常勝軍団「赤い悪魔」の偉大なる総大将


- アレックス・ファーガソン Alex Ferguson -

- マンチェスター・ユナイテッド Manchester United Football Club -
<偉大なるファーギー>
 サッカーの監督は大きく2つのタイプに分かれます。名選手として活躍し、そこから監督になるタイプ。選手として無名で、指導者になってから成功したタイプ。もちろんどのスポーツ界でも名選手が名監督になれるとは限らないことは常識。
 データを重視したり、ファンサービスをしたり、チーム編成にも関わる最近のサッカー界では、天才的プレイヤーであることは、ほとんど監督業には役立ちません。それよりも、チームのことを知りつくし、すべてのマネージメントに関われる経営者的な才能こそがプロサッカーの監督に必要な要素です。通訳出身のモウリーニョ監督は、まさにその典型例です。
 そして、もうひとりモウリーニョ以上の実績を残した「ファーギー」ことアレックス・ファーガソン Alex Ferguson もまた指導者としてその才能を発揮した名将です。彼の実績はとにかく凄い!
 スコットランド・リーグでの活躍ははぶいて、マンチェスター・ユナイテッドでの実績だけをあげると・・・
プレミアリーグでの優勝は13回(1992~1993年シーズンから2012~2013年シーズンまで)
FAカップ優勝5回
プレミアリーグ・カップ優勝4回
UEFAチャンピオン・リーグ優勝2回
UEFAクラブ・ウィナーズ・カップ優勝1回
UEFAスーパーカップ優勝1回
トヨタカップ(クラブ・ワールドカップ)優勝1回
FIFAクラブ・ワールドカップ優勝1回
1998年~1999年にはプレミアリーグ、FAカップ、チャンピオンズ・リーグの3冠を達成しています。
 1990年代から2000年代にかけて、マンチェスター・ユナイテッドは文句なしにヨーロッパ最強のチームだったと言えます。これだけの成績を残した監督ですが、その生き様が波乱万丈で魅力的かというと実はそうでもありません。サッカー場を出た彼は、パブの経営者で、世界一になった競走馬の馬主で、3人の娘の父親であることを書けばそれで十分かもしれません。
 逆に言うと、彼の人生はすべてがサッカー、それもマンチェスター・ユナイテッドのために捧げられてきたということでもあります。ここまで、人生の総てをサッカーのために捧げる監督は残念ながらまだ日本にはいないかもしれません。彼がチームのために関わっている仕事の幅の広さに驚かされました。

<生い立ち>
 アレックス・ファーガソン Alex Ferguson は、1941年12月31日スコットランド、グラスゴーの生まれ。父親は造船所で働く労働者でけっして裕福な家庭ではありませんでした。サッカーが大好きだった彼は、16歳の時、クイーンズパークというチームに入り、スコットランド・リーグにデビュー。しかし、そのチームはアマチュアで無給だったため、彼は父親と同じように造船所で働いていました。ただ、この頃から彼のリーダーシップは抜きんでていたようで、若くして労働組合の議長に選ばれています。サッカーと造船所、そして組合活動を掛け持ちしながらも、彼は23歳の時、ダンファームというチームと契約し、プロ・サッカー選手の仲間入りを果たします。その後は、スコットランド・リーグの名門レンジャーズでもプレーするレベルにまで成長しますが、代表に召集されるレベルには達しなかったようです。
 彼は引退後すぐに指導者の道を歩み始めます。やはり彼には指導者が向いていたのかもしれません。32歳でイースト・スターリングシャーで監督に就任。その後、セントミレンをへてアバディーンの監督となり、長年レンジャーズとセルティックの2強時代が続いていたスコットランド・リーグで見事に優勝しました。さらには、1982~1983年シーズンの欧州カップ・ウィナーズ・カップでレアル・マドリードを破って優勝するという快挙を成し遂げました。
 1986年にはスコットランド代表チームの監督(代行)となり、レンジャーズ、アーセナル、トッテナムなどから監督就任のオファーが来るまでになりました。そしてそんな数多いオファーの中から彼が選んだのが、当時プレミアリーグで長い不振に苦しんでいたマンチェスター・ユナイテッドでした。

<マンチェスター・ユナイテッドにて>
 1986年、彼はマンチェスター・ユナイテッド第19代目の監督に就任しました。しかし、プレミアリーグの壁は厚く、就任後、2年間成績は低迷し続けました。それでも彼への経営陣の信頼は厚く、その間も彼はチーム強化のための改革を続けることができました。そして、3年目のシーズンに入り、リーグ戦はダメだったものの、FAカップで久々の優勝。翌年にはクラブ・ワールド・カップを制覇します。
 プレミア・リーグ誕生の1992~1993年シーズンでは、ついにチームにとって26年ぶりとなるリーグ優勝を果たしました。ここからファーガソンとマンUの黄金時代が続き、2012~2013年シーズンで通算13回目のリーグ優勝を果たし、他チームへ移籍することなく勇退をしています。

<マンチェスター・ユナイテッド>
 マンチェスター・ユナイテッド Manchester United Football Club は、イングランド北西部の工業都市マンチェスターで1878年に設立されたチームです。通称は「赤い悪魔」。もともとはニュートン・ヒース・ランカシャー&ヨークシャーレイルウィズFCという鉄道員のクラブチームとして発足しています。正式にマンチェスター・ユナイテッドというチーム名となったのは、1902年のことです。今でこそ、名門と呼ばれるチームですが、20世紀前半はまったく実績のない無名のチームでした。その流れが変ったのは、1950年代に入ってからでした。
 マット・バズビーという監督がチーム改革に乗り出し、ユースからの底上げを実行し、チーム成績を一気に上げることに成功。1955~1956年から国内リーグ2連覇を果たすまでのチームにのし上がります。1955年に始まったヨーロッパ・チャンピオンズ・カップでも常連の出場チームとなり、優勝に迫り始めます。ところが、ここでチームを悲劇が襲います。
 1958年2月6日、ユードスラビアのベオグラードでのCL準々決勝の試合後、イングランドに戻るチャーター機が中継地ミュンヘンで墜落。選手8名が死亡し、2名が再起不能の怪我を負いました。「ミュンヘンの悲劇」として映画にもなった事件です。生き残った監督は、奇跡的に助かったボビー・チャールトンらを中心にクラブの再建を開始。10年後の1968年、デニス・ローやジョージ・ベストらの活躍により、見事因縁のCL制覇を成し遂げました。
 歴史に名を刻んだマンチェスターでしたが、その後、チームは再び低迷期を迎え、1974年には2部に降格するという屈辱を味わうところまで落ちてしまいます。そんな状態が1980年代まで続く中、1986年に監督に就任したのがファーガソンでした。「ミュンヘンの悲劇」からの奇跡の復活後、20年近くチームは低迷していたのですから、そこからの復活に時間がかかったのも当然だったと言えます。そう考えると、わずか3年でチームを優勝に導いたアレックス・ファーガソンの指導力がいかに優れていたのかがわかると思います。

<ファーガソン改革>
 プレミアリーグで10位レベルに低迷していたチームをトップまで引き上げたファーガソンの改革はどこが違ったのか?
 どうやら彼の改革には、特にこれと言った革新的なものはなさそうです。ただその中でも重要なのは、彼が行った改革はすべてが彼を中心に彼の把握の元で行われていたことかもしれません。そして彼にはそのための優れた能力が備わっていたようです。
 ユース世代、地元地域から優れた選手を見出すためのスカウト陣の増員と全体のレベルアップ。チームの選手だけではなく、スタッフだけでなく、競技場のそうじのオバちゃんや警備員まですべての関係者との対話とそこからの情報の救い上げ。チームの歴史だけでなく、選手のデータや地域の情報までを誰よりも詳細に記憶していること。彼はチームに関するあらゆる情報の把握を自らの脳で行っていたのです。
 プロサッカーチームの運営は、「オーナー」、「スポンサー」、「監督」という3トップの協力関係によって成り立っています。その中で監督は、チームについての情報を把握するだけでなく、常に次の一手を提案し、チーム成績を向上させるため、驚異的な記憶力を用い、支持者を確保するための人間力も必要とされます。一度会っただけで名前と顔を覚えてしまう彼の能力はそのために大いに役立ち、そこから生まれた幅広い人間関係が優秀な選手の発掘情報や移籍情報のいち早い入手に役立ったようです。

「彼はユナイテッドのスタッフを完璧に把握している。実際、自分がクラブに来た頃に働いていた、20年も前にいた職員の名前も今でも全部覚えているんだ。そればかりじゃない。彼は取材や遠征、チャリティーイベントなんかでも膨大な数の人に会う。会ったのは後にも先にも一回きりで、周りのスタッフが全員名前を忘れているような相手でも、パッと名前を思い出してファーストネームで話しかけることができるんだ。・・・」
トム・ティレル(マンU取材40年のスポーツ記者)

<選手への対応>
 彼は選手たちに決められたジャケットの着用だけでなく、食事内容や飲酒の制限などを指示します。それは単に見た目をきちんとさせたり、パフォーマンスを向上させるためだけではありません。
「我々は最初の段階から、公の場所に出られるような躾をする。何人かの若手にとっては当然ながら厳しいものになるだろう。だが世間からちやほやされるような舞台に立った時には、虚栄心に溺れてしまう危険性があるんだ」
アレックス・ファーガソン

 フランス人のエリック・カントナをリーズから移籍させたファーガソンは、彼をチームの中心に据え、彼の自由過ぎる行動に目をつぶっただけでなく、「カンフーキック事件」でも、彼を擁護し続け、首にするどころか、彼を助けるためにわざわざ彼のフランスの自宅にまで訪ねて行きました。
「カンフーキック事件」(試合後、敵チームのファンから酷いヤジが続いたため、カントナがスタンドに飛び込み、その客に蹴りを入れた伝説的事件)
「ファーガソンが天才的なのは、エリック・カントナを王族のように扱い続けてやれば、彼が文字通りキングのようなパフォーマンスを披露し始めること、そしてすべての選手が、キングは少しばかり特別な待遇を受けるべきだと、自然に納得するであろうことを洞察していた点だ」
マイケル・クリック(スポーツ・ジャーナリスト)

「『革命』と言えば、たしかに響きはいいかもしれない。でもそれはチームが大幅な変化を迫られたということに他ならないんだ。選手を入れ替えてチームを作り直すとなれば、形になるまで最低でも3年近くはかかる。この間結果は出せなくなるし、継続性や安定性といってクラブの運営にとって一番大事な要素も損なわれてしまう。
 だったらむしろ革命など起きない方がいいだろう。実際、去年の夏には、チームが大幅に若返ったように見えたかもしれないが、ファーギーが新しく買った選手は3人しかいない。若手の大半を占めたのは、既に前のシーズンにデビューした選手やローンから戻ってきた選手たちだった。つまりチームは段階的に世代交代してきたんだ。・・・
 ファーギーが行ってきたのは、『革命』(Revolution)ではなく『革新』(Evolution)だ。あくまでも組織のコンセプトや方向性は維持しながら、これまでの土台に基づいてさらにスケールアップする方向を目指してきたんだ」

トム・ティレル

 ファーガソンが、いわゆる「スーパー・スター」と契約したことはきわめて少ない。彼は才能ある若手を安価で手に入れ、自分の手でスーパースターに育てていくのを好むからだ。(クリスティーノ・ロナウド、ウェイン・ルーニー、エリック・カントナなど・・・)
 ファーガソンの説得能力の高さは、選手の移籍にストップをかけたり、引き抜いたり、解雇したりする時に大いに役立ってきました。一度は移籍したバルセロナからファーガソンの説得によって呼び戻されたマーク・ヒューズはこう言っています。
「ファーガソンは、イヌイットに角氷を売れる人間さ」

 ファーガソンは自らの仕事の大きさに対処するため、優れたスタッフを雇うことにも積極的です。ポルトガル代表や名古屋グランパスなどの監督経験者であるカルロス・ケイロスを長く自分の右腕にしていたのはその一例です。
「一流の人間は、一流の人間を雇うことを恐れない」
スティーブ・ジョブズ

「時々、監督の顔を見るのが嫌になることがあるよ。たとえば、俺たちが2-0とか3-0で試合に勝って、控室で上機嫌に笑いながら『いいプレーができた、すべてがうまくいった』と思っていたとする。そんな時でさえ、監督がドアから入ってきて癇癪玉を破裂させるんだ。誰もが周りを見渡しながら『何が悪かったんだ?』って思うけど、ファーガソンというのはそういう人間なんだ。彼は完璧主義者なんだよ」
ウェイン・ルーニー

<盟友アーセン・ベンゲルについて>
 ライバル・チーム、リバプールの監督アーセン・ベンゲル監督の去就について聞かれたファーガソン監督はこう答えています。
「我々は狂気の世界にいる。たった2,3試合負けただけで批判する人間が牙をむくんだ。今は誰もがアーセナルのことを話題にするし、アーセン・ベンゲルが辞任すべきだなどと語る。だが一体誰が代わりになれる?彼は信じられないような立派な仕事をしてきている。アーセンは監督を続けるべきだ。批判の声など聞かなくていい。サッカー界で必要なのは耳栓だ」
「こんなに長く監督をやっているのはアーセンと自分だけだ。自分たちは一緒に馬にまたがり、夕日に向かって走り去っていくべきだろう」

アレックス・ファーガソン

「ファーガソンの薫陶」 2012年
勝利をもぎ取るための名将の心がまえ
(著)田辺雅之
幻冬舎

サッカー関連のページへ   トップページヘ