「オウム真理教」(2013年12月追記)

「A−マスコミが報道しなかったオウムの素顔 −」

- 森達也 Tatsuya Mori 、麻原彰晃 Shokou Asahara -

<オウム真理教を憶えていますか?>
 あなたは、オウム真理教による一連の事件を憶えていますか?
1984年 「オウム神仙の会」設立(1987年「オウム真理教」に改名)
1989年 坂本弁護士一家行方不明となる(後に殺害されていたことが明らかになる)
1990年 政治団体「真理党」を結成し衆院選に信者が多数立候補(全員落選)
1994年 松本サリン事件(無実の罪で河野さんが逮捕される)
      信者のリンチ殺人事件
      VXガスの使用による殺人事件
1995年 目黒公証役場事務長仮谷氏の拉致監禁致死事件
      オウム真理教総本部への火炎瓶投てき事件
      3月20日 地下鉄サリン事件
      3月22日 上九一色村など教団施設への強制捜査
      3月30日 国松孝次警察庁長官銃撃事件(この事件がオウムの犯行だったかどうかは不明)
      4月23日 教団幹部、村上秀夫殺害事件(右翼による犯行)
      5月 5日 新宿駅トイレ内での毒物使用殺人未遂事件
      5月16日 東京都庁内における郵便物爆破殺人未遂事件
             松本智津夫、殺人、殺人未遂の罪で逮捕
      9月 6日 坂本弁護士一家の遺体発見
     10月30日 東京地裁が宗教法人法により解散命令決定
1996年 1月18日 1952年の法制定以来初めて破防法弁明手続きが行われる
      4月24日 松本智津夫被告の初公判
      7月     公安調査庁が破防法に基づく解散命令指定処分を請求
     11月     上九一色村教団施設明け渡し
1997年 1月31日 破防法に基づく解散請求棄却決定
1999年 8月    オウム事件をきっかけにして、国旗国歌法案、改正住民台帳法、通信傍受法などが成立
2013年 オウム真理教の活動は東日本大震災以降、再び活動を活発化させています。

 次々に逮捕されたオウム真理教幹部たちは、まるで深作欣二監督のヤクザ映画に登場する悪役俳優たちのように個性的な顔ぶれでした。あまりに現実離れした事件の展開は、映画よりも映画的で、ニュースよりもリアルで新鮮でした。誰もが報道番組に釘付けになったのは当然でした。
 あっという間に一億総評論家となった日本国民は、誰もがオウム真理教とは何か?なぜ彼らは地下鉄車内でサリンをまいたのか?なぜ彼らは日本を転覆させようと考えるに至ったのか?その問いの答えを求めていました。しかし、その答えが得られとは思えません。それどころか、今やオウム真理教の一連の事件は忘れられつつあります。オウム真理教について、マスコミも、政府も、日本の国民全体も、その存在を忘れてしまい、その名は聞かれなくなりました。

<オウム真理教>(2013年12月追記)
 オウム真理教の導師、麻原彰晃(松本智津夫)は、1955年3月2日、熊本県金剛村(現在の八代市)に生まれています。裕福な家庭ではなかったためか、早くから「金持ちにならなきゃ」が口癖だったといいます。視力が弱かった彼は地元の盲学校を卒業すると、1977年受験のため東京に出ますが早々に大学進学をあきらめ、結婚すると千葉県船橋市で鍼灸院や薬局を開業しながら、ヨガ教室を開きます。そして、そのヨガ教室がしだいに宗教色を強めることでオウム真理教へと発展してゆくことになります。
 1982年には厚生省の認可を得ずにリューマチや神経痛に効くという独自の漢方薬を製造販売したため、薬事法違反で逮捕されています。当時のキャッチフレーズは「コンピューターを導入した漢方薬」で、実在しない利用者の体験談をでっちあげるなど、詐欺まがい商法にありがちな誇大広告をしながら着実に利益を上げだします。
 1984年2月、彼は「オウム神仙の会」を創設します。(1987年「オウム真理教」に改名します)このあたりから、宗教集団として「オウム」の名前は少しずつ知られるようになり、バブルと管理された社会に疑問を持つ真面目な若者層を中心に広がりをみせるようになります。
 出家信者に全財産を寄付させ、共同生活を営むことで、彼らは家族や地域から断絶させられ、外部の情報も得られなくなってゆきます。そして、教祖への絶対的な信頼を求められるうちに、いつしか外部の世界をすべて否定する生き方に安心感を覚えるようになりました。しっかりと確立された階層社会の中では、もう何にも悩む必要ななく、すべては上からの命令に従えばよいのですから、心の平安は保たれたはずです。
 こうして生まれた麻原を中心とするカルト社会は、それが外部との接触さえもたなければ、マスコミも取り上げず、信者の家族だけが問題視するだけにとどまっていたはずです。しかし、あらゆる宗教活動にとって布教活動は不可欠なものです。それがなければ、単なるコミューンとして、オウムの集団はいつか消えるはずです。もとも麻原自身はエリートへのコンプレックスとお金を得ることの喜び、そして、神的存在として脚光を浴びる快感を求める人間でした。ならば彼にとって「オウム真理教」は、どこまでも拡大してゆく集団でなければならないのです。
 1990年、彼はさらなるオウムの拡大を目指し、政界進出をかけて衆院選に25人もの候補者を送り込みます。ところが、不気味な選挙活動はドン引きされるだけで票を集めることができずに惨敗。これにショックを受けた麻原は、民主主義的方法に頼らずにオウムの拡大を目指すため非合法的、暴力的な手法に訴える決断を下します。最終的にはクーデターによって政府を転覆しようと計画を立て始めたのです。恐るべきオウムの暴走はここから始まったのでした。

<「ノストラダムスの大予言」実行部隊>(2013年12月追記)
 1970年代に「ノストラダムスの大予言」が大ブームとなったことがありました。麻原はその予言を研究していて、1999年に訪れる「ハルマゲドン」を自らの力で実行しようと考えていた可能性もあります。そして、その中心となる存在として3人の男たちが選ばれました。建設省大臣の早川紀代秀と科学技術省大臣の村井秀夫、そしてディベートの天才としてマスコミ対応を一手に引き受けた外報部長の上祐史浩です。
 早川は全国各地の教団組織の施設を準備したり、銃やヘリコプター、戦車などの武器や兵器の手配するなど、軍のトップであると同時に麻原の革命イメージを具体化する実務の最高責任者でした。
 後にカメラの前で暗殺されることになる村井はサリンの研究開発や強力な焼却装置の製造など、麻原のSF的イメージを具体化する優秀な科学者でした。ただし、彼は「科学者」であるがゆえに「麻原」を無批判には信頼できなかったはずです。そのため、いざという時にはいち早く裏切り者になるのではないか?そう疑われていたようです。
 上記の二人とは距離を置く形となり、最終的に逮捕されることがなかった上祐は、オウムと社会のつなぎ役としてオウムの暴力的側面とは別の顔を演じ続けました。(現在もなお続けています)
 オウム真理教には、彼ら以外にも様々なスペシャリスト、そして様々なキャラクターをもつ個性的な脇役が多かったことも忘れられません。

<妄想実現の協力者たち>(2013年12月追記)
 麻原の元に様々な部下がそろいましたが、それだけでは日本の国内でクーデターを起こすことは到底不可能です。ここまでなら、すべて麻原の誇大妄想で終わっていたはずです。ところが事実は小説よりも奇なりです。麻原の妄想を現実化しようとする協力者が現れたのです。中でも大きな役割を果たしたのは、ソ連が崩壊して誕生したばかりだったロシア政府です。分裂により、社会体制が大きな影響を受け、経済的にも大きな危機に陥っていたロシアは、政権運営のために巨額の資金を必要としていました。そのため、彼らは売れる物なら、美術品やロケット、兵器などなんでも売ろうとしていました。そこへ日本国内での革命を目指す組織が現れたのです。オウムとロシアの利害は見事に一致したのです。オウムは巨額の資金を提供し、それにより旧ソ連製の武器だけでなく戦車、ヘリコプターなどを購入。日本国内に持ち込むだけでなく、そうした武器を北朝鮮や中国に転売することで巨額の利益を上げていたらしいのです。
 ただし、そうした武器の転売のような大掛かりで危険なビジネスを素人のオウム・メンバーだけでできたのか?これもまた疑問です。そこには今や海外でも活躍している日本のヤクザ組織もまた関わっていたのではないか?そう考えるのが当然なのです。さらに彼らはヤクザと組んで覚醒剤の製造と販売も行っていたのではないか?そうした説もあります。実は、そうしたオウムとヤクザの関係を明らかにされることを恐れたヤクザ側が、最初にその関係を証言してしまいそうな人物として村井を不安視していたようです。だからこそ彼に対して、山口組系暴力団の上の方から暗殺指令が出されたのでしょう。
 ソ連だけでなく、北朝鮮にとっても、日本における暴力革命は支援するに値するものだったといえます。

<テロの同志たち>(2013年12月追記)
 オウム真理教は世界各地で活動する様々な武装テログループとの連携を計画していたともいわれます。イスラム原理主義グループや極左勢力、ネオナチ、北朝鮮人民解放軍だけでなく国際的な犯罪組織など、これらのグループにとっては国家の混乱は望むところです。そうしたグループにとって、麻原の妄想と資金力は利用するのに最高の素材だったのでしょう。
 もし、ロシア・マフィアから彼らが旧ソ連が保持していたプルトニウムを入手していたら・・・。世界の秩序を築くことに比べればその破壊はなんと簡単なことか。たった一人の男の妄想が、そこまで大きな危険を生み出すことになったのには、本人の意思とは別に大きな何かが援助者がいたと考えられる気がします。それが何だったのか。
 麻原以外では、村井亡き後、早川紀代秀がその真相をもっとも把握しているのかもしれませんが、沈黙のままこの世を去るのでしょうか。

<「A マスコミが報道しなかったオウムの素顔」>
 テレビのドキュメンタリー番組のディレクター森達也は、オウム真理教がなぜ一連の事件を起こしたのか?その謎に迫るため、彼らのドキュメンタリー映像を撮り始めました。それは事件の全貌が明らかになり、幹部がほとんど逮捕された時期のことです。(1996年)すると、そこにオウム真理教の人々と多くの日本人に共通する「現状認識における思考の停止」が存在することに気づきます。
 残念ながら僕はそのドキュメンタリー映画「A」を見ていません。しかし、偶然本屋でその映画を撮る過程を記録した彼の著書「A - マスコミが報道しなかったオウムの素顔」を見つけ読むことができました。そんなわけで、森達也著「A」を読みながら「オウムと日本」についての止まっていた思考を再開してみようと思います。
 森氏によるオウムのドキュメンタリー映像は当初テレビ用の番組として撮影準備が行われていました。しかし、その企画にのる放送局がみつからなかったため、仕方なく彼はフリーの制作者として、オウム真理教との交渉を行いました。その中で彼がオウムを代表する被写体として選んだのは、当時、オウムの広報担当だった荒木浩でした。(憶えていますか、あのひ弱そうなメガネの青年です)でも、なぜ、上佑でも青山でもなく荒木だったでしょうか?
「・・・オウムと社会という二つの言語を使い分けねばならない広報部の責任者という立場に突然追い込まれ、その乖離と距離をおぼろげながら自覚して、その狭間でずっとあがき続けている。だから彼を素材にすることで、オウムと僕らとの溝を埋める手がかりが見つかるかもしれないと僕は考えた。・・・」

 オウムとの交渉を行うため、彼は荒木浩と対面し、この企画を実現させた放送局はまだないだけに、必ず成功するはずだと説明しました。ところが、それに対して荒木はこう言いました。
「でも、ドキュメンタリーって依頼は森さんが初めてですよ」
「・・・初めて?」
「幹部のインタビューとか、上九での修行の様子を撮らせろとか、そんな依頼は毎日何十件も来てますけど、私たちをドキュメンタリーとして撮りたいという依頼は、これまで一度もありません。森さんが初めてです」

 なぜマスコミはオウムについて知ろうとしなかったのでしょう?教団内に入ることも恐れていたから?洗脳されていることを恐れていたから?それとも彼らのことを知る必要がなくなったから?たぶん、この時すでにオウム真理教に対する思考の停止が始まっていたのかもしれません。そして、そうしたマスコミの姿勢は彼らの取材の仕方にも現れていました。
 ある時、記者からの同じ質問にうんざりした荒木浩は記者にこう問い返したそうです。
「質問というのは、答えを聞きたいからするものですよね。皆さんの質問が、本当に答えを求めているとは私には思えないんです」

<こだわり続けた映像手法>
 いよいよ撮影を始める際、彼は自らの制作手法に普通のテレビ・ドキュメンタリーとは異なる手法を用いることを決断します。それは、「初めに答えありき」的な映像手法では、自分の求める映像は得られないと考えた末のことでした。
 彼はドキュメンタリー作品の「客観性」について、ひとつの信念をもっています。
「・・・・・自然なドキュメンタリーなど存在しない。撮る行為によって撮られる側は、時には触発されるし、時には規定される。そしてまた撮られる側の反応が、撮る行為に大きな影響を与える。その意味では撮影における客観性など存在しない。映像を作るという作業はすべて主観の産物のはずだ。
・・・・・もちろん自分と対象との相関的な座標を正確に表出することは必要だ。しかしその位置さえ明確に呈示すれば、後は観る側が判断するだけのことなのだ。バランスをとるのは表現する側ではない。観る側だ」


 そして、彼は以下のように撮影を進めることにしました。
「・・・・・モザイクは対象となる人や場所の固有性を隠すという本来の機能よりも、「負の要素を持つ人」という一つの記号としての意味を持ち始めた。記号は言うまでもなく既成の概念に結びつく。だからモザイクは使わない。その決意によって、撮る範囲が狭められるならそれも仕方ないと覚悟していた。荒木浩を対象にする。二次情報や既成の概念はできる限り放棄する。既成のテレビ的映像手法も可能な限り封印する。・・・・・」

 こうして撮影を開始した彼は被写体であるオウムの人々を撮りながら、しだいに彼らの生活の中から外の社会を見た時の異常さに気づかされてゆくことになります。そして、その視点こそがこの映画にとって最も重要なことを確信します。
「『オウムの中から外を見る』・・・最初にドキュメンタリーを撮ることを思いついた時から、この視点への着想はあったし、見える光景へのある程度の予感はあった。しかし実際に、今日を入れて3日間の撮影を経過して、収録された施設外部の光景は、机上の予想をはるかに超えた濃度だった。慣れ親しんでいたはずの社会のかつて一度も目にしたことのない、剥き出しの表情がそこにひしめきあっていた。この濃密な世界を、映像にいっさいの加工や修正を施すことなくテレビで放送することは難しい。いや、おそらく不可能だ。表現や手法のレベルではない。『日本人のメンタリティーを撮る』という着想を捨てない限り、この作品の本質そのものが、テレビというマスメディアには決して馴染まないことは自明なのだ。・・・・・」

<オウムの人々>
 しだいにオウムの外の社会が異常に見えてくるとはいえ、彼はオウムの人々が正常であるとみているわけではありませんでした。
「情欲は消さなくてはいけないのですか?」
 この質問への荒木浩の答えは・・・。
「どんなに愛し合った夫婦でも最後は死に別れます。愛情が深ければ深いほど、いずれ死に別れるときの苦しみは大きい。愛という執着は最終的には苦しみに行き着くだけなんです。ならばその愛を断ち切るほうが苦痛も少ない」
「苦痛から逃れるのではなく、大きな喜びに気がつくんです。一緒に修行さえすれば、今言葉にできなかった部分も、きっと感覚してもらえると思うのですけど」
 
 さらに彼は荒木浩やその他のオウムの信者について、こうも考えています。
「荒木浩たちオウムの信者に僕がいちばん物足りなさを感じるのは、まさにこの一点だ。人生体験という意味では彼らはほとんど例外なく平板だ。山頭火の血を吐くような自己矛盾と苦悩は彼らには無縁だ」
 その例外は麻原彰晃だけかもしれませんが、彼の裁判での奇行について荒木浩はこう言っています。
「アインシュタインが仮に人格破綻者だったとしても、彼の発見した真理の価値は変わりませんよね」
「アインシュタインはね。でも科学者と宗教者は違うでしょ?」
「真理という一点では変わりません」

<いじめの国、日本>
 民主国家として、法治国家として先進国の仲間入りを果たした日本は、オウム真理教という想像を超えた存在の登場に対し、その矛盾を露呈していました。悪の組織に対してなら、人権など無視してもよい。そうした空気の中、オウムの人々に対する過剰なまでの「いじめ」がごく普通に行われていたのです。マスコミだけでなく日本中がそうした現況を客観的に見る思考を停止していたのです。
「・・・・・自覚を失った社会は止めどなく加虐的になる。自覚がないから、昏倒した信者を見下ろして大笑いができる。自覚がないから事実を隠し、作り上げた虚構を公正中立だと思い込んで報道することができる。自覚がないから、社会正義という巨大な共同幻想を、これほどに強く信じることができる。・・・・・」
 教団幹部の村井秀夫がテレビ・カメラの前で刺された時、どれだけ多くの人がざまあみろ!と思ったことでしょう。

 一橋大学の法学部で行われたオウム真理教についてのゼミでの討論ではこんな会話がなされました。
「何かさあ、自分の言葉でものを考えられないメディアの構造って、オウムの構造に似ているよな」
「メディアだけじゃなくて、社会全般じゃない?本能的には変わらないわよ」
「でも社会は人を殺してないぜ」
「いや、見方を変えれば同じだよ」
「私もそう思う。エイズに発症することを知ってて血友病の薬剤を認可していた厚生省と地下鉄にサリンを撒いたオウムの信者たちと、その意識構造に本質的な差異はないと思う」

<地下鉄サリン事件はなぜ起きたか?>
 1996年の3月から撮影を始めた後、1997年の4月にその撮影を終えるまで、オウムの人々と多くの時間、行動を共にした彼は、やっと地下鉄サリン事件の真相をおぼろげながらつかみかけていました。
「なぜ地下鉄サリン事件は起きたのか?ずっと抱き続けてきたこの疑問に対しての答えを、僕は今何となく思い描くことができる。混雑する地下鉄車輌の中で、幹部信者たちがビニール袋に傘の先端を突き刺した行為の背景を今はおぼろげに推察することができる。情愛を執着として捨象することを説く教義に従い、他者への情感と営みへの想像力を幹部信者たちは停止させた。その意識のメカニズムに組織に従属するメカニズムに組織に従属するメカニズムが交錯し、幾つかの偶然が最悪の形で重なり、その帰結として事件は起きた。しかし、情感の否定はオウムの教養にだけ突出した概念ではない。
 すべての宗教にこの素地はある。その意味では非常に宗教的な空白がこの事件の根幹にある。同時に『組織』への従属という、当に日本においては実に普遍的なメンテリティーも同量にある。
 そして、被害を受けた日本社会は、事件以降まるでオウムへの報復のように他者への想像力を停止させ、その帰結として生じた空白に憎悪を充満し続けている・・・・・」


 しかし、彼にとってオウムが理解できる存在になったのかというと、けっしてそうではありませんでした。
「・・・・・結論だ。オウムはわからない。『信じる』行為を『信じない』人間に理解などできない。この一線を超えるためには自身も『信じる』行為に埋没するしかない。しかし、その瞬間、僕は間違いなく『表現』を失うだろう。選択肢はない。オウムは既成の言語に頼る限り、どこまでいっても『わからない』存在なのだ。・・・・・」

 しかし、「わからない」ことと「わかろうとしない」ことにはあまりに大きな違いがあります。わからない奴らのことを理解しようとしても仕方ない。そう考えてしまった時から、社会は急激に変わり始めた。それが日本にとって、あの地下鉄サリン事件だったのかもしれません。
「思い出して欲しい。僕らは事件直後、もっと煩悶していたはずだ。『なぜ宗教組織がこんな事件を起こしたのか?』という根本的な命題に、的外れではあっても必死に葛藤をしていた時期が確かにあったはずだ。事件から六年が経過した現在、アレフと名前を変えたオウム側では今も葛藤は続いている。でも断言するが、もうひとつの重要な当事者であるはずの社会の側は、いっさいの煩悶を停止した。剥き出しの憎悪を燃料に他者の営みへの想像力を失い、全員が一律の反応を無自覚に繰り返し(半世紀以上前、僕らの父や祖父の世代は、こうしてひとつの方向にのみ思考を収れんさせることで、取り返しのつかない過ちを犯してしまったはずではなかったのか?)、「正と邪」や「善と悪」などの二元論ばかりが、少しずつ加速しながら世のマジョリティとなりつつある。」

「僕らはオウムの事件からまだ何も獲得できていない。剥き出しになっただけだ。だからこそオウムをこんな形で風化させてはいけない。・・・・・」
 この本の最後、社会学者の宮台真司という先生が、「私たちが自滅しないための戦略」として、下記のように書いています。
「思考停止した駒になるのをやめようと体験加工(ここでいう体験加工とは、体験したことに意味づけをすること)を遅らせるならば、今までのマスコミ組織や社会の中で『使えない奴』との烙印を押される。逆にいえば従来の物差しでは『使えない奴』こそが、存続に関わる危機から社会を救う可能性があるのだ。・・・・・」

<ドキュメンタリー番組の価値>
 最近テレビでは、決定的瞬間だけを集めた短縮版ドキュメンタリー番組が花盛りです。あれをドキュメンタリー番組と思っている人はさすがに少ないかもしれません。しかし、ドラマのように選ばれ加工され演出された映像の数々を見せられてしまった視聴者は、それを素直に受け入れ、疑ったり、悩んだりするという行為をしなくなるはずです。まさに思考停止の状態です。戦後の日本は、そんな傾向を少しずつ強めながら現在に至っています。
 自民党、民主党の政治家たちの愚かさを見て、人々は政治についての思考を停止してしまいました。
 アメリカを襲った同時多発テロ事件。それはイスラム過激派という我々とは異なる人間たちによる仕業であり、それを理解することは元々不可能なのだ。したがって、その存在を地球から消し去ること以外に対処する方法はない。そう思い込んでしまうこと、これまた地球規模の思考停止です。
 今や珍しくなくなりつつある無差別殺人事件。「その犯人たちはみな精神を病んだ理解不能な人間だから世の中から消し去るしかない」そう考える人も多くなっています。確かに現在の社会状況が彼らを生み出したが、誰もがそうなるわけではない。悪いのは結局は犯人なのだ。そう考えることで思考を停止し、そこから先を考えないことは本質的に何も変えられないことになります。
 そうでなくても「ゲームの世界」で、「思考停止」状態に日常的に慣らされている子供たち。彼らの未来を思うとこのままでは本当にまずいと思います。判断を急がせ、理由づけを求めない社会は今後いよいよそのスピードを増してゆくのでしょうか?
それとも再びそのスピードを遅くする何かが起きるのでしょうか?
 僕は21世紀中になんらかの分れ道が現れるような気がします。現在の世界同時不況は、その分れ道のひとつとなるかもしれません。もしかすると、それは人類にとって良い未来へと向かうきっかけになる可能性もあります。

 この本の最後に、森氏は楽観主義といわれるかもしれないが、と断ってこう書いています。
「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」
僕もそう思います。人間という存在と付き合えば付き合うほど、きっと誰もがそう思えるはずだと思います。

森達也の他の作品
「放送禁止歌」 かつて放送に注意すべき曲のリストが存在しました。そしてそれは自主規制というかたちで今も影響を残しています
「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」 映画「A2」の公開に合わせて発表されたノンフィクション作品とオウム以後の日本の姿


<追記>2012年4月
 作家、エッセイスト、橋本治のエッセイ集「このストレスな社会! ああでもなくこうでもなく 5」(2006年)から

 オウム真理教の事件があった後で、「もうこういうことは起こらないんでしょうか?」と、何人かの人に尋ねられた。私の答えは、「起こんないでしょう。だって、バブルで余分な金が集まったから、あんなとんでもないことになっちゃったんだもの」だった。余分な金があると、人はへんなところに平気で預けて、尋常ならざる金を集めてしまったものは、とんでもなくへんなことになる。オウム真理教事件の根底には、そういう「経済的状況」はあったんだろうなと私は思っているので、ライブドアによるニッポン放送の株買占めでも、そんなことをちょっと思った。

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