- アルフレッド・ヒッチコック Alfred Hitchcock (後編)-

<独立、そして再スタート>
 1946年、セルズニックとの契約が切れたヒッチコックは、シドニー・バーンスタインと共同でトランス・アトランティック・ピクチャーズ社を設立。自ら製作も担当するようになります。こうして、彼は独立第一作であり、カラー第一作ともなった「ロープ Rope」(1948年)を発表します。今まで以上に自由な作品作りが可能になったこともあり、ここで彼は再びまったく新しい試みを行っています。なんとこの作品、長編映画でありながら、わずか12ショットしかないのです。(それぞれのシーンが10分近い長回しで撮られたことになります)
 後に彼は映画「鳥」で1400カットという当時最多のカット数を記録していますが、「ロープ」はまったくその逆であり、ほとんど舞台劇だったと言えるでしょう。ところが、映画館にやってくる観客は、そんな彼の実験的作品を見たがろうとはしませんでした。続く「山羊座のもとに」も興行的に惨敗したため、トランス・アトランティック・ピクチャーズは破産しています。ヒッチコックは経済的な打撃以上に映画監督として危機的状況に追い込まれることになりました。

<どん底からの出発>
 1950年、彼は復活をかけた作品「見知らぬ乗客 Strangers On A Train」を撮ります。電車で知り合った二人の男が交換殺人を行うという複雑なスト−リーの脚本を担当したのは、なんとあのハードボイルド小説作家、レイモンド・チャンドラーでした。(二人はこの作品の脚本についてさんざんもめることになります)実にヒッチコックらしいこの作品は、久々のヒット作となり、この後彼は再び勢いを取り戻します。
 「私は告白する I Confess」「ダイヤルMを廻せ! Dial M For Murder」「裏窓 Rear Window」とヒットを連発します。特に「裏窓」はヒッチコックらしさという点では、最も彼らしい作品かもしれません。足を怪我して歩けないカメラマンの主人公(ジェームス・スチュアート)は、ヒッチコック自身の分身であると同時に、観客それぞれの分身でもあります。そして、観客は映画というもうひとつの世界を覗き見ると同時に、主人公の視点で殺人犯の部屋を覗き見るという二重の覗き見を体験することになります。
 さらには、歩けない主人公が何もできない自分にイライラするように、観客もまた何もできないことに苛立ちを憶えます。そして、この苛立ちが、観客の興味を先へ先へと引っ張る重要な仕掛けになっているわけです。
 こうした、人々の心の中に潜む「覗き見願望」をくすぐることこそ、ヒッチコック映画最大の特徴と言えるのでしょう。

<ヒッチコック時代到来>
 ヒッチコックはイギリス時代から、自分の作品を宣伝することに対し熱心で、自ら広報宣伝会社を設立するほどでした。「鳥 The Birds」の公開試写会で、大量の鳥を会場前の空に放ったり、「サイコ」上映時には、「途中入場おことわり」という制限をあえて設けたり、映画の特徴をいかした広告を打ち出すのも彼お得意の仕事でした。
 1955年、彼は新たな戦略を打ち出します。それはテレビ界への進出でした。僕も大好きだった「ヒッチコック劇場」の登場です。彼はこのシリーズにホスト役として毎回登場し、あっという間に人気タレントの仲間入りをしてしまいました。この後7年間、世界中でヒッチコック・ブームが起き、彼はまるでアイドル・タレントのように世界中で愛されることになります。もちろん、彼自身にもアイドル指向があったようで、彼はこのテレビ出演を大いに楽しんでいたようです。

<ヒッチコック黄金時代>
 彼はテレビでの成功で得た資金的、精神的余裕も手伝いいよいよ彼にとってピークとなる時期を迎えようとしていました。しかし、彼はもうけっして若くはありませんでした。1955年「泥棒成金 To Catch A Thief」を発表した時、彼はすでに50代半ば、さらにその斬新さで世界中をあっと言わせた「サイコ」発表時は、なんと60歳を越えていました。還暦をすぎてピークを迎えるとは、人生あきらめちゃいけません!
 その後、彼はテレビのヒッチコック劇場と平行して、ぞくぞくと傑作を発表してゆきます。コミカルなサスペンスものとしての最高傑作「ハリーの災難 The Trouble with Harry 」、初期の作品「暗殺者の家 」のリメイク作「知りすぎていた男 Man Who Knew Too Much」、高所恐怖症の主人公がもつ偏執狂的な心理をトリックに用いた「めまい Vertigo」は、後に多くの映画関係者たちから隠れた傑作と呼ばれることになります。(確かに「サイコ」以上に病的でヒッチコッキアン向けの作品です)
 そして、1959年「北北西に進路を取れ North by Northwest」、1960年「サイコ Psycho」、1963年「鳥」とヒッチコック映画中、最も有名な3本が次々に発表されます。
 「北北西に進路を取れ」は、ある意味「サスペンス娯楽映画の巨匠」、ヒッチコックとしての集大成とも言える作品でした。この映画には、アクションや仕掛け、舞台設定などヒッチコックらしい娯楽性の魅力が見事に凝縮されています。それに対して、「サイコ」は、「映像の実験者」ヒッチコックとしての集大成と言える作品と言えそうです。彼はこの作品で、またもや映画の常識を覆してしまいました。

<「サイコ Psycho」>
 彼は、この映画に出演している最も大物の俳優ジャネット・リーを映画が始まって早々に殺してしまったのです。(そうそうブライアン・デ・パルマが「殺しのドレス」でこのパクリをやっています)誰もが映画の主人公は彼女であり、彼女だけは事件解決まで生きているはずだ、と思いこんでいただけにその驚きはより大きなものになりました。ところが、彼女が刺殺される有名なバス・ルームのシーンの後、殺人事件はまったく起きません。しかし、観客はきっとまたさっきのような凄惨な殺戮シーンを見せられるに違いないとハラハラ・ドキドキさせられ続けます。こうして、この映画の仕掛けに乗せられてしまった観客はもう彼の罠にはまってしまったも同然なわけです。あとはラストのあっと驚くどんでん返しまで、観客には息を付く暇も与えられません。
 さらにこの作品は、その頃の彼の作品としては最も少ない製作費で作られています。彼はお金をかけなくてもヒット作を作れるということを証明してみせたのです。

<「鳥 The Birds」>
  「鳥」もまた歴史的な作品です。1400という当時の映画の倍のカット数と特殊撮影を多用した映像は、当時の技術の遙か先を行くものでした。
 まったく理由がわからないまま人間が鳥たちに襲われるというストーリー展開となんの解決もないまま人間が街を逃げ出してしまうという衝撃的なラスト・シーン。不条理パニック映画というそれまでなかった新しい映画のスタイルを確立したという点でも画期的な作品と言えます。スピルバーグの初期の作品「激突」と「ジョーズ」は、まさにそんなヒッチコック作品の延長線上にある作品ですが、彼は実は学生時代にヒッチコックの撮影現場を見学したことがあるというヒッチコッキアンの一人です。(追記)鳥たちが突然人を襲うという事件は、アメリカのある田舎町で本当にあった話だそうです。

<ヒッチコック時代の終わり>
 残念ながら、ヒッチコックの黄金時代はこの頃までだったのかもしれません。もちろん、久々に故郷イギリスで撮影した「フレンジー Frenzy」や「遺作となった「ファミリー・プロット Family Plot」も見応えのある作品で、健康でさえあれば、まだまだ良い作品を撮れたかもしれません。
 ワンマン監督として、すべてを自分の力で仕切らなければ気が済まなかったぶん、70年代のヒッチコックは体力的に映画作りが困難になってしまったようです。それでも、彼が死の直前まで映画作りを続けられたのは、その傍らに愛妻アルマがいたからのようです。(持つべきものは、素晴らしき妻!)
 それでも、この時期になってやっと彼の監督としての手腕は世界的に高い評価を受けるようになっており、彼にとっては幸福な時期ではありました。特にフランスでの人気は、ヌーヴェルバーグの監督たち(特にフランソワ・トリュフォー)を中心に大変な高さでしたが、それは次第にアメリカへも拡がり、1967年彼はアカデミー賞の功労賞(アーヴィング・タールバーグ記念賞)を受賞しました。ただし、この賞を受賞した時のスピーチで彼は「サンキュー」としか言わなかったそうです。それまで「最優秀監督賞」を4度も期待させておきながら裏切られた恨みは、そう簡単には消えなかったのでしょう。

<ヒッチコック映画の秘密>
 彼の作品における重要な手法の中に「光と影」の重視があります。彼は監督としてスタートしたばかりの頃、ドイツの撮影所で仕事をしていました。そして、この時期ドイツでは表現主義といわれる「光と影」を重視する映画スタイルが黄金時代を迎えていました。(その代表的な監督が、フリッツ・ラングです。彼はその後ハリウッドに移り住み、数多くの名作を世に残すことになります)
 モノクロの時代であり、サイレントの時代だったこともあり、彼はこの時期いかにして映像に効果的に語らせることができるのかを、ドイツ映画から学んでいました。そして、それが後に大いに役立つことになります。
 例えば、1941年公開の「断崖」では、夫に殺されるのではないかと疑う主人公のところにミルクが運ばれてくるシーンがあります。すると暗い階段を運ばれてくるミルクのグラスがぼんやりと光り、さもさもその中に毒が入っているかのように見えます。実はこの時、ミルクの中には豆電球が仕掛けられ、中からぼんやりと輝いて見えるようになっていました。

「実際に、フィルムの余分は要らないんだ。私の作品のストーリーはほかのすべてと結びつくように編みこまれていて、キャメラの前で一つ変更をしたら、セーター全体がほどけてしまうようなものだろう、とよく言われる。
・・・・多くの成功した舞台劇が映画になると失敗するのはなぜか、私は何度も考えた。理由はこうだと思う。映画人は舞台劇に屋外シーンを付け足して映画的に”開放”しようと企てる。結果は舞台劇の持つ密度や緊張感が失われるんだ」

「インタヴューズ」(1993年)(インタビューは1957年のもの)

<ヒッチコック演出の秘密>
 ヒッチコックは、時に俳優を精神的に追い込むことで思い通りに動かそうとする怖い部分がありました。そこには彼の精神的な粘着気質が現れていたのでしょう。例えば、「めまい」におけるキム・ノヴァクへの演出。彼が理想の女優と考えていたグレース・ケリーを結婚によって失ったことから、彼は後継の女優に常に厳しくあたっていたようですが、理想の演技を求める彼の粘りがそうさせていたとも言えそうです。ちょっとマゾヒスティックとも言える演出ですが、それが彼の傑作を生みだしたのも事実なのです。
キム・ノヴァク
 ・・・たしかに、わたしはグレイのスーツも黒いハイヒールも嫌いでした。しかし、クレイのスーツを着せられ、黒いハイヒールをはかされて、別人に変ってしまっていました。
山田
 まさにヒッチコックの映画術ですね。
キム・ノヴァク
 じつにうまい手口です!外面をすべてコントロールすることによって内面も支配してしまうちうミスター・ヒッチコックならではのやりかたです。
山田
 ジェームズ・スチュアートのイメージどおりにつくり変えられていく『めまい』のキム・ノヴァクさんは、ヒッチコックの造形した夢の女でもあったわけですね。
キム・ノヴァク
 そう、だからこそ、わたしはスクリーンからの観客の一人一人に向かって、「もしわたしがあなたの望むような映画スターになったら、まるごとわたしを愛してくださる?」と言うような気持ちで演じたのです。

<ヒッチコック映画の俳優たち>
 彼の映画の場合、主人公はけっして個性的ではない普通の二枚目?で、ヒロインはブロンド・ヘアーで北欧的で色白なクール・ビューティーと決まっていました。そのかわり、悪役に関しては作品毎、それぞれ個性的な俳優が登場。ある意味、主役以上に魅力的なキャラクターが生まれています。
 例えば、「疑惑の影」のジョセフ・コットン。素敵なおじさまとしたわれていた二枚目の紳士が、実は連続殺人の犯人であることが少しずつ明らかになるのですが、本性を少しずつあらわして行く彼の演技は見事です。その他、「逃走迷路」で最後に自由の女神の手から落ちて行くノーマン・ロイドや「サイコ」のアンソニー・パーキンスなどは、残虐な犯人でありながら、観客たちの同情をひくような魅力を兼ね備えていました。

<心の闇の映像化>
 ヒッチコックが撮り続けた作品は、もしかするとすべて彼の心の奥に潜む心の闇の映像化だったのかもしれません。
 牛ステーキは大好きなのに鶏肉はなぜかまったく苦手だったという彼にとって、「鳥」はもともと恐るべき存在だったのかもしれません。
 死んだ妻を忘れられず、彼女に似た女性に同じ格好をさせようとする「めまい」の主人公は、実はグレース・ケリーを結婚によって失い、その後に使った女優たちキム・ノヴァクやティッピー・ヘドレンらに満足できなかったと言われる彼の心、そのものかもしれないのです。
 生涯アルマとともに歩み続けた彼にとって、グレース・ケリーやイングリッド・バーグマン、ティッピー・ヘドレンなどの美人女優たちは、カメラを通してだけ愛することができる欲望の対象でもありました。だからこそ、「裏窓」や「めまい」など、一歩間違うと完全に病気ともとれる覗き見趣味の作品が生まれたわけです。しかし反面彼には、そんな大人の嫌らしさとバランスをとるかのような子供っぽい部分もありました。そんな彼の性格が生んだ常に観客を騙そうとする意外なストーリー展開や合間合間にクスッと笑わせる独特の笑いが、あればこそ、彼の映画は娯楽映画として成り立っていたのかもしれません。
 1980年、4月25日、ヒッチコックはロサンゼルスの自宅で愛妻アルマや娘たちに見守られながらこの世を去りました。やりたいことを、やりたいように出来た彼の人生は、十分に幸福なものだったと思うのですが、・・・彼のことだから、草葉の陰から僕たちを脅かそうと待ち受けているかもしれません。

<締めのお言葉>
「白昼夢を見る人は夜しか夢を見ない人の気づかない多くのものを認識する」

エドガー・アラン・ポー著「エレオノーラ」より

こちらも是非ご覧ください!
「サイコ Psycho」(実験映画としてのヒッチコック作品の集大成)

ロック世代の異人伝へ   トップページヘ