「紅いコーリャン 紅高梁」 1987年

- チャン・イーモウ 張芸謀 、モー・イェン 莫言 -

<祝ノーベル文学賞受賞!>(2012年10月追記)
 この映画の原作者、莫言氏が2012年のノーベル文学賞を受賞しました。彼の受賞はノーベル賞の選考委員が彼の人権問題に対する執筆活動による貢献を高く評価したためと言われています。
 ただし、この作品のストーリーはけっして反政府的なものではありません。(反日的ではあります)しかし、これまで彼が書いてきた作品では、政府による一人っ子政策に対する批判的な部分もあり、それ以上にこの映画にも出てくる残虐な殺人描写や性の描写が政府により過激すぎるとい判断され発禁処分にされたこともあったようです。それに対し、彼は亡命して中国去る方法もありましたが、それをせず国内で作家活動を続けました。「言うなかれ」という意味の「莫言」というペンネームはそんな中で彼があえて名乗ったものです。
 またも村上春樹の受賞はありませんでしたが、莫言の受賞は中国の自由化を後押しするものとも考えられるだけによかったのでしょう。この映画の監督チャン・イーモウも同じようにかつては反政府的な存在として政府ににらまれていただけに、二人の世界での高い評価はそのまま中国の変化を象徴するものといえます。受賞おめでとうございます!
 
<中国を代表する監督>
 この映画の監督はチャン・イーモウ。今や中国だけでなく世界のその名を知られる監督です。彼の作品は「菊豆」、「紅夢」、「秋菊の物語」、「活きる」、「あの子を探して」、「初恋のきた道」、「HERO」、「LOVERS」、「単騎、千里を走る」など、どの作品も傑作、話題作です。そして、2008年には北京オリンピック開会式、閉会式の演出を担当。(開会式は本当に見ごたえがありました!)今やチャン・イーモウは中国を代表するアーティスト、映画監督として、中国政府と海外どちらからも認められる存在となりました。文化大革命当時の中国を思えばそれは奇跡的なことです。コメディーからコスチューム・プレイ、カンフー・アクション、恋愛ドラマ、伝記ファンタジー、そして日本のヒーロー、高倉健をも演出するその多彩さもまた彼の魅力です。あまりの多彩さのため、彼の代表作を選ぶのはなかなか難しいのではないでしょうか。しかし、多くの映画監督がそうであるように優れた映画監督はデビュー作に、その後彼が撮ることになる作品のエッセンスをほとんど注ぎ込んでいるものです。それは監督としてのデビュー作が成功するかどうかで、2作目が撮れるかどうか決まるかもしれないからです。デビュー作には、その監督が映画にかける熱い思いがたっぷりと注がれているのです。例えば、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」、クエンティン・タランティーノの「レザボア・ドッグス」、シドニー・ルメットの「十二人の怒れる男」、フランソワ・トリュフォーの「大人は判ってくれない」、リドリー・スコットの「デュエリスト」、デヴィッド・リンチの「イレイザー・ヘッド」など、どれもその監督の個性を見事に表現した作品ばかりです。そして、この映画「紅いコーリャン」もまた、中国を代表する監督チャン・イーモウのもっとも彼らしい部分を映し出した作品だと思うのです。

<チャン・イーモウ>
 チャン・イーモウ(張芸謀)は、1951年11月14日中国の西安に生まれています。1960年代後半に青春時代を迎えた彼はチェン・カイコー(陳凱歌)、ティエン・チュクチュワン(田壮壮)らと同じ第五世代と呼ばれる監督たちの一人です。彼らは文化大革命によって否定された学校での教育の代わりに農村での作業や工場での労働に駆り出され、田舎の村や都会の工場での厳しい生活に耐える青春時代を送っていました。しかし、都会生まれの彼にとって、そうした農村での生活は、後に大きな財産となり、「紅いコーリャン」や「秋菊の物語」など農村を舞台にした素晴らしい作品を生み出すきっかけとなります。
 1977年、文化大革命が終ると時代は再び芸術を必要とするようになります。そのため、1978年には廃校になりかけていた北京電影学院が再び学生の募集を開始。チャン・イーモウは撮影学科に入学し、卒業後は広西映画製作所にカメラマンとして就職することになりました。その後、中央から離れ自由な発想の若手映画人を育てていた西安撮影所に移動。同世代の監督としていち早く注目を浴びることになったチェン・カイコー監督の「黄色い大地」(1984年)では、その美しい映像が世界的に評価されることになりました。さらにその撮影所の所長であり、映画監督の呉天明のもとでカメラマン拳俳優を勤め、東京国際映画祭のグランプリ受賞作「古井戸」(1986年)を完成させ、いよいよ彼の名は世界中に知られることとなりました。当然、彼のデビュー作「紅いコーリャン」は公開前からかなり期待されていたことになりますが、その出来はそうした期待をもはるかに超えるものだったといえるでしょう。1986年の「古井戸」による東京国際映画祭グランプリと1987年の「紅いコーリャン」によるベルリン映画祭グランプリ受賞は、世界中に中国映画の時代が訪れることをいち早く告げることになりました。

<「紅いコーリャン」の魅力>
 「紅いコーリャン」最大の魅力は、カメラマン出身のチャン・イーモウならではの強烈かつ美しい映像にあります。しかし、映像美だけなら彼の新しい作品「HERO」や「LOVERS」の方がさらにその輝きを増しているかもしれません。ところが、「紅いコーリャン」には「HERO」などの彼の新しい作品では失われてしまったもうひとつの魅力がありました。それは主人公のユイが発散する強烈な野生のパワーです。スケベで土臭くてユーモアにあふれ凄みのある怖さに満ちたユイ(チャン・ウェン)の生き様は、彼の妻チュウアル(若き日のコン・リー!)をも強い女に変え後半の日本軍との戦いをむかえることになります。
 そして、そんな野性味にあふれた主人公の怒りを象徴する「紅いコーリャン」畑の強烈な紅い色。これこそ紅い国、中国の大衆パワーを映像化したものといえました。そのどす黒い紅に世界は衝撃を受けたのです。
 この映画について、チャン・イーモウはこう語っています。
「この小説で撮りたいと思ったのは、ここには一組の男と女の青春のエネルギーにあふれた世界があったからだ。今の中国人は疲れ切って抑圧されて縮まっている。激しい感情の爆発や何かに欠けている」
 そして、こうも言っています。
「映画はあまり知的になりすぎてはいけない。私は見て楽しめる映画が好きだ。自然に見れて、あとから深い意味を考えてみるような。『紅いコーリャン』を見たあとに人々に幸福な感じをもってもらえればと思う。登場人物たちの人生はヴァイタリティーとパッションに満ちている。彼らは個人ということの非常に強い感覚を持っているのです。大いなる混沌の時代に、彼らは生きたいように生きる大いなる自由をかちとったのです」
「紅いコーリャン」パンフレットより

<バラエティーに富んだ作風>
 「紅いコーリャン」のパワフルな神話世界に驚かされた観客はその後、彼の作風がそれだけではないことに再び驚かされることになります。
 「紅いコーリャン」とは打って変わり、コン・リー演じる金で買われた妻が、その家でこき使われている夫の甥と恋に落ちてしまうというシリアスな不倫ドラマ「菊豆(チュイトウ)」(1990年)。この作品はアカデミー外国語映画賞にノミネートされました。
 農家の主婦(こちらもコン・リー)が夫を蹴って怪我をさせた村長を訴えたことから始まった人情喜劇「秋菊の物語」(1992年)は、中国の民主化の流れを楽しく皮肉たっぷりに描いた作品でした。この映画はベネチア映画祭でグランプリを受賞しています。
 「あの子を探して」(1999年)は、臨時の代用教員として雇われた13歳の女の子が村を出て行った男の子を探して都会を歩き回るというロード・ムービーでした。すべての登場人物が素人で、オール・ロケーションで行われたというこの作品はまるでドキュメンタリー作品のようなリアルで見る者を感動させてくれます。この作品もまたベルリン映画祭でグランプリを受賞しています。
 さらに同じ1999年に発表された作品「初恋のきた道」は、今や世界的大スターとなったチャン・ツィイーの出世作。田舎の村にやって来た青年教師ルオ(スン・ホンレイ)と生徒の少女チャオ(チャン・ツィイー)の恋物語ですが、二人が巻き込まれることになる文化大革命の嵐をリアルに描き出すことで、この映画は単なる恋愛ものを越える作品となりました。
 「HERO」(2000年)は、いよいよ超大作として海外の市場を意識した作品となります。すでにアメリカでもブレイクしていたジェット・リーにトニー・レオン、チャン・ツィイーという豪華な顔ぶれだけでも十分に世界的な作品でしたが、作品全体のスケールもまた歴史超大作と呼ぶに相応しいものでした。
 秦の始皇帝暗殺事件を黒澤明の名作「羅生門」で有名な「複数の人物からの視点で物語を語る」方式で描き、カンフー・アクションと謎解きサスペンス、それに歴史ものの要素を盛り込んで娯楽大作に仕上げたこの作品は政治的な寓話のようにも見えます。(正直、その結末は僕には?でしたが・・・・・)
 その点「LOVERS」(2004年)は権力と政治という男たちの世界に盲目の剣士であり女神ともいえる女性(チャン・ツィイー)を加えることで、タイトルどうり「英雄」から「恋人」たちへ、「愛」というより大きなテーマを盛り込んだ作品となりました。
 どうやら彼の作品は夫婦の不倫から田舎の学校教師と生徒の恋物語へ、さらに国の命運を左右する暗殺事件へと、より神話的な寓話の世界へとどんどんスケールが大きくなっているようです。しかし、よく考えてみると、夫婦の不倫から神話的寓話へ、これはかつて彼が撮った「紅いコーリャン」ですでに描かれていたテーマです。チャン・イーモウのデビュー作「紅いコーリャン」にはやはり彼の描きたかったテーマがすべてあらかじめ盛り込まれていたのだと思います。
 あまりに詰め込みすぎて爆発してしまいそうなテーマの数々は火のついた酒として、真っ赤なコーリャン畑として、神の世界から抜け出したかのようなユイの肉体として、見事な力強さで映像表現され見る者を圧倒したのでした。映像のもつ力をこれほど感じさせてくれる映画はそうはありません。チャン・イーモウの若気の至りが発した強烈なパワーを是非感じてみて下さい!

「紅いコーリャン 紅高梁」 1987年公開
(監)チャン・イーモウ
(原)モー・イェン 莫言(2012年ノーベル文学賞受賞!
(脚)チェン・チェンユイ、チュー・ウェイ、モー・イェン
(撮)クー・チャンウェイ
(音)ツァオ・ツィピン
(出)チャン・ウェン、コン・リー、トン・ルーチュン、リウ・チー

<あらすじ>
 チュウアル(コン・リー)は、金持ちの造り酒屋に嫁入りするため輿に乗ってコーリャンの野原を運ばれていました。しかし、彼女の夫となる男性ははるかに年上でハンセン氏病の患者でした。三日後、里帰りの途中、彼女は酒屋の使用人のひとりユイ(チャン・ウェン)に襲われます。そのうえ、夫が何者かによって殺されてしまいます。彼女は使用人とともに造り酒屋を続けますが、ある日盗賊に襲われて誘拐されてしまいます。しかし、番頭のラオハンが身代金を用意して、なんとか彼女は救い出されます。ところが、ユイが盗賊たちを懲らしめに行って戻ってみると、チュウアルと使用人たちは酒を飲んですっかり盛り上がっていました。腹を立てた彼は新酒を入れたカメにおしっこをしてしまいます。ところが、後にその酒が銘酒として大人気となり、彼女の店は大繁盛となります。
 チュウアルは、ユイとの間にできた子を出産。ところが幸福な生活は長くは続きませんでした。中国を植民地化していた日本軍が村にやって来たのです。日本軍によって村人たちはこき使われ、共産党のゲリラになっていたラオハンが残虐に皮をはがされて殺されてしまいます。ついにチュウアルとユイは日本軍と闘う決意を固めます。彼らの武器は火がつくほどの強い酒でした。こうして、日本軍との壮絶な戦闘が始まるのでした。

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