「オール・アバウト・マイ・マザー All About My Mother」

- ペドロ・アルモドヴァル Pedro Almodovar -

<女性たちに捧げる映画>
 この映画のエンドクレジットはこうです。
「ベティ・デイヴィス、ジナ・ローランズ、ロミー・シュナイダー、女優を演じた女たち、すべての演じる女たち、そして女になった男たち、母になりたいすべての女たち、そして私の母に捧げる」
 この映画の公開にあわせるかのように監督ペドロ・アルモドヴァルの母親は、この世を去りました。悲しみにくれる彼の気持ちを反映したのか、この映画に登場する母親たち、女性たち、女性になりたい男たちは、誰一人幸福とはいえず、この作品には女性たちの悲しみが満ちています。
 一人息子を交通事故で失ったマヌエラ、エイズに感染しただけでなく出産時に命を失うことになるロサ、そして、そのロサを失った母親はアルツハイマーの夫も抱えています。マヌエラとロサに子供を産ませ、自らもエイズのために余命僅かなロラ。娼婦から足を洗おうと仕事を探すアングラード。麻薬中毒の女優ニーナと彼女を愛する老いた女優ウマ。売春、麻薬中毒、エイズ、シングルマザー、同性愛、老い、失業、・・・現実の厳しさを描いていても、それでもなおこの作品がけっして暗い話で終わっていないのは、登場人物たちがみな前向きに生きていて、お互いに助け合う気持ちを忘れていないからです。
 それに対して、この映画に登場する男たちはみな問題の発生源であり、女性たちはその問題に対処させられることになります。(エステバン、ロサの父親、ロラ、ロサの息子・・・)だからこそ、この映画に登場する女性たちは、それぞれの立場でそれぞれの役割を「演じる」必要性に迫られるのです。(この象徴ともいえる場所が、映画の中に何度も登場する女優たちの控え室かもしれません)

<映画内映画&舞台劇>
 この映画の中で、エステバンとマヌエラは、ジョセフ・L・マンキーウィッツの映画「イヴの総て」を見ています。ベティ・デイヴィス主演のこの映画は、大スターになるために、総てを捧げ、平気で嘘をつくなど、あらゆる手段を用いてのし上がっていった女優の物語です。そして、その後マヌエラもまた嘘をついてウマの控え室に入り、女優になるチャンスをつかむことになります。

「物語はたえず女性たちのあいだを揺れ動く。それは人生か舞台で演技をするが、最後にはきまって現実にぶつかる女性たちである。マヌエラとエステバンは『イヴの総て』を見る。演劇の世界にはいりたいイヴ・ハリントンが、楽屋で必死に嘘をつこうとするシーンである。わたしは楽屋のシーンを改作したが、それはまったくちがうシーンになった。わたしは楽屋を女性の聖域に変えた。われわれのイヴであるマヌエラは、自分の物語を語ろうとする瞬間に、おぞましくても真実の物語を語る。映画や演劇の物語は人生でもくり返されるが、実際には、けっして同じようには終わらないのだ」
ペドロ・アルモドヴァル

 さらにこの映画の中では、劇中劇として名作「欲望という名の電車」が演じられています。この有名な舞台劇の中でマヌエラが演じることになった役ステラは、暴力夫のスタンリーとの間の子供を身ごもりながら、彼を捨てて家を出る選択をします。そして、それと同じように彼女は実生活の中で同じような選択をして息子のエステバンを産んだのでした。
 もうひとつ劇中小説として、トルーマン・カポーティの短編集「カメレオンのための音楽」も使用されています。母親のマヌエラにこの本をプレゼントされた小説家志望のエステバンは、彼女にその冒頭の部分を読んでもらいます。
「神があなたにプレゼントをくれるときは、いっしょに鞭をくれる。この鞭は自分を鞭打つためだけに役立つ」
 この一節もまた実に象徴的です。なぜなら、この映画の登場人物はそれぞれ優れた才能を持ちながら、弱点も持ち合わせているために幸福を得ることができずにいるからです。

<ペドロ・アルモドヴァル>
 ペドロ・アルモドヴァルは、スペイン、ラマンチャ地方の小さな村に、1951年9月24日に生まれています。8歳の時、家族と共にスペイン西部へ引越し、そこで高校までを過ごしました。小さな頃から神童と呼ばれるほど頭が良かった彼は、大学入学試験に合格すると1968年マドリードに出て映画学校に入学します。ところが、右派のフランコ政権が誕生すると、すぐに反体制的と見なされた映画学校は廃止されてしまいました。そのため、彼は映画界で働くことをあきらめ、電話公社に入社します。
 サラリーマンとして働き出した彼は、映画館に通いながら、当時世界的なブームとなっていたパンク・バンドを結成して音楽活動を開始。同時に自主制作で映画を撮り、その作品が評価されたことから、劇団ロス・ゴリアルドスに俳優兼演出家として参加することになりました。
 カルメン・マウラを主役にしたインディーズ映画「ペピ、ルシ、ボン、その他の娘たち」(1980年)が映画館で深夜上映されると、口コミで大ヒット。一躍有名になった彼は、アルファビル社からの出資を得て、メジャー第一作となる作品「セクシリア」(1982年)を発表。ここで彼は電話公社を退社し、映画監督として独立する決意を固めました。
 「マタドール<闘牛士>・炎のレクイエム」(1986年)、「欲望の法則」(1987年)、「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(1988年)でスペイン国内だけでなく海外でも人気を獲得。これら初期の作品群が、スペインらしくかつゲイの監督らしい派手な色彩とブラックでセクシャルなコメディーやメロドラマだったのに対し、その後の作品は性別や国境を越えた優しさに溢れた人生讃歌へと変わってゆくことになります。
 そして、この作品「オール・アバウト・マイ・マザー」は、その集大成ともいえる作品であり、その後も、命の問題をより真正面からとらえた「トーク・トゥ・ハー」(2002年)や自らの故郷ラ・マンチャを舞台に母親への愛情をこめた名作「ボルベール(帰郷)」(2006年)といよいよその味わいは深まって行くことになります。

<同性愛について>
 この映画には、様々なタイプの性的指向が登場します。同性愛について画一的な考えしかもたないストレートな人にはちょっと驚きです。
 同性愛と一口に言っても、それには様々なタイプがあり、それは下記の四つの要素によって決められているとか・・・。
(1) 生物学的性(性器の形状、しかし、それでは明確ではない場合もあり、その時は染色体で判断されるようです。以前、オリンピックの女子選手でこれが問題になったことがありました)
(2) 性自認(精神的に自分は男性、女性どちらと思っているのかということ)
(3) 性的役割分担(自分が男性、女性どちらの役割を果たしたいのか?母親になりたいのか?父親になりたいのか?ということ)
(4) 性的指向(男性を愛するのか、女性を愛するのか、どちらとも愛するのか)
 この4つの組み合わせによって、人の性は決まるのだそうです。
 例えば、ロラは(1)については、オッパイは女性で、性器は男性なので、それだけで複雑な存在です。(2)は女性、(3)は、男性だったからこそ、ロサとマヌエラは妊娠したわけです。(4)は、たぶん男性、女性両方を愛せるタイプということでしょう。
 ウマは、(1)は女性。(2)も女性。(3)も女性で、(4)だけが女性(同性)ということでしょう。
 こうして考えると、同性愛とかオカマとかゲイとか簡単に言いますが、実際はいろいろなタイプの人がいます。そして、もしかすると、多くの人は自分自身でもよく分かっていないのかもしれません。多分僕はストレートだと思うのですが、自信はあまりありません。あなたは?

 かつて同性愛者は、十羽一絡げにして異常者扱いされていましたが、1970年代以降、西欧社会を中心にその状況は変わりつつあります。そんな歴史の変化に乗るようにして、ペドロ・アルモドヴァル監督の活躍が始まり、少しずつ自由な表現が可能になったと言えます。

<映画の中の過去の同性愛者たち>
「理由なき反抗」ジェームス・ディーンの魅力は、彼の性的指向が両方の性に向けられていたせいだったのかもしれません。
「お熱いのがお好き」のジャック・レモンの役は、女装趣味でなおかつ同性愛者でした。
「サイコ」でアンソニー・パーキンスが演じた異常な殺人者ベイツは、女装趣味でマザコンで同性愛者として異性を憎む、かなり複雑な指向の持ち主でした。
「アラビアのロレンス」の主人公ロレンスは、めいっぱい男性的な英雄でありながら、同性愛者でありマゾヒスティックな指向の持ち主だったと言われています。
「タクシー・ドライバー」のトラヴィスもまたベッツィという美しい女性を追いかけていたものの、実際は同性愛者だったとも思われます。
「明日に向かって撃て」のブッチとサンダンス・キッド、それにその恋人の三角関係もまた同性愛と異性愛のバランスの上に成り立っていたのかもしれません。
 ちなみにマドンナは、「性自認」は男性でありながら、「性的指向」は男性だとか。なるほど、そう考えると、彼女の作品の美しいさとアグレッシブな生き方の理由が理解しやすくなる気がします。それにしても性の問題は、追及するときりがないほど奥が深いようです。
 あまり深く考えすぎないように自然に生きるほ方がいいのかもしれません。
「Just The Way You Are」

「オール・アバウト・マイ・マザー All About My Mother」 1999年
(監)(脚)ペドロ・アルモドヴァル Pedro Almodovar
(製)アウグスティン・アルモドヴァル、クロード・ベリ
(撮)アヴォンソ・ビアト Affonso Beato
(音)アルベルト・イグレシアス Alberto Iglesias
(美)フェデリコ・G・カンベロ
(衣)サビーヌ・デグレ、ホセ・マリア・デ・コシオ
(出)セシリア・ロス Cecilia Roth(マヌエラ)、マリサ・パレデス Marisa Paredes(ウマ・ロッホ)、ペネロペ・クルス Penelope Cruz(シスター・ロサ)、カンデラ・ペーニャ Candela Pena(ニーナ)、アントニア・サン・ホァン Antonia San Juan(アングラード)、ロサ・マリア・サルダ Rosa Maria Sarda(ロサの母親)、エロイ・アゾソン(エステバン)、フェルナンド・フェルナン・ゴメス(ロサの父親)、トニー・カント(ロラ)
カンヌ国際映画祭監督賞、アカデミー最優秀外国語映画賞

<あらすじ>
 マドリッドで臓器バンクのコーディネーターとして働くマヌエラには、一人息子のエステバンがいました。かつてバルセロナに住んでいた彼女は、そこで知り合ったロラとの間にエステバンを身ごもったのですが、ロラは性転換手術を受けて女性になってしまい、マヌエラはロラと別れ、一人マドリッドへと旅立った過去がありました。ところが、小説家志望だったエステバンは、誕生日に憧れの女優ウマ・ロッホの舞台劇「欲望という名の電車」を見に行った際、彼女からサインをもらおうと道に飛び出したところで自動車事故にあい、この世を去ってしまいました。
 傷心のマヌエラは、エステバンの死を父親のロラに知らせるためにバルセロナへと旅立ちます。しかし、ロラを見つけることができず、旧友のアングラードと再会します。そして、男娼を引退しようとしていた彼女(彼?)とともに、バルセロナで心機一転しようと、仕事を探し始めます。そんな彼らを助けようとしてくれた修道女のロサと知り合った彼女は、ロサが身ごもっており、その父親がロラであることを知り、彼女を助けることにします。しかし、ロサはロラとのセックスにより、エイズに感染していたことが明らかになります。
 そんなある日、バルセロナに来ていたウマ・ロッホの芝居を見に行ったマヌエラは、ウマの共演者であり愛人のニーナを探す手助けをすることになります。ところが、ある日麻薬中毒のニーナが舞台に上がれなくなったことから、急遽代役を務めることになります。そして、彼女は見事に代役をこなし、大きな喝采を受けることになります。
 実は、彼女はかつて役者として、ロラとステラ役で共演した経験があったのです。この事件をきっかけにマヌエラは、今まで秘密にしていた息子の事故の話をウマに明かします。こうして、ウマ、マヌエラ、ロサ、アングラード、ニーナ、ロラ、・・・女たちと女になった男たちの運命の糸が少しずつつながってゆきます。

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