- フィフス・ディメンション The 5th Dimension -

<飽きるほど聴いたサウンド>
 僕が耳にこびりつくほど聴いた最初のポピュラー音楽は、ビートルズでもなく、ストーンズでもなく、日本の歌謡曲でもなかった。意外なことに、それはセルジオ・メンデスフィフス・ディメンションでした。そんなことあるか?と思われるかもしれませんが、これ本当です。でも、それには理由があります。実は、1960年代後半、以前から衣料品の商売をやっていた我が家はブティックのはしりJUNとROPEというブランドの店でした。そのため、店では当時流行の洋物ポップスのレコードをかけていました。(もちろん、そのころは有線放送も、おしゃれなFMラジオもないし、カセット・テープですらありませんでした)そういうわけで、他にはモータウンのベスト・アルバムとかトム・ジョーンズのライブ、ミュージカル「ヘアー」のサントラ盤なんかがあったのですが、その中で最も印象に残っているのが、上記の二つのグループだったというわけです。

<忘れかけていたサウンド>
 その後、僕は自分でレコードを買って聴くようになり、ロックから始まって、ソウル、R&B、ブルース、ジャズそして世界各地のポップスへと、どんどん興味を広げていったわけですが、なんとなく気になっていたことがありました。
「そういえば、フィフス・ディメンションって、いったい何だったんだろう?あれだけヒットを飛ばしていながら、どうして消えてしまったんだろう?」おまけに、彼らの名前は、ソウルの歴史において、全くと言ってよいほど、語られることはありませんでした。ノーザン・ソウルの歴史にも、フィーリー・ソウルの歴史にも、ニュー・ソウルの歴史にも、どこにも出てきませんでした。
 彼らの存在は、ソフト・ロックという新しいジャンル分けが生まれ、その再評価がなされるようになるまで、ほとんど忘れられた存在になっていた言えそうです。

<多彩なメンバー>
 フィフス・ディメンションは、ラモント・マクレモア Lamonte Mclemoreとマリリン・マックー Marilyn Mccooによって結成されたハイ・ファイズにロン・タウンソン Ron Tounson、フローレンス・ラルー Florence Larue、ビリー・デイヴィス・Jr. Billy Davis Jr.が加わって生まれた、男女混合の黒人コーラス・グループでした。
 ロン・タウソンは、セントルイス生まれで、映画「ポギーとベス」(ジョージ・ガーシュイン原作の傑作ミュージカル)にも出演している実力者。ラモント・マクレモアとビリー・デイヴィス・Jr.もセントルイス出身ですが、ビリーは軍隊経験中に音楽とであった遅咲きの人物。(ビリーとマリリンは後に結婚する)それに対して、マリリン・マックーとフローレンス・ラルーは、二人ともカリフォルニア出身でともに大学出のインテリでした。(フローレンスは小学校の先生をしていました)黒人が大学に入ること自体まだ珍しかった時代であることを考えると、それだけでもミュージシャンとしては異色の存在であり、西海岸の出身ということでフラワー・ムーブメントの影響を自然に受け入れられたことも後に大いに役に立ちました。これだけバラエティーに富んだメンバーが集まったグループは、非常に珍しかったことは間違いないでしょう。

<器用貧乏から時代の先端へ
 1965年の結成当時、彼らはヴァーサタイルズ Versatiles(多才な、多芸な、多方面に渡る)と名乗っており、男女混合で多才なレパートリーを持つコーラス・グループというのが売りでしたが、歌っている曲は従来のR&Bナンバーと変わらず、器用貧乏と言わざるを得ませんでした。彼らはモータウンのオーディションを受けますが不合格となり、マイナー・レーベルから出されたシングルも不発でレイ・チャールズの前座としてツアー生活が始まりました。
 しかし、幸いにしてこのツアー中、後に彼らのマネージャーとなるマーク・ゴードンが彼らに目を付け、ソウル・シティー・レーベルを立ち上げたばかりのジョニー・リバースに紹介してくれます。そのおかげで、彼らは新レーベル第1号のアーティストとして、デビューを飾ることになりました。
 ファースト・シングル"I'll Be Lovin' You Forever"は、ごく当たり前のR&Bナンバーだったこともあり、まったく売れませんでした。しかし、1966年末に発売した"Go Where You Wanna Go"は、いきなり全米ポップ・チャートの16位にランクイン。そして、この曲のヒットが彼らのこの後の方向性を決定的なものにしました。

<フラワー・ムーブメント&ソウル>
 "Go Where You Wanna Go"は、当時西海岸から人気が広まりつつあったフラワームーブメントを代表する白人フォーク・ロック・グループ、ママス&パパスの曲でした。元々泥臭いソウルより、美しいハーモニーを中心としたお洒落なサウンドが得意だった彼らにとって、美しいハーモニーを持つこの白人グループのナンバーを選曲したというのは大正解でした。そして、ここから彼らの快進撃が始まります。
"Up-Up And Away" 7位(1967年)、"Paper Cup" 34位(1967年)、"Carpet Man" 29位(1968年)、"Stoned Soul Picnic" 3位(1968年)、"Sweet Blindness" 13位(1968年)、"California Soul" 25位(1968年)、"Aquarius〜Let's The Sunshine In" 1位(1969年)、"Workin' On A Groovy Thing" 20位(1969年)、"Wedding Bell Blues" 1位(1969年)、"Blowing Away" 21位(1970年)、"The Girl's Song" 43位(1970年)、"Puppet Man" 24位(1970年)、"Save The Country" 27位(1970年)、"On The Beach(In The Summer Time)" 54位(1970年)、"One Less Bell To Answer" 1位(1970年)、"Love's Lines,Angels And Rhymes" 19位(1971年)、"Light Sings" 44位(1971年)、"Never My Love" 12位(1971年)、"Together Let's Find Love" 37位(1972年)、"(Last Night) I Didn't Get To Sleep At All" 8位(1972年)、"If I Could Reach You" 10位(1972年)、"Living Together, Growing Together" 32位(1973年)、"Everythings Been Changed" 70位(1973年)、"Ashes To Ashes" 52位(1973年)、"Flashback" 82位(1973年)
 とにかく、ヒット曲の連発でした。

<ヒットを支えたライター>
 彼らのヒットの影には、優秀な白人ライターの活躍がありました。特に、ジミー・ウェッブローラ・ニーロの二人は、彼らのヒット曲の多くを書いたことで、世界的に有名なライターとなり、その後は自らシンガーとしても活躍して行くことになります。この二人のアーティストを世に送り出したということだけでも、フィフス・ディメンションの役割は大きかったと言えるでしょう。

<トータル・アルバム指向>
 彼らの音楽性について、もうひとつ重要なのは、彼らが黒人ミュージシャンとしては珍しくトータルなコンセプトを持つアルバムを制作していたことです。ソウルにおけるトータル・コンセプト・アルバムの先駆けは、一般的にはマーヴィン・ゲイの"What's Goin' On"(1971年)と言われていますが、フィフス・ディメンションのトータル・コンセプト・アルバム"Up-Up And Away"が発表されたのは、なんと1967年のことです。もちろん、このアルバムの影にはジミー・ウェッブという優れたライターの存在があったのですが、それにしても時代の先を行っていたことだけは間違いないでしょう。(なんとジミー・ウェッブはこの時弱冠21才でした!)
 ところが、彼らのこのロック寄りの音楽性は、時代の移り変わりとともに、逆に大きな足かせとなって行きます。

<ソウルの時代の終わりとともに
 残念なことに、彼らのように白人と黒人両方に受け入れられるアーティストの居場所は1970年代も半ばになると一気に失われて行きました。それは60年代半ばからの公民権運動の盛り上がりがピークを向かえ、しだいにその勢いを失っていったのと時を同じくしていました。同じ時期に世界的な大スターになっていたファンク・バンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーンもいっきにその勢いを失いつつあり、黒人アーティストは黒人社会の中で黒人たちのためだけに歌うか、ディスコの舞台で単純なリズムのディスコ・ソングを歌うか、そのどちらかしか選択の余地は残されていなかったのです。

<オリジナル・ソングの時代へ>
 さらに、この時代以降のミュージシャンは、オリジナル・ソングで勝負するのが当たり前になって行きましたが、彼らにはそんな時代の変化に対応できるソング・ライティングの力はありませんでした。こうして、1975年を過ぎると彼らの名前はほとんど聞かれなくなったのです。(同じような性格を持っていたコーラス・グループ、スリー・ドッグナイトも同じ時期に消えています)こうして、良質のポップスがヒット・チャートをにぎわす時代は終わりを告げ、時を同じくして、ニューヨークでは、パンク・ロックが産声を上げようとしていたのです。(良質のポップス最後のアーティストがカーペンターズだったのかもしれません)

<締めのお言葉>
「すべてのものには正しい時間と場所があり、そのことを理解するためには、人はそれを生きなくてはならない」
ダグ・ボイド著 「ローリング・サンダー」より 

<追記>
 先日、このサイトのファンというビデオ製作会社「ジェネオン・エンターテイメント」の方からフィフス・ディメンションの貴重な映像作品の見本版を送っていただきました。タイトルは「トレヴェリング・サンシャイン・ショー」彼らがテレビ番組を持っていた頃、人気絶頂時の幻の映像です。ゲストには、カーペンターズ、ディオンヌ・ワーウィック、マール・ハガードが出演し、カレンがドラムを叩きながら歌っているシーンもあります。動くフィフス・ディメンションは貴重ですし、1971年制作時のファッションも楽しめます。お薦めです!

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