戦時下日本の悲しく懐かしい歌の記憶


「二十四の瞳」

- 木下恵介・高峰秀子 -

<日本映画のもう一つの源流>
 俳優たちに演技をさせず、自然にその役に入らせる演出手法。この映画の子役たちは、オーディションで選ばれた俳優たちですが、その演技は実に自然です。後の是枝裕和監督作品の源流はここにあると言えます。出演した子役たちはその後も長く付き合いを続けるほど仲の良い関係を築いたようです。
 木下恵介から、山田太一、そして是枝裕和へ、日本映画における家族、子供たちのドラマの源流と言える作品です。


<唱歌ミュージカル映画>
 改めて「二十四の瞳」を見ると、この映画が2時間36分と長い作品なのは、登場人物たちによる歌の場面が多いからだとわかります。踊りこそないものの、この映画は「唱歌」を中心にしたミュージカル映画と言えるのです。たぶん物語だけを映画化したら2時間で尺は足りたでしょう。
 それだけこの映画にとって、子供達が歌う「唱歌」は重要であり、後半に歌われることになる「軍歌」もまた重要な意味を持つわけです。登場人物たちが歌う曲とその歌詞には、戦中・戦後の時代の変化が読み取れると言えます。
 そこでこのページでは映画に使用されている曲とその歌詞などを書き出してみました。

<日本の原風景>
 物語と関係ないと言えば、この映画には小豆島などの海岸や街並みなどの風景描写の美しい映像も多く使用されています。それぞれ美しく、懐かしく、今や見ることが出来ない情景ばかりで、小豆島と関りのない人でも泣けてくるはずです。どの映像も、もうこの映画の中でしか見ることができない貴重なものばかりなのですから・・・。
 おまけにそれらの映像はまたどれも美しく、モノクロであることを忘れさせてくれるはずです。2007年にデジタル・リマスターされたことで、いよいよ美しさを増したのです。そして、それはロケハンだけでなく美術スタッフの活躍のおかげでもあったことを記しておく必要があります。

 「二十四の瞳」は全部ロケーションのように見えるが、大石先生の家をはじめ、学校、病院、食堂、職員室など建物はセットが多かった。ところがセットが小豆島の風景とあまりにみごとに融合しているために、オールロケーションの映画だと思われてしまった。
 そのために「二十四の瞳」は、毎日映画コンクールで作品賞はじめ数多くの部門で受賞となったが、美術賞だけは受賞できず、中村公彦は、木下恵介に「損しちゃったねえ、取りそこなっちゃったねえ」と慰められたという。リアリズムの映画では、美術監督が苦労して、セットを作り、現実風景に溶けこませることに成功すればするほど、かえって、美術の成果が目立たなくなってしまう。・・・

川本三郎「映画の戦後」

<高峰秀子>
 1929年に子役としてデビューした高峰秀子は、この年30歳。子役から少女を経て、いよいよ女優としての円熟期に入ろうとしていました。そんな彼女にとっては、20代の新米教師から子育ての後、定年を前に復帰したベテラン教師までを演じたこの作品での経験は、彼女を大きく成長させることになりました。
 翌年、彼女はこの映画の助監督だった松山善三と結婚し、独身を卒業。そして、大人の女優として歴史に残る名作「浮雲」の主演を勤めることになります。


「二十四の瞳」 1954年
(監)(脚色)木下恵介
(製)桑田良太郎(原)壷井栄(撮)楠田浩之(美)中村公彦(音)木下忠司
(出)高峰秀子、笠智衆、天本英世(新人)、夏川静枝、浦部粂子、清川虹子、浪花千恵子(おちょやん!)、田村高広、明石潮、高橋豊子

曲名  作曲  作詞  コメント 
「仰げば尊し」  H・N・D(不詳)
(イニシャルもに楽譜に記載)
大槻文彦他  スコットランド民謡説もあるが定かではない
 仰げば 尊し 我が師の恩
 教の 庭にも はや幾年
 思えば いと疾し この年月
 今こそ 別れめ いざさらば
「アニー・ローリー」 ジョン・ダグラス・スコット  ウィリアム・ダグラス  スコットランド民謡
日本語の歌詞もあり
「村の鍛冶屋」  不詳  不詳  1912年(大正元年)初出の唱歌
 暫しも止まず槌打つ響
 飛び散る火の花 はしる湯玉
 ふいごの風さへ息をもつがず
 仕事に精出す村の鍛冶屋
「ふるさと」 岡野貞一  高野辰之 文部省唱歌 
 兎追いし かの山
 小鮒釣りし かの川
 夢は今も 巡りて
 忘れがたき 故郷
「汽車は走る」 不詳(ドイツ民謡)  不詳 「ちょうちょう」の替え歌 
「七つの子」  本居長世  野口雨情 1921年発表の唱歌 
 烏 なぜ啼くの 烏は山に
 可愛七つの 子があるからよ
 可愛 可愛と 烏は啼くの
 可愛 可愛と 啼くんだよ 
「ひらいたひらいた」 わらべ歌  不詳  坊田かずまが採譜・編曲 
 ひらいた ひらいた
 なんの花が ひらいた
 れんげの花が ひらいた
 ひらいたとおもったら
 いつのまにか つぼんだ 
「ちんちん千鳥」  近衛文麿 北原白秋   
 ちんちん千鳥の 啼く夜さは
 啼く夜さは
 硝子戸しめても まだ寒い
 まだ寒い 
「あわて床屋」  山田耕作 北原白秋  
 春は 早うから
 川辺の葦に
 カニが店出し 床屋でござる
 チョッキン チョッキン チィッキンナ 
「朧月夜」  岡野貞一  高野辰之  文部省唱歌 
 菜の花畠に、入日薄れ、
 見わたす山の、霞ふかし。
 春風そよふく、空を見れば、
 夕月かかりて、にほひ淡し。 
「春の小川」   岡野貞一? 高野辰之?  文部省唱歌 
 春の小川はさらさら流る。
 岸のすみれやれんげの花に、
 匂いめでたく、色うつくしく
 咲けよ咲けよと、ささやく如く。 
「荒城の月」  滝廉太郎 土井晩翠  西洋音楽の旋律を大衆に広めた歴史的な曲
 春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして
 千代の松ヶ枝わけいでし むかしの光いまいずこ 

 秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見えて
 植うるつるぎ照りそいし むかしの光うまいずこ
「みなと」  吉田信太  旗野十一郎 日本人が作曲した最初の3拍子の唱歌
 空も港も夜ははれて(そらも みなとも よははれて)
 月に数ます船のかげ(つきに かずます ふねのかげ)
 端艇の通いにぎやかに(はしけの かよい にぎやかに)
 寄せくる波も黄金なり 
「いつくしみ深き」
「星の界(よ)」 
チャールズ・コンバース 杉谷代水  1910年文部省唱歌認定
讃美歌の有名な曲
 月なきみ空に きらめく 光
  嗚呼 その星影  希望のすがた
  人智は果て は なし
 無窮の遠に いざ其の星影
  きわめも行かん 
「金毘羅舟々」  不詳(香川県民謡) 不詳  遊郭の座敷唄として全国に広まった 
 金毘羅船々追手おいてに帆かけて シュラ シュ シュ シュ
 まわれば四国は讃州那珂
 象頭山金毘羅大権現
 一度回れば 
「浜辺の歌」  成田為三  林古渓  1913年発表の叙情歌
 あした浜辺を さまよえば
 昔のことぞ しのばるる
 風の音よ 雲のさまよ
 寄する波も 貝の色も 
「埴生の宿」 
「楽しき我が家」
ヘンリー・ローリー・ビショップ  ジョン・ハワード・ペイン イングランド民謡「Home Sweet Home」 
 埴生の宿も我が宿 玉の装い羨まじ
 のどかなりや 春の空 花はあるじ 鳥は友
 おお 我が宿よ 楽しとも たのもしや
「庭の千草」  不詳(アイルランド民謡)  トーマス・ムーア  日本では「菊」が当初の曲名だった。
1884年小学校唱歌集収録
 庭の千草も。むしのねも。
 かれてさびしく。なりにけり。
 ああしらぎく。嗚呼(ああ)白菊(しらぎく)。
 ひとりおくれて。さきにけり。 
「蛍の光」  不詳(スコットランド民謡)  稲垣 千穎  原曲は「オールド・ラング・サイン」 
 ほたるのひかり、まどのゆき、
 ふみよむつきひ、かさねつゝ、
 いつしかとしも、すぎのとを、
 あけてぞけさは、わかれゆく。 
軍歌
「日本陸軍」  深沢登代吉 大和田健樹  1904年(明治37年)発表 
天に代わりて不義を討つ
忠勇無双の我が兵は
歓呼の声に送られて
今ぞ出で立つ父母の国
勝たつば生きて還(かえ)らじと
誓う心の勇ましさ 
「露営の歌」  古関祐而  薮内喜一郎 1937年戦中の曲
「進軍の歌」のB面だった。 
 勝って来るぞと 勇ましく
 ちかって故郷を 出たからは
 手柄たてずに 死なりょうか
 進軍ラッパ 聴くたびに
 瞼に浮かぶ 旗の波 
「暁に祈る」  古関祐而  野村俊夫  1940年公開の映画主題歌
映画と共にヒットした作品
 ああ あの顔で あの声で
 手柄頼むと 妻や子が
 ちぎれる程に 振った旗
 遠い雲間に また浮かぶ
「若鷲の歌」  古関祐而  西城八十 1943年戦意高揚映画「決戦の大空へ」主題歌 
 若い血潮の 予科練の
 七つのボタンは 桜に錨
 今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ
 でっかい希望の 雲が湧く

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