- 矢野顕子 -

<「矢野顕子効果」について>
 矢野顕子というアーティストに関して、我々は人類を3種類に分類することができます。彼女の歌が好きな人、彼女の歌が嫌いな人、そして、悲しいことに、彼女の歌を聴いたことがないという人、この3種です。そのうち、彼女の歌が好きな人は、彼女の歌がめったにヒット・チャートに登場しないことを、いつも不思議に感じています。もちろん、だからといって、彼女が紅白歌合戦に出ることを望んでいるわけではないでしょう。
 彼女の歌を初めて聴く人にとっては、彼女の歌が好きになることにより、世の中の見方、自らの生き方、そのものが変わってしまう場合もあるかもしれません。なぜなら、彼女の歌は、つまらない世の中の常識とはかけ離れた世界の音楽であり、それを認めることは、未知なる自分、新たな自分の発見につながるからです。
 当然、彼女の歌が嫌いな人もいるはずです。「何あれ、変な歌い方!」と言う人もいるでしょう。でも、それはそれで良いのです、歌とは生理的なものでもあるのですから。その人とは、まだ出会いの時が来ていないということなのです。(矢野顕子のファンは皆おおらかなのです)

<超自然体の天才>
 彼女ほど、「天才」という言葉が似合う人も少ないでしょう。彼女の素敵な旦那様、坂本龍一氏も、天才の部類に入るのでしょうが、僕にとって、彼女の存在はそれ以上に大きいものです。そして、それは、彼女が女性であり、母親であることにも大きな関わりがあるかもしれません。彼女の天賦の才能には、「音楽的才能」だけではなく、「女性ならではの才能」「母親ならではの才能」それに「多くの大人が失った子供ならではの才能」も含まれています。その意味では、彼女は、誰もが持っているはずの数多くの才能が無理なくひとつになった奇跡のような存在なのです。彼女のことを、僕は「超自然体の天才」と呼びたいと思います。

<超自然体だから作れる曲>
 「ラーメン食べたい」、こんな凄い歌をなぜ考えつくのか?ラーメンが大好きなうちの子供なら、思いつく可能性はあるが、いかんせん彼は父に似て、音楽的才能は?である。彼女お得意の日本の童謡をアレンジした曲の数々だって、超自然的発想の成せる技でしょう。
 ラッコの歌あり("Me And My Sea Otter"アルバム"Elephant Hotel"収録)、ひよこの歌あり(「夢のヒヨコ」同アルバム収録)、かと思えばあの天才デヴィッド・ボウイのことを歌った歌もあります。("David"アルバム「峠の我が家」収録、これは、大島渚の傑作「戦場のメリー・クリスマス」撮影中に、親しくなった時に作られた曲)(注)と僕は思っていたのですが、このデヴィッドはデヴィッド・シルビアンのことだという説もあります。いやあ、実はクリスチャンの矢野さんは旧約聖書にある賢人王ダビデのことを歌っているというのが本当だとも言われています。へエー!どなたか確かなことがわかる方がいらっしゃればご一報下さい!よろしくお願いいたします。
 それに、「サイモン・スミスと踊る熊」(ランディー・ニューマン作)「ごきげんワニさん」「BAKABON」(もちろん「天才バカボン」のこと)なんてのもあります。
 好きな物、好きな動物、好きな人、愛する人について、素直に歌を作り、歌うこと、これこそ、歌の原点のはずですが、それを実行しているアーティストはどれだけいるでしょうか?また、それを、あれだけ素晴らしい曲に仕上げられる才能を持っているアーティストは、どれだけいるでしょうか?

<超自然体だから歌える歌>
 そして、彼女のもうひとつの特技、誰の歌を歌っても、それをすべて自分の歌にしてしまうセンスもまた、他のアーティストにはマネができないものです。例えば、彼女が歌う佐野元春「サムデイ」は、原曲を知っていても、そのメロディーを思い出せないでしょう。終いには、彼女の曲がオリジナルなのではないか?そう思わせるほど、生き生きとした曲に生まれ変わってしまっているのです。(そんな彼女の魅力満載なのが、アルバム「スーパー・フォーク・ソング」です)

<「流れる水」のように>
 さらに、僕は、彼女の存在を「流れる水」に例えてみたいと思います。雨として天からやって来て、休むことなく流れ続ける水、あらゆる物を溶かし込み自らの中に取り込む貪欲さ、どんな自然環境にも適応し、「霧」「雲」「氷」と姿は変えるが、けっして水であることはやめようとしない、その頑固さ、どんな物にもじゃまされず、下へ下へとあらゆる道筋をたどって行く自由さと予測の不可能さ、そして、その「流れる水」こそ、生命の母であり、地球の美しさの源である「海」そのものであるという事実。
 水素原子二つと酸素原子ひとつ、この三つが組み合わさっただけのシンプルだが強固な構造物「水」、その流れる美しい姿が「超自然体の天才」矢野顕子の魅力と共通するのは、どちらも「生命の力」を感じさせる美しさに満ちあふれているからに違いないのです。

<ビューティフル・ソングスに乾杯>
 2000年「ビューティフル・ビューティフル・ソングス」というコンサートが行われました。宮沢和史奥田民生大貫妙子鈴木慶一、そして矢野顕子が、お互いの曲を歌い合い、かつ共通の歌詞(糸井重里作)」にそれぞれが違う曲をつけて歌うという、実に魅力的な企画でした。そんな豪華なメンバーの中でも、やはり矢野顕子の魅力は光っていました。他のメンバーが、ちょっぴり緊張気味に歌っているのに対し、彼女が、いつもと変わずリラックスしているように見えたのは、彼女にとって、その企画がいつも自分がやっていることと、変わりなかったからに違いないでしょう。いつだって、彼女は自分の好きな「ビューティフル・ソングス」を歌っているだけなですから。
(注)この「ビューティフル・ソングス」はCD化されています。

<締めのお言葉>
「すべての陸上動物は、その配偶子(精子と卵子)を水分に富んだ環境、言うならば”海の腕の中”で結合させなければならない。その上、どの動物の体内でも、配偶子の機構は、干潮の時の潮だまりのように聖域の中で保護されている」
ラザフォード・プラット「水」より
「海がなかったとしたら、私たちの世界には、想像もつかないほど、厳しく極端な温度がやってくるだろう。なぜなら、地球の4分の3を包む水は、驚くべき性質を持った物質で、優れた熱の吸収体であると同時に、放射体でもあるからだ」 
レイチェル・カーソン「我らをめぐる海」より
 

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