- 3ムスタファズ3  3 Mustaphas 3 -

<バルカンの山奥、シェゲレリ村より>
 ヨーロッパの東の端とアジアの西の端が交わるバルカン半島、そこは東西文化の交流の地であるとともに東西文化の衝突による戦乱の地でもありました。かつて、このバルカン地域の山奥にシェゲレリSezegerという村がありました。古くはシルクロードによる東西流通の中継地として栄えたその村は、戦乱が続いた20世紀の半ば頃、いつしかこの地上から、その姿を消していました。村人たちはどこへ行ってしまったのでしょうか?戦乱の犠牲となって死んでしまった者、生きて行くためにやむなく村を去って行った者、山奥に未だに隠れ住んでいる者、その行方は様々でした。

<すべての方向へ歩め!>
 しかし、その中に"Forward In All Direction ! すべての方向へ歩め!」というスローガンをかかげながら、音楽をその生きる糧として旅立って行った者たちがいました。彼らはシェゲレリ村では24時間営業のクラブで、世界各地からやって来るトラック・ドライバーたちを相手に演奏していたと言います。おかげで彼らは、いつしか世界各地のあらゆる種類の音楽や言語をマスターして行きました。そして、そんな彼らの演奏するテープをイギリスに移住していた彼らの叔父がBBCのある人物に紹介したことから、彼らはイギリスにおいてデビューする機会を得ます。
 おりしも世界的にワールド・ミュージックのブームが盛り上がっている時期に、彼らはそのブームの中心となっていたレコード会社、グローブ・スタイルと契約。デビュー・アルバム「ショッピング」(1987年)を発表しました。こうして、3Mustaphas3 スリー・ムスタファズ・スリーは、この世に姿を現すことになったというわけです。

<謎に包まれたメンバーの紹介>
 謎の多いこのグループは、メンバーについても、その多くが謎に包まれています。全員そろうと20人を越えるいう説もあるし、6人という説もあるのですが、実際アルバムによっても、メンバーが変わっており、プロジェクト的性格をもっていると推測されます。以下にあげる6人は、セカンド・アルバム"Heart Of Uncle"(彼らの恩人イギリス在住の叔父さんに捧げられたアルバムのようだ?)発表時のメンバーです。
ヒジャズ・ムスタファ Hijiaz Mustaphaは、ヴァイオリンとブズーキ担当。リーダー兼文書・広報担当でもあります。10ケ国語を操ることができると言われるバンドの頭脳。
フーザム・ムスタファ Houzam Mustaphaは、ドラムス担当だがツアーにおける食事係りということで、非常に重要な存在。
ニアヴェティ・3・ムスタファ Niaveti 3 Mustaphaは、フルート、ズルナ、アコーディオンなどを担当するとともに、彼らのサウンドにとって非常に重要な役目であるアレンジ担当。
サバ・ハバス・ムスタファ Sabah Habas Mustaphaはベース担当で、以前はモデルの仕事をしていた。(写真だと、それほど良い男ではないが、イスラム系らしい良い男なのかもしれない)
ケモ・ケムケム・ムスタファ Kemo"Kem Kem"Mustaphaは、ピアノ、アコーディオン、シンセサイザー・プログラミングなどを担当し、バンドにおける音楽の中心的存在です。
ラヴラ・ティマ・ダヴィス・M Lavra Tima Daviz Mは、バンドの紅一点でヴォーカリスト。
上記のメンバー以外にもバルカンの打楽器研究の草分けであり、バンドの精神的主柱でもあるパーカッション担当のイスファアニ・ムスタファやクラリネットなどを担当するダウジ・ムスタファ Daoudi Mustaphaなど、メンバーは数多いのですが、名前からも分かるように彼らはみなムスタファ家の人間であり、いとこ同士ということなのです。(シェゲレリ村の村民は全員なんらかの血のつながりのある親族だとも言われているのですが・・・)

<超ワールド・ミュージック>
 
多くの謎に満ちたバンド、3ムスタファズ3ですが、彼らの演奏するサウンド自体、最も謎に満ちていると言えるでしょう。バルカン地域出身ということで、東欧、中東のサウンドのもつ香りが全体を覆っていることは間違いありません。しかし、取り上げている曲の多国籍さ(無国籍ではない)はバルカン半島の混沌とした歴史をもってしても、説明不能なほどの拡がりをもっています。自らの出身地バルカン系のサウンド(ブルガリアやギリシャなど)はもちろんのこと、アフリカはザイールのリンガラやジュジュ、カリブからはビギンやサルサ、メレンゲそれにブルガリアのコーラスやヒップ・ホップ、あげくの果てに美空ひばりの「チャルメラそば屋」まで飛び出すなど、その範囲はアジアの東の果てにまで及んでいるのです。
 同じ時期に活躍したアメリカのバンド、ブレイブ・コンボは、アメリカ南部に根付いた東欧のサウンド、ポルカをベースに世界中の音楽を料理してみせましたが、3ムスタファズ3はその良きライバルとして、80年代末のワールド・ミュージック・ブームの牽引車的役割を果たしました。これだけ、マニアックに世界のサウンドを研究し、それを自らのバンドのサウンドに取り入れたバンドは、未だかつてなかったし、今後も現れないかもしれません。しかし、それを学究的な生真面目さではなく架空の国の架空のバンドとして、ユーモアたっぷりに演奏して見せた点に彼らの素晴らしさがあったのかもしれません。そして、そんな究極のマニアック・バンドがヒットしてしまうほど、ワールド・ミュージックのファン層は当時拡がりをみせていたということです。(1980年代後半)

<冗談半分から本格的研究アルバムへ>
 "Shopping"(1987年),"Heart Of Uncle"(1989年),"Soup Of The Century"(1990年)と続けて素晴らしいアルバムを発表した彼らですが、その音楽に対する姿勢は、最初の頃の冗談半分まじめ半分から、しだいによりマニアックでかっちりとしたサウンドへと変わって行きました。彼らはグローブ・スタイルという当時のワールド・ミュージックのナンバー1レーベルのもつ豊富な世界の音楽情報を充分に利用しながら、研究活動の幅を広げ、メンバーはしだいに世界各地のミュージックたちとの共同製作なども行うようになって行きました。そして、それぞれの活動の場が広がるのと同時にバンド活動は1991年頃休止状態に入っていったのです。

<3ムスタファズ3はどこへ?>
 彼らの活動はワールド・ミュージックの黄金時代とともにありました。しかし、彼らはシェゲレリ村の思い出をしっかりと世界の音楽界に刻むと、あっさりとその姿を消してしまったのです。
 シェゲレリ村が地上からいつの間にか消えてしまったのと同じように、3ムスタファズ3もまた「すべての方向に歩みつつ」、この世からその姿を消してしまったのです。

<ちょっとしたタネあかし>
 このバンドのメンバーは、どうやらイギリスの一流ミュージシャンばかりだったようです。それぞれのメンバーが自分の得意分野を持ち寄り、さらに勉強(音楽だけでなく言語も含めて)をしながら、作り上げていったのが、3ムスタファズ3というプロジェクトだったようです。
 例えば、サバ・ハバス・ムスタファは現在でもジャズ・ロック系バンドの老舗キャメルのベーシストとして活躍しています。(2000年時点)そのうえ、ムスタファ名義のソロ活動も行っていて、インドネシアでスンダ地方のミュージシャンたちとアルバムを共同製作するなど、相変わらずワールド・ミュージック畑での活躍を続けています。

<締めのお言葉>
「彼らはオメラスを後にし、暗闇の中へと歩み続け、そして二度と帰ってこない。彼らがおもむく土地は、私たちの大半にとって、幸福の都よりもなお想像にかたい土地だ。私にはそれを描写することさえできない。それが存在しないことさえありうる。しかし、彼らはみずからの行く先を心得ているらしいのだ。彼らは-オメラスを歩み去る人々は」

アーシュラ・K・ルグィン著 「オメラスを歩み去る人々」より

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