
- フィリップ・クーテフ・ブルガリア国立合唱団 The
National Folk Ensemble"Philip Koutev"
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<ポップスと呼べる民族音楽>
「国立合唱団が、何でポピュラー音楽史に出てくるわけ?」
そうおっしゃりたい方も、いらっしゃるかもしれません。確かに、この合唱団の歌う曲は、クラシックではないにしても、厳密に言うと民族音楽に属すると言えるでしょう。しかし、合唱団の設立は1951年と、意外に最近のことですし、歌われている曲も、かつて民族音楽として歌われていたものを現代的にアレンジし直し、コンサートやアルバムとして楽しめるように再生されたものなのです。
だからこそ、その素晴らしい歌声は数多くのCMや映画、TVなどに使われるほどポピュラーな人気を得ることができたと言えるでしょう。「ブルガリアン・ヴォイス」(元々はアルバムのタイトルですが)という言葉だけで、多くの人々はあの驚異的、かつ神秘的な歌声を思い出すはずです。多くの人に知られ、かつ常に新しい曲作りが行われているのですから、これはポピュラー音楽の一ジャンルと呼べるのではないでしょうか?まして、ブルガリアにおいては、あの歌の数々は特殊な人だけが歌うのではなく、ある程度大衆歌謡の一ジャンルとして確立されているのです。残念ながら、カラオケでは歌えないでしょうが・・・
<ブルガリアン・ポリフォニーの特徴>
ブルガリア国立合唱団の歌の最も大きな特徴は、西欧流の合唱がメロディーの美しさによるのに対して、ブルガリアのそれはいくつもの声のぶつかり合いが、メロディーだけでなく、複雑でパワフルな音響空間を作り上げてしまうことにあるといえるでしょう。
それはアフリカの太鼓の文化が生み出した複雑なリズムの組み合わせ「ポリリズム」のヴォーカル版ということも言えるのかもしれません。
<複雑なポリフォニーを生んだ国>
複雑なポリフォニー(合唱)を生み出したブルガリアという国の歴史は、その歌のもつ複雑さ同様に入り組んでいます。文化の十字路と言われるバルカン半島に位置するこの国は、「火薬庫」とも言われるこの地域に紛争が起きるたびに戦禍に巻き込まれてきました。
当然支配者も次々に変わりました。(ラテン系、ゲルマン系、スラブ系、トルコ系、アラブ系などなど)そのため、支配される側のブルガリアの人々にとって、自らの民族のアイデンティティーを保つことは非常に重要なことでした。だからこそ、彼らにとって、生活のすみずみにまで広がっている歌の存在は、共同体意識を確認するためになくてはならないものだったのです。
ゆりかごの赤ちゃんに歌いかける子守歌から始まって、山がちな農地で働く人々の労働歌や収穫の歌、それに結婚式や祭りのための歌、そしてトルコなど彼らを支配した民族に対するプロテスト・ソングなど、どれもが彼らの生活に密着した存在でした。
こうして、この土地にやってきたいろいろな民族の文化も混ざり合いながら、しだいにブルガリア独特の歌が生まれ、それが祭りなどで披露される合唱へと発展していったのです。
<伝統芸能を現代に甦らせる>
しかし、ただ単に「保存するため」の民俗芸能だったとしたら、ブルガリアの合唱は、日本の民謡とそれほど変わらない存在になっていたかもしれません。そうならなかったのは、フィリップ・クーテフ(Philip
Koutev)という偉大な人物のおかげでした。
1903年にブルガリア東部のアイトス地方で生まれたクーテフは、1929年に国立音楽学校を卒業し、数々のオーケストラや合唱団で活躍しました。
しかし、彼はそんなクラシック畑での活躍と平行して、ブルガリアに古くから伝わる文化、特に音楽の研究と採集を熱心に行っていました。そして、その集大成として1951年に「ブルガリア国立歌舞アンサンブル」を結成し、自ら指揮者、作曲者などを務めてゆきます。
<究極の声の持ち主たち>
さらに、この合唱団の特徴は、そのメンバーが全国各地の村々から選抜されたよりすぐりの声の持ち主だったということです。(当初は、クーテフ自身が全国各地の村々を回って、スカウトして歩いたということです)
下は20代から、上は50代までの素晴らしい声の持ち主たちが全国各地から集められたのですから、それが美しくないわけがないのです。
さらに、この合唱団とともに、舞踏団と楽団も結成され、それら全体でブルガリアの伝統芸能を現代に甦らせようという壮大なプロジェクトだったのです。したがって、正式にはこの合唱団の名前は、フィリップ・クーテフ国立民族音楽・舞踏アンサンブルというのです。(1990年ころのメンバー構成は、合唱団が40名、舞踏団が60名、そして楽団が20名となっていました)
<新しい革袋に、新しいワインを>
こうして誕生した合唱団に、クーテフはそれまでの伝統的な曲とはひと味違う新しい曲を与えました。伝統的な民族音楽というものは、どうしてもアレンジが単調だったり、クセが強すぎたりして、コンサートやアルバムにおいて聴くには不向きな面が多いものです。そこでクーテフは、自らのもつ音楽の知識を総動員して伝統的な歌の数々を誰もが楽しめる合唱曲へと作り直して行きました。
多くの人々が、古くから伝わる伝承曲だと思っているあの素晴らしい曲の数々は、ある意味ではフィリップ・クーテフという一人のアーティストによって生み出された総合芸術だったのです。(作曲、編曲だけでなく、歌唱法の開発や指導、合唱団の運営など・・・)
ブルガリアの伝統を活かしつつ、新しい息吹を吹き込むため、まったく新しい曲を作るなど、その絶妙な新旧のバランスによって、合唱団は1980年代に入る頃には世界的な注目を浴びる存在になっていたのです。(日本では、アルバム「ブルガリアン・ヴォイス」で注目を集めるようになり、日本で制作された究極の録音法によるアルバム「ブルガリアン・ポリフォニー」シリーズで一気に人気が爆発しました)
<さらなる進化の道筋>
今もなおブルガリアの合唱は進化をし続けていますが、ちょっと気になることもあります。こうして、進化を続けているブルガリアの合唱がかつてのジャズのような方向へ向かっていないか?ということです。それは、演奏する楽しさよりも、聴くための音楽としてより高度なものを追求することは、その音楽を楽しむ人々のすそ野を失って行くことにならないのか?ということです。
しかし、そんな流れとは別に、かつて合唱団のメンバーだった女性たちが独立して活動を開始する動きもあります。もしかすると、彼女たちがクーテフの意志を継いで、よりポップで、より高度なブルガリアの新しいポップスを生み出して行くのかもしれません。
<締めのお言葉>
「ネットワークの各要素が他の要素との接続を一つしか持たない場合、系は凍りついたも同様で何も起こらない。また四つかそれ以上の場合は、系は不安定でカオス的となる。接続が二つ。きわめて興味深いことが起こるのはまさにその時だ」
ロジャー・リューイン著「コンプレクシティーへの招待」より
「空気分子は、微妙な弾力性を持っているが、水に比べると均質ではなく弱い。そのため、空中の音波は水中のそれの1/4の速さしかなく、また、到達する距離もずっと短い。・・・しかし、反面、空気分子の不整合性は、非常に美しい音色をかもし出す働きをしている」
ラザフォード・プラット著「水」より
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