません。
 しかし、それを強引に変えようとする企てが常に存在します。
 それが「ファシズム」です。
 一度動き出したファシズムは、マスコミなど簡単に飼い慣らしてしまいます。
 そして、彼らは作戦にしたがって、人の重さを自由に変えてしまいます。
 彼らは、「自由とは、力のあるものが好きなように権力を行使するアリバイのこと」
 そう考えているのですから。
 もしそうなれば、「21グラムの真実」を語ることのできる存在は限られてしまいます。
 その時、人々に真実を伝えることができるのはいったい誰か?
 「21グラムの真実」を思い出させてくれる最後の頼みの綱は、たぶん「芸術家」でしょう。
 だからこそ、「芸術」に嘘はあってはいけないのです。
 だからこそ、「芸術」に差別があってはいけないのです。
 「芸術家」は、自分の作品に、「21グラムの真実」が映し出されているか?常に意識していなければならない。そう思うのです。
 もちろん、このサイトもそういう目で今後ともつくって行きたいと考えています。

<映画「21グラム」>
 素晴らしい芸術作品は、作品を越えた遙かに遠いところまで人の心を運んでくれます。そして、人に「想像力の翼」の素晴らしさを教えてくれます。そんなわけで、作品の中身に触れぬまま、いっきに別世界へと話が飛んでしまいました。実は、この映画を見る前後にインドの作家アルンダティ・ロイさんの「帝国を壊すために」を読んでいたことで、こうなってしまったのですが、・・・。
 映画の中のナオミ・ワッツが病院で泣き崩れるシーン、ここでの僕は自分の子供たちと奥さんのことを考えて、胸がいっぱいでした。想像力の翼は僕から家族を失わせてしまったのです。
 映画の中のショーン・ペンの奥さん役、つくしても報われないかわいそうなシャルロッット・ゲーンズブールに僕は恋してしまいました。(こんな大人の女優になっていたんですね!)
 らせん状に時間を行きつ戻りつするドラマの進行は、僕にいやでもドラマの結末を推理させ、期待させ、絶望させ、最後にかすかな希望を描かせてくれました。けっしてハリウッド的ではない、良い終わり方だと思います。

<トロ様はいよいよ凄い!>
 それにしても、ベニチオ・デル・トロ Benicio Del Toroという俳優さんは、いよいよカリスマ的名優の域に入ってきました。「ヒスパニックのデニーロ」といった感じでしょうか。あんなに汚い扮装でも、多くの女性はキスしたくなってしまうのでしょう。まったく汚らしく見えません。(それでいいのかはちょっと疑問ですが?)
 この映画の公開時、映画館では「トロ様キャンペーン」をやっていました。いつのまに、そんな人気者になっていたのでしょう。凄い!

<ベニチオ・デル・トロ Benicio Del Toroミニ知識>
 1967年プエルトリコ生まれでカリフォルニア大学で絵画と演劇を学んだ後、さらに二つの演劇学校で学んでいます。テレビ・ドラマの「マイアミ・バイス」で注目されるようになり、映画出演のチャンスをつかみました。主な出演作は「スナッチ」「誘拐犯」「ハンテッド」「トラフィック」など。「トラフィック」では、アカデミー助演男優賞を受賞しています。さらには「チェ 28歳の革命」、「チェ 39歳 別れの手紙」もお忘れなく!

<「アモーレス・ペロス Amores Perros」>
 「21グラム」にあんまり感動したので、さっそく見ていなかった前作の「アモーレス・ペロス」もDVDを借りてきて見ました。先に「21グラム」を見ていなければ、「アモーレス・ペロス」(1999年)の時間軸の交錯具合はもっと衝撃的だったのかもしれません。(逆に「アモーレス・ペロス」をすでに見ていた人も、同じように感じたかもしれません)
 しかし、「21グラム」は「アモーレス・ペロス」の進化形と言えるほど、その時間の交錯、逆行のさせ方が巧妙になっており、ラストの意外性と感動も含めて、間違いなく進歩していると思いました。

<時間の交差、逆行について>
 ところで、この映画のような時間を逆行させたり交差させたりする手法はここ10年ぐらいの間に急に増えた気がするのですが、どうやらその元祖は、インディーズ映画の巨匠?ジム・ジャームッシュ監督の「ミステリー・トレイン」(1989年)のようです。その後、同じジャームッシュの「ナイト・オン・ザ・プラネット「(1991年)、デヴィッド・リンチの「ツイン・ピークス」(1990年から)、クエンティン・タランティーノの「レザボア・ドッグス」(1992年)、「パルプ・フィクション」(1994年)、コーエン兄弟の「未来は今」(1994年)など、インディーズ系の監督たちが次々に用いるようになり、ついには「メメント」や「シックス・センス」のようにその手法自体がドラマの中心となる作品まで登場するに至ったわけです。
 しかし、これらの作品群と「21グラム」には大きく異なる点があります。それは他の作品ほとんどすべてがリアリティーを無視したある種ファンタジー的な作品であるのに対して、「21グラム」は徹底的にリアリズムにこだわっている点です。だからこそ運命の力の偉大さを強く感じさせるのです。

<希望あるラスト・シーン>
 「アモーレス・ペロス」のラスト・シーンについて、イニャリトゥ監督は暴力ばかりの作品だからこそ、ラストだけは希望を持たせられるようにしたかったと言っています。(この映画のDVD特典映像にある「カットされたシーンの解説」にあります)
 確かに「アモーレス・ペロス」の登場人物全員が暴力的、もしくは暴力性を露出してしまい、犬だけが救いとなっていました。それに比べると「21グラム」の登場人物たちは運命のいたずらによって暴力的状況に追い込まれるものの、それぞれが最善を尽くすことで、かえって生命の尊さを訴える作品になりました。これは前作とは大きく異なる点と言えるでしょう。
 世界が暴力に満ちあふれている今、暴力を否定し生命の尊さを訴える作品がもっともっと増えることを素直に願いたいと思います。もちろん、暴力を描かなければ、その否定もできないのですが、暴力を描きっぱなしの作品がいかに多いことか・・・。(ほとんどのハリウッド製アクション映画がそうだと言えるでしょう)
 暴力シーンの美しさを競うのではなく、暴力シーンのリアルさを競うのでもなく、その空しさを描くことこそ今求められているはずです。

「21グラム  21g」 2004年
(監)(製)アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ Alejandro Gonzalez Inarritu
(製作)ロバート・サレルノ Robert Salerno
(製総)テッド・ホープ Ted Hope
(脚)ギジェルモ・アリアガ・ホルダン Guillermo Arriaga Jordan
(撮)ロドリゴ・プリエト Rodrigo Prieto、フォルトゥナート・プロコッピオ Fortunato Procopio
(美)ブリジット・ブロシュ Brijitte Broch
(編)スティーブン・ミリオン Stephen Mirrione
(音)グスターボ・サンタオラヤ Gustavo Santaolalla
(出)ショーン・ペン Sean Penn、ベニチオ・デル・トロ Benicio Del Toro、ナオミ・ワッツ Naomi Watts、シャルロット・ゲンズブール Charlotte Gainsbourg

「アモーレス・ペロス Amores Perros」 2000年
(監)(製)アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ Alejandro Gonzalez Inarritu
(脚)ギジェルモ・アリアガ・ホルダン Guillermo Arriaga Jordan
(撮)ロドリゴ・プリエト Rodrigo Prieto
(美)ブリジット・ブロシュ Brijitte Broch
(音)グスターボ・サンタオラヤ Gustavo Santaolalla
(出)エミリオ・エチェバリア、ガエル・ガルシア・ベルナル、ゴヤ・トレド、アルバロ・ゲレロ、バネッサ・バウチェ

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