「すべて王の臣 All The King's Men」(小説)
「オール・ザ・キングスメン」(映画)

- ロバート・ペン・ウォーレン Robert Penn Warren -

「一つお尋ねしたいことがある。つまり、おっしゃるようにまず悪しかなく、善は悪から作られねばならないとすれば、善がどんなものかどうしていったいわかるのですか?それを悪から作ると仮定して。それに答えてください。」
「何のことはないよ先生、わけないさ」とボスは答えた。
「じゃ、答えていただきたい。」
「やっていきながら作り上げるだけさ。」

アダムとスタークの会話より

 政治により、「悪」の中から「善」を築き上げることは可能なのか?そんなある種究極の問題に真正面から挑んだ小説。それが、この作品です。

「・・・方法というものはそれ自体では道徳的に善でも悪でもない。われわれは結果によって判断してもよいが方法によって判断することは控えなければならない。道徳的に悪い動因でも善い行為を生み出すかもしれないし、道徳的に善い動因が悪い行為を生み出すかもしれないのだ。役に立つことをする力を得るためには場合によって、自分の魂を売らねばならないことだってあるのだ。
 歴史的犠牲の理論。歴史的中庸性の。それはいずれもいわば高いせん塔から眺めた冷徹な物の見方である。それはおそらく天才だけができることであろう。・・・」


 これこそ、この小説の主人公スタークの政治家としての姿勢であると同時にたぶんアメリカという国全体の政治的姿勢でもあります。この考え方に基づいて、アメリカはヴェトナムへ兵士を送り、バグダッドを爆撃し、ビン・ラディンを殺害し(これはすでに死んでいたという説もありますが・・・)、パレスチナを支配するイスラエルを支援してきたのでしょう。
 この小説ほど「アメリカの権力意識」を深く本質までえぐった作品はないのかもしれません。だからこそ、2007年にこの小説が再映画化された際、アメリカの映画界で最も反体制的といえる俳優ショーン・ペンが関わったのでしょう。
 この小説は政治によって「善」を創造しようとし続けた男の物語を描きながら、彼の右腕として彼を見つめるもうひとりの男、歴史の研究者ジャックが愛を創造しようと苦闘する物語でもあります。彼のスタークへの友情、アン・スタントンへの愛、父と母への愛と憎しみ、そして本当の父親への愛・・・etc.
 愛を求めながら裏切られ続けた彼にとって「愛」こそは最も必要とされる存在でした。

「・・・あなたを愛する人は人類というまだ創造されない巨大な土のかたまりの中からあなたを拾い上げて何かを作りだし、みじめなかたまりのような土であるあなたは作られて何になったのかを知りたいと思う。しかし同時に、あなたはだれかを愛する行為で真実なものとなり、まだ創造されない上の連続体の一部ではなくなり生命の息吹きを体内に得て起き上がる。だからあなたは他の人を創造することにより自分を創造するが、その人もあなたを創造し土塊の中からその一部であるあなたを取上げたのだ。だからあなたは二人いて、一人は愛することによりみずから創造する者であり、もう一人は愛人があなたを愛することにより創造する者である。この二人のあなたの間の距離が遠いほど世間はそれだけきしり雑音を立てて地軸をささえとして回転する。しかしもしあなたが完全に愛し愛されるなら二人のあなたの間には相違がなくまたへだたりがなくなる。その二人は完全に調和し、完全に焦点が合うであろう、ステレオスコープがカードに書いてある対の映像を完全に調節するときのように。」

 実は「すべて王の臣 All the King's Men」というタイトルを僕は誤解していました。この小説を政治家ウィリー・スタークを主人公とする政治ドラマだと思っていた僕は、巨大な権力をい持った主人公が部下だけでなく地域の住人や反対勢力までをも支配する様を表しているのが「すべて王の臣(おみ)」(臣とは王の家来のこと)という皮肉な言葉によって表現されていると思い込んでいました。しかし、そこにはもっと大きな意味が込められていたのかもしれません。
(注)「すべて王の臣 All the King's Men」というタイトルは、イギリスの伝統的な童謡「マザーグース」の一節からとられています。

「神が予知したように罪を犯す運命を荷う人間を創造したことは神の全能を示す壮厳な指標である。なぜなら完全な神が単に完全なものを創りだすのはとるに足らぬほど卑しむべくも容易なことだったろうから。真実を言うならば、もしそうしていたら創造ではなくて延長だ。分離することは同一視することであり神が人間を創造し真に創造する唯一の道は人間を神そのものから分離することであり、神から分離することは罪深いこととなる。悪の創造はそれゆえ神の栄光と力の指標となるのだ。そうでなければいけないのは善の創造は人間の栄光と力の指標となるからだ。しかし、神の助けにより、神の助けと英知によってこそである。」

 この言葉はラスト近く、老いたジャックの父親(元父親)が語ったものです。(彼は、社会からドロップアウトしキリスト教の布教をしていました)政治と親子の愛憎、そして恋愛のもつれが生み出したシェークスピア的ともいえる人生の悲喜劇はラストにきて静かで、なおかつある種幸福感に満ちた終りを迎えます。
 すべての人々は王の臣であることを知り、その上で改めて人生を見つめ直せば、おのずと新しい道は見えてくるのかもしれません。そして、主人公もまた新たな人生の一歩を踏み出すことになります。

「・・・しかしそれはずうっとあとのことになるだろうし、今はほどなくその家を出て動揺する世の中へはいり、歴史から出て歴史と時間という壮厳な責任の中へはいっていくことになるだろう。」

 神によってあえて生み出された「悪」。そこから「善」を生み出すことこそが人類の生まれてきた目的であり、人の生きる意味でもある。それは性悪説でもありながら、人は善へと進化しうるという進化論的な考え方でもあります。
 こうした考え方の基本には「生」とは「変化し続けること=運動」と同義であるという、これまたアメリカ的な思想があるのかもしれません。

「というのは生は知識へ向かう運動なのだから。もし神が十全の知識なら神は完全な静止であり、それは生でないものつまり死である。それゆえもし十全の存在である神のようなものがあればわれわれは父なる死をあがめるだろう。・・・」

 神は完璧なものを作るはずはない、完璧なものは「死」とイコールだから。ならば、人間はその不完全な中でできうる限りのことをしなければならない。それが唯一人間にできることであり、生きる目的なのである。
 こうした考え方がこの小説を悲劇的でありながらも読者に大いなる希望を与える物語にさせています。

<幻の映画>
 この小説は、1946年に発表された後、ピューリッツァ賞を受賞。ロバート・ロッセン監督によって映画化され、同じタイトル「オール・ザ・キングス・メン」として公開され、見事1949年度のアカデミー作品賞を受賞しています。その他にも、この映画では、ブロデリック・クロフォードが主演男優賞、マーセデス・マッケンブリッジが助演女優賞を獲得しています。
 そして、それから60年後スティーブ・ザイリアンSteven Zaillian監督によって再び映画化されています。(主演はショーン・ペン、ジュード・ロウ、アンソニー・ホプキンス、ケイト・ウィンスレットなど、豪華です!)残念ながら、この映画はあまり話題にはなりませんでしたが、最初の映画化作品も数少ない日本未公開のアカデミー作品賞受賞作として有名です。なんと日本初公開は、アメリカでの公開から遅れること30年近くの後のこと、1976年です。幻の作品となった理由の一つは、監督のロバート・ロッセンが「赤狩り」の対象となった人物だったせいもあるでしょう。1949年と言えば、日本でも赤狩りが行われていた時代でした。しかし、単にこの映画の監督が共産主義者だったからではないでしょう。この映画は実は社会派の映画であると同時に、キリスト教の原罪という概念に基づく宗教的な映画でもあるのです。このこともまた日本人には理解困難な部分だと思います。さらにこの小説は、同時代の作家ヘミングウェイのようなハードボイルド・タッチのものに比べると、ちょっと余計のように思える部分も多く、そのぶんどうも長く感じてしまいます。それはこの小説の作者ロバート・ペン・ウォーレンが、小説家であると同時に詩人であり、戯曲作家でもあるというところから、当然のことかもしれません。(彼は詩集「プロミシズ」で1957年にピューリツァー賞を受賞しています)さらに彼は南部出身の作家であることから、都会的というよりも泥臭い物語作家であるともいえそうです。
 しかし、我慢して是非最後まで読んでください。後半の100ページになれば、物語は読者の予想を裏切る驚きの展開となり、最後まで一気に読ませるはずです。そして、残された登場人物には、それぞれ素晴らしいエンディングが用意されていて、読者には深い感動が残されるはずです。

「すべて王の臣 All The King's Men」 1946年
ロバート・ペン・ウォーレン Robert Penn Warren(著)
鈴木重吉(訳)
白水社

<あらすじ>
 メイスン郡の会計主任として働いていたウィリー・スタークは、入札での不正を見逃せなかったことから仕事を首になってしまいます。政界と実業界の癒着と不正の横行に対し、自ら政治家になることを決意。実家に戻った後、コツコツと働きながら弁護士資格をとると政治家への道を歩始めます。そして、政界の不正を暴きながら、ついに知事の地位についた彼は自らの仕事の集大成として最新設備を備えた病院建設に着手します。
 彼の部下には、かつて政敵だった人物の部下だったタイニイ・ダフィ、最高のドライバーであり最強の護衛でもある「吃音」の”シュガー・ボーイ”、彼を愛し肉体関係を結んだこともあるやり手の事務方サディ・バーク、そしてスターク同様まじめさゆえに新聞社を首になっていたジャック・バードンがいました。物語はそのジャック・バードンによって語られてゆきます。
 ジャックはスタークの優秀んば右腕として政敵であるマックマーフィーにつこうとしていたアーウィン判事を寝返らせるよう指示されます。そのため彼は判事の過去を洗い彼の心を変えさせることができるネタを探すことになります。しかし、判事は彼にとって幼い頃からの恩人であり、数少ない信用できる人物でした。彼は大学時代に歴史を専攻し、キャス・マスターンという血のつながりのある人物について調査し、いつかそれを発表しようとまとめていました。その経験をいかし、彼は判事の過去を調べ始めます。するとかつてアーウィン判事は一度破産しかかっていたことがわかります。その時、彼はどうやってその苦境うぃお乗り越えたのか?そこに謎が隠されていました。そこでジャックは当時の判事の仕事や家庭の変化について調べるうちに、そこに驚くべき事実が隠されていることが明らかになりました。
 その後、彼は新病院の院長に彼の友人アダム・スタントン博士がついてくれるよう説得する役目を与えられます。いつの間にか強引な裏工作を行うようになり、かつての純粋な政治姿勢を失いつつあるスタークを嫌うアダムをジャックはなんとか説得します。ところが、その過程で彼はかつて彼が愛したアダムの妹アンがスタークと不倫関係にあることを知り、大きな衝撃を受けます。そんな中、上院議員を目指そうとするスタークに危機が訪れます。それは彼の息子でアメリカン・フットボールのスター選手トムがある女性と関係をもち身ごもらせてしまったことがきっかけでした。
 そして、その女性の親がスタークの政敵の側についてしまったのです。息子の不祥事をもみ消すため、スタークは病院建設の権利をゆずる決意を固めます。そんな時、トムが試合中の事故で大怪我を負い、事態は大きく変化し始めます。その上、ジャックが調べ上げた事実が大きな悲劇を生んでゆくことになります。次々に起きる悲劇に翻弄されたジャックはそんな中、新たなスタートを切るためのきっかけを得ることになります。それは・・・・・・。

映画「オール・ザ・キングス・メン All The King's Men」 1949年
(監)(製)(脚)ロバート・ロッセン
(原)ロバート・ペン・ウォーレン
(撮)バーネット・ガフィ
(音)モリス・W・ストロフ
(出)ブロデリック・クロフォード(スターク)、ジョーン・ドルー(アン)、ジョン・アイアランド(ジャック)、ジョン・デレク、マーセデス・マッケンブリッジ(秘書)

映画「オール・ザ・キングス・メン All The King's Men」 2006年
(監)(製)(脚)スティーヴン・ザイリアン
(原)ロバート・ペン・ウォーレン
(撮)パヴェル・エデルマン
(編)ウェイン・ワーマン
(音)ジェームズ・ホーナー
(出)ショーン・ペン(スターク)、ジュード・ロウ(ジャック)、アンソニー・ホプキンス(アーウィン判事)、ケイト・ウィンスレット(アン)、マーク・ラファロ、フレデリック・フォレスト
 驚くほど原作に忠実な映画化。原作を読んでから見るとその分物足りなく感じる可能性もあります。見所は、やはりショーン・ペンの迫力満点の演技(ちょっと熱すぎるか?)。それと原作にはない「オール・ザ・キングスメン」の歌?をショーン・ペンが熱唱する場面。物足りないとはいえ、衝撃的なラスト・シーンは見ごたえがあります。二人の血が流れ、アメリカ大陸を走るハイウェイを流れ、一箇所で出会いそこに血の海を作る。そして、その傍らにはその原因となったアメリカの暴力を象徴する存在、銃が置かれています。これぞアメリカ!という絵は映画ならではのもの。このラスト・シーンだけでも見る価値ありかもしれません。

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