「ぐるりのこと。 All Around Us 」

- 橋口亮輔 Ryosuke Hashiguchi 、木村多江 Tae Kimura -

「めんどうくさいけど、いとおしい。いろいろあるけど、一緒にいたい。」
 これは、この映画のキャッチ・コピーですが、そのキャッチ・コピーが、まさにぴったりのすべての夫婦に捧げたい素晴らしい大人のための恋愛映画です。けっしてお金をかけた作品ではないはずですが、長さといい俳優の豪華さといい、なかなかの大作です。そのうえ、この作品は1990年代の日本を描いた歴史大作とも呼べる社会派の内容も併せ持っています。。バブルの崩壊から、日本人の精神性までもが崩壊していった「失われた10年」とも呼ばれた時代がこの映画の背景です。そして、そんな時代に起きた宮崎勤やオウム真理教による事件などを交えながら、ある一組の夫婦の歴史が淡々と描かれてゆきます。時代を見事に切り取った社会派の映画であると同時に恋愛映画としても素晴らしい作品に仕上がった珍しい作品です。村上春樹が目指す「総合小説」の映画版「総合映画」の傑作といってもいいと思います。
 同じ21世紀はじめの作品の中では、李相日監督の「悪人」という社会派の恋愛映画もまた傑作でした。しかし、「悪人」が「愛」の素晴らしさとその危険さをドギツイぐらいに画面に焼き付けた「情熱」の映画なのに対して、この映画は現実社会の異常さや夫婦の問題をリアルに描いていても、それを静かに見つめた「優しさ」の映画だといえるでしょう。その点では、この映画は「男の映画」ではなく、橋口亮輔という優しいまなざしをもつゲイの作家だからこそ生み出せた作品だったのかもしれません。彼は、この映画で監督だけでなく原作、脚本、編集も担当しています。
 彼は前作「ハッシュ!」の公開後、自身が鬱病になり、その苦しみを乗り越えることで、復帰作となった本作品を生み出したそうです。ゲイであることをカミング・アウトしている彼は、これまで常に同性愛の主人公を描いてきました。しかし、本作品では初めてストレートな男女の夫婦を描いています。その点でも、この映画は彼にとって重要な作品となるかもしれません。少なくとも、僕が彼の映画を見たのは、この作品が初めてです。同性愛に対する差別意識はなくても、進んで同性愛の恋人たちの映画を見たいかといえば、やっぱり否なのが正直なところです。

<橋口亮輔><追記>(2013年8月)
 1962年長崎生まれ。自主制作映画「夕べの秘密」(1989年)でぴあフィルムフェスティバルグランプリ受賞。
劇場映画デビューは、1992年の「二十二才の微熱」で、デビュー以来、同性愛の恋人たちを主人公に弱きものの心、愛を描き続けている。

 楽しむこと、笑うこと、誰かに必要とされること、未来のことを考えること、自尊心を持つことが、どれだけ大切なものかをとことん知っている「特殊」な人間だけが持つ感性によって、「ハッシュ!」は奇跡的に生まれてきた映画なのだといえるだろう。そこにはショボくて、痛々しく、バカバカしくて、情けないのだが、しかし誇りに満ちている人間たちの、重く切ない、凛とした笑いがある。
田中英司「現代・日本・映画」より

<木村多江&リリー・フランキー>
 監督の存在とともにこの映画にとって大切な存在だったのは、やはり主演の二人でしょう。特に木村多江は、この映画で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞最優秀主演女優賞、最優秀新人賞など、数々の賞をこの映画で獲得しました。田中裕子、いしだあゆみや戸田菜穂のように線が細く薄幸そうに見えながら、心の奥に狂気ギリギリの情熱を隠し持つ、彼女もまたそんなタイプの女優さんの一人だと思います。そんなタイプの女性に男は弱いものです。そのために、男はついつい不幸になると知りつつも惚れてしまい、道を踏み始めてしまうのです。そんな危険なタイプの女性は、けっして「魔性の女」ではなく真面目で不器用に生きるものです。ちなみに、そんなタイプの女優さんが、僕は昔から大好きです。
 そして、そんな女性に惚れてしまい、めんどうくさいけど、いとおしい。いろいろあるけど一緒にいたいと結婚した画家志望の青年を演じたリリー・フランキーの存在もまた忘れられません。彼はこの映画で日本映画批評家協会新人男優賞を獲得しています。監督と同じ「優しいまなざし」をもつ彼が妻を優しく見守る姿は、重い現実が描かれるこの映画の前半にとって最大の「救い」でもあります。
 そんな彼の優しいまなざしは、次々に登場する様々なタイプの犯罪者や彼と同じ法廷画家たちにも向けられます。しかし、どんなに異常な犯罪者や凶悪犯に対しても、彼はその顔に憎しみやさげすみの表情をほとんど見せていません。あくまでも優しく見つめるだけの彼の表情を見ていると、その優しさがそのまま木村多江演じる主人公が描いた天井画に重なって見えます。ラスト近くに登場する様々な種類の花が描かれたお寺の天井画は、この映画を一枚の絵に凝縮したように見えます。彼女が一枚一枚描き足していった花々の絵が一つの大きな天井画として完成したように、この映画もまた様々なエピソードをつなぎ合わせて完成されているのです。それは決して花々のように美しいエピソードではなかったのですが・・・・・。

<豪華な俳優陣>
 様々なエピソードを彩る俳優陣もまた豪華です。木村多江の線の細さに対し、その対極に位置する存在として貫禄を見せている母親を演じる倍賞美津子。彼女の演技は、今村昌平監督の名作「復讐するは我にあり」で見せた泥臭く迫力ある演技を思い出させます。
 バブル時代を象徴するようなヤクザまがいの不動産屋の兄を演じた寺島進。その妻を演じたヤンママ役の安藤玉恵は、あまりに自然すぎて演技に見えないほど役にはまっています。叔父さん役の上田耕一の演技もまた秀逸!
 法廷画家の仲間では、寺田農、八嶋智人、木村祐一、斉藤洋介、柄本明と芸達者がずらりと並びあきることがありません。さらに法廷シーンには、裁く側に田辺誠一、光石研、志賀廣太郎、田中要次。被害者側では、横山めぐみ。犯人側には、宮崎勤を思わせる連続殺人犯を演じた加瀬亮の不気味さ。最後まで被害者を罵倒し続けた殺人犯を演じた新井浩文の恐さ。近所の小学生を殺した主婦、小山悦子を思わせる犯人を演じる片岡礼子の悲痛な「御免なさい!」の重かったこと。チュッパチャップスおばさんこと、新屋英子もさすがの演技。その他にも、カナオの友人役で佐藤二朗、木村多江の上司役を演じる温水洋一と憎たらしい後輩役の山中栄もいい味を出していました。

<その他の見所>
 それぞれのエピソードを淡々と映し出す撮影も良かった。時に優しく時に不安げに人と社会と自然を見つめるカメラの視線もまたこの映画にとっては重要な存在だったと思います。
 そして、もうひとつ様々なエピソードをつなぎながら、静かに日常が流れてゆくシーンに合わせて聞こえてくる優しくて楽しい音楽もまた忘れられません。映画の印象と共に音楽もまた観客の記憶に刻まれるはずです。誰が作ったのかと思ってクレジットを見ると、なんと僕が好きなアーティスト、Akeboshiの曲!でした。
 昔、彼がラジオ番組をやっていた時に聴いて、そのあまりのしゃべりべたさに驚くと同時に温かな音楽性にもひかれました。ポール・マッカートニーが設立したリバプールにある音楽学校を卒業した最初の日本人としても有名な彼の音楽は、デビュー当初から日本人でありながらアイリッシュ・サウンドを追求する異色の存在でした。
 久しぶりに聴いたこの映画の音楽は、アイリッシュ的要素はないものの、やはり彼らしい温かさに満ちていました。やっぱりAkeboshiはいい。主題曲「Peruna」は本当に良い曲です。
 なお、この映画は全国の映画館関係者が選ぶ「映画館大賞」で「ダークナイト」に次ぐ第二位に選ばれています。

<あらすじ>
 芸大で知り合った画家志望の二人、カナオと翔子は、どちらも画家にはなれず、カナオは靴の修理屋で働き、翔子は出版社で編集の仕事をしていました。同棲していた二人は翔子の妊娠をきっかけに入籍。ちょうどその頃、彼は学生時代の先輩に法廷画家の仕事をやってみないか、と誘われます。翔子の反対を押し切って法廷画家の仕事を始めた彼は、テレビのニュースで使用するための犯人や被害者の似顔絵を法廷の現場で描き始めます。
 カメラとは異なり、絵には作者の思いが顕れます。時には、上から描き方に対して要望があって思うとおりに描けないこともありますが、様々な裁判で様々な犯人を描くことに彼は興味を覚えるようになります。ところが、その間に翔子は、子供を流産してしまい、そのことに責任を感じるうちに鬱病になってしまいます。ついには仕事も辞め、落ち込む毎日を過ごす彼女をカナオは優しく抱きしめ、改めて一緒に生きることを宣言します。
 そんな頃、翔子の知り合いのお寺から、天井画を描いて欲しいという依頼があります。それは彼女にとって復帰するチャンスでした。様々な花の絵を描き始めた彼女は、少しずつ精神のバランスを取り戻してゆきます。

「ぐるりのこと。 All Around Us 」 2008年
(監)(原)(脚)(編)橋口亮輔
(企)(製)山上徹二郎
(撮)上野彰吾
(衣)小川久美子
(音)Akeboshi
(音プロ)北原京子
(出)木村多江、リリー・フランキー、倍賞美津子、寺島進、安藤玉恵、寺田農、八嶋智人、木村祐一、斉藤洋介、柄本明、田辺誠一、光石研、志賀廣太郎、田中要次
   横山めぐみ、加瀬亮、新井浩文、片岡礼子、新屋英子、佐藤二朗、温水洋一、山中栄、上田耕一・・・ 

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