アニメ黄金時代・混沌の日々

「おそ松くん」、「サイボーグ009」、「マッハGoGoGo」、「巨人の星」、「ひみつのアッコちゃん」、「タイガーマスク」

<1966年~1969年>
<1966年>
「おそ松くん」
 赤塚不二夫の代表作であり、21世紀には「おそ松さん」としてリメイクされ再びブームを巻き起こした作品。
 イヤミ、デカパン、ハタ坊など、赤塚不二夫のイメージを象徴するキャラクターを生み出した傑作マンガのアニメ化。
 大阪毎日放送が企画し、スタジオ・ゼロがアニメ制作に本格参戦した作品。スタジオ・ゼロは、本格的にアニメの制作を行うため、スタジオを移転。西新宿のビルを丸ごと借り、藤子不二雄、赤塚不二夫、つのだじろう等は、そのビルに仕事場を移すことになります。そしてビルの4階を動画部として、アニメ制作のためのスタッフを雇い入れます。それでもテレビのアニメを制作するには人員が足りなかったので、東映動画の下請けなどをしていた新興の制作会社チルドレンズ・コーナーと作業を分担することでなんとか放送に間に合わせることができました。
 NET系列での放送開始は1966年2月毎週土曜日夜7時半からでした。

「サイボーグ009」(長編映画版)
 1959年石森章太郎は「西遊記」の制作中に派遣されていた東映動画で、漫画家をやめてアニメーターになろうかと本気で迷っていました。ところが、東映動画の白川大作に、「君は漫画家の方が向いている。俺がお前の作品をアニメ化するから、漫画家に戻れ」と言われました。それでもまだ自分の将来を思い悩んでいた彼は思い切って仕事を離れ、1961年に80日間かけて世界一周の旅に出ます。まだ海外旅行すら自由に出来ない時代に世界を一周した彼の旅はどんなものだったのでしょう?そして、その冒険旅行とも言える旅が、彼のどれだけ大きな影響をもたらしたか?後に彼が生み出すキャラクター「仮面ライダー」の主人公が世界を放浪していたのは、まさに彼自身の旅と重ねているのは間違いないはずです。
 帰国後、彼は再び漫画家として仕事を始めますが、1963年に創刊された「少年サンデー」から自由に題材を選んで書いて欲しいという依頼を受け、「サイボーグ009」を描き始めます。この時、彼は世界一周の旅で得た経験から、登場人物を国際的な顔ぶれにしようと主人公チームのメンバーを世界各国から選ぶことにしました。
 ところが、マンガの連載がスタートすると、内容がシリアス過ぎたのか?大人向け過ぎたのか?読者の評判は今一つでした。そのため少年サンデーでの連載は1年39号で打ち切られてしまいます。(名作「ミュータント島での闘い」の途中でした)
 ところが、一部熱狂的なファンからの熱い再開の声が届き、少年マガジンで異例の再スタートを切ることになります。(1966年7月号より)そして、この時テレビアニメではなく映画用の長編作品として「サイボーグ009」のアニメ化の企画が進むことになりました。この時期、どのマンガも先ずはテレビアニメからアニメ化がスタートしていたのですが、唯一「サイボーグ009」だけが東映での映画からスタートしているのは、彼のアニメへの思いが東映動画に伝わっていたからなのかもしれません。こうして「サイボーグ009」は、テレビではなく映画館で上映されるためにアニメ化され、1966年白土三平の「大忍術映画ワタリ」との併映で公開されます。ただし、テレビでの放送までにはまだ時間がかかります。(1968年にテレビ・アニメ化)

「レインボー戦隊ロビン」
 スタジオ・ゼロの企画でしたが、原案・構成以外の制作は東映動画によって行われました。同じ原作者、石森章太郎の「サイボーグ009」と似た7人編成のチームによるSFアクションもの。その後誕生する石森章太郎原作の「秘密戦隊ゴレンジャー」と同じ系列の作品でもあり、今でも東映が制作を続けている「戦隊ヒーローもの」の原点でもあります。
 1966年4月からNET系列で土曜夜8時(後に7時半)から放送。

「魔法使いサリー」
 1966年から日本でも放送されていたアメリカの人気テレビドラマ「奥様は魔女」を見た横山光輝が、それにヒントを得て作った作品。連載当初は「魔法使いサニー」だったが、「サニー」の商標登録が「ソニー」に押さえられていたため、テレビでの放送の際「魔法使いサリー」に変更されました。
 SFなどの少年向けアニメばかりが放送されていた中、少女向けアニメのニーズもあるはず、という狙いが見事的中し大ヒット。この後、この作品が放送されたNET系列の月曜7時からの番組は「魔女っ子シリーズ」と呼ばれ、少女向け魔法系アニメの時間帯となります。
 1966年12月から毎週月曜夜7時からNET系列で放送。制作は東映動画。

「鉄腕アトム」最終回
 1966年12月31日、4年間続いていた「鉄腕アトム」(「地球最大の冒険の巻」)が最終回を迎えました。この最終回を前にした12月20日、虫プロにおける手塚治虫の右腕的存在だった穴見常務が42歳の若さでこの世を去っています。虫プロには、彼以外にもう手塚イズムを継承する愛弟子は残っていなかったと言われます。「鉄腕アトム」の最終回はそうしたタイミングで放送されました。その翌年、手塚治虫は「鉄腕アトム」の終了についてこう語っています。

「アトムの死」 中央公論1967年4月号より
・・・だが何といっても、アトムのヒットによって、テレビ漫画が続々、しかも全くアトムと同工異曲のものがズラリと並んだことが致命的な原因だった。これで共食いしない方がふしぎである。「鉄人28号」「エイトマン」「宇宙少年ソラン」「遊星少年パピィ」「宇宙エース」「宇宙パトロール・ホッパ」等など、ハイエナのようにアトムにむしゃぶりついて、アイディアや手法を盗みとる傾向には全く音を上げた。構成、脚本、キャラクター等全く同じなのである。それも道理で、虫プロのスタッフを片っ端からトレードしたり、スタッフがこっそり他の番組を手伝ったりしたのだから。

<その他の作品>
「海賊王子」

 1966年5月から毎週月曜夜7時NET系列で放送開始。制作は東映動画。
「ハリスの旋風」
 1966年5月から毎週木曜夜7時からフジテレビ系列で放送開始。制作はピープロ。
「ジャングル大帝 進めレオ!」
 「ジャングル大帝」の続編で10月から同じ時間毎週水曜7時放送開始。制作は虫プロ。
「ロボタン」
 1966年10月から毎週火曜夜7時半からフジテレビ系列で放送開始。制作は大広。
「遊星仮面」
 1966年6月から毎週金曜夜7時からフジテレビ系列で放送開始。制作はTCJ。
(SFヒーローもので僕は大好きでした。家の向かいにあったお菓子屋さんから主人公が来ていた衣装のセットをもらいました!思えば、元祖コスプレだったのかもしれません)
「がんばれ!マリンキッド」
 1966年10月から毎週木曜夜6時からTBS系列で放送開始。ただし、2ヶ月で打ち切りになりました。制作は東映動画。

<1967年>
「悟空の大冒険」
 「鉄腕アトム」の後番組として、1967年1月土曜日夜7時からフジテレビ系列で放送開始。もちろん制作は虫プロでした。当初、視聴率は良かったのですが、同時刻に日本テレビで「黄金バット」が始まると、視聴率を奪われ始めます。さらに暴れ者の主人公のキャラクターが教育上よろしくないと、PTAから批判が集中し、子供に見せない家庭が急増。1月に始まったものの、9月の番組改編時に終了することになります。悟空の悪ガキ的なキャラクターは元々手塚の原作にはなかったもので、杉井ギサブローを中心とするアートフレッシュが制作したものでした。
「黄金バット」
 独特の笑い声は一大ブームとなりました。間違いなく「悟空の大冒険」より人気がありました。
 1967年4月毎週土曜夜7時から日本テレビ系列で放送開始。
 
「冒険ガボテン島」
 「宇宙少年ソラン」の後番組としてスタート。原案・脚本はSF作家の豊田有恒で、他の辻真先、吉永淳一などが参加。久松文雄がキャラクター・デザインとコミカライズを担当し、少年サンデーに連載。構成・監督は河島治之
 名作冒険小説「十五少年漂流記」を5人にしたサバイバル冒険アドベンチャー作品としてヒット。自作による様々なメカが子供たちには新鮮で、自分達にも出来そうな気がしたものです。当初26回の予定が好評だったため13回も増えることになりました。
 1967年4月火曜夜7時からTBS系列で放送され、制作はTCJでした。

「パーマン」
 「オバケのQ太郎」は放送開始から1年半たっても視聴率は30%を越えていました。ところが、スポンサーの不二家から新キャラに変えることで、自社商品の売り上げを伸ばしたいという要望が来たため、あっさりと終了。なんともったいない!そこで次の企画として同じ藤子不二夫原作の「パーマン」が浮上。急遽マンガ雑誌での連載が始まることになりました。当時、マンガ雑誌で連載していることはテレビ・アニメ化の条件の一つだったのです。
 「オバケのQ太郎」では制作に一部しか参加できなかったスタジオ・ゼロですが、「パーマン」には東京ムービーと共同で本格的に参加できることになりました。
 そもそも「パーマン」とは、「スーパーマン」の見習い的存在として生まれたキャラクターでした。(知ってました?)
 1967年4月日曜夜7時半からTBS系列で放送され、視聴率は30%以上でしたが、スポンサーの意向で「オバQ」に続き一年で終了してしまいます。これまたもったない!

「マッハGoGoGo」
 タツノコプロによるメカ系アニメの第一作。そのイメージと人気を決定づける作品となり、リメイクも後にされることになり、海外でも人気のある作品です。主人公が乗るマッハ号の人気もあり、TVアニメも大ヒット。この後は、登場するメカが玩具化されることを前提にアニメが作られるようになります。虫プロの人気が下降線をたどって行くのに対し、タツノコプロの人気がここから急上昇することになります。
 1967年4月夜6時半(7月から6時開始に変更)からフジテレビ系列で放送開始。

「ドンキッコ」
 ピープロの制作。石森章太郎の少年ギャグマンガのアニメ化作品。すでに石森章太郎のファンだった僕はこの作品も好きでした。
 1967年9月木曜夜7時からフジテレビ系列で放送。

「ちびっ子怪獣ヤダモン」
 ピープロ最後のアニメ作品。この作品の後、ピープロは特撮ヒーローものの制作会社となり、アニメの制作からは完全に撤退します。原作・脚本・演出はうしおそうじ。コミカライズの作者には、当時まだ石森章太郎のアシスタントだった永井豪が選ばれました。
 1967年10月月曜夜7時半からフジテレビ系列で放送されました。
「おらあグズラだど」
 「ヤダモン」と似た怪獣モノのギャグ・アニメ。制作のタツノコプロにとっては初のギャグアニメとなり、得意分野となります。
 1967年10月土曜夜7時からフジテレビ系列で放送開始。

<その他の作品>
「かみなり坊やピッカリ・ピー」

 1967年4月毎週土曜7時半からNET系列で放送。制作は放送動画。(まったく憶えていません?)
「リボンの騎士」
 手塚治虫原作で虫プロ制作の男装の女性主人公による中世を舞台にしたヒット・アニメ。
 1967年4月から毎週日曜6時半(7月からは7時からに変更)からフジテレビ系列で放送開始。
「コメットさん」
 1967年7月毎週月曜夜7時半からTBS系列で放送開始。制作は国際放映。

<1968年>
「ゲゲゲの鬼太郎」

 同じ水木しげる原作の実写テレビ・ドラマ「悪魔くん」(1966年~1967年)が好評だったことからアニメ化が実現しました。ただし、「墓場の鬼太郎」のタイトルだった原作は、「ゲゲゲの鬼太郎」に変更されました。東映動画のフジテレビ・アニメの第一作となり、この作品のヒットから妖怪のブームが始まりました。
 1968年1月からフジテレビで火曜夜6時15分から放送開始(4月からは日曜6時半からに変更)

「巨人の星」
 東京ムービーの藤岡豊は週刊少年マガジンの編集長、内田勝を通してアニメ化を提案。自らスポンサー(大塚製薬)、放送局(日本テレビ)を探しました。藤岡、東京ムービーによるヒット・メーカー伝説は、「オバケのQ太郎」と「巨人の星」から始まることになりました。
 1968年3月毎週土曜日夜7時から日本テレビ系列で放映開始。

「サイボーグ009」
 1966年に長編映画としてアニメ化されていた石森章太郎の代表作が、ついにテレビアニメ化されました。東映動画によってモノクロ作品として制作されましたが、当時の視聴者である子供たちには大人向け過ぎたのか、視聴率は今ひとつで4月に始まり、9月には放送が終了してしまいました。(後に再評価され、カラーでリメイクされることになります)ただし、僕は当時「サイボーグ009」が一番好きなアニメ作品で、島村ジョーは文句なしにナンバー1ヒーローでした!
 1968年4月毎週金曜日夜7時半からNET系列で放送開始。

「太陽の王子 ホルスの大冒険」(長編映画)
 大塚康生高畑勲が中心のアニメ長編映画の名作が1968年7月に公開。
 企画が始まったのが1965年の初めで、制作の中断時期も含め、4年近い年月を要したことになります。制作費は1億3000万円でしたが、公開当時はヒットせず、関係者、スタッフは処分を受けることにもなったようです。内容的に大人向けで子供には少々難しかったようです。僕も見ましたが、途中少々怖かった思い出があります。

「サスケ」
 光文社の漫画雑誌「少年」に1961年から1966年にかけて連載された白土三平の作品。忍者サスケの成長を追った父と子の物語です。単行本は青林堂から出て、その売り上げが長井勝一による「ガロ」創刊の資金になりました。集英社から1966年にコミックスとして全15巻で発売されてヒットしていました。当初、「風のフジ丸」では主人公の名前を変えられ、「ワタリ」実写版では内容をイジられ、自作の映像化に不信感を持つようになっていた白土三平は映像化には反対でした。それに対し、制作会社のTCJはカラーで初めて全話を制作。墨絵的な演出を用いるなどして白土を納得させたそうです。
 1968年9月TBS系で毎週火曜日の夜7時から放送が始まりました。

「バンパイヤ」
 実写とアニメの合成という異色作。主人公の変身するシーンは印象的でした。原作は手塚治虫で主人公は虫プロで働いているという面白い設定でした。
 1968年10月フジテレビ系で毎週水曜日夜7時から放送開始。制作はもちろん虫プロ。

「佐武と市捕物控」
 大阪ガスがスポンサーで大人向けの作品として制作された江戸時代を舞台にした時代劇。「止め絵」の多用とモノクロ映像が和風で紙芝居的な独特の雰囲気を出していました。
 石森章太郎が原作でスタジオ・ゼロと虫プロが共同制作。「止め絵」の手法はこの後、「あしたのジョー」でも大きな効果を上げることになります。
 1968年10月からフジテレビ系列で夜9時から放送開始。しかし、時間的にアニメに向かず、翌年4月からは夜7時からに変更されます。

<その他の作品>
「わんぱく探偵団」

 1968年2月毎週木曜夜7時からフジテレビ系列で放送開始。制作は虫プロ。
「アニマル1」
 1968年4月毎週月曜夜7時半からフジテレビ系列で放送開始。制作は虫プロ。オリンピック出場を目指すアマレス少年の物語。
(この時期日本のレスリングはプロもアマも盛り上がっていました!)
「あかねちゃん」
 1968年4月毎週夜7時(7月からは7時半)からフジテレビ系列で放送開始。制作は東映動画。
「ファイトだ!!ピュー太」
 1968年4月毎週土曜夜7時半からNET系列で放送開始。制作は放送動画。
「怪物くん」
 1968年4月毎週日曜夜7時半からTBS系列で放送開始。制作は東京ムービーとスタジオ・ゼロ。
(「ゲゲゲの鬼太郎」から妖怪ブームが到来し、次々にヒット作が誕生。どの作品も今でも人気があるのは凄い!)
「妖怪人間ベム」
 1968年10月毎週月曜夜7時半からフジテレビ系列で放送開始。制作は第一動画。
(あまりに怖くてちゃんと見たのは再放送だった気がします)
「ドカチン」
 1968年10月毎週水曜夜7時からフジテレビ系列で放送開始。制作はタツノコプロ。

<1969年>
「ムーミン」

 海外児童文学初のアニメ化作品でした。TCJから独立したばかりのズイヨー映像の初制作作品でもあります。フジテレビとスポンサーのカルピスは日曜日夜7時半の枠に当初「ハレンチ学園」を考えていました。しかし、内容的にファミリー向け商品を扱うカルピスに合わないと判断。そこで急遽選ばれたのが「ムーミン」でした。
 制作には東京ムービーの参加。フジテレビの担当者は無名のキャラクターだったムーミンではヒットは望めないと宣言。視聴率が二桁になったら、銀座の真中で逆立ちしてやると言ったとか。
 担当者は、直接原作者のトーベ・ヤンソンと交渉し、OKをもらったが、3つの条件が提示されました。それは、アニメの中に登場させてはいけない3つのアイテムを厳守することでした。
「ノー・マネー」、「ノー・ファイト」、「ノー・ファイト」
この作品のキャラクターや世界観は宮崎駿、高畑勲に大きな影響を与えることになりました。
 ただし、この時のアニメ化はキャラクターは実物とは似ていなく、視聴率も悪く、今では忘れられた作品になっています。「ムーミン」が人気キャラクターとなるのは、1972年の再アニメ化からになります。
 1969年10月毎週日曜日夜7時半からフジテレビ系列で放送開始。

「ひみつのアッコちゃん」
 赤塚不二夫の原作マンガでは、鏡台を使って変身していたがアニメ化の際、コンパクト(手鏡)に変更されました。そして、この変更がアニメ界のグッズ革命ともいえる大ヒット商品を生み出すことになりました。男二人兄弟だった我が家にもこのコンパクトはありました!
「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン・・・・」
この呪文は未だに多くの子供たちの購買意欲を刺激し続けています!

「タイガーマスク」
 原作が梶原一騎、作画が辻なおきで1968年4月号からマンガ雑誌「ぼくら」に連載されていた作品のアニメ化。
 1969年は、「巨人の星」、「タイガーマスク」、「柔道一直線」いずれも梶原一騎原作で大ヒット。どれも大ブームとなっていました。その中で、唯一実写ドラマ化されていた「柔道一直線」のスタッフは、次なる作品として「タイガーマスク」の「仮面のヒーロー」的要素を盛り込んだ作品を企画します。それがあの「仮面ライダー」となります!
 1969年10月毎週木曜夜7時から日本テレビ系列で放送開始。制作は東映動画でした。

「アタック No.1」
 少女アニメの歴史は「魔法使いサリー」から始まりましたが、その原作者は横山光輝で、その後の「リボンの騎士」も原作者は手塚治虫、「あかねちゃん」はちばてつと、男性作家の作品ばかりです。また女性マンガ家で最初にアニメ化されたのは、長谷川町子の「サザエさん」ですが、この作品は少女マンガではありません。ということで、女性作家の作品で最初にアニメ化された作品は、浦野千賀子の「アタック No.1」でした。
 1964年の東京オリンピック以後、女子バレーは人気スポーツとして定着していました。その影響で「サインはV」が実写ドラマ化され、すでにヒットしていたこともあり、すぐにブレイク。アニメは丸2年続く大ヒット作となりました。

<その他の作品>
「海底少年マリン」

 1969年1月毎週月曜夜6時からフジテレビ系列で放送開始。制作はテレビ動画。
(水中でも呼吸ができる「オキシ―ガム」が欲しかった!SF海洋冒険アニメ)
「ウメ星デンカ」
 1969年4月毎週火曜夜6時からTBS系列で放送開始。制作は東京ムービー、スタジオ・ゼロ。
「紅三四郎」
 1969年4月毎週水曜夜7時からフジテレビ系列で放送開始。制作はタツノコプロ。
「もーれつア太郎」
 1969年4月毎週金曜夜7時半からNET系列で放送開始。原作は赤塚不二夫で制作は東映動画。
「忍風カムイ外伝」
 1969年4月毎週日曜夜6時半からフジテレビ系列で放送開始。原作白土三平で制作はTCJ。
「どろろ」
 1969年4月毎週日曜7時半からフジテレビ系列で放送開始。原作は手塚治虫で制作は虫プロ。
「ハクション大魔王」
 1969年4月毎週日曜6時からフジテレビ系列で放送開始。制作はタツノコプロ。
「サザエさん」
 1969年10月毎週日曜夜6時半からフジテレビ系列で放送開始。制作はTCJで今も続いています!

<スタジオ・ゼロの消滅>
 「佐武と市捕物控」の放送終了により、スタジオ・ゼロが制作するアニメはなくなり、それを機にスタジオ・ゼロのメンバーは廃業を決意します。これにより、藤子不二雄、石森、赤塚、つのだひろたちは、アニメの制作から完全に手を引き、マンガ家に専念することになります。スタッフたちに退職金を支払い、機材を処分すると、残りはまさにプラスマイナス0となり、文字通り「スタジオ・ゼロ」となりました。

<タツノコプロの方針転換>
 タツノコプロのギャグアニメ路線は、「おらあグズラだど」、「紅三四郎」、「ハクション大魔王」の連続ヒットにより安定。吉田兄弟はアニメ制作に専念するため、マンガを描くことはやめる決断をします。彼らと逆にアニメとマンガ両方にこだわり続けた虫プロが最終的に倒産してしまったのに対し、タツノコプロが21世紀まで活躍を続けているのはこの判断のおかげだったのかもしれません。

<参考>
「アニメ大国建国記 1963-1973 テレビアニメを築いた先駆者たち」 2020年
(著)中川右介
イーストプレス

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