- アンドレ・マルローAndre Malraux -

「アンドレ・マルローの日本 Le Japon d'Andre Malraux」より

<日本文化紹介の先駆者>
 日本人ほど外圧を受けやすい国民はいないとは、よく言われることです。逆に言うと、そのおかげで日本はここまでの経済的、技術的な発展を遂げたともいえます。しかし、1853年にペリーが黒船に乗って日本を訪れ、強引に扉を開くまで、日本は1639年から200年以上に渡って鎖国状態を続けた閉ざされた国でもありました。他国からの影響を受けずに200年間に渡り、独自の文化を築き上げたサムライ・ジャパン。
 その逆に明治維新と太平洋戦争敗戦後の米軍支配、二度の急激な変革を受け入れ、その後も先進国の技術を取り入れることでテクノロジー大国となった日本。
 どちらが本当の日本の姿なのでしょうか?
 それとも、その融合があったからこそ、今の日本があるのでしょうか?
 日本が誇る「オタク文化」は、日本人のもつどんなDNAから生まれたものなのでしょうか?
 世界中でグローバル化が進み、世界と日本を切り離して考えることが困難になってきた21世紀。「日本人」とはいかなる民族なのか?について考える機会は以前よりずっと増えています。そんな「日本人とは何か?」という質問に、日本人に代わって答えてくれた最初の外国人、アンドレ・マルローという人物をご存知でしょうか?
 フランス人の小説家、美術評論家、詩人、政治家として活躍したマルローは、日本の文化を愛しただけでなく、それを母国フランスだけでなく世界中に広めた人物です。
 彼が活躍した1950年代から1970年代にかけて、彼ほど日本の文化を理解する西欧人はいないと言われていました。しかし、21世紀になった今、彼ほど日本の文化を知る人間は日本人の中にもほとんどいなくなってきました。
 日本文化の本質とはどこにあるのでしょうか?
 彼の残した言葉の数々は、21世紀の日本人に様々なことを教えてくれるはずです。ここでは、そうしたマルローと日本の関係について書かれた「アンドレ・マルローの日本」という本の中から、ごく一部ですが「日本とは何か?」について書かれた部分を選んでみました。それらの文章を読むとアニメ文化や映画監督、北野武がフランスで最初に認められて世界に広がったわけがわかるかもしれません。

<元祖ジャパン・オタク>
 アンドレ・マルローAndre Malraux は、1901年11月3日フランスのパリに生まれています。マルロー少年が日本の文化と最初に出会ったのはまだ15歳になる前のこと。両親に連れられて行ったパリのギメ美術館で見た日本製の磁器の美しさにひかれたのがきっかけでした。その後、彼は18、19歳の頃には、日本の美術雑誌「国華」(朝日新聞社刊)の水墨画特集号をコレクションするようになっていたといいます。もしかすると、彼はフランスにおけるジャパニメーション・オタクの元祖なのかもしれません。
 1930年、多くの日本人美術家がパリに留学していた中で、彼は小松清という画家、文芸評論家、エッセイストと知り合います。(ちなみに、1930年といえば、岡本太郎がフランスに旅立った年でもあります)ランボー、ジッド、ヴァレリーなどフランス文学の名作を数多く翻訳していた小松との関係は、その後長く続くことになり、彼の著書もまた小松によって翻訳されることになります。そして、彼はいよいよ日本という東洋の国にひかれるようになり、翌1931年、初の訪日を果たすことになります。その時、彼を迎えた新聞記者たちに対して、彼は記者会見でこう語りました。

「日本へ来たのは初めてだが、書物や美術を通じて私が知っている日本、表面に現れた近代日本の奥底には、ことさらに悲劇的な形で存在価値を否定するような精神的強さがある。たとえばハラキリがもたらす効果や日本の音楽の響きのように、強い悲劇性をともなっている。その深い心の内と真の日本の芸術を知りたくて来たのだ。」

 このインタビューによって、多くの日本の記者たちに好感をもって迎えられることになった彼は、その後の来日の際も、常に良き日本の理解者としてあたたかく迎えられることになります。当時の彼はアジアを舞台にした3部作となる小説を発表中でした。その中で、「征服者」(1928年)では中国、「王道」(1930年)ではカンボジアを描いていた彼は、この後、日本での体験をいかし、日本育ちで日本とフランスの混血の主人公を中心に描いた小説「人間の条件」(1933年)を発表することになります。

<芸術至上主義者>
 「人間の条件」において、あえて日本人とフランス人の混血を主人公として描いただけでなく、日本の文化についても描きこんだ彼の知識はすでにほとんどの日本人をも上回るものでした。しかし、異なる文化、異なる宗教のもとで育った彼がなぜ、そこまで日本の文化にひかれてしまったのか?そこで重要なのは、もともと彼が神の存在を信じない無宗教だったこと、そして彼がヨーロッパのキリスト教文化から離れたところに立っていたことがあげられます。その時、彼は神の代わりに信じるものがありました。それは「芸術」でした。

 戦後、マルローは人間の永遠な部分を(再)発見する。彼は革命のなかにそれを見出したと思っていたが、それは幻想だった。それほどまでに共産主義者への接近 - マルローは一度も入党していない - は期待はずれだった。マルローが最終的に達した考えは、誰のなかにも「一片の永遠性」が存在し、それは神や革命ではなく、芸術のうちに見出すべきものだということだ。たとえ芸術によって「生や死」が正当化されなくても。
「人が神を信じるように私は芸術と信じる」とマルローは言う。たとえ芸術が「なにも解決」せずとも、芸術は「無を前にして唯一の希望」でありつづける。


「マルローは非宗教的予言者の流れを汲む。ドストエフスキー、トルストイ、ニーチェ、シュペングラーの後継者である」
ロジェ・ステファヌ

 彼が日本を愛したのは、まさにこの「芸術」を通して日本を知ったからでした。そして、彼は自分だからこそできる役割りとして、「日本の芸術」を世界に紹介する芸術親善大使、翻訳者などとして活躍することになり、彼の母国フランスは、ヨーロッパにおいてその中心的役割を担うことになります。

「日本がフランスのためにどんな役割を選ぶのか、私にはわかりませんし、それは当然、日本の問題です。しかし、フランスが日本のためにどんな役割を選ぶかといえば、それは西洋全体に対して日本の精髄を受託する者となることです」
日仏会館新館竣工式での演説より

<武士道と騎士道>
 なぜ、フランスがそうした日本を理解するためのヨーロッパにおける先進地となりえたのか?そのことについて、彼は「武士道」と「騎士道」の類似性をあげています。

 二十世紀初頭、日本はヨーロッパに最も近いアジアの国だった。そして日本は、マルローがフランスとの驚くべき類似点を指摘した数少ない国のひとつだ。マルローによれば、二つの国は「貴族的精神」をもつ。また、フランスの騎士道と日本の武士道は同じ「超越的な精神」によって支えられていて、それはありとあらゆる「人類の神」に匹敵する。

 彼は、「武士道」というものを「ファシズム」と結びつけて考え、そのことを前近代的と考えている日本人に対し、そうではないと、意見を述べています。

「あなたがたにとって武士道がファシズムを意味するというのは無理もない。この言葉はまさにそれをあなたがたに連想させるようだ。だが間違えてはならない。私が武士道について語るときは本来の意味においてであって、ファシズムによって歪められた意味においてではない。中世日本の武士道は、中世フランスの騎士道にあるような契約だ。騎士道とはなにか。二重の契約だ。まず第一に、二人の人間のあいだで結ばれた忠義、忠誠の契約だ。そして第二の契約は、人間にとって超越的価値となるようなものだ。」

 彼の武士道についての理解は、さらにその奥深くにある「切腹」という究極の存在にまで及んでいます。

・・・日本の死は<自分>に関わること、<自分だけ>に関わることだ。日本の自死は神を冒涜する行為ではなく、それなりの価値を認められ、最悪の場合でもひんしゅくを買うことはない。

 ハラキリによって死は消滅する。なぜならそれは死という人間の条件を自由意志によって否定する行為だからだ。ハラキリにおいて、人は死を所有し、自己を超越することで最高の倫理感を証明することができる。・・・より人間的な人生を送るため、人間の尊厳、自由、愛を保つために己の生を断ち切ることは、まさに至高の価値を証明する行為である。

 1970年、日本国内だけでなく世界中を驚かせた三島由紀夫の割腹事件についても、彼は他の海外メディアとは異なり独自の見解を示し、ある意味その行為に理解すら示していました。

 なぜマルローは「三島の行為」にさほど衝撃を受けていないのか。第一には、これも竹本に言っていることだが、マルローには自殺を「ひとつの罪、もしくはひとつの価値」とする<必要性>がまったくわからないからだ。第二には、「<死>がまったく存在しないような文明に出会ったとしてもおかしくない」からだ。

 「三島由紀夫の事件」のことは、僕も小学生ながらしっかりと憶えています。新聞に載った事件現場写真のすみに見えた生首らしき物体。当時、大人気だった少年漫画「夕焼け番長」の中では突然、事件のことが語られ、多くの少年たちにメッセージが発せられました。(今なら絶対に掲載不可能だと思うし、描こうとする漫画かもいるかどうか?)
 小学生の僕にも、その事件は様々なことを考えさせましたが、事件について語られることは、その後ほとんどなくなり、「三島由紀夫を異常な人物」と簡単にくくるようになりました。そこにあえて「日本人の美学」として、評価する人物がフランスにいたわけです。そして、そうした「日本人の美学」の基礎には、「死」を終わりとは考えず、そこから先に人は生まれ変わるという発想がある。そこにも彼は注目していました。

「・・・生まれ変わったら藤の花になれるとい信じた文明は、我々西洋人のような花の見方をせず、あの素晴らしい『藤の歌』を書いた。輪廻の遺産はあらゆる生のかたちに驚くべき友愛の精神を与える」
アンドレ・マルロー

<「日本の芸術」の魅力とは?>
 マルローが日本人の芸術に見出した他に類をみない特徴について、ここからは取上げてみましょう。現在のアニメ・ブームの原点は、その発想の自由さ、題材の多才さなどから、ヨーロッパにおける「浮世絵」ブームにあるのではないか、と僕は思っています。
 その「浮世絵」がヨーロッパの絵画に大きな影響を与えたことは有名ですが、そのポイントについて彼はこう説明しています。

 マルローによれば、日本の版画は印象派に三つの絵画技法を「示唆した」。まず第一に自由な画面構成。これは中国の影響によるもので、特徴は枠取りがなされないことだ。とくに風景画には非常に大胆で自由な構成が見られる。これは「シンメトリックな精神」を好むヨーロッパ絵画にはまったく見られない。・・・ 
 第二に平面的な絵(平塗り絵画)。これは外見の文化である「イリュージョニスムからの解放」をもたらした。「ピカソやブラックは日本の版画のおかげで、影のない平面的な絵画の価値を見出した」。「日本の画家には見たものを再現しなければならないという制約はまったくなかった」。


 ここまでなら美術に詳しい人ならだいたい知っていることかもしれません。マルローがすごいのは「浮世絵」の素晴らしさを認めながらも、日本の芸術の本質をさらにそれより前に13世紀に生み出された作品にまでさかのぼっている点です。

「・・・日本は『魅力的な版画にすべてを頼っている国ではない』・・・真の日本、それは十三世紀の日本の偉大な画家であり、藤原隆信であり、またあなたがたの(古い)音楽であって、浮世絵ではない」

 彼は藤原隆信が描いた「重盛像」にその究極を見たと高く評価。この見解は、日本の美術界にも大きな影響を与えることになりました。さらに彼は日本の絵がもつ大きな特色として、「時」の扱い方の問題についても語っています。

 ヨーロッパの絵と日本の絵は生きている時が違う。とらえられ、再現された瞬間の長さも、それが意味するものも違う。日本の偉大な水墨画には「時間がない」とマルローは言う。・・・ヨーロッパの人々は「時の経過の被害を受けた」世界に生きているが、アジアの人々は「永遠の時のなかに」腰を据えている。

 ヨーロッパの絵画が一瞬の時を切り取った「写真」であるのに対し、日本の絵には「時」がないと彼は言っています。こうして日本の絵が永遠に続く物語を封じ込めた「世界」なのに対し、ヨーロッパの絵画はそこに疑似体験として入り込むためのあくまで「ヴァーチャルな世界」だといえます。

「あなたがた(ヨーロッパ人)は絵のなかに入ろうとするが、私たちは絵の外にいようとする。ヨーロッパの絵画はつねに蝶を捕まえ、花を食べ、踊り子に接吻しようとしてきた」
マルローの日本人の友人の言葉

 こうした、絵画における違いは、そのまま他の芸術にもあてはまります。たとえば、日本の美術における重要な分野のひとつ。仏像の彫刻についても、彼は語っています。

「フランスの文化相のマルローが来日したさいに指摘したことなのですが、ベラスケスの描いた処刑後のキリスト像などはグロテスクで無惨で、へたをすると信仰というものを失わせかねない。ところが、広隆寺の弥勒菩薩からは、人類、宗教を超えて、神とか仏とかいうエターナルな、、最も崇高なものが表象して見えると。」
石原慎太郎

 ヨーロッパの宗教画が神を人に近い存在としてリアルに描こうとするのに対し、仏教においては神は神として、すべてを超えた存在として描いています。そこには、すべてを許す笑顔があります。
 キリスト教において、イエス・キリストは人間として地上に降りた「神の子」です。人間だからこそ、彼は人々の罪を背負って十字架にはりつけにされる意味があるのです。この発想はキリスト教においては非常に重要なポイントです。しかし、この考え方は神をも人間に近づけようというある意味ヨーロッパ的で人間中心的なもので、思い上がった考え方とみることもできます。こうしたヨーロッパの考え方は石によって永遠不滅の建造物を作ろうとしてきた建築の世界にもよく表れています。(バベルの塔はその象徴です)
 日本の建築についても、かつては奈良の大仏のように巨大で堅牢で永遠に存在し続けるようなものが作られていました。

「たしかに中国と日本では愛されるものが違う。中国人は対称を好むが、日本人は違う。その意味では中国人はヨーロッパ人に近い。日本人では木の風合いが好まれるが、中国ではそれを派手な色で隠そうとする。大陸で愛されているような巨大、壮大なものは、日本では評価されない。日本人は親しみやすく最小限のものを好むからだ」
加藤周一

 しかし、その後、中国からの影響から離れるようになるにつれ、日本独自の世界観に基づく「時の束縛」から逃れた芸術が生まれるようになります。そして、その究極のかたちとして、彼は、20年ごとにまったく同じ型に作り直されるという伊勢神宮の存在をあげています。

「ヨーロッパ人は永続性を求めて築くが、日本人は非永続性を求めて築く」とラフカディオ・ハーンは言う。日本人は『儚いものを大切にする(数少ない)民族』のひとつである。瞑想家マルローは、じつに暗示的な表現をつなぎあわせてその事実を述べている。伊勢神宮は『二十年ごとに建て替えられる』がゆえに『過去をもたない』『過ぎゆくものに屈することはない』。それというのも、必滅であると同時に不滅であるからだ。・・・」

 永遠に壊れないものを作るのではなく、永遠なるものの存在をあらかじめ否定し、だからこそ何度でも同じものを再生するという考え方。これこそが日本的なるものの本質なのかもしれません。その意味では日本の美として、これもまた有名な「竜安寺の石庭」もまた「永遠」を「動と静」両方から描くことに成功した究極の形のひとつです。

 (竜安寺の石庭は)専門家にとっては、世界で最も有名な庭園のひとつであるが、私にとっては最も驚くべきものだった。・・・あの庭はなにを意味していたのか。・・・石と砂は永遠を表し、それは苔の上を流れる水、すなわち人生と対比される。・・・
 だが、砂を熊手でなぞって描いた平行棒は波を思わせる。一度に全部を見ることができないように配置された、これら侵食された石は、永遠というよりは地質学的な時間を示していた。
 竜安寺でなによりマルローの印象に残ったもの、「石庭が暗示しているもの」は、それが固定的であると同時に流動的だということである。この両面性が「永遠」を暗示し、参詣者ひとつひとつを「宇宙との融和」へと誘うのだ。


 こうした日本的な美はどこから生まれたのでしょうか?
 それは、日本の歴史をさらに過去へとさかのぼらなければわからないことですが、そのひとつの答えともいえる存在についても彼は語っています。それは伊勢神宮のそばに存在する、自然が造り上げた造形「那智の滝」です。

 (那智の)滝を前にして、マルローは竹本にこう断言する。
「ここには武士道において示されたような、日本文明の真の垂直軸がある」
「ひとつの方向が存在するのがわかる。アラベスクや引裂線に対立する垂直上昇が。・・・那智の滝は地面に向かって落下していると同時に、イメージとしては、上昇していると言える」
 そのとき竹本が目にしたのは、<変容した>一個の存在だった。マルローは1976年5月に行われた竹本との最後の対話のなかでも、那智の滝の精神は「つねに、下にいる人間と上にある空との対話だ」と言っている。


 日本の美が不滅性を求めないというのは、日本人が永遠の生を求めていないことから、必然性に生み出された考え方であり、それこそが西洋と東洋のもっとも異なる点である。今では、そう簡単に分けられないほど、地球上の文化はグローバル化によって差がなくなりつつありますが、それでもなお、彼のその指摘は本質的には間違っていないと思います。

 西洋が権力の証しとしてつねに追求してきたものは不滅性である。西洋は「知恵を必要としない。・・・心の静けさではなく、不死を追い求めている」。それを手に入れるためなら手段を選ばない。戦争、暴力、栄光、勝利につぐ勝利。その結果はというと、虚栄、傲慢、権力志向、論争、紛争、無秩序、無政府である。西洋では、個人が評価される。人は平気で情熱をさらけだす。生前は死の観念に怯えている。反対に、アジアの人間は生前、自分が死ぬ運命であることを知って(わかって)いる。彼らは死を恐れない。死はその本質において終わりではないからだ。アジアの人間は自分の個性が周囲にとってほとんど無価値なことを知っている。人はなによりまず共同体の一員であり、共同体は石や草と同じように自然、世界、宇宙に属する。

 こうして、日本に生まれた独特の美学は、その後「禅」を生み出すことで、さらなる高みに至るのです。

 ユダヤ=キリスト教やイスラム教では、人によって人のために考えだされた神を崇めるが、禅にはそれがない。禅は自然との融和を図るものである。ユダヤ=キリスト教やイスラム教は垂直方向の祈りで、人は空を見つめる。それに対し、禅は水平方向の瞑想で、人は自然や虚空を見つめる。

 それにしても、日本人でもなく、日本で育ったわけでもない、ヨーロッパの人間がなぜここまで深く日本人を理解できたのか?と改めて思わざるを得ません。

「博学な人間は過去の歴史や文化を学んで知るが、マルローは違う。まるでそれを体験したかのように理解している」
「おそらくマルローは、あらゆる文化を同じ次元でとらえることができた最初の人間だろう」

クリオード・タンヌリー

「この男の情熱は、神を信じる者と自由を信じる者の一致点となった」
ロジェ・ステファヌ

「日本と異なり、アメリカは正義という観念をこれからずっと大切にするだろう。つまり善と悪、正義と不正だ。日本は美しいものと心地よいもの、醜いものと不快なものといった観念にこだわり、普遍的な正義の観念については、本質的には永久に理解できないままだろう。というのも日本は個人主義の国ではなく、個別主義の国だから。感覚的なものは人によってすべて異なる。普遍的な概念を把握し、理解するには知性に訴えなければならない。だが、微妙な感覚をつかみとるには洗練された感性が必要だ。知性だけでは<感性の国>日本に近づくことはできない。では、感覚的なものと普遍的なものとの出会いはどこで起こるか。アメリカではない。アメリカ人は普遍的なもので頭がいっぱいだから。おそらく日本でもないだろう。日本人は感覚的な状態を重視しすぎる。むしろヨーロッパで起こるかもしれない。ヨーロッパの人々は感受性の鋭さを保ちつつい、普遍的なものに対して懐疑的でいられるから。
 その象徴がマルローだ。・・・」

加藤周一

 日本を代表する映画監督北野武を最も高く評価している国民はたぶん日本人ではなくフランス人でしょう。そして、宮崎アニメを中心としたジャパニメーーションの人気が海外でいち早く盛り上がったのもまたフランスでした。かつてマルローが指摘したように文化の根本に「武士道」と「騎士道」をもつ二つの国は、今でもやはりどこかでつながっているのかもしれません。
 日本の美を、深く理解したければフランスの大学に行って学ぶべき、もしかすると、そんな時代が将来来るかもしれません。

<参考>
「アンドレ・マルローの日本 Le Japon d'Andre Malraux」 2000年
(著)ミシェル・テマン Michel Temman
(訳)阪田由美子
TBSブリタニカ

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