- エアロスミス Aerosmith -

<遅ればせながら>
 エアロ・スミス、現役ロック・アーティスト中、このサイトで取り上げていなかった最大の大物かもしれません。今までも何度か「エアロスミス、取り上げてください!」とリクエストされていましたが、やっと取り上げさせてもらいます。なぜ、エアロスミスを今まで取り上げていなかったのか?もちろんそれには理由があります。最大の理由は、なんといっても彼らがあまりに現役バリバリだからです。僕自身、エアロスミスが嫌いだったわけではなく「バック・イン・ザ・サドル」「ウォーク・ディス・ウェイ」などの時代はもちろん、「パンプ」による復活時代も大好きです。ただ、彼らの活躍時期と僕がロックにはまっていた時期とのズレが微妙にあるような気がします。
 彼らが「ドロー・ザ・ライン」を発表し、第一次黄金時代の頂点にたったのは1977年のこと。実は、この頃僕の耳は、当時盛り上がりをみせていた「パンク・ロック」の方へ向いていました。そして、彼らが第二次黄金時代を築き始めた「パーマネント・ヴァケーション」発表の1987年頃といえば、僕はすっかりワールドミュージックにはまっていました。(カリブ、ブラジル、アフリカ、琉球、アジアなどのポップス)実は、そうした傾向は僕だけではなく、世界的な傾向でもあったと思います。ですから、エアロスミスの活動期間はけっしてロック・ミュージシャンにとって恵まれた時代ではなかったはずです。
 そんな状況のせいもあり、彼らは常にロック界の頂点に立っていたわけではありません。それどころか一時は解散状態にあり、忘れられる寸前のところまでいっていました。1960年代から21世紀まで活躍を続けたバンドは意外に多く、60年代に勝ち得た栄光を生かすことで興行的に成り立つ場合も多いようです。しかし、逆に70年代以降に登場したバンドの多くは、生き残りに苦労しているように思えます。ロック黄金時代の伝説や同時代に生きた熱狂的なファンをつかむことができなかった最近のバンドにとって現代は、ロック・バンドが長く活躍するには非常に厳しい時代だと思われます。そう考えると、彼らが21世紀まで生き残ってきたのは奇跡的なのかもしれません。改めてエアロスミスに敬意を評しつつ、彼らの歴史を追ってみたいと思います。

<エアロスミス誕生>
 1970年、チェーン・リアクションというバンドでデビューしたもののバンドに不満を感じていたヴォーカリストのスティーブン・タイラーは、ザ・ジャムバンドというヘタクソだがパワーにあふれたバンドのライブを見て感動。ギターのジョー・ペリーとベースのトム・ハミルトンに声をかけバンドの結成をもちかけました。元々ドラムとヴォーカルを担当していたスティーブンでしたが、ヴォーカルに専念するため、友人のドラマー、ジョーイ・クレイマーを参加させ、もうひとりのギタリストにはやはり友人のレイモンド・タバーノが入りましたが、翌年にはバークリー音大を出ているブラッド・ウィットフィールドと代わり21世紀まで続くオリジナル・メンバーがそろいました。
 5人はアパートで共同生活をしながらバンド活動を開始。バンド名はジョーイが考えたもので「エアロ(空気、空)」と「スミス(職人)」を合わせた造語でした。「天才」ではなく「職人」というあたりが、実に彼ららしいと思います。
 バンドのライブ活動は、当初彼らが暮らすボストンにある高校や大学を中心に行われていましたが、1972年いよいよニューヨークに進出。ニューヨークでのライブは好評で、すぐにCBSとの契約も決まり、1973年「野獣生誕 Aerosmith」でデビューを飾りました。しかし、デヴュー・アルバムは売り上げも、業界での評価もいまひとつで、華々しいデビューとはなりませんでした。それでも、アルバムに収められていた曲「ドリーム・オン Dream On」へのリクエストが地元ボストンを中心に大量に寄せられて東部地域でのみでしたが、ヒットとなりました。
 その後も彼らはライブ活動を地道に続けながら少しずつファン層を広げ、ZZトップやブルー・オイスターカルトなどの前座として西海岸にまで足を伸ばし知名度を全国規模のものにして行きました。その効果もあり、1975年発表のアルバム「闇夜のヘヴィー・ロック Toys In The Attic」は全米11位まで上昇。さらに「ドリーム・オン」が今度こそ全国規模のヒットとなり、その状況で彼らの最高傑作と呼ばれるアルバム「ロックス Rocks」(1976年)が発表されました。時代の波に乗ったそのアルバムは全米3位の大ヒットとなり、いよいよ彼らは第一次黄金時代の頂点に達しました。「ロックス」で彼らはあえて倉庫を使ってガレージ・ロック的な音を出していましたが、それは当時ブームとなりつつあったパンクを意識した作りだったといえるでしょう。特にアルバム中の「バック・イン・ザ・サドル」は彼らにとってテーマ曲ともいえる存在になりました。

<絶頂期から崩壊の危機へ>
 続く1977年発売のアルバム「ドロウ・ザ・ライン Draw the Line」も大ヒットとなりましたが、これ以後バンド内でスティーブンとジョーが目指す音楽性の違いから対立するようになります。1979年のアルバム「ナイト・イン・ザ・ラッツ Night in the Rats」では、その対立が悪い方に出てしまいました。録音にまともに参加しなかったジョーは、このアルバム発表後に退団。バンドは事実上解散状態になってしまいました。
 1981年、ギタリストとしてジミー・クレスポとリュック・ダフェイを加えてアルバム「美獣乱舞 Rock In Hard Place」(1982年)を発表するも、評価も売り上げも今ひとつで、そのままバンドは活動休止となりました。
 実は、この当時、バンド・メンバーの全員が麻薬中毒で厚生施設に入るなどのトラブルにも見舞われており、あらゆる面でバンド消滅の危機だったといえます。ここで一人もメンバーが欠けることなくオリジナル・メンバーでの再結成ができたということ自体が奇跡的だったのかもしれません。

<リスペクトとサンプリングによる復活>
 幸いなことにこの頃、彼らに対し若手のハードロック・バンドからのリスペクトの声が高まります。ラットやモトリー・クルーなどがエアロスミスの影響を受けていたことで、エアロスミス再評価のムードが出てきました。そこへ未発表ライブ集となるアルバム「ライブ・クラシックス」「ライブ・クラシックスU」が発売され、さらにはRUN−DMCがヒップ・ホップの歴史を変えた大ヒット曲「Walk This Way」を出したことで、エアロスミスは不死鳥のように蘇ることになりました。
 ただし、ここまでは彼らのまわりの状況の変化にすぎなかったわけですから、ここで再びオリジナル・メンバーが力を発揮できるかどうかで、彼らの未来は大きく変わっていたことでしょう。勢いに乗る彼らは、ここで新たな選択をしました。それは、1987年発表のアルバム「パーマネント・ヴァケイション Permanent Vacation」でブルース・フェアバーンをプロデューサーに採用したことです。
 ブルース・フェアバーンはボン・ジョビィの出世作となった大ヒットアルバム「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」のプロデューサーであり、AC/DC、ヴァン・ヘイレン、キッスなどハードロック系のアルバムをヒットさせる職人的プロデューサーとして当時最も活躍していたプロデューサーです。麻薬や内紛を乗り越えた彼らの次なる目標は、アメリカNo.1のロック・バンドになることになったのかもしれません。心機一転した彼らの復活アルバムからは「Dude(looks like a lady)」、「ラグドール」、「Angel」が次にヒット。アルバムも世界的な大ヒットとなります。ブルース・フェアバーンのプロデュースのもと、次なるアルバム「Pump」(1989年)も大ヒットし、シングル「Janie's Got A Gun」、「What It Takes」、「Love In an Elevator」などの代表曲が生まれました。次なるアルバム「Get A Grip」は16曲を録音した時点で行われたミーティングで全曲ボツにすることが決定。改めて録り直すというこだわりをみせ、それが彼らにとって初の全米アルバム・チャートNo.1というという結果をもたらすことになりました。ついに彼らは名実ともに全米ロック・バンドの頂点に立ったわけです。
 その後彼らが発表したアルバム「Nine LIves」(1997年)もまた全米No.1を獲得。「ジェイデッド Jaded」などのヒットを生んだアルバム「Just Push Play」(2001年)さらに彼らは2004年にはもともと彼らがやりたかった音楽ともいえるブルースのカバー集「Honkin' On Bobo」を発表しました。
 元々はヤードバーズ&ジェフ・ベックやローリング・ストーンズに憧れた彼らにとって、ブルースのカバー集を出せたことは、もしかすると全米ナンバー1を獲得したことよりもうれしい事件だったかもしれません。(エリック・クラプトンも同じようにしてブルース・アルバム「From the Cradle」(1994年)をご褒美として出しています)

<ちなみに>
 1998年全米で4週連続No.1となった映画「アルマゲドン」の主題歌「I Don't Want to Miss a Thing」。この映画の主演女優のひとりリブ・タイラーは、スティーブン・タイラーの実の娘です。(「指輪物語」のアルウェンでもあります)

<次なる夢は>
 2001年には「ロックの殿堂」入りを果たし、それ以外にも「ビルボード・ミュージック・アワード」、「アメリカン・ミュージック・アワード」「MTVビデオ・アワード」「グラミー賞」など、あらゆる音楽賞を獲得した彼らにとって次なる夢はなんでしょうか?(もうひとつ、彼らにとっての長年の夢のひとつだった地元ボストン・レッドソックスのワールド・シリーズ制覇も実現しました)
 たぶん、その一つは喉頭がんと闘っているトム・ハミルトンの復帰でしょう。(2007年時点)
 こうしてバンドの歴史をざっとたどってみると、彼らには山あり谷ありのドラマが他にもまだまだあったのだろうと推測できます。1970年から40年に及ぶエアロスミスの歴史において、革新性を追及するロック的視点からすると、それほど目新しいものは生み出されていないかもしれません。特に後期の大ブレイクは営業活動としてのロックを優先させた結果であるということもできるでしょう。
 しかし、40年にわたり同じメンバーでこれだけの活躍をし続けているバンドは、もうローリング・ストーンズぐらいしかないのも確かです。そう考えると、彼らは40年かけてついに目標としていたローリング・ストーンズに追いついたともいえます。
 「継続は力なり」とはいっても、何かを創造するアーティスト活動においての「継続」は「革新」とイコールです。日々の革新なくして継続はありえないのです。その意味で、数年の間に才能を爆発させ若くしてこの世を去ったアーティストたちが伝説として高く評価されるのに比べ、彼らの評価は低すぎるかもしれません。しかし、評価はあくまで他人の考えにすぎず、問題は本人たちが思い残すことなく生きられたかどうか、それだけのような気がします。そして、その答えはスティーブン・タイラーのあの見事な肉体が語っているように思います。
「俺たちゃ、まだまだ飛び続けるぜ!」

<締めのお言葉>
「なぜ、人の心は夢を追い続けろといわないのですか?」
「それが心を最も苦しませることだからだ。そして心は苦しみたくないのだ」

パウロ・コエーリョ著「アルケミスト」より

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