- アル・グリーン Al Green -

<黒人音楽の時代を築いた独立レーベル>
 アメリカの黒人音楽、ジャズやソウル、R&Bを語るとき、そのアーティストがどのレーベルに所属していたのかということは、非常に大きな意味を持ちます。
 ジャズにおける「ブルー・ノート」は、あまりにも有名ですが、ソウル、R&B全盛期50年代から70年代を引っ張ったのも、それぞれ独自のカラーを持つ地域色豊かな独立レーベルたちでした。
ウェストコーストでは、スペシャリティー。イーストコーストのアトランティックは巨大化しながらロック系のレーベルへと変身しました。シカゴのチェスヴィージェイはともに老舗。メンフィスのサンスタックスブッカー・T&MG’sのページ参照)、ハイ、ジャクソンのマラコは、サザン・ソウルの一時代を築いきました。デトロイトのモータウンは言うまでもなく、初の黒人による黒人音楽の企業(マーサ&ザ・ヴァンデラスのページ参照)、フィラデルフィアのフィラデルフィア・インターナショナルは、ご存じフィーリー・サウンドの時代を築きました。これらは、メジャーに近いところまで成長した企業ですが、それぞれが一時代を築くことでソウル、R&Bの黄金時代が生まれたと言えるでしょう。

<キリスト教とアーティストの関わり>
 もうひとつ重要なポイントとして、それぞれのアーティストとキリスト教との関わりの深さをあげることができます。これは、日本人の感覚とかけ離れているため、あまり問題にされませんが、実は非常に重要な問題を含んでいます。例えば、
 アレサ・フランクリンの父親、C・L・フランクリンは、全米一有名な説教師で、彼の説教のアルバムは、常にベストセラーになっていました。彼女はその影響で、優れたヴォーカリストになりましたが、偉大な父の存在を乗り越えることは、かなりの時間を必要としました。
 70年代を代表するヴォーカリスト、マービン・ゲイは、なんと牧師である父親に射殺されるという悲劇的な死を遂げています。
 同じく70年代に悲劇的な自殺を遂げたダニー・ハサウェイも、ミュージシャンになる前は、牧師になることを志す若者でした。
 もちろんソウルやR&Bのヴォーカリストで、教会の聖歌隊に所属していなかったアーティストは、ほとんどいないと言ってよいでしょう。
 そして、アーティストたちの中には、ある時期を過ぎるとソウルからゴスペルへと転向し、俗から聖への人生転換を図るものも多いのです。
 かつても今も、アメリカの黒人たちにとって、キリスト教の存在は、切っても切れない関係にあるのです。(今でも、その影響は我々日本人が思っている以上であることは間違いないでしょう)

<アル・グリーン>
 70年代を代表するヴォーカリストのひとり、ハイ・レーベルの大スター、アル・グリーンについて、語ることは上記二つのポイントを説明するのに、ピッタリかもしれません。彼の人生は、ソウル・アーティストとしての典型的な生き方の一例であり、ソウルの歴史の流れの典型でもあるからです。

<アル・グリーンとウィリー・ミッチェル>
 アル・グリーンがソロ・デビューを果たしたのは、1967年のこと「ホット・ライン」というマイナー・レーベルからのスタートでした。しかし、その会社も一年で活動停止。そんな彼に、メンフィスの新興レーベル、ハイの辣腕プロデューサー、ウィリー・ミッチェルが目を付け、さっそく契約。北部(デトロイト近郊)出身のセンスと力強いヴォーカルを生かし少しずつ注目を集めて行きます。1961年からこのレーベルを育ててきたウィリー・ミッチェルは、アル・グリーンの歌唱力を認めつつも、あえてソフトにセクシーに歌うよう彼に奨め、それが彼独特のセクシーなファルセット・ヴォイスを生むことになりました。

<ハイ・レーベルの黄金時代>
 折から1970年代初め、ハイ・サウンドは、いよいよ完成の域に達しようとしていました。
 ハイ・リズムと呼ばれるリズム・セクションは、ホッジス3兄弟によるピアノ・キーボードとギター、ベース、それにハワード・グライムスのドラムスからなり、ゆったりとしながらも、切れのある独自のリズムを生みだしていました。さらに、そこにメンフィス・ストリングスの優雅な演出がなされ、パワフルなコーラスが華やかさを添える。すべての条件は整っていました。
 そして、ついにハイ・レコードは、記念碑的な大ヒットを飛ばします。それが、アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」(1971年)でした。ここから、ハイ・レコードの黄金時代が始まり、彼以外にもアン・ピープルズシル・ジョンソンオーティス・クレイ、そして大御所O.V.ライトなどの活躍が続き、モータウンやスタックスの勢いが失われつつあった70年代は、ハイ・サウンドとフィーリー・サウンドがソウルの新興勢力として大活躍をする時代となりました。

<マイナーレーベルの宿命>
 どんなに活躍し巨大になっても、マイナーレーベルには、いつかその限界がやって来ます。あのモータウンでさえ、最後は大手に身売りせざるを得なくなったのです。そしてハイ・レーベルもその例外ではありませんでした。1979年にウィリー・ミッチェルの移籍により、ハイはサウンドの柱を失い、かつ空前のディスコ・ブームに足をすくわれて一気に、その生涯を終えてしまいました。

<ソウルからゴスペルへ>
 アル・グリーンの活躍もまたハイ・レーベルとともにありましたが、彼はいち早く別の道を選びました。1978年のソロ・アルバム「トゥルースン・タイム」を最後に、彼はソウル・ミュージックの世界から足を洗い、ゴスペルの世界へと転向したのです。これは、それまでも多くのアーティストたちが選んできた道で、浮き沈みの激しいポピュラー音楽の世界に比べ、安定した収入、定住できる生活環境を得られることは、ショービズ界を生き延びた人間にとっては、かなり魅力的だったのです。もちろん、彼が、そんな打算で神の道を選んだとは思いません。彼は「神の啓示」があったからだと言っていました。
 しかし、2003年彼は盟友ウィリー・ミッチェルとコンビを組み、再びポップス界に復活しました。

<「テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー」
 そういえば、トーキング・ヘッズによるリバイバル・ヒットで再び脚光を浴びたアル・グリーンの「テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー」は、「私を川に沈め、清めて下さい」という意味でした。もちろん、それはキリスト教における川での洗礼のことを意味しています。彼は、ゴスペル転向前から、神をテーマにした曲を歌っていたのです。

<黒人音楽における「聖と俗」>
 70年代ソウル界最大のセックス・シンボルとも言われた歌手のゴスペル、牧師への転身。これもまた、実にアメリカ的なお話かもしれません。しかし、アメリカの黒人文化におけるこのような「聖と俗」の問題は、ブルースやジャズの世界でも、常に重要な問題であり、この微妙なバランスをとることで、セクシーでありながら、心を打つ魂の歌「ソウル」というスタイルが生まれたと言えるのかもしれないのです。このことを知っていると、ソウルだけでなく、現代の黒人音楽、ラップやヒップ・ホップも、ちょっと違って聞こえてくると思うのですが・・・。

<締めのお言葉>
「その頃、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて”霊”が鳩のようにご自分に降ってくるのを、ご覧になった。すると、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」という声が、天から聞こえた」 新約聖書マルコによる福音書より

<参考資料>
レコード・コレクターズ1989年4月号「アル・グリーン特集」(ミュージック・マガジン社)

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