「アマゾンの皇帝 Galvez , Imperador Do Acre」

- マルシオ・ソウザ Marcio Souza -

<アマゾン川級のホラ話>
 この作品は、「小説」というよりもアマゾン川級にスケールの大きな「ホラ話」と呼ぶべきものかもしれません。それを宣言するかのようにこの本の一番最初には、こう書かれています。

「途方もなく華々しきアマゾニアの諸都市におけるドン・ルイス・ガルベス・ロドリゲスの稀に見る冒険ならびにアクレ地方領土の笑劇的征服。読者の悦楽のためにここに理性の適切なる均衡にのっとって描き出される。」

 ここでくせものなのは、「・・・読者の悦楽のためにここに理性の適切なる均衡にのっとって描き出される。・・・」の部分です。悦楽のための物語ではあっても、理性が勝手は許さないとあらかじめ注釈を加えているのです。なんと怪しげな・・・前置きはこれだけではありません。次のページにはこうあります。

「アマゾンの皇帝」 - 三文小説 -
 「三文小説だからと」とここでまた前置きです。そして、次のページにこう書かれています。

「赤道の彼方ではすべてが許される」  - 十六世紀ポルトガルの諺
「すべて、というわけじゃない!」 - ルイス・ガルベス、廃位後(この小説の主人公)

 さらにまだ前置きがあります。次のページです。
「これはフィクションの書であり、そこでは歴史上の人物たちがたがいに交錯し、モノカルチャーの生み出すさまざまな妄想とひとつに織りあわさっている。
 過去の出来事は新たな根拠をあたえられて再構成されており、著者はそれによって地方的な生の特定の一局面を提示する意図したのである。」


これほど、前置きの多い本は珍しいです。結局、この本はこう始まります。
「これは冒険物語だ。しかし、残念ながら主人公は、最後に老衰し、寝床の中で静かな死」を抑えることになる。・・・・・」

 こうして、読み始める前から読者は頭を混乱させられてしまいます。そして、物語は場所や空間を勝手気ままにさまよいながら、時には物語の本筋からそれたり、脚注が本文として登場したりしつつ、まるで混沌の大河アマゾン川のようにクネクネと回り道をしながらホラ話を展開してゆきます。
 それはブラジルを象徴する存在であるアマゾン川を舞台とした大冒険活劇であると同時に、アマゾン川という世界で唯一の混沌世界を物語化したともいえる壮大なスケールの作品でもあるのです。(にも関らず、安っぽい三文小説でもあるというのがまた魅力的・・・これぞ「混沌」(カオス)です)

<アマゾン川という存在>
 かつて「地球生命圏 - ガイアの理論 -」(1979年)の中でジェームズ・ラブロックは「地球とは一つの巨大な生命体である」と宣言しました。その考え方にはちょっと無理が?と思われる方も多いでしょう。しかし、この考え方からいうとアマゾン川もまた巨大な一匹の生物に近い存在といえます。(昔の人々は「川」を「龍」に例えていたことが思い出されます)
 他の多くの川と異なり、この川には特定の源流というものがありません。アマゾン川という川自体、実際はマデイル川、ネグロ川など無数の川からなる集合体であり、本体というものはないのです。おまけにアマゾン川は場所により、季節や年により、常にその姿を変え続けています。それは巨大な生命体のようであり、我々の脳内に存在する神経細胞の網の目のようでもあります。
[なぜ「アマゾン」という名がついたのか?]
 アマゾンという名前は、あの有名なアマゾナス軍団からつけられた名前です。元々「アマゾナス」は、ギリシャ神話などにも登場している伝説の女性の国のことです。その場所はトルコから東欧にかけてのどこかとされています。ところが、16世紀にスペインの探検家フランシスコ・デ・オレリャーナがブラジル奥地を探検中に女性ばかりの部族の攻撃を受け、そこからアマゾンという名がつけられたと言われるようになりました。ただし、インディオの言葉に似たものがあり、そこから名づけられたという説もあります。他にも諸説あり、どれが正しいのかもまた混沌としています。

<アマゾンの皇帝>
 このお話は1945年に、ある老人(この冒険の主人公ガルベス)が書いた回顧録をもとに書かれたことになっています。その回顧録を著者であるブラジル人がパリの古書店で偶然見つけ、それを整理、出版したということになっているわけです。しかし、その著者がこの本の著者マルシオ・ソウザとイコールではないはずです。
 こうした複雑な構造により、この物語の語り手は誰なのか?どこまでが本当のことなのか?まったくわからなくなっています。おまけに本文中、突然「読者よ、許せ!」と書いて、物語の嘘を訂正する存在が登場してきたりします。読者は最後までこの物語が誰が何のために書いたものなのかをつかみきれないでしょう。
 そのうえ、凄いのはこのホラ話、実は本筋についてはほとんど実話らしいのです。

<かつてアクレ州にて>
 ボリビアとブラジルの境界に位置するアクレ州。アマゾン川の最奥地に位置するため、その領有権があやふやだったその土地は、1867年にボリビアとブラジルが結んだ「アクレ条約」によって正式にボリビア領となりました。しかし、元々ブラジル人が数多く入植し開拓を進めていたこともあり、ブラジル国内にはその条約に対する反発が多く、その後もアクレ州をめぐるゴタゴタが続きます。
 1899年5月1日ブラジル人の一団がアクレにあったボリビアの税関を包囲しボリビア政府関係者をすべて町から追放します。そして、このことが国際問題化することを回避するために、ブラジル人ではなくスペイン人のルイス・ガルベスという人物を大統領とするアクレ共和国を設立しました。(かつて、日本が傀儡政権による朝鮮国を設立したのと同じやり方です)
 しかし、翌年、ボリビアからやって来た軍隊によって共和国はあっという間に崩壊し、再びボリビアの領土に戻ることになりました。(ただし、その後1903年、正式にブラジル領となります)
 この本で描かれているドタバタの革命劇は、あきらかに現実離れしているものの、けっしてホラ話ではないのです。ただし、こうしたおとぎ話のように非現実的なことが起きてしまう原因は、アマゾンというあまりに巨大な混沌世界だからこそなのかもしれません。

<アマゾンという非現実空間>
 アマゾンという特殊な土地の非現実性については、ドイツの監督ベルナー・ヘルツォークが作り上げた大作「フィツカラルド」「アギーレ/神の怒り」が見事に描き上げています。そこでも描かれていた19世紀のブラジルは、アマゾン川流域に繁殖するゴムの木から得られる天然ゴムによって巨万の富を生み出していました。そして、その恩恵にあずかったごくわずかの大金持ちは、その資産を使いきれず、それを故郷ヨーロッパをアマゾンに移植するために使おうと考えました。こうしてアマゾンの奥地にヨーロッパの街並みが誕生することになりました。中でも有名なのが、今や観光地として多くの人々が訪れているアマゾンの大都市マナウスとそこに立つ豪華なオペラハウス「アマゾナス劇場」でしょう。ジャングルのど真ん中、それだけの建造物を立ててしまう異常なまでの信念とパワーこそ、アマゾンのもつパワーであり、ブラジルという新興国のもつパワーでもあるのです。
 リオ・デ・ジャネイロで開催されることになったオリンピックもまたそんなブラジルのパワーがあったからこそ可能になった巨大な夢の一つなのでしょう。そのパワーの源であるアマゾンのジャングルを今ブラジルはどんどん失いつつあります。たぶんこのまま行けばブラジルはアマゾンの木々を切りつくした後、そのパワーを失うことになるでしょう。そしてその時、ブラジルだけでなく、地球全体がそのパワーを失うことになるに違いありません。
「アマゾンよ、永遠なれ!」

<あらすじ>
 スペイン人のジャーナリスト、ルイス・ガルベスは、ブラジル奥地のアクレ州の州都アクレで地方新聞の記者として働いていました。アメリカとボリビアが進める陰謀の存在を知った彼はボリビア領事ルイス・トゥルッコの家に侵入し、秘密書類を盗み出そうとして終われる身となります。
 街にいられなくなった彼はアマゾン川を船でさかのぼり、その旅の途中、元修道女のジョアナと知り合います。その後、二人は大金持ちのイギリス人探検家サー・ヘンリー・ラストとフランスのオペレッタ劇団を率いるジュスティーヌとも知り合い、サー・ヘンリーの船でアマゾンの大都市マナウスに着きました。そこで彼はボリビアからアクレ州を取り戻そうとする秘密工作に参加することになります。それはアマゾナス州の州知事らによって計画された作戦で、アクレにおいて革命を起こし、アクレ帝国を設立。その後、自らブラジルの領土となるという計画が立てられ、ガルベスがその指導者として選ばれました。
 それは彼がスペイン人であり、ブラジルの陰謀であることを隠すのにちょうどよかったからでした。船で再びアクレに着いた彼は計画どうりアクレの街を占拠。自らアクレ帝国の君主となり、ハチャメチャな独裁政治を始めます。彼とアクレ帝国の運命は?

「アマゾンの皇帝 Galvez , Imperador Do Acre」 1977年
マルシオ・ソウザ Marcio Souza (著)
旦 敬介(訳)
弘文社 (ラテン・アメリカ」・シリーズ)

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