フェアトレードを実現させた女性起業家


- アニータ・ロディック Anita Roddick -
<「ボディ・ショップ」創業者>
 あなたは「ボディ・ショップ」をご存知ですか?僕は、1990年代に店を大幅なリニューアルする際、輸入雑貨の店を数多く回ったので、当時日本でも話題になっていた「ボディ・ショップ」の渋谷店を見に行ったことを憶えています。でもその創業者のことはまったく知りませんでした。考えて見れば創業者が女性でなく男性だったとしたら「ボディ・ショップ」というブランド名は「身体を売る店」なのか!と批判の対象となり名前を変えることになっていたかもしれません。

 先ずはその「ボディ・ショップ」の創業者の女性アニータ・ロディックの言葉から始めます。
「私は美容ビジネスが嫌いです。とうてい叶わない夢を売る化け物のような業界です。嘘はつく。騙す。女性を食い物にする業界です。その主な売り物は何かといえば、パッケージという名のごみです。エリザベス・アーデンがかつて、化粧品業は『世界で最も卑劣なビジネス』だと評したのも、もっともです」

「化粧品業界は人々の健康と幸せの増進に尽くすべきだと思いますが。やっているのは、魅力(グラマー)についての時代遅れの概念をあおり、ごまかしの望みや幻想を売りつけることです。何百万ドルもの巨大な広告費をかけて、大手化粧品メーカーは、より若く、美しく見えるようなお手伝いできますよと、女性を口説きます。それでいて、そんなことはナンセンスだと自分たちで十分承知しているのです。・・・」

 どう考えても化粧品メーカーの発言とは思えない過激な内容です。世界中で様々なベンチャー企業が現れる中、業界の根本を否定し、なおかつその業界で成功するなど前代未聞かもしれません。異端者の登場に対し、業界内での締め付けや攻撃は当然激しかったはずなので、それを上回る大衆からの支持が得られていたということでしょう。時代がその人物を味方しなければあり得ないことです。アニータ・ロディックは、そんな奇跡を起こした人物ですが、それは彼女が女性ならではの視点を生かしたせいでもあります。

<アニータ・ロディック>
 アニータ・ロディック Anita Roddick は、1942年10月23日イギリス南東部の港町リトルハンプトンで生まれました。父親はイタリア系英国人で駅前でカフェを営業していました。演劇や歴史などに興味を持って育った彼女は、大学卒業後は中学の教師をすることになっていましたが、パリを旅していて街の雰囲気が気に入り、そもまま新聞社の資料整理の仕事をしながら一年間住み着いてしまいます。それでも、帰国後、再び教師の仕事につきますが、夏休み中、今度は旅先のジュネーブで国際労働機関ILOで仕事を見つけ、その中の女性の権利擁護部で働き始めます。ところが、しばらくそこで働くと、国連職員たちが高給取りでありながら、ろくな仕事をしていないことにウンザリ。結局そこもやめてしまい世界中を放浪する旅に出ます。

<結婚、仕事、出産>
 旅を終えて帰国した彼女は、同じような趣味を持つ男性と結婚し、出産もし、B&B(ベッド&ブレックファスト)という民泊を始めます。そこで休みなしに働く生活を続けますが、3年続けてたところで疲れ切ってしまいます。そして、自分でできる新たなビジネスを模索し始めます。
 彼女は旅の途中、現地の人々との交流の中、様々な天然素材の美容法の知識を得ていました。そこでカカオバター、アロエベラ、ホホバオイルなど、それぞれの土地で使用されていた素材を輸入し、化粧品として商品化、販売しようと考えます。
 ただし、ここで彼女が考えていたのは、そうした化粧品を安く販売して大きな利益を上げることではなく、自分が使いたい商品を作り、それを販売することでお客さんと輸入先の現地の農家に貢献することでした。けっして自分の店を拡大しチェーン店を全国制覇しようなどとは思ってはいなかったようです。そもそも彼女の目指すやり方にビジネス・モデルは存在しなかったのです。

<新ビジネス・スタート>
 多くの化粧品メーカーは、有名デザイナーによる美しいボトルと豪華な化粧箱を用いて化粧品を販売していますが、彼女が化粧水を入れるのに選んだのは尿を採取するための出来合いのプラスチック容器でした。
 彼女は広告宣伝にもいっさい予算をかけず、マスコミを使った情報発信と口コミだけで販売を開始します。それでも自然素材を用いた商品の品質の良さはすぐに話題となり、その販売方針も独特だったことからマスコミからの取材が殺到し始めます。しだいに彼女の店の商品を扱いたいという店が増え、フランチャイズ方式を導入し、店を統一的なデザインにすることでさらに話題性を増して行きます。
 1984年には株式上場し、統一したコンセプト、デザインの「ボディ・ショップ」のスタイルが誕生しました。いよいよ「ボディ・ショップ」は海外にも店をもつ企業に成長したのです。しかし、前述のように彼女の目的は世界制覇ではなかったので、ビジネスで得た利益を不動産に代えたり、タックス・ヘイブンに持ち出したりはしませんでした。彼女はその利益を化粧品の原材料を生み出している国の人々に還元しようと考えます。

<利益の還元>
 当初、彼女は環境保護の世界的組織グリーン・ピースへの協力という形での還元を考えました。しかし、国連同様、巨大化したことで官僚化してしまった運営スタッフの態度が信頼できず、彼女は自らの手で還元する方法に切り替えます。
 こうして「ボディ・ショップ」が打ち出したのが「ストップ・ザ・バーニング」という名のアマゾンの森林を保護するプロジェクトでした。地球に膨大な酸素を送り出しているアマゾンの森林が毎年大規模な伐採によって失われていることは、地球環境の保護における最大の懸案事項だと判断しての作戦でした。そこで世界中のボディ・ショップ店頭で森林伐採に反対する主張を行い、化粧品によって得た利益から多額の寄付を森林の保護活動に寄付しました。
 動物愛護にも熱心だった彼女は、EUが化粧品アレルギー問題に対し、動物による確認実験を行うことを義務付けたことに反発します。こうして始まったのが「アゲインスト・アニマル・テスティング」プロジェクトでした。結局、EUは動物の使用による実験を禁じることになります。
 しかし、彼女が行ったプロジェクトの中でも最も画期的で世界に大きな影響を与えたのは、開発途上国に対し、「援助ではなく取引を」というスローガンを用いた方法での支援活動を行ったことでした。この手法は、現在でいう「フェア・トレード」の原点となりました。
 彼女は天然の原料を単に発展途上国から輸入するだけではなく、自ら現地におもむき、現地の人々が原料となる植物などを育てるために必要なインフラ整備や技術者に必要な教育施設への投資を積極的に行ったのです。「魚をあげるのではなく、魚の釣り方を教えよう」が、彼女の理念でした。

<彼女の死>
 残念なことに彼女は2007年9月10日、病によりこの世を去りました。亡くなる直前、彼女は「ボディ・ショップ」のすべての権利を大手化粧品メーカーのロレアルに売却。一部から批判を受けました。彼女があれほど嫌っていた化粧品会社に身売りしたのですから、当然かもしれません。
 ただし、それまでに築き上げてきたボディ・ショップの理念とシステムと人材と供給元の農家にとって、ボディ・ショップを消してしまうことは許されないことだったのかもしれません。そのためには、悪魔に魂を売ることも良しとしたのかもしれません。
 そもそも0から立ち上げた企業ですから、世界を少しでも良く出来る方を選択したのでしょう。少なくとも、「やられたらやり返す」倍返しの考え方しかもたない男たちの企業とはまったく異なる姿勢だったことだけは確かです。

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