「黙示録3174年 A Canticle For Leibcwitz」

- ウォルター・M・ミラー Walter M.Miller,Jr -

<宗教と科学を扱った歴史的名作>
 ウンベルト・エーコの名作で映画もヒットした「薔薇の名前」。中世ヨーロッパの修道院を舞台にした重厚な推理ドラマを読まれた方、もしくは映画版を見た方は多いと思います。(主演はショーン・コネリーでした)ここで取り上げている小説「黙示録3174年」は、その「薔薇の名前」のSF版というと雰囲気で捉えてもらえればいいと思います。書かれたのは、「黙示録3174年」の方が古いのですが、その面白さと細部へのこだわりの深さは、かなり共通するものがあります。当然、この小説は「宗教」の問題も深く掘り下げていて、「宗教と科学」について書かれた小説として最高峰に位置すると思います。(まあ元々数は少ないのですが・・・)
 しかし、そのためにこの小説は多少難解にならざるをえず、宗教が苦手な日本人にはあまり知られていない作品ともいえるでしょう。SFファンの間でもあまり知られていない作品かもしれません。だからこそ、ここでこの小説を紹介できるのは光栄なことです。もちろん、この小説を褒めているのは僕だけではありません。この小説の解説を書いている作家の池澤夏樹氏のことばをここで書き記しておきます。

「・・・・・この作品は読んでいて面白いが、魅力はそれだけに尽きるわけではない。ふつうSF作家は読んで面白い作品を書こうと目指し、読者もまたSFに読む楽しみを求める。そういうあり方が間違っているなどというつもりはない。ただ、ウォルター・M・ミラーはそれ以上をねらって、どうやらそれに成功したのだ。」

<第一章「人アレ」>
 この小説は三つの章からできています。第一章「人アレ」は、世界中を巻き込んだ核戦争が起き、世界が崩壊して600年後の旧アメリカが舞台になっています。
 核戦争後、そのための兵器「核爆弾」を生み出した「科学」は悪魔の学問とされ地上から消され、科学者もまた世の中から抹殺されてしまいます。世界は「科学」ではなく「宗教=神」に基ずくルネッサンス以前の中世ヨーロッパへと退行していたのです。

「言語の混乱、多くの国家の名残りや恐怖から憎しみが生まれた。そして憎しみは言った−
 こんなことをした人間に石を投げ腹を切り開いてしまおう。このような犯罪をもたらしめたものを虐殺しよう。彼らの雇い人も、彼らの賢者たちも、ともどもに。彼らを焼き滅ぼせ。彼らを全滅させよう、そして、われらの子供たちに教えよう、世界は新しいのだと、子供たちの生まれる前に行なわれたことなど一切知る必要がないのだと。大いなる単純化を行なおう、そして世界を新たに始めよう。・・・・・」

本書より

<この章のあらすじ>
 かつてユタ州だった砂漠の中の修道院で修行に励む修道僧フランシスは、山で修行中に見慣れぬ巡礼者と出会います。彼に教えられた場所に行ったフランシスは、そこでその修道院の宗派リーボウィッツ修道会の始祖リーボウィッツ上人の遺品や彼の妻の遺体を発見します。
 いっしょに発見された謎の絵画(たぶん電子回路の青写真)を書き写した彼はそれに美しい装丁をほどこし、法王に献上するため旅に出ます。彼の発見は調査の結果、本物であることが確認され、次々と重要な記録、書物が発見されます。そして、その後も継続的に調査、研究が続けられことになりますが、法王のもとから帰る途中、フランシスは盗賊の攻撃により命を落としてしまうのでした。
 知の発見としての探索の始まりは、文明復興の始まりであると同時に、そこから生まれる「果実」の奪い合いが始まることでもありました。こうした、この章は人類を見下ろすハゲタカの視点で終わりを迎えます。

「 レッド・リヴァー一帯では、一時獲物が多かった。けれどもその大虐殺もやがては終わってしまい、そこから都市国家が一つ生まれた。都市国家群の興隆をハゲタカは喜ばなかったが、それがいずれは衰亡することを知らないわけではなかった。かれらはつつしみ深くテクサカーナを離れ、ずっと西の大平原のほうへ行ってしまった。生きとし生けるものの常として、彼らがその種族もて地を満たしたこと数知れぬ。
 ついに我らが主の三千百七十四年となる。
 戦争の噂がひろがった。」


<第二章「光アレ」>
 フランシスの死から600年後、世界は再びルネッサンス期を迎えようとしていました。フランシスによって発見されたリーボウィッツの遺品調査から始まった「科学」の復興運動は勢いを増しつつありました。
 戦争とその後の恐慌によって、地上から消されかけていた人類文明の記録『大記録』は、皮肉なことに科学者ではなく修道僧たちによって守られていました。

「『大記録』は、ずっとむかし死んでしまった精神、異質のものとして忘却の中に埋め去られた社会に属する古代の言葉、古代の公式、古代の意味の反英に満ちあふれている。
 いまも理解できる部分はごく少ない。ある種の書類は遊牧民の呪い師が聖務日課書を見るようなものでまったく意味をなさない。他のものは遊牧民がロザリオを見て首飾りと考えるように、装飾的な美しさと整いのうちにその意味をわずかに垣間見せてくれる。・・・・・
 代々の僧が似姿を保存して、ついにいま、世界が望むならば、研究と解釈を受けられるまでに似姿はよみがえった。人間という種族が文化を生むのであって、かびの生えた書物がではない以上、『大記録』からの古代科学と高度の文明が直接再生するわけではないが、しかし本は助けになるだろう、そうあってほしい、とドン・パウロは願った。・・・・・」

リーボウィッツ修道院院長ドン・パウロの言葉

<この章のあらすじ>
 修道院にやってきた調査隊は、そこで研究家を続けていた修道僧たちと共同で調査を行い次々と新しい発見をします。しかし、その調査結果を持ち帰ろうと調査隊が旅立つ頃、旧アメリカでは内戦が始まろうとしていました。彼らが復興させつつある「科学」が再び戦争のために用いられることになるのは明らかでした。修道院と調査隊、それぞれのトップ、ドン・パウロ修道院長とタジオ博士の間で、「宗教」と「科学」についての激論が闘わされますが、結論がでないまま二人は別れることになりました。
 この修道院から『大記録』を持ち出し、その研究を始めようとするタジオ博士は、自分がやろうとしていることの意味を知っていました。そこから世界がどう変わってゆくことになるのかもです。

「無知が王です。この王の退位で益を得る者は少ない。彼の暗黒の統治によって富を得た者は数多いのです。彼らがこの王の宮廷を形成し、彼の名において君臨し、搾取し、私腹を肥やし、権力を確立したのです。彼らは初等教育をさえ恐れる。なぜなら文字もまた彼らの敵を結束させる情報交換の道具の一つだからです。彼らの武器には鋭い刃がつけられ、彼らはそれを運用する技術にたくみです。自分たちの利益がおびやかされるとなれば、彼らは世界に対し戦いを強要し、暴力は現在の社会構造をくだいて石屑にするまで続くことでしょう。その後から新しい社会が生まれるのです。まことに残念に思います。しかし、これが予想するところなのです」

<第三章「汝ガ意志ノママニ」>
<この章のあらすじ>
 タジオ博士が修道院を去ってから600年後。「科学」の発展に歯止めはきかず、今や再び世界は核戦争の危機に巻き込まれようとしていました。核戦争の始まりによって生まれた難民やケガ人を受け入れ混乱する修道院では、密かにひとつの計画が進められていました。それは修道院がかつて守り続けてきた人類の知を失うことなく再び他の惑星へと持ち込み、そこで人類の文明を復興させるという移住計画でした。
 アジアを支配する国とアメリカ大陸を支配する国の間で和平に向けての最終交渉が行なわれていましたが、その交渉も決裂。再び世界は最終戦争に突入。リーボウィッツ派の修道僧を中心とする移民のための宇宙船は無事、宇宙へと旅立てるのでしょうか?
 第三章では、核戦争による被害が広がる中、被爆者に安楽死をすすめる医師と修道院長ザーチが対立します。第二章で対立した「科学」と「宗教」に対し、第三章では「生」と「死」、「安楽死」の問題もまた主題となります。
 ザーチは医師の立場も理解しつつこう言います。

「・・・・・誠実とは、始末の悪いものだ。遠くから見ると自分とは反対の立場にいる人間は悪魔のように思えるが、そばへいって見ると実に誠実で、そう、自分と同じくらい誠実であることに気づく。あるいは悪魔こそ一番誠実なのかもしれない。・・・・・」

 核攻撃によって瀕死の重傷を負った修道院長は、死の間際に神を目にします。しかし、それは意外なことに彼のすぐそばにいた遺伝子異常による奇形で生まれたグレイルズ夫人の肩にいたもうひとつの首でした。
 なぜ、神はそこに現れたのか?第三章の終わりは、ハゲタカではなく鮫の視点で終わりを迎えます。それはたぶん地上の生物が放射能もしくは「核の冬」の影響によって全滅に追い込まれたせいなのでしょう。

「・・・・・大海の向こうから吹いてくる風が細かな白い灰を撒き散らした。灰は海に落ちて、荒波に巻き込まれた。荒波は死んだ蝦を流木といっしょに岸へうちあげた。それから鱈をうちあげた。鮫は深い海の底へと逃げて、冷たく澄んだ海流の中にじっとしていた。その年、鮫はひどく腹をすかした。」

<悲しき人類の未来>
 この小説で人類は己の欲望や恐怖を制御することができないために「科学」の進歩と暴走によって核戦争を始めてしまい、文明を崩壊させてしまいます。そして、二回目の核戦争によってついに地球からの脱出を必要とする段階にまで大地を破壊してしまい、ついに地球を後にすることになります。脱出した「宗教」を規範とする移民団は、「科学」と「宗教」もしくは「科学」と「倫理」のバランスを取りながら人類の文明を再建することができるのでしょうか?
 キリスト教という宗教をもとに、この小説は描かれていますが、その考え方は輪廻転生にもとずく仏教的なものにも思えます。その点では、この小説は「キリスト教」という一定の宗教に囚われない、より幅の広い「宗教」の必要性を説く、アンチ科学小説と読むこともできるでしょう。1957年アメリカは大陸間弾道弾(ICBM)の開発に成功これにより、核戦争は世界中どこでも攻撃できる危険な存在となり、それは多くの人々に人類の終わりを意識させることになりました。こうした1950年代という核の危機があったからこそ生まれたのが、この作品だったともいえるでしょう。
 「科学」という学問を深く追求した人々の多くは、「神」の存在の必然性に至るといいます。アポロに乗って月に立った宇宙飛行士の多くも「神」の存在を感じたと後に語っているのは有名です。SF小説というジャンルもまたその傑作の多くは「神」という概念に迫っていますが、それもまた必然的なことなのでしょう。面白くて奥の深いSF小説を読みたい方は是非、この小説をお読み下さい!

「黙示録3174年 A Canticle For Leibcwitz」 1959年
(著)ウォルター・M・ミラー Walter M.Miller,Jr
(訳)吉田誠一
創元推理文庫

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